ティーボール練習後のバーベキュー

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11月8日、ティーボール同好会の練習のあと、某氏宅のお庭でバーベキューを楽しみました。この日は他の行事との重複で少人数でしたが、ご家族は不在、ご近所にも迷惑はかからないとのことで、怖いものなし。
次回はティーボール風景をお届けしたいと思います。

                                  (坂井記)

第76回ウォーキング&山歩き(R2.2.10実施)

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【大田黒記念公園、善福寺緑化公園、和田堀公園、大宮八幡宮】活動報告
暦の上では立春を過ぎているものの、例年なら厳冬真っ只中の筈の季節、冬将軍の到来を危惧していたのに反し、穏やかな温かいウォーキング日和に恵まれ、総勢18名(男15女3)と大勢の参加を得て、荻窪駅南口から6㎞半程度のウォーキングを開始した。
短い商店街を抜け10分程で、音楽評論家大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた大田黒記念公園に着く。荻窪のゆるく起伏する台地に自然の地形を活かした、回遊式日本庭園の入り口は見事である。総檜、切妻づくりで、左右に築地塀のある重厚な構えの正門と、そこから真直ぐに70m続く、樹齢100年を経た大公孫樹の並木を進む。設えた茶室からの細い流れが、広く明るい芝生の庭を下って庭園の中核である池に注ぎ、辺りの鬱蒼と繁る樹木と一緒になると、深山の雰囲気を漂わせていた。空襲を免れた荻窪一帯の幸運が頭を過ぎった。
公園前から、荻外荘*通りを500m程で、善福寺川の春日橋へ。ここから本日の主目的、川沿いのウォーキングを始めた。(*注:歴史書に出てくる、近衛文麿の別邸。当時の荻窪は駅前にソバ屋があるだけで、一望の畑と林だった。現在、一部のみが公園になり公開。)
善福寺川は、杉並区の善福寺公園内にある善福寺池に源を発し、地下鉄丸ノ内線中野富士見町駅付近で神田川に合流する。中流の川沿いに都立善福寺川緑地と都立和田堀公園が全長4 km超に渡り整備されている。この間は、かなり幅広く茂る木立の中に、歩く道に加えてベンチやトイレが整備されており、ウォーキングにこの上ない環境を提供してくれていた。
冬枯れの風景の中でもウォーキングを楽しんでいたので、600本の桜が咲き競う春、新緑に包まれる季節、夏の蛍等々、何回でも歩きたいと思ったものである。我々は、18名全員が車座に座れるベンチを見つけ、冬の日差しの中、少し聞し召す者も含めて、昼食を楽しんだ。
善福寺川は住宅地の低地を流れる河川であり、古くから氾濫が知られているが、都市化とともに善福寺池に流入する水量が激減し、普段は、都の清流復活事業により千川上水へ通されている下水高度処理水を、上流に放水している(1989年から)とのことである。
川沿いを歩き詰めて、善福寺川に接した大宮八幡宮に至る。源頼義により建立された武蔵国の三大宮の一つ。前九年の役のとき、鎮守府将軍・源頼義は、奥州に向かう途中、武蔵国にて「八幡大神の御守護のしるしの吉兆」を見、乱を平定した後の康平6年(1063年)に神社を創建したとされる。「多摩の大宮」とも呼ばれ、境内は約15,000坪(明治維新後、35,000坪が押収された後)と都内でも3番目の広さに建つ、深遠で荘厳な社が印象的であった。子育て・安産に特に御利益があるとされ、遠方からも多数の参拝客が訪れるという。
この後、井之頭線西永福駅から帰路に就いた。途中、井之頭公園の池畔を散策し、吉祥寺では、駅にほど近い、排出する煙に燻されているかに見える有名な焼き鳥屋に上がり、打ち上げを行った。(東海俊孝記)
太田黒公園
善福寺川

