第72回 ウォーキング(R1.6.17早大所沢キャンパスツアー、狭山湖、北山公園)の活動報告

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梅雨の季節なのに心地よい風が吹く好天に恵まれ、総勢16名(男12、女4)で小手指からバスに乗り早大所沢キャンパスに向い、先ずキャンパスツアーを行った。その後、残った人達で狭山丘陵をウォーキング。狭山湖(山口貯水池)堰堤、多摩湖(村山貯水池)湖畔、八国山緑地を経て、最終地北山公園で、今盛りの菖蒲と紫陽花(あじさい)の鑑賞を堪能した。
所沢キャンパスは、1987(S62)年4月 早稲田大学創立100周年事業の一環として開設、人間科学部が設置され、2003(H15)年にはスポーツ科学部が設置された。早稲田大学では本庄キャンパスについで2番目に広く(365,668㎡)、南隣には狭山丘陵が広がる自然に近接した立地にある。大きな2つの校舎と学生共同利用棟の他、スポーツホール、広いソフトボール場、織田幹雄記念陸上競技場、アクアアリーナ等の一級の体育施設と保健センターが、広大な緑豊かな敷地に点在している。我々は、大学院1年生のアスリート然とした学生に案内されてこれら施設を巡り、往年に通っていた高田馬場のキャンパスとは異次元の環境でのキャンパスライフの素晴らしさを容易に想像、認識することが出来た。ツアーは、構内にある綺麗なゆったりとした学生食堂で、安価で美味しく、選択肢の多い昼食を楽しんで終わったが、自然と昔日の学生食堂での食事が想い出され、懐かしさと現在との落差が、目の前で巡り巡っていた。
ツアーのみ参加の数人が抜けたあと、キャンパス南門から出て、狭山湖縁辺に沿って約2㎞を歩き、ダム(堰堤)に至った。青く広がる湖面越しに奥多摩、秩父の山々が望まれ、反対側には遠くスカイツリーを見通すことができ、広大な天地の眺望を堪能した。狭山湖を過ぎ、西武球場駅から帰宅する方々が抜けて、残り8名がここから約7㎞、北山公園を目指して長丁場のウォーキングを開始。多摩湖に沿った木陰の自転車道路を、木立を透いて見える多摩湖面と反対側の西武園ゴルフ場を見やりながら進み、西武遊園地駅を過ぎ、西武園駅の先で狭山丘陵東端にある八国山緑地に入った時には6名となっていた。園内全体がコナラ、クヌギ等の雑木林になっている気持ちの良い新緑の中を暫く歩み、少し坂を下って隣接する北山公園に漸く辿り着いた。
北山公園の菖蒲苑は、新東京百景に選ばれるほどの名所で、300種・8,000株の花菖蒲がその盛りを誇っていた。昨年6月に水元公園を訪れて菖蒲の鑑賞をしたが、北山公園は多少規模は小さいが、様々の種の花が妍を競うように咲く様は、まさに菖蒲の名所に相応しいものであった。しかし、眼前に展開する様(さま)に、詩歌のような表現で迫ることは足下にも及び得ず、詩才を欠いた自分に悔が残った。ただただ、「素晴らしい」の一言。花菖蒲の鑑賞に耽っていた中で、公園の縁辺に紫陽花が負けじと咲いているのに気が付いた人がいた。青や赤の花に交じって、小粒の真っ白い花を盛り上げて懸命に咲いていた「アナベルアジサイ」が印象に残った。
疲れた足に鞭打って東村山駅迄1㎞弱を歩き、所沢で最後に残った4人で打ち上げをした。
東海 俊孝
所沢キャンパス入口にて所沢キャンパス入口にて
事務センター前事務センターの前
狭山湖堰堤にて狭山湖堰堤
北山公園_1北山公園の花菖蒲
菖蒲園北山公園の花菖蒲遠景
アナベル紫陽花北山公園アナベルアジサイ

