ウォーキング部会&散策山歩きの会 日和田山、巾着田の花見

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<ウォーキング部会> 第59回 日和田山ハイキング、巾着田で花見 活動報告

4月5日(水)。山登りと花見、浩然の気を養ってくれた一日でした。
天気に恵まれ、14名(内女性4名)の参加を得て、先ずは西武秩父線高麗駅から1㎞程度の登山口から、日和田山(海抜305m)に向かい高低差200mのちょっとした登山に挑みました。登り始めて30~40分で木立を抜け眺望の素晴らしい金毘羅神社に到達。80歳台のお二方を含む全員が頑張って着いたこの地からは、眼下に今日これから花見を予定している巾着田を見下ろし、心地よい日差しとそよ風を浴びて暫し仙人の気分に浸っていました。景色の案内板には遠く丹沢や富士山を望む写真が掲げられていましたが、春霞に遮られていたのは残念でした。「花は盛りに月は隈なきをのみを見るものかわ」との徒然草の一節が過ぎり、霞んだ風景にフランス印象派の絵画を何となく思ったのは負け惜しみでしたでしょうか。頂上までここから往復15分程度更なる汗をかいてきました。
日和田山から下山すると、直ぐそこは秋の彼岸花で有名な巾着田です。今回の季節では桜と菜の花を売り物にしているのですが、桜は東久留米と同じで、今年は例年より10日程度遅いようで、概ねが3分咲きの中で、漸く7~8分咲きの場所を見付けて筵を広げ、何とか花見と洒落込むことが出来ました。花の下では普通の酒を美酒にし、コンビニ弁当を御馳走と化してくれ、皆さん一緒に「花と団子」の両方を楽しんだ次第です。また、染井吉野とは風情が異なっていたでしょうが、「行き暮れて木の下陰を宿とせば、花や今宵の主ならまし」と詠んだ古人(平忠度)を思い遣らせてくれた一時でもありました。
(菜の花:巾着田以外の場所では此処彼処で黄色く彩っていましたが、8日と9日が菜の花祭りというポスターの下でも肝心の巾着田は全く駄目でした。)
帰りの途上、近年になり公開され始めた古民家を見学。土地の庄屋を務めた人の家で、江戸時代に建てられた建物に明治以降改築と増築が行われたとのことでしたが、小さな我が家からは想像が出来ない広さと部屋数、天上の高さ、手の込んだ建具等々、民家というイメージからは到底測ることの出来ない贅沢さに、唯々目を見張ってきました。
東久留米駅に戻り、恒例の打ち上げを行いました。            東海俊孝記

巾着田にて昼食_0441

古民家にて_0447高麗駅前 IMG_0433

日和田山山頂_0438

日和田山からの眺め_1 _ 0416

日和田山を望む_0444

第58回ウォーキング 越生梅林 H29.2.27

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 第58回ウォーキング(H29.2.27)活動報告
ウォーキングの1週間程前の天気予報は27日だけが雨とのことだった(前後1週間以上晴なのに)。実施出来るか気を揉んできて、2~3日前に雨の予報がなくなり安堵したが、当日には主催者でありながら集合時間を誤り、何とか1電車遅れて皆さんに追いつくことが出来たという失態を演じてしまい、反省至極の中でウォーキングが始まりました。
参加総数16名(男12、女4)と、季節柄予想を上回る参加を戴きました。
さて、「越生」は「おごせ」と読む難読地名であり、その由来は諸説あるものの、この地が関東平野の西端で秩父山地に接しているために秩父地方との往来は尾根を越していかねばならず、その「尾根越し(おねごし)」が「尾越し(おごし)」となり、それがやがて「おごせ」と変化したと言われている。町土の約7割が山地となっている町であり、人口は12千人弱。東久留米からは、西武新宿線、東武東上線、東武越生線を乗り継いで漸く越生に着く。越生梅林は更に越生駅から徒歩約4kmにあり、折からの暖かな日差しの中、途中の道路の両脇にも多くの梅の花が我等を迎えてくれており、それらの前座を楽しみながら、ゆっくりとウォーキングを進めた。
梅園は、南北朝時代に武蔵国小杉村に大宰府より天満宮を分祀する(梅園神社)際に梅を植えたのが起源という。一帯では2万本程の梅が栽培されているとのことで、越生梅林はその中にある「梅まつり」が行われる約2haの広さの土地をいう。越生野梅などの保存古木を始め、約1000本の梅が花の盛りにあった。大半は白梅である中に三々五々咲く紅梅の赤さには眼を引かれると共に何故か心温まるものがあった。今の世で花と言えば染井吉野に代表される華やかな桜をイメージするが、平安の昔に花と言えば梅を意味したと言う。小倉百人一首でも有名な「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」(紀貫之)と詠われた花が花垣として連なり、辺り一面、目の当たりに咲いていたことの感慨は深かった。西行の時代には桜が詠われるようになっていたが、満開の桜を愛でることに比べると、一方において、「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」(嵐雪)のような楽しみ方も、個々に花を観ると分かるような気がした。昼食時に、ここへの途上にある醸造所で購った「越生梅林」という純米吟醸を皆で回し飲みしたが、桜の花見の際の感じとはなんとなく違っていたのは、早春という季節の相違の所為だけであろうか。
帰路に立ち寄った観光案内所で買った梅干しは予想に違わず酸っぱさ格別であった。東久留米に帰り、恒例の打ち上げで喉を潤した。 
東海俊孝記