第75回ウォーキング&山歩き(R2.1.6実施)【護国寺から雑司ヶ谷七福神初詣】活動報告

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穏やかな温かい正月で令和2年を迎えました。恒例の箱根駅伝も、我が早稲田は事前の予想を上回るシード権を得る活躍で、来るラグビーに2匹目の泥鰌の期待が大きくなった。
幸運が待っていそうな新年への思いを携え、良き日和の中、総勢12名(男8女4)で、護国寺の大隈重信公の墓参から今年のウォーキング始めた。広さや墓石の高さ等、「大隈の大風呂敷」などといわれても当然かもしれない立派な墓所であり、墓石には「従1位大勲位侯爵」と刻まれており、我らが母校の創立者の偉大さを偲ばせるものであった。
七福神と言えば、近年では廃れ気味の、室町時代の頃からの「初夢」文化のひとつとして日本で行われた風習から、宝船に乗った絵図が思い起こされる。最初から読んでも逆から読んでも同じ音になる回文歌、「永き世の 遠の眠りの みな目ざめ 波乗り船の 音のよきかな」が簡略化された名残りの一部でもあるという宝船に乗った気分で、七福神の初詣を始めた。七福神とは、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神である。七柱は一般的には、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋尊、寿老人、弁財天とされており、それぞれがヒンドゥー教、仏教、道教、神道、など様々な背景を持っている。
広大な名刹を出て首都高5号を潜って少し歩き、狭い境内に鎮座する吉祥天の参拝から始めた。通常、七福神には寿老人がいるが、この地では、代わって吉祥天が入っている。雑司ヶ谷鬼子母神尊像が出土したこの地を「清土出現所」と地元で親しみを込めて呼び、鬼子母神の娘神である吉祥天を祀ったものという。安寧と息災を祈るだけでなく、美女の代名詞としても尊敬を集めており、松の内ということで、平日であったが、初詣客が狭い境内に列をなす盛況で、この後行く先々でも、大変な人出であった。
七福神について触れて置こう。 恵比寿:伊邪那岐命・伊邪那美命の間に生まれた子供「蛭子」、若しくは大国主神の息子であり、唯一日本由来の神である。大黒天: ヒンドゥー教のシヴァ神の化身で、日本古来の大国主神の習合。毘沙門天:ヒンドゥー教の神。仏教に取り入れられてから、戦いの神として民衆に信仰される。弁才天(弁財天):ヒンドゥー教の女神。仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となった。福禄寿:道教の神で長寿と福禄をもたらす。寿老人と同一神とされることもある。布袋尊:唐の末期に実在したといわれる仏教の禅僧。弥勒菩薩の化身とも言われている。吉祥天:ヒンドゥー教の女神が仏教に取り入れられたもの。母は鬼子母神であり、毘沙門天を夫とする。早くより帝釈天や大自在天などと共に仏教に取り入れられた。弁才天と混同されることが多い。
童謡・童話で馴染みの深い大黒天は、深い木立の中に豪壮なお堂を構える鬼子母神本殿の片隅にある大黒堂にひっそりと鎮座しておられ、見逃してしまいそう。観静院という寺の境内の片隅に弁財天、都会のビルの中の一角という不釣り合いな雰囲気の中の布袋尊、他、全ての神が東久留米の七福神より狭い地域に鎮座しておられ、2時間程度で七福神巡りを終えた。
七福神 めぐり了(そば)んぬ 日和得て 【水原 秋櫻子】
折から昼食時であり、参加者全員で池袋駅近くの店に入り、七福神巡り完遂の祝杯を挙げ、程よきウォーキングの後の空腹を満たした。(東海俊孝記)
護国寺本堂前大隈重信公墓所前鬼子母神社前_大黒天がある吉祥天

臨時ウォーキング(R1.12.9)【黒目川を新河岸川との合流点まで辿る】

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毎日生活している町中を流れている「黒目川は、流れ流れて何処に行くのか」に興味がありませんか? 11月の臨時ウォーキングで、東久留米に比較的身近な野火止用水と玉川上水を歩いた延長線上で、この興味に迫ってみようと思ったのがこのウォーキングの始まりです。
黒目川は、小平霊園内に源を発し、東久留米市、新座市、朝霞市を流れ、朝霞市大字根岸で新河岸川へ合流する全長17.3㎞の一級河川です。途中、東久留米市の神宝大橋で落合川が合流しており、今回はここを出発点として、新河岸川との合流点迄の約11㎞(帰路の最寄り駅迄を含む13㎞程度)を辿ることにしました。
前回のウォーキングに引き続き、天気予報が如何に当てのならないものかを再認識しました。前日の予報は「晴れ時々曇り」でしたが、当日はお日様を拝むことが全くない寒々とした日となりました。総勢14名(男9、女5)、広い川面を見やりながら遮るもののない川堤を歩いている時は良いのですが、休憩で動きを止めると「寒い」が口をついて出ました。
稲門会の先達のお話しでは、黒目川、落合川共に、昔の流域は曲がりくねって、ぬかるみも多く、一時期はどぶ川の様相のところもあったとのことですが、今回歩いてみると、河川として良く整備され、流れる水も綺麗なものでした。歩き始めから数キロは、直線的な流れに変えたような跡、鋼矢板を打ちっ放しの護岸等、その事が窺われる箇所が続いていました。そんな中、歩きながら目についたのは、数種類の鷺や黒い鵜等の野鳥の多さで、綺麗な川にそれらを養う魚や水草が多いのかと、豊かな生態が想像されました。
行程の半ば辺り、広大な朝霞市営墓苑を過ぎる辺りからは、川幅も広くなり一級河川然とした佇まいを見せ、両岸に建物が多くなって、これが東武東上線の朝霞台駅付近まで続きます。その先は、大きく右旋回(東側に)して、非常に緩やかな流れとなり、新河岸川の川面に吸い込まれるように合流していました。合流する辺り一帯は背の高い草が茂る広い原となって川面が見難く、朝霞調節池に隣接する何もない所で、道は行き詰まりとなっている為、少し離れた川堤の上から、皆んなで間遠に合流点を眺めていました。出発点であった、民家が近い落合川と黒目川の合流点とは、風景は全く異なっていました。黒目川終焉の地点という、何だか分らないが、何かを期待していたようなロマンチックな思いは拍子抜けで、茫漠とした感想が残った記憶があります。
合流点から2㎞弱歩き、東武東上線朝霞駅から、適度な疲労感と共に帰路に着きました。朝霞台駅からバスで東久留米に直帰したグループと、途中の朝霞台にて恒例の打ち上げを行ったグループに分かれました。   (東海俊孝記)