ウォーキング番外編「甲州街道(甲州道中)を歩く」を終わっての活動報告

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令和元年5月13日(第15回)、最後に残した街道の原点・日本橋から内藤新宿までの都心部を歩き、全15回、合計16日を要した甲州街道の全道程(約220㎞)踏破を完了。平成29年10月に内藤新宿を出発して、平成31年3月に下諏訪の中山道との合流点に到達して以降、最後に残されていた締め括りのウォーキングでもあった。日本橋界隈から麹町を経て新宿通りを下ってみると、僅かな時の移ろいの中で、我々世代が通勤していた頃とは様変わりに高層ビルが林立していたのが印象的であった。ウォーキング番外編としての「甲州街道を歩く」は、稲門会の補助金を使わずに、下見無し参加費無し、ガイドブック購入を各自負担とし、行程案内はメールのみという、参加者自助努力をお願いした形で行ってきた。ということもあり、今回ウォーキングの完了に際し、参加者に感想文の寄せ書きを募った。(東海俊孝)

以下、参加回数の多い順に記載する。(全行程踏破は、東海、有賀の2名)

私は、運よく16回全部に参加できた。今は、達成感で一杯である。稲門会に入り、ウォーキングの仲間に出会い、最近は一人で山に出かけることも多くなった。スポーツといえば、バスケットボールだけやってきた人生だが、今回の甲州街道を歩いた体験は間違いなく人生の大切な思い出になった。幹事の方々、一緒に歩いた仲間達に改めて感謝したい。(有賀千歳)
お江戸日本橋から信州下諏訪へ。故郷が松本ということもあり、今しかないと迷いながらも勇んで参加させていただきました。雨の日、風の日、日照りの中をくたくたになりながらも、下諏訪に着いた時の充実感は何ものにも代えられません。毎回資料等、細かなご案内、ご指導した下さった幹事さん、一緒に歩いた仲間に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。(松崎洋子)
最終回の日本橋~内藤新宿を歩き、皇居半蔵門で天皇陛下をお見送りすることができ、感無量でした。私は甲州街道を全区間踏破はなりませんでしたが、曲がりなりに大方は歩くことが出来た事で大変いい経験をさせて頂きました。度重なる、帰りの電車での吞み会は稲門会ならではの想い出です。(安次峰暁)
ただただ感謝の念で一杯です。第一回目の甲州街道ウォーキングがしんど過ぎて、いつまで続けられるか全く自信がありませんでした。ですが、幹事さんの丁寧な案内メールや、一緒に歩く仲間に勇気づけられ、難所と言われる笹子峠も小仏峠も、楽しく歩ききる事ができました。幹事さん、皆さま、ありがとうございました。(片平るみ)
歩いた!昔の人はアスリート?月に1回、10㎞~15㎞歩いただけなのに、後日足腰に影響が!これを毎日続けた昔の人はなんとすごいアスリートだったのだろう!?(別処尚志)
甲州道中最難所・笹子峠越え:2018年9月10日、中央本線笹子駅下車、前回到達地点笹子峠の登り口までのバスを待つ。見渡せば名物笹子餅を食らって、力を溜める者、足腰をグルグルと回して体をほぐす者、難所踏破への意欲満々。この日は峠入口よりすべて旧道を歩く計画だ。深山の感を肌で確かめながら樹林の枯れ跡、積もった落ち葉を踏みしめながら進む。太陽下は暑いものの樹林の中は涼しい。予想どおりの急勾配、江戸期の足元の悪さ、草鞋ばきを考えれば、往時の旅人の強さを痛感する。旧街道笹子トンネルの真上を超えるルートは、胸と大地が接触しそうな急勾配を這い上る。這い上がるが適切な言葉だった。メンバー一同「よくやるなあー」と自ら感心。息も絶え絶え登りきる。峠を越えての下りもすごい。直前の台風によりなぎ倒された木々、流された土砂、道は無い。途切れる道を探し探し、急斜面を一気に駆け下りた。流石街道一の難所だった。登りも下りも本当に大変だった。(渡辺真司)
最初は不安でいっぱいだったが、歩けなければ途中でやめれば良いと思い挑戦し、貴重な体験ができた事、幹事さん始め参加した皆さんに大感謝しています。特に日野春からの行程は、左に甲斐駒ヶ岳、右手前方に八ヶ岳と、素晴らしい景観に言葉を失う時間を持つ事ができ、一生の思い出となりました。(小野泰右)
完遂おめでとうございます。全行程踏破のスーパーマンにも脱帽です。ひきかえ、距離が短く、寒くも遠くもない回など、気ままな参加を許容いただきました。街道を歩く趣旨からは外れたかもしれませんが、お陰様でそれなりに楽しませていただきました。ありがとうございます。(坂井淑晃)
思いがけず同道を許されて、三年越しの「甲州街道を歩く」を終えることができました。
途中、暑い時期や峠越え等、数回回避してしまいましたが、出発点日本橋と中山道との
合流点はしっかり踏みしめました。国道20号の整備が遅かったせいか、参勤交代での行き来が三藩しか無かったせいか、史跡が比較的少ないと感じました。韮崎を過ぎた辺りから現れた七里岩には自然の威力に圧倒されました。和やかな皆様のお蔭で愉しく歩くことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。(浅輪田美)
初回と最終回は病欠、途中ジャカルタ移住、帯状疱疹等欠席多く虫食い状態での参加でした。が、下諏訪で甲州街道と中山道の合流地点に達した時の喜びはひとしおで、その光景は一生忘れられそうにありません。主催者のリーダーシップと熱意、参加者皆様の体力と根性に感服したり舌を巻きつつ、お世話になった事をここに深く感謝申し上げます。(山岡恭子)
ウォーキングとお酒と会話のお好きなメンバーで、「甲州街道を制覇」を目標にする方々の仲間に入れて頂き、やっとこさ歩き終わる回も沢山ありました。その中でも、猿橋の複雑な造り、笹子トンネルの上の笹子峠越え等、行きたいと思いつつ、一人では行けなかった数々に、企画して下さった皆様、それに、いつも殿(しんがり) で見届けて下さった幹事さま
本当に有り難うございました。(渡辺昌子)
ゴールお疲れ様でした。私は恥ずかしながら半分にも届かずリタイアしてしまいました。幹事の方の事前調査、細かいメール連絡など、色々ご配慮がなかったらスムーズに歩く事が出来なかったと思います。本当に有難うございました。(神田千鶴子)

