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[大学・校友会関係]
○平成23年東久留米稲門会総会
4月17日(日)東久留米稲門会第17回総会が成美教育文化会館にて開催された。大学からは内田勝一副総長、河口俊二地域担当副部長が出席された。その他近隣4稲門会及び東久留米三田会からの招待者を含めて69名が出席した。橘優治幹事の司会で 始まり、総会に先立ち当会会員で早稲田大学名誉教授榎本隆司氏による「ロマンの残党−もも・クリ三年柿・・・」というタイトルで講演会が開催された。この講演会には当稲門会会員以外の一般市民の方も大勢聴講に来られていた。
総会終了後は会場を移して河口俊二副部長小亀東山稲門会会長、久保東久留米三田会会長の挨拶の後、安宅初代会長の大震災の被災者を思いながらの乾杯の音頭で懇親会となった。懇親会は和やかな雰囲気の中あちこちで話の輪が出来、大いに懇親を深めた。高橋二代目会長の締めの後、恒例の大矢幹事のリードで早稲田大学校歌を全員で歌ってお開きとなった。 (井坂宏記) ○懇親会
[部会報告] 映画鑑賞会 「終着駅」 5月19日(木)午後2時〜 於:成美教育文化会館 前回上映の「情婦マノン」が予想外に好評を博したので、今年はできるだけヨーロッパを舞台にしたクラシック調の恋愛路線を続けてみたいと思います。 今回の作品は原作・脚本はあまり名は知られてませんがイタリアのチェーザレ・サヴァティーニが担当した1953年制作のアメリカ・イタリア映画の合作で、舞台は竣工したばかりのローマ中央駅(Terminal Station)です。 アメリカの若い人妻(J・ジョーンズ)とガイドの混血青年(M・クリフト)の出会いと別れ。駅の様々な人間模様をスケッチしながら描く悲恋物語。発車までの90分の恋人たちの心の揺れをリアルタイムで捉えた古典的名作です。以前この鑑賞会で取りあげたキャサリン・ヘップパーン主演の「旅情」にどこか似ていますが、この映画の舞台はヴェネチアでした。主役のモンゴメリー・クリフトとジェニファー・ジョーンズはこの鑑賞会でも2回づつ取りあげましたが、この当時2人は油の乗りきった時代でグルーミーな心理的な演技が光ります。 「風と共に去りぬ」の名プロデューサー、デヴィット・O・セルズニックと戦後イタリアンネオレアリズモを旗手として確立した巨匠ヴィットリア・デ・シーカが手を組んだメロドラマの傑作であり、甘く、はかないラストシーンが特に印象的。 上映時間89分(物語の展開時間と同じ) 1953年 キネマ旬報外国映画ベストテン第5位 (米光慶二郎記) 女性サークル
はじめに、会計報告と活動報告が行われ、来年度の部長は、石寺さんが引き受けてくれることになりまし た。その後、昼食をいただきながら話題はやはり地震のことで、早稲田大学が素早く対応し、帰宅難民の世話をした話なども出ました。食事もおいしく、お店の雰囲気も良いと好評のうちに昼食会が終わった後は、近くのお店に場所を移し、コーヒーや紅茶を飲みながら語らい、楽しい時間を過ごしました。 (吉川明美記) お誕生会
去る4月5日に早大タワービル校友サロンにおいて平成23年度オール早稲田囲碁祭実行委員会(首都圏)が開催され、本年度の活動方針が検討されました。 なお首都圏の委員会は以下13地区の稲門会囲碁部会の代表で構成されています。横浜白井、豊島、目黒、杉並、世田谷、新宿、足立、北、東久留米、市川、練馬、江戸川。 本年度の決定事項及び継続相談事項は次の通りです。 1. 第11回オール早稲田囲碁祭(首都圏)を6月4日(土)に開催する。附・大震災義援金募集のため本校出身の青葉ゆかり、下坂美織両女流棋士のほか著名棋士の協力を得て色紙提供・オークションなどを行う。なお西東京稲門会からの出場チームメンバーに不足が予想されるので、当会囲碁部会が協力し、両稲門会混成チームを出場させるべく相談中です。 2. オール早慶戦囲碁戦は母校創立125周年記念として三田会の協力を得て開催し、以後4回を重ねたが規模が大きくなりすぎたため内容及び実施時期を再検討するべく、三田会と相談を続ける。 3. 2月26日に第4回早大・高麗大囲碁交流戦が大隈会館で開催されました。今後の交流促進の一環として当実行委員会においても在日高麗大OBの参加を呼びかけるなど交流戦の発展に協力する。 4. 毎秋、母校内で開催される稲穂会(囲碁個人戦)は近日中に日程を決める。 オール早稲田囲碁祭(首都圏)実行委員会で議決された本年度の活動骨子は以上の通りで、当囲碁部会においても極力参加協力する積りです。 (苅草正守記) 俳句部会 平成23年3月20日(日) 第129回句会 中央図書館 兼題 「草もち」 「春泥」 当季雑詠 高得点句
