甲州街道を歩く 第6回(H30.4.16)野田尻宿、犬目宿、下鳥沢宿 14.6㎞

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JR上野原駅からJR鳥沢駅に至る今回のウォーキングは、全て現在の甲州街道(国道20号)と離れたルートで、自動車も少ない旧街道である。上野原の街中を出ると、道は曲がりくねり、アップダウンの連続で平地が殆ど無い昔ながらの道中を、総勢9名(男5、女4)は、天候に恵まれて、江戸時代の人々宜しく、長い道程を歩いた。往事の宿場の跡には集落があり、家々の表札に名字と共に屋号が記されているのが昔日の面影を残していた。集落を外れると、舗装されているものの昔ながらの街道であり、所々春の花が咲いている、そういった環境の中で旧街道の雰囲気を楽しみながら、最終地点に辿り着いた。途中、ごく僅かであったが、林の中に石畳の道も残っていた。また、集落内では、都会と違って隣家との距離が十分ある家々の、道に面して植えられている、色とりどりの花の美しさが非常に印象的であった。
別に記憶に残ったのは、武田信玄が小田原北条氏に備えて築いた長峰の砦跡の碑が道端にポツンとある傍にあった、松尾芭蕉の「古池や かわず飛び込む 水の音」の句碑である。 
恒例の打ち上げを東久留米に帰って行った。  ウォーキング部会長 東海俊孝
鶴川宿大椚一里塚跡野田尻宿石畳の道IMG_0959IMG_0969

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甲州街道を歩く 第5回(H30.3.19)小仏峠を越えて与瀬宿(相模湖駅)へ

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靖国神社の桜の開花が告げられる良い天気が続く中、NHK天気予報は1週間前から前日まで「曇り時々雨」のままで変わらず、峠越えをやれるのか気を揉んだ日々が続いた最後に、漸く「昼は曇り」という予報を得てウォーキング実施に漕ぎつけた。総勢9名(男5、女4)で高尾駅に降り立つと、バス停は我々と同じ年恰好のウォーキング姿の人達で溢れていたのにびっくり。ウィークデーにも拘わらずの賑わいは、小仏峠登り口近辺の梅園が目当てと後で分かったが、途中狭い上り坂を走るバスの両側のあちこちでも目にした、満開の梅による白、ピンク、赤に彩られた景色は素晴らしかった。
標高648mの小仏峠は、奈良時代の僧行基が峠に一寺を建て、一寸八分の小さな仏を安置したことから名付けられたと言われる。その旧甲州街道の難所だった小仏峠は、江戸時代には甲州街道(当時は甲州道中といった)のルートに指定され、交通の要所となって通行が盛んになり、甲斐国と武蔵国・相模国を結ぶ要路として、麓には小仏関所が置かれた。しかし勾配が急で車道化が困難であったため、1888年(明治21年)に当時の国道(現在の国道20号)は大垂水峠を経由するルートへ変更され、これによって小仏峠を通る通行者は激減した。
登り口である小仏からは300mに満たない標高差を2㎞半程度で登る峠道でも、日常坂や階段を登っていない我々には、かなりの負荷であり、九十九折の小仏峠東坂の急坂を、息を切らせて登って漸く頂上に辿り着いた。頂上は小さな広場で幾つかのテーブルが置かれ、これを囲んで昼食をとったが、運動の後の食事は美味であった。峠頂には、「明治天皇小佛峠御小休所趾及御野立所」碑があり、2人並んで歩くのが無理な山道を、高貴な方がどのように登られたのかが話題となった。小原宿を経て与瀬宿(相模湖駅)へ続く小仏峠西坂は、登りの倍近い距離の下り坂であり、後で少なからぬ人達が「足が痛い」と訴えることとなった。こうした難路を踏破した後、振り返って、江戸・明治の人々の道行きの苦労を思い知った。
平地に出て、中央高速の高架を遥かに見上げて歩き、国道20号に沿って小原宿を過ぎた。ここには、神奈川県下に26軒あった本陣の中で唯一現存する「清水本陣」(重要文化財)があるが、折悪しくも休館日の為、立派な門を眺めたに留まった。江戸時代末期、本陣1、脇本陣1、旅籠7、問屋1を誇った宿並は明治28年の大火で灰塵に帰したとのことで、今では小原宿標柱から往事を想像するだけであった。更に進むと相模湖のダムが正面から間近に見えてきて、そこを過ぎるとJR相模湖駅だった。
恒例の打ち上げは、久々に帰路の途中所沢で行った。 IMG_0898IMG_0905小仏峠_土道_登り口小仏峠頂上周辺小仏峠東坂_急坂途中 ウォーキング部会長 東海俊孝