終わりに当たり、5月27日、松崎邸にて、参加者一同が集い、稲門会のレジェンドとなっている蕎麦の振る舞いに舌鼓みを打ちながら、長かった甲州街道ウォーキングを振り返る話の花を咲かせる機会を得ることができましたことに、心より感謝申し上げます。(東海俊孝)

日本橋日本橋にて
日本橋_道路元標日本橋にある道路元標
国会議事堂前国会議事堂前

第71回 ウォーキング(H31.4.1幸手(さって)権現堂桜堤)の活動報告

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好天に恵まれての関東有数の桜の名所探訪ということで、総勢23名(男17、女6)参加の盛会となった。東久留米から約1時間半、武蔵野線、東武スカイツリーライン(旧伊勢崎線、旧日光線)を乗り継いで幸手駅に降り立った。
幸手は、古くから利根川水系による河川舟運と鎌倉街道中道の人の往来で交通の要衝として栄えてきたが、特に江戸時代に日光街道(日光道中と言った)が整備されると、幸手宿が設けられ、将軍の日光御成道との結節点としても重要な地となった。権現堂堤は、利根川の本流又は支流であった権現堂川(現在は中川)の氾濫から江戸を守る為に16世紀末に築かれ、明治期には新堤が造られて天皇が行幸された。利根川の改修により堤の重要性は薄まったが、明治天皇の緑の聖蹟であるこの堤を後世に伝えようと桜の植樹が始まり、現在、権現堂桜堤は約1㎞に亘り1,000本超を数える桜並木の名所となった。
今に残る日光街道の幸手宿跡を歩き抜けること約30分、ピンクのベールに覆われた堤が見えてきた。堤に登ると左右に満開の桜のトンネルが続いており、川原を見下ろすと菜の花の黄色の広がりが眼に飛び込んで、桜のピンクとのコン美ネーション(造語)が見事に描かれた一幅の絵画となっていた。堤に沿って、平日にも拘わらず花見客が溢れており、我々も僅かな隙間を見付けて宴の筵を広げ、穏やかに和みながら、花見を満喫した。
折からこの日は、新元号「令和」が発表され、平成時代の最後の1ヵ月を残す日である。  「さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉」
ベルリンの壁崩壊が冷戦終結と共に未来への希望を抱かせた平成元年ではあったが、国内は、バブル崩壊(H3年)に続く失われた10年が後を引き、今でも長期経済低迷から抜け出したという実感に乏しい。阪神淡路大震災(H8年)、東日本大震災(H23年)等々と未曽有の大災害にも襲われた。平成30年間を振り返って、明るい思い出に乏しいことを寂しいと感じ、令和に明るい時代を期待する方も少なくないのではないだろうか。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」、中村草田男は、昭和6年に、明治から大正を経て昭和へのあらがい難い時の流れの感慨を込めて、懐かしさに浸りつつ詠じているが、現稲門会の世代は、「—–昭和は遠くなりにけり」と感歎することは出来ても、平成を同じ心地で嘆じるには未だ早いし、機が熟する頃はもういないだろうと、よしなしごとを思いやっていた。