平成23年4月16日(日) 第130回句会 生涯学習センター 兼題 「朧おぼろ」 「春の夢」 当季雑詠 高得点句
(比護喜一郎記) ゴルフ部会 ご案内が遅れましたが下記の通り開催しますので奮ってご参加下さい。 1 稲門例会:5月17日(火)熊谷ゴルフクラブ(3組予約)08:00スタート、キャデイ付、昼食込みで約12,000円。当コースは歩きでプレーが基本ですが希望者あれば乗用カート(4人で利用の場合一人当たり1,000円)も手配出来ます。 2 三田会との対抗戦: 6月10日(金)熊谷ゴルフクラブ(7組予約)08:14スタート、 プレー費は上記とほぼ同様です。今回が14回目の合同ゴルフ会となりますが平成18年から9回続いた玉村ゴルフ場でなく熊谷での開催となります(三田会が幹事)。 3 参加申し込み締め切り:稲門例会は今回の東稲ニュースではタイミングが合わないため 部会員対象に直接案内致しました。三田会との対抗戦は5月20日締切となります。 お問い合わせ・申し込みは伊東毅 TEL=FAX 042−471−7114 E-メール tsuyoshi_ito@tenor.ocn.ne.jpまで連絡下さい。 (伊東毅記) 太極拳の集い 野外稽古
(鮎貝盛和記) 〈会員リレーエッセイ〉〜噴水広場〜 脇役ながら、 映画一筋に 米光 慶二郎(36年 文学) 私と映画との出会いは戦時中 中国の漢口(現・武漢)で幼稚園児の頃であった。父はヒゲをはやした古風な神官であったが無類の映画好きでよく人力車に乗って映画を観に行ったものです。色々な作品を観たつもりだが記憶に残っているのは「エノケンの法界坊」大河内伝次郎の「丹下左膳・百万両の壺」阪妻の「無法松の一生」の3本で、いずれも怖い場面が印象にあります。 戦後佐賀に引き揚げて来た時は小学2年の春で、再び父との映画観行脚が始まりました。2年生の時観た黒沢明の「わが青春に悔いなし」は京都大学の滝川事件を扱ったものらしいが内容がさっぱりわからず、ただ原節子の知的な美しさと映画の題名が気に入りました。色々な名監督の作品を観、眼も肥えて来ましたが小津安二郎の映画は苦手でした。中学にはいってから益々映画にのめり込み、この頃から外国映画に興味をもち1人で好きな映画を観に行って補導の先生に捕まったことも度々でした。人生50年(当時)〈わが生涯に悔いなし〉と将来は映画関係の仕事に就きたいと50歳までに10,000本の映画を観ることを目標に立てたのもこの頃でした。(因みに書籍は5,000冊)と云うことで、まさに私の学校は映画館でした。 高校に進学すると佐賀市の映画館(当時5館)では飽きたらず、新作、話題作は逸早く観たが旧作、地味な佳作は上映されないため、月1回日曜日には片道2時間かけて隣都市博多(福岡市九州一の都市で映画館は30館以上あった)まで行き、更に熱が嵩じて夏休みを利用して1ヶ月間東京進出を図りました。東京ではシネマガイド(映画案内)を片手に1ヶ月で100本位は観たつもりです。3年間の夏休みで300本位観たつもりですが、当映画鑑賞会で取りあげた作品は「断崖」「ガス灯」「心の旅路」「旅愁」「黄昏」「アフリカの女王」等でありますが、元当会会長の高橋さんが選んだ「カサブランカ」もこの時観た作品でした。高校3年の夏休み前、担任の教師から父が呼ばれて、息子さんは来年2〜3月には大学受験があるため、今年の夏休みは東京に行かないようにと注意されたそうですが、その意見を尊重して2週間だけ東京に行きました。 私は当時、志望大学は早稲田大学(文学部・演劇専修)と日大(芸術学部・映画専修)とに決めていました。幸いに2校とも合格しましたが、その後親戚を含めてもめました。 私は将来を見据えて日大を希望しましたが家族は反対でした。その理由は未だ地方では早稲田の方が知名度が高いというミエと、何よりも大隈重信が佐賀出身であったからです。 私は早稲田に入学しました。大学時代は演劇サークル〈演劇研究会〉の芝居創りに終始しました。演出/役者としての才能がなく、専ら舞台装置関係を担当しました。裏方さん,早く云えば大工仕事です。でも4年の春の公演まで頑張りました。そのお陰で就活も殆どできなく、学業成績も極めて悪く学校推薦も殆どとれませんでした。一応〈松竹〉〈東映〉〈日活〉は受けましたが全部ダメ。映画業界がテレビの台頭で斜陽化し、形式的に数名しか採用せず私の実力不足と併せて不覚でした。1930年代初期不況時代の小津安二郎の映画「大学はでたけれど」の失業感をしみじみと味わいました。