第92回 ウォーキング (R5.9.19) 【向島百花園】

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立秋(今年は8月8日)を過ぎると暑中が残暑になり、9月にはこの言葉も消えてゆくのが常であるが、今年の暑さは9月一杯が残暑というより猛烈な暑中で、秋の訪れを見込んでの企画が真夏の行事となってしまった。総勢14人(男8、女6)で、日暮里から北千住に出て東武スカイツリーラインに乗り東向島迄1時間半。そこから炎天下に徒歩8分で向島百花園に到着。
百花園は、江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた「民営の花園」で、見所は早春の梅と秋の萩である。「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」という意味でつけられたものといい、入り口には芭蕉の立派な石の句碑「春もやや 景色ととのう 月と梅」が鎮座していた。設立当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なる趣が愛されて来て、民営としての百花園の歴史は昭和13年に東京市に寄付される迄続いた。その後昭和20年3月の東京大空襲により全焼し、それまで遺っていた往時の建物も焼失、イチョウとタブを除き、植物も死滅し、百花園としての継続が難しくなってしまったが、地元の努力もあり、幾度か変転を経ながらも、園内の景観は今なお旧時の趣きを保っている。文人庭の遺構としても貴重なものであり、その景観、遺跡ともに重要であるとして昭和53年に、国の史跡および名勝に指定され今日に至っている。
我々が訪れたのは、一方の見所、「萩まつり」開催中であったが、満開には少し早かったようで、目玉の萩のトンネルも、花がこぼれ散る程には至ってなかったのが残念であった。(花の盛りには少し早かったが、まつりの為に入場無料となった余禄に預かった。)園内には、庭造りに力を合わせた文人墨客たちの足跡も沢山あり、百花園にふさわしい多くの草花木々の中に、芭蕉の句碑を含め、合計29の句碑、石柱が随所に立っている。各自思い思いに園内を散策し、秋というには強すぎる日差しを避けた木陰で、三々五々昼食を楽しんだ。
万葉集で最も多く詠われている花は、萩141首であり、2位梅118首を引き離している。秋の七草は、万葉集に収められている山上憶良が詠んだ下記の2首の歌にちなんでおり、その中で七草の冒頭に萩の花が詠われている。
1.秋の野に 咲たる花を 指折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
2.萩の花 尾花葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなえし)また藤袴 朝顔の花* 
*当時は未だ現在の朝顔は日本になかったので、「桔梗」と言われている。
「園内には、山上憶良の秋の七草の地植えが楽しめます。」とパンフレットに書かれていたが、その場所では七草は半分程の成長で、憶良の歌碑だけが突出していた。
帰路途中、池袋にて恒例の打ち上げを全員で楽しんだ。       東海俊孝 記
【若山牧水(母校OB)の酒の秀歌】
それほどにうまきかとひとの問ひたらば 何と答へむこの酒の味
人の世にたのしみ多し然れども 酒なしにしてなにのたのしみ