東久留米に戻り、現実に帰って、大勢で打ち上げにのめり込んだ次第である。東海俊孝記
権現堂桜堤_1権現堂桜堤_4_乾杯IMG_1491権現堂桜堤_3_乾杯

臨時開催 第3回ウォーキング(H31.3.13)高尾梅郷、木下沢(こげさわ)梅林 活動報告

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寒さで引き籠って過ごした冬が去り、待ち望んだ春が一気に訪れたかのような陽光が降り注ぐ快晴の下、総勢10名(男8、女2)で出立。グルメの会との重なりを避けて、開催日を水曜日に振り替えた結果が好天を呼び込んだ一方、参加者が少し寂しいことになったようだ。JR高尾駅から、4.5kmにわたり点在する梅の郷を、片道2時間ほど、ゆったりとして梅見するウォーキングを開始した。(木下沢梅園迄のバスもあるが、今回は利用せず)
木下沢(こげさわ)梅林へと続く高尾梅郷は、初耳という人が多いようだが、知る人ぞ知る梅見の里だ。関東三大梅林には諸説あるが、ほぼ定説となっている越生(おごせ)梅林(H29.2.27ウォーキング実施)と水戸市の偕楽園の二つのほか、三つめとして、小田原市の曽我梅林、安中市の秋間梅林、熱海梅林が挙げられている。関東ナンバーワンの梅林だった青梅の吉野梅郷が、2014年にプラム・ポックス・ウィルス病のため全伐採となってしまうという悲しいニュースがあったが、高尾ではもともと旧甲州街道沿いに点在していた梅をボリュームアップするかたちで1960年代から植樹を始めて梅郷を造ってきた。私見だが、高尾梅郷・木下沢梅林が三大梅林に名を連ねる日も近いと思われる。
歩き始めて15分程後には、現実を離れた別世界に入り、小仏川の堤に植生された「遊歩道梅林」の白い花の屋根の中を歩いていた。ここを抜けて、小仏川に沿った旧甲州街道を跨いで、駒木野の関所跡地にある「関所梅林」で小休止。再び小仏川を越えて、谷の斜面を埋める「天神梅林」では、梅の香を浴びながら筵を広げて憩う人々の中を縫い、咲き乱れる花の中を泳ぐようにして、花と香を楽しんだ。
この先、「湯の花梅林」を遠くに見て、道に沿って咲く梅の花を愛でながら、旧甲州街道の小仏峠方向への上り坂を約30分、この日の最終目的地、約1,400本もの紅梅・白梅が咲く梅の里「木下沢梅林」に到着。下段の梅、中段の梅、小さな広場を含む上段の梅、3つのゾーンに満開の梅が、その自慢の香と共に出迎えてくれた。
「君ならで誰にか見せん梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」 紀貫之(古今集)
こうしたロマンチックな想いに浸るのも、梅見の喜び。そして、澄み渡った青空の下での持参の酒が、花による眼と鼻の保養を加えて、「五臓六腑に染みわたる」とはこのことであったか。昼食のコンビニのお握りに、満漢全席に劣らぬ美味を感じたのも、小生だけではなかったでしょう。東久留米に帰り、恒例の打ち上げで喉を潤した。   東海俊孝記
注:木下沢梅園は、花の咲く3月の特定期間だけ無料開放され、他の期間は閉鎖される。
遊歩道梅林天神梅林木下沢梅林木下沢梅林_2木下沢梅林_3木下沢梅林_4満開の梅

