第93回 ウォーキング (R5.10.24) 【子の権現・竹寺】

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昨年12月の龍崖山、今年5月の関八州見晴台と雨に祟られ中止を続けた山歩きにとって、2年を超える空白を経た久々のチャンスが到来。漸く秋が来たという実感に包まれた好天の下、総勢12人(男11、女1)で西武秩父線西吾野駅から出発した。総歩行距離9㎞、歩行時間3時間、標高差400mを目安とする今回の山歩きは、登り下り共きつい処が多く、少なからぬ方々が参加を躊躇された一方、古希以上で且つ大半が喜寿以上の元気な12名が集い、県道299号線沿いを流れる高麗川の小床橋を渡って登り始めた。
子の権現(標高640m、標高差400m)までの4㎞の杉林の山道は、かなりきつい上り坂が所々に続いてウンザリしたが、木漏れ日を浴びてゆっくりと、十分な休憩を織り交ぜて歩き、何とかガイドブックが表示する時間を少し超える程度、2時間をかけずに制覇。
子ノ権現は、高麗川と名栗川の分水尾根上に祀られる山寺で、正式名称は大鱗山天龍寺である。延喜11年(911年)の創建以来千年以上の歴史を誇る天台宗の古刹だが、権現(ごんげん)即ち日本の地に現れた仏の化身が祀られており、入口には鳥居があり、神仏習合の寺として、今日では足腰守護の神仏として信仰を集めている。参道では、二本杉が聳え、仁王像が迎えてくれ、本堂傍には大草鞋が奉納されていた。本堂裏の急階段を上った鐘楼では、霞む彼方に微かにスカイツリーを望みながら、昼食を楽しんだ。
子の権現からダラダラと3㎞、アップダウンが続く尾根道の林道を歩いて標高差150mを下り、竹寺に辿り着いた。天安元年(857年)、慈覚大師が東国巡礼の際この地で大護摩の秘法を修したのが開山とされ、正式名称は医王山薬寿院八王寺、本尊は牛頭天王*(ごずてんのう、薬師如来の化身:本地仏という)で、神仏習合の寺として知られている。
*日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。
本殿にあたる牛頭天王社は、幾つかの牛頭天王像に取り囲まれた朱塗りの壮麗な社で、登り口の鳥居に「茅の輪」が設けられていた。スサノオノミコトの日本神話に起源があるといわれる無病息災の祈願、茅で編んだ直径数メートルの輪をくぐり、心身を清めて厄災を払うことをさせて戴いた。
竹寺からは道のり1.6㎞で標高差250mを下る急坂の難所を越えて、最終目的地の小殿バス停に至るが、ここ迄で脚に違和感を抱いた3名が、車で送って戴くという寺の好意に預かることができた。最初の登りで2名が途中棄権していたので、全行程を完遂して歩いたのは女性を含む7名という結果となった。
今回のコースは、ガイドブックでは、初心者向けを多少超える難易度であったが、今後のコース選択では、初心者向け程度に落とすという課題が残った。
打ち上げは、飯能駅の近くで台湾料理に舌鼓を打ったが、帰路の西武線では人身事故で運転中止、飯能に足止めというオマケがついた。 東海俊孝 記