ウォーキング部会報告(第56回)高麗の巾着田
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活動報告
ウォーキング部会(第56回)
高麗の巾着田を散策 “五百万本の曼珠沙華に染まる”
当初予定の9月23日(金)は、1週間前までの天気予報は良かったのですが、期近になるに従って秋雨前線の居残りが続き、前日での予報は午前中曇りで午後から雨となりました。どうしようかと思案を重ねた結果、前回の御岳渓谷のウォーキングでは延期したことにより参加予定者が大幅減少となったことも考え、今回は歩く距離も少ないので午前中だけでも雨が降らなければ何とかなると判断し、また延期の場合は日曜日となることから予想される大混雑は避けたいとの思惑も持ちながら、当日を迎えました。集合時間では予報通り雨は降っておらず、実行致しました。それでも、雨予報から中止に違いないと判断した方がいらっしゃったようで、参加者が7名に留まったのは残念でした。
高麗駅に着いて、先ず途中にある高麗郷古民家を見学し、土地の庄屋の豪壮な総二階の建物と付属の幾棟かの蔵のスケールに度肝を抜かれたあと、巾着田入口にある高麗郷民俗資料館を見学しました。この2つの場所で、この地方が「高麗こま」と呼ばれる由来、古代朝鮮半島の高句麗という彼方からの渡来人が住みつき、爾来1300年を経た歴史を興味深く学びました。また、東久留米のお隣の新座の名が、新羅に由来することを知りました。
そうしている内に残念なことに雨が予報より早くやってきました。しかし、5百万本という曼珠沙華に覆われた、辺り一帯を壮観とも言える紅色(真っ赤と言ってもよい)に塗りこめた情景には些かな影響もなく、それを観る者達を深紅の中に包含してくれていました。正に紅色の圧巻に浸っていました。
高麗川が巾着のような形状で流れている場所も不思議な造形ですが、この場所に曼珠沙華の群落が出来た理由も興味をそそわれました。球根植物であるが故に種で増える植物のように辺り一面に種を振りまいて自然に形成したものではなく、最初は多少の花が咲いていて、次第にそこに人の手が加わって増えてきたのが正解であろうという単純な答えに行き着きました。曼珠沙華という、仏教で説く天上に咲き見る者の心を柔軟にすると言われる花は、一方、根に毒を持つことから、川の堤に植えることにより野ネズミによる害を防いだということも言われているようです。
深紅の群落の横手の広場には、飲食物を売る沢山の店が出ており、その脇に沿って架設されていた行楽客用のテントの中に、運良く参加者全員が囲むことの出来るテーブルと椅子を確保することが出来ました。これは、予報より早く訪れた雨の下では大助かりでした。早速、途中で仕入れて行ったビールで乾杯となり、わいわいがやがやの昼食となりました。
帰路の途中に期待していたコスモスの原は、今年の台風でなぎ倒されたとかで、観る影もない有様であったのはガッカリでした。帰路にかかる頃には雨も上がり、予報より早かった雨の訪れが恨めしく思えました。
恒例により、東久留米に着いて、希望者による打ち上げで締めました。
記:ウォーキング部会長 東海俊孝