『甲州街道を歩く』第13回(3月18日)牧之原➡台が原➡JR富士見駅

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冬に代わって春の到来を漸く感じられた日、総勢5名(今回は男のみ)は、特急「あずさ」から乗り継いで、甲府駅から6つ目のJR日野春駅(標高615m)に降り立った。駅は八ヶ岳の大崩壊による「韮崎岩屑流(七里岩)」が造った崖の上に位置していることから、凡そ100m下の釜無川に沿った甲州街道の前回最終到達点、牧之原交差点までタクシーで下り、ここを今日の出発点とした。この日の行程は、途中に最寄りの駅が無い為、これまでで最長である20㎞を超え、後半は標高956mの富士見駅(標高差400m超)への登り坂が続くタフなウォーキングである。
コース前半は、抜けるような青空の下、左手に甲斐駒ケ岳が迫り、右手少し遠くには南八ヶ岳が望まれ、併せて100万$の眺望に恵まれた上、旧甲州街道は現在の国道20号線を縫うように走って自動車の往来を避けており、ウォーキングを大いに楽むことが出来た。甲斐駒ヶ岳に源を発し、白州町が世に誇る清流尾白川に掛かる橋の袂にある甲州街道古道入口「はらぢみち碑」から、今に残る小道を辿り「台が原宿」に至る。白州の名水が産んだ江戸時代からの山梨銘醸「七賢」蔵元(近くにサントリー白州工場もある)と旧旅籠の建物を使った信玄餅の老舗「金精軒」を訪れ、各自、それぞれで土地由来の名品を土産として購入した。
JR中央本線は、この辺りから崖下の釜無川に沿って走る国道20号から離れて、七里岩の高台を長坂駅、小渕沢駅と進むが、甲州街道は交通機関を利用するには遠くなった道を、「教来石宿」を経て、下蔦木の国界橋(甲斐と信濃の境、七里岩の北端)迄ひたすらに歩いた。この間歩きに忙しく、残念な事に、「目には青葉山ほととぎす初かつお」の山口素堂の生家と句碑を見落としてしまった。
七里岩と別れると、街道は左右の景観を見渡せない、山あいを走る国道20号の歩道を辿ることになり、自動車騒音と風圧に併せてJR富士見駅に向けての上り坂がかぶさってきた。「蔦木宿」の本陣大阪屋跡のある上蔦木を過ぎると、目ぼしい遺跡等もなく、最終目的地を目指して歩を稼ぐだけとなり、残りの行程を1時間半超、足を棒にしてJR富士見駅に辿り着き、20㎞超の長丁場の実感となった。
汽車の本数が少ない富士見駅から鈍行で小淵沢駅へ、そこで特急に乗り換え、幸いにも乗客の疎らな車内で酒を酌み交わし、疲れた身体を慰めた。東海俊孝記

甲斐駒ヶ岳南八ヶ岳甲州街道古道「はらじみち」台が原宿入口

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