黒目川の川堤で
IMG_1805
合流点を背景に

臨時ウォーキング(R1.11.25)【小平グリーンロード西側半周(野火止用水、玉川上水)を歩く】

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台風19号は、10月12日に大型の強い勢力で伊豆半島に上陸した後、各地に甚大な被害をもたらせたが、我が部会も、10月の西吾野駅から高山不動、並びに11月の奥多摩鳩ノ巣渓谷のウォーキングが、歩く道の通行止め等の障害の為に、二カ月連続して中止を余儀なくされた。そこで急遽、近場で策定したのが今回のウォーキングである。
数日雨模様が続いていた中、予定当日も「曇り昼から雨」という予報であったが、雨の場合は途中の鉄道駅で切り上げる覚悟で実施を決めた。今回は、小平グリーンロードの西側半周を巡る、即ち野火止用水をその流れ始め箇所迄遡り、そこから反転して玉川上水に沿って下る11㎞程度の行程で企画した。総勢12名(男7、女5)で西武新宿線久米川駅からウォーキングを開始、八坂駅を潜って、「九道の辻」に出た。この辺りから野火止用水がハッキリとした流れの形として目に出来るようになる。用水に沿って歩みを進めて行く内に、天気予報が良い方に外れ始め、用水を囲む緑道を暫く進み、雑木林に木漏れ日が落ちる気持ちの良い環境に浸りながら、昼食にありついた。武蔵野のイメージとはこうした光景だと思ったものである。
野火止用水は明暦元年(1655)、川越城主・松平伊豆守信綱が水利に不便な武蔵野を開拓する為、玉川上水からの1/3の水利権を得て開いた。以後300余年間農業や生活用水として利用されたが、昭和39年に玉川上水からの送水が中止され、昭和59年に清流復活事業で元の姿に蘇った。玉川上水駅から300m程下流の小平監視所(上水小橋の前)で取水され、雰囲気が素晴らしい松の木通りの下の暗渠を通り、東大和駅前の青梅橋を過ぎて暫くして、野火止用水が現れる。九道の辻、東久留米市縁辺の水道道路に沿って流れ、平林寺を過ぎ、その先、最終的には暗渠となって新河岸川に注ぐ全長24㎞の用水である。
玉川上水は、昭和38年に出来た小平監視所から東村山浄水場へ導水管で送ることになったことにより、下流は空堀状態となったが、都の清流復活事業により、昭和61年から昭島市の下水処理場の浄化水を流すようになった。「玉川上水清流の復活碑」の傍の上水小橋を、浄化水の湧き出しを見ながら渡り、反転して玉川上水沿いに緑道を下る行路を辿った。緑道は整備が行き届き、平日にも拘わらず、雑木林の中の小道を散策する人々が行き交い、東久留米市にもこのような場所があったらナア、と思ったものでした。
当初の企画は鷹の台駅迄でしたが、健脚が多く、更に2.5㎞先の一ツ橋学園駅迄足を延ばしてしまったのも、絶好のウォーキング日和に恵まれたことによるものでしょう。
東久留米への帰路の途中、所沢で恒例の打ち上げを行った。(東海俊孝記)
野火止用水緑道清流復活碑上水小橋玉川上水緑道