甲州街道を歩く 第4回(H30.2.19)与瀬(相模湖駅)~上野原

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大雪の為、当初1月22日に予定した小仏峠越えが中止を余儀なくされた上、1ケ月後でも尚積雪が残る状況を踏まえて、春までこの山越え区間のウォーキング゙を先送りし、与瀬から上野原を目指すことにした。総勢12名(男7、女5)で中央本線相模湖駅を10時半過ぎに出発、日差しはあったものの、道路端の気温表示は7度。歩いていると少し汗ばみ、立ち止まると風が冷たく感じるが、厳冬期としては恵まれたウォーキング日和であった。
ガイドブックの地図では、国道20号線(現甲州街道)を跨いで行ったり来たりで、旧街道は現在の道路より距離がかなり長いことは予想通りであったが、現実に旧街道を辿ると想定外のことに出くわした。先ず、アップダウンがきつかったこと。現在の20号線が、橋や切通し、トンネルでなだらかにされていることが良く分かると同時に、往事街道を通った人々の歩行は困難さを伴っていたことが痛感された。島崎藤村の「木曽路は全て山の中である」ではないが、甲斐路も、森林ではないものの、全て山の中であると言いたいくらいの山道で、登って下ってまた登るという道には参ったと言わざるを得なかった。自動車道路マップから勝手に想像していた「楽な歩み」の思いは打ち砕かれ、歩き終わってみると、今回は総歩行距離12㎞程度で、これまでの全3回のウォーキングに比べて4㎞以上短いにも拘わらず、最も負荷が高かったという印象である。次に、旧街道の道筋に分かり難いところがかなりあり、道探しに余分な時間を要した。20号線という目印があるので行く先を失うというようなことはなかったが、行き過ぎて戻ったり、先遣隊を出して道を探ったりは2度3度でなかった。ガイドブックもこうした事柄にきめ細かく対応出来ていなく、あれやこれやで、当初計画では2時半頃の上野原駅終着の予定が、1時間遅れとなった。
東久留米に帰着後、男性陣で恒例の打ち上げを行い、解散。          部会長 東海俊孝記
与瀬の慈眼寺門前諏訪関跡_境川橋近傍旧甲州街道碑_上野原手前IMG_0843IMG_0844