IMG_0399_全体写真

第57回ウォーキング:明治神宮、新宿御苑、神宮外苑(豪華な菊花展と銀杏並木)

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日時:11月14日(月)参加者13名(男7、女6)
東京のど真ん中で、異次元を錯覚させる森林、庭園を散策し、併せて折から開催中の菊花展を堪能した。
歩き始めの地、原宿駅から山の手線を跨ぐと鳥居があり、そこからの南参道は、これが大都会東京かと思わせてくれる森閑とした境内が始まる。明治神宮は、初詣で日本一の参拝者数を集めることで知られているが、明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社で、鬱蒼と茂った緑滴る常盤の森は、大正9年11月の明治神宮鎮座にあたり全国から献木されたおよそ10万本を植栽した人工林であり、面積約70万㎡という。自然の懐に取り込まれて行く気持ちに浸りながら参道を進み大鳥居を曲がると、正参道両側に、様々な形に仕立てられ丹精された、数々の品種の菊の花が展示されていた。午後の新宿御苑の菊花展の前座と言っては失礼ながら、足を止め、花を愛でて、社殿を参拝した。ところで、社殿前の広場にいる多くの人達が半数以上は外国人であったことには驚いた。彼らにもこの森の雰囲気を分かってもらえるのだろうか、我々がバチカンやノートルダム大聖堂を訪れた時と同じようなものか、観光とは言え何かいぶかしさを禁じ得なかった。
神社本庁を過ぎ、北参道入口から出て、裏小路を巡り新宿御苑千駄ヶ谷門へと歩みを進める。江戸時代には信濃高遠藩内藤家の下屋敷であったという、日本庭園、イギリス風景式庭園、フランス式整形庭園からなる周囲3.5㎞の広大な庭園には、樹木の数は1万本を超えるという。新宿という都会の喧騒の中のオアシスに一息ついて、持参の弁当を開いたが、御苑の規則によりアルコール禁止というのが残念であった。
皇室伝統の技法を受け継ぐ新宿御苑菊花壇展が明日で終了という日に、日本庭園を巡りながら各所に設けられた花壇をじっくりと鑑賞した。色とりどりに数多の品種を揃えて、一本仕立て、三本仕立てに始まる様々に仕立てられた菊花には、素晴らしいという以外の形容を思い付かなかった。特に全面の花が一斉に咲く懸崖、1本の茎から仕立てる千輪作りには、どのようにして作るのだろうかという育てる人の苦心も想像しつつ、日本の秋を彩る代表的風物詩を満喫した。
「菊作り 汝は菊の 奴かな」(与謝蕪村)   「生き返る われ嬉しさよ 菊の秋」(夏目漱石) 
「色かはる 秋の菊をばひととせに ふたたびにほふ 花とこそ見れ」(よみ人しらず 古今和歌集)
菊の後は、イギリス庭園を散策しながらフランス庭園に向かい、花色が春より深みを増し香りが良いという秋バラの咲く庭を訪ねた。それも良かったが、フランス庭園の両側にある鈴懸(プラタナス)の並木の紅葉(こうよう)に心奪われた。遠近法でどこまでも続く画面一杯で迫る紅葉(こうよう)に、紅葉(もみじ)のそれとは異なるフランス印象派の絵画に入り込んだような感覚に暫し酔い痴れていた中で、一世代昔の鈴木章治が奏でるスイングジャズのクラリネットが頭の中に響いていた。
千駄ヶ谷駅を過ぎて、かっての国立競技場が平地になった脇を通り、神宮外苑を散策しながら銀杏並木を経て帰路の青山一丁目駅を目指した。銀杏並木の紅葉(黄葉?)は始まったばかりというところで、残念ながら並木道全体が落ち葉の絨毯を含めて黄色に染まるという状況に浸ることは出来なかったが、その雰囲気を多少なりと想像する程度には黄色く染まっている並木を辿って帰路についた。
東久留米に戻り、例によって打ち上げに興じたが、「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」(若山牧水)というのも良かった、と翌朝思った。          ウォーキング部会長 東海俊孝記