シナリオを書いたり、週刊誌で腰かけ程度の記者として働きましたが生活は苦しく、すさみ初めての挫折を体験しました。生活のために働く、過去に交換した名刺をたよりに働き口を探しました。快く応じてくれた会社はこともあろうに私の最も苦手とする新興躍進中の流通業でした。最初は薄給で、ベビー用品売り場などでオムツカバー等売っていましたが、売り上げが伸びるのが嬉しく、何よりも赤子が2人いたため取引業者が必要なモノを無料で提供してくれたことでした。売り場の責任者になり、営業成績も絶えずトップクラス、管理面の棚卸、女子社員の教育もうまくすべてに自信がわくようになりました。当然のことながら店舗内の発言力も強まり、また企画力、マーケッティング力に優れているということで本部に新設されたマーケッティング部門に参加することになりました。マーケッティングには2年間在籍しましたが、大変勉強になりました。毎日6大新聞を斜め読みし、過去の歴史、現状、将来の展望など2年間で500冊位本や資料を読みました。視野が広まりました。79年の12月始め、トップの方から80年代の時代相を読んでグループ企業のテーマを提供するように指示がありました。2週間胃が痛くなるように熟考した挙句、3つのテーマを提案しました。その一つが〈女性の時代〉でした。最終的に有名なコピーライター〈女の時代〉に変更し、私もなる程と納得しましたが、これは半分以上私の作品だと今でも思っているし、的を得たコピーだと思っています。此の後グループの4大企業の1つに営業企画部長として2年間出向しますが、これも忙しくこの10年殆ど映画を観る機会がありませんでしたし、私自身も映画のことは忘れようと思っていました。そんな時夢を覚ますような転機がやって来ました。わたし43歳でした。 第1部 青春篇 了 第2部 復興編は次回以降に掲載の予定です。 ご近所の・ま・・いう・ー店紹介 うまい、これは手作りパンの醍醐味,是非食べてみて
るが、ここのパンは優しくて懐かしい素朴な味がする。まだ若いスタッフが小麦粉の状態からひとつひとつ丁寧に一生懸命に作っている様子が店内から見え、好感のもてるお店である。10年前に練馬から、東久留米の大門町に引越して来た時、「マイ」は今のお店の前にあるビルの1階15坪位の小さなお店で、土曜、日曜はお店に入りきれないほどお客さんが並んでいた。「マイ」はいつも従業員が明るく元気で、活気がありお客を乗せてくれる。 ある時、人気のカレーパンが残り2つしかなく、その2つを私が買おうとして、レジに並んでいると、「今焼きあがりました」と、出来たてのカレーパンを持ってきて、満面の笑顔と共に買おうとしていたパンを2つとも交換してくれた。残っていた2つのパンも1時間前に揚げたものでまだ温かい状態だったが,ごく自然に取り換えてくれたのは、お客により良いパンを提供したいとのお店の思いが十分に伝わってきた瞬間で、素直に感動した。この店には懐かしいコッぺパンもあり、お客の好みでチョコや生クリーム、あんこ、ジャム等をトッピングしてくれる。又、サンドウィッチは、中の具に工夫がありアイデアにあふれている。 パンにはリッチ(バター等がふんだんに入ったもの)なパンと、リーン(素朴な小麦本来の味を生かした)なパンがあるが、「マイ」はそのどちらも用意されており、粉から作り上げるスクラッチパンの美味しさを十分堪能できる。まだ行ったことがなければ一度お試しください。幸せな気分になりますよ。 (小野泰右記)
落合川の「こぶし」三態
編集後記 ●5月の風は颯爽と群青の空を引き連れてやってくる。当稲門会は第17回定時総会を無事終えて新年度の活動がスタートした。事業計画の基本方針、実行計画は揺るぎないし、会員増計画の推進は東稲ニュースが重要な役割を担うという認識をあらたにする●近代史において翻弄された文学、文学者たちの葛藤、歴史のすきまから聞こえる小さな声に心がうずく。総会に先立っての榎本隆司先生の講演、「ロマンの残党」。続編に期待したい●あれから2ヵ月、あの悲惨な光景はまだ生々しく脳裏につきまとう。人知をあざ笑うように自然の刃にうちのめされ、地震国で暮らすことを再認識するにはあまりにも過酷な試練をつきつけた。そして人災とも言うべき原発事故。むなしい「安全神話」だ。目に見えない不気味な放射能の一日も早い収束を願わずにはいられない。被災された方々へ思いを馳せ、普通に何気ない日常こそかけがいのないものと思うことが必要ではないか●それでも季節はめぐる。黒目川の遊歩道は花水木を筆頭に淡い色の花に包まれる。 (大島勝典)
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