ウォーキング部会報告(第56回)高麗の巾着田

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活動報告
ウォーキング部会(第56回)
高麗の巾着田を散策 “五百万本の曼珠沙華に染まる”
当初予定の9月23日(金)は、1週間前までの天気予報は良かったのですが、期近になるに従って秋雨前線の居残りが続き、前日での予報は午前中曇りで午後から雨となりました。どうしようかと思案を重ねた結果、前回の御岳渓谷のウォーキングでは延期したことにより参加予定者が大幅減少となったことも考え、今回は歩く距離も少ないので午前中だけでも雨が降らなければ何とかなると判断し、また延期の場合は日曜日となることから予想される大混雑は避けたいとの思惑も持ちながら、当日を迎えました。集合時間では予報通り雨は降っておらず、実行致しました。それでも、雨予報から中止に違いないと判断した方がいらっしゃったようで、参加者が7名に留まったのは残念でした。
高麗駅に着いて、先ず途中にある高麗郷古民家を見学し、土地の庄屋の豪壮な総二階の建物と付属の幾棟かの蔵のスケールに度肝を抜かれたあと、巾着田入口にある高麗郷民俗資料館を見学しました。この2つの場所で、この地方が「高麗こま」と呼ばれる由来、古代朝鮮半島の高句麗という彼方からの渡来人が住みつき、爾来1300年を経た歴史を興味深く学びました。また、東久留米のお隣の新座の名が、新羅に由来することを知りました。
そうしている内に残念なことに雨が予報より早くやってきました。しかし、5百万本という曼珠沙華に覆われた、辺り一帯を壮観とも言える紅色(真っ赤と言ってもよい)に塗りこめた情景には些かな影響もなく、それを観る者達を深紅の中に包含してくれていました。正に紅色の圧巻に浸っていました。
高麗川が巾着のような形状で流れている場所も不思議な造形ですが、この場所に曼珠沙華の群落が出来た理由も興味をそそわれました。球根植物であるが故に種で増える植物のように辺り一面に種を振りまいて自然に形成したものではなく、最初は多少の花が咲いていて、次第にそこに人の手が加わって増えてきたのが正解であろうという単純な答えに行き着きました。曼珠沙華という、仏教で説く天上に咲き見る者の心を柔軟にすると言われる花は、一方、根に毒を持つことから、川の堤に植えることにより野ネズミによる害を防いだということも言われているようです。
深紅の群落の横手の広場には、飲食物を売る沢山の店が出ており、その脇に沿って架設されていた行楽客用のテントの中に、運良く参加者全員が囲むことの出来るテーブルと椅子を確保することが出来ました。これは、予報より早く訪れた雨の下では大助かりでした。早速、途中で仕入れて行ったビールで乾杯となり、わいわいがやがやの昼食となりました。
帰路の途中に期待していたコスモスの原は、今年の台風でなぎ倒されたとかで、観る影もない有様であったのはガッカリでした。帰路にかかる頃には雨も上がり、予報より早かった雨の訪れが恨めしく思えました。
恒例により、東久留米に着いて、希望者による打ち上げで締めました。
記:ウォーキング部会長 東海俊孝 

IMG_0282 食事のテント

IMG_0288 花畑

IMG_0278 経路にて

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IMG_0286 花畑

第53回ウォーキング(H28.4.1)多摩湖自転車道路、小金井公園

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ウォーキング(第53回)桜のトンネル(多摩湖自転車道路)を歩き小金井公園で花見

4月1日天気は曇り、9時15分に東久留米駅改札口に集まったのは13名、途中久米川駅で2名、八坂駅付近で1名加わりました(計男9名、女6名)。久米川駅からは鯉が悠々と泳ぐ野火止用水に沿って10分程行くと八坂駅付近で多摩湖自転車道路へとでました。
ここで、多摩湖自転車道路について一言。村山貯水池(多摩湖)から東村山浄水場と境浄水場を経て和田堀給水所に至る水道道路のうち上流部分に該当します。自転車道路と云うだけあって、道幅は4M程で舗装され自転車通行部分と歩道に区分されています。
「桜のトンネル」という標題なので、さぞかしと期待しましたが、途中の萩山駅までは
ソメイヨシノはまばらで開花の遅い山桜も多く、やや期待はずれでありました。自転車道路の脇にはいたる所に小規模ながら公園が整備されて随時休憩出来、楽なウォーキングでありました。小平駅を過ぎるとまさに「満開の桜並木」となり、多くの人が花見しなが歩くので、人や自転車とぶつかりそうになることも。
花小金井駅近くのコンビニで酒類を調達、花見会場である小金井公園へ更に自転車道路を
進みます。しばらく行くと小金井公園の案内板があり、そこを右折し、小金井カントリークラブを右に公園を左にみながら進むと小金井公園のほぼ中央部に到着、さらに江戸東京建物園の前を過ぎて花見の場所へ到着。花見は途中で充分堪能した?ので早速花より団子を開始、曇天と少々の風で、やや寒かったのでビールは早々に終えて、焼酎のお湯割りをグイグイと。1時間程花見(団子)を堪能してお開きとなりました。
公園の西口かバスに乗り東久留米へ、途中下車の人もあって流れ解散となり10人ほど東久留米駅前で打ち上げを行いウォーキングを終了しました。(別処尚志記)
IMG_0164 桜の下での宴会(全員)
IMG_0168 小金井公園にて