明治神宮社殿前_補正

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御苑菊花壇展の前で_補正

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平成28年秋早慶戦観戦記

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平成28年10月30日、3明治大学の優勝が決まり早慶戦は2位争い、肌寒い日であったため、観戦参加者は山口会員と2名。
初回、日本ハムにドラフトされている石井が、日本シリーズ優勝の祝砲、二回竹内の適時打で二点のリード、その後、慶応山本瑛の適時2塁打で一点を返されたが、竹内の好投により、ニ対一で雪辱。両軍各11三振、安打も早稲田5本、慶応4本の貧打戦。帰路に二人で「部活動の充実」のテーマで一杯
・・・翌日、広島にドラフトされた慶応加藤拓に2安打完封され勝ち点をおとす・・・
 

ウォーキング部会報告(第56回)高麗の巾着田

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活動報告
ウォーキング部会(第56回)
高麗の巾着田を散策 “五百万本の曼珠沙華に染まる”
当初予定の9月23日(金)は、1週間前までの天気予報は良かったのですが、期近になるに従って秋雨前線の居残りが続き、前日での予報は午前中曇りで午後から雨となりました。どうしようかと思案を重ねた結果、前回の御岳渓谷のウォーキングでは延期したことにより参加予定者が大幅減少となったことも考え、今回は歩く距離も少ないので午前中だけでも雨が降らなければ何とかなると判断し、また延期の場合は日曜日となることから予想される大混雑は避けたいとの思惑も持ちながら、当日を迎えました。集合時間では予報通り雨は降っておらず、実行致しました。それでも、雨予報から中止に違いないと判断した方がいらっしゃったようで、参加者が7名に留まったのは残念でした。
高麗駅に着いて、先ず途中にある高麗郷古民家を見学し、土地の庄屋の豪壮な総二階の建物と付属の幾棟かの蔵のスケールに度肝を抜かれたあと、巾着田入口にある高麗郷民俗資料館を見学しました。この2つの場所で、この地方が「高麗こま」と呼ばれる由来、古代朝鮮半島の高句麗という彼方からの渡来人が住みつき、爾来1300年を経た歴史を興味深く学びました。また、東久留米のお隣の新座の名が、新羅に由来することを知りました。
そうしている内に残念なことに雨が予報より早くやってきました。しかし、5百万本という曼珠沙華に覆われた、辺り一帯を壮観とも言える紅色(真っ赤と言ってもよい)に塗りこめた情景には些かな影響もなく、それを観る者達を深紅の中に包含してくれていました。正に紅色の圧巻に浸っていました。
高麗川が巾着のような形状で流れている場所も不思議な造形ですが、この場所に曼珠沙華の群落が出来た理由も興味をそそわれました。球根植物であるが故に種で増える植物のように辺り一面に種を振りまいて自然に形成したものではなく、最初は多少の花が咲いていて、次第にそこに人の手が加わって増えてきたのが正解であろうという単純な答えに行き着きました。曼珠沙華という、仏教で説く天上に咲き見る者の心を柔軟にすると言われる花は、一方、根に毒を持つことから、川の堤に植えることにより野ネズミによる害を防いだということも言われているようです。
深紅の群落の横手の広場には、飲食物を売る沢山の店が出ており、その脇に沿って架設されていた行楽客用のテントの中に、運良く参加者全員が囲むことの出来るテーブルと椅子を確保することが出来ました。これは、予報より早く訪れた雨の下では大助かりでした。早速、途中で仕入れて行ったビールで乾杯となり、わいわいがやがやの昼食となりました。
帰路の途中に期待していたコスモスの原は、今年の台風でなぎ倒されたとかで、観る影もない有様であったのはガッカリでした。帰路にかかる頃には雨も上がり、予報より早かった雨の訪れが恨めしく思えました。
恒例により、東久留米に着いて、希望者による打ち上げで締めました。
記:ウォーキング部会長 東海俊孝 

IMG_0282 食事のテント

IMG_0288 花畑

IMG_0278 経路にて

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IMG_0286 花畑

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