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7月16日(水) 7月お誕生会 17:30〜 東久留米「鮮乃庄」 7月18日(金) 芸術鑑賞会 18:30開場 ルネこだいら大ホール 「中村紘子トーク&コンサート」 7月21日(月) ウォーキングを楽しむ会 9:35 東久留米駅2階改札口 「JR新宿駅〜JR原宿駅巡り」 7月26日(土) カラオケを楽しむ集い 18:00〜 東久留米「唄うんだ村」 8月 1日(金) 役員会 18:30〜 中央公民館第4学習室 8月20日(水) 映画鑑賞会 14:00〜 成美教育文化会館 「エデンの東」 8月20日(水) 8月お誕生会 17:30〜 東久留米「鮮乃庄」 [大学・校友会関係] ○早稲田大学創立125周年記念事業募金 大学からの最終報告によると、当東久留米稲門会は大学からの依頼額20,310,000円に対し達成率124.5%となり、東京23区及び三多摩地区の中で9位の成績であった。 なお、大学全体としては総額202億円余りとなり、200億円の目標を達成した。 ○稲門祭に際し、景品付き福引き券60枚の販売割り当てがあった。塚越、橘両稲門祭実行委員から販売についての協力依頼があった。 また、校友会から景品提供の依頼があった。 ○5月25日(日)西東京稲門会総会が開催され、市川会長、菱山副会長が出席した。参加者72名。 アトラクションとして鋸音楽の演奏があった。 ○6月17日(火)立川市総合女性センターで三多摩支部会長会が開催された。市川会長、井坂副会長が出席した。2007年度事業報告・決算報告、規約改正、支部大会等について議論された [会の報告] ○映画鑑賞会 アルフレッド・ヒッチコックの作品では、「めまい」は当映画鑑賞会では2回目の上映作品です。 一回目は3年程前「断崖」を取り上げましたが、これは戦後昭和21年に上映され、一躍ヒッチコックの名前を高め、以後数々の作品で親しまれてきました。作品の数が多く晩年になるほど円熟味を増しましたが、この作品はその頃の作品で主人公と観客が騙されると云うミステリー本来のストーリーの面白さに加え、舞台が情緒たっぷりのサンフランシスコ、坂の多い街並みを尾行するシーン、2役を演じるキム・ノヴァクの美しさ等、映画のお手本のような魅力ある作品で、お客様も堪能されたのではないでしょうか。 ヒッチコックは美人女優が大好きで、I・バーグマン、J・フォンティーン、T・ヘドレン等更なる美しさを引き出しています。「めまい」のK・ノヴァクも大根役者と云われていましたが、その魅力をたっぷりと引き出しました。 ヒッチコックはまさに映画の魔術師です。 次回は8月20日(水)2時〜 於・成美教育文化会館 一世を風靡したあのジェームス・ディーンの「エデンの東」を予定しています。乞うご期待。 (米光慶二郎記) ○お誕生会 6月18日(水) 梅雨の晴間の爽やかなひとときに行なわれたお誕生会、今回のゲストはお二人。
来ました。いずれも質が高く胸を打つものでした。 役員でもないのにこのところ毎回出席させていただいている私は、当初単なる「ハッピーバースディ」と校歌のハーモニカ伴奏要員の義理参加でしたが、今ではすっかりはまっています。なによりも友人との交流、親睦を深める事による毎回が新鮮な発見と感動、そして連帯が生み出す心和む ひとときが好きだから。 紫陽花のパレットカラーが褪せてきたらもう極暑 (大島勝典記)
平成20年6月7日(土)市ヶ谷日本棋院2階大ホールで第8回オール早稲田囲碁祭(首都圏)が開催された。当稲門会からはA、Bチーム各5名ずつと級位者の個人戦に1名が参加した。当日Aチームの安藤会員が体調を崩されて欠席というハプニングもあったが、囲碁部の女子学生に助っ人に入って貰うことで事なきを得た。AチームはAブロック、BチームはEブロックに組分けされて試合開始。 結果はAチームは見事準優勝に輝いたが、Bチームはくじ運に恵まれなかった。個人戦では鮎貝会員が前年の優勝に続いて、今年も一級上げての参加にも拘わらず2位と健闘した。 終了後、いつものように打ち上げを行ないお互い健闘をねぎらった。 (井坂 宏記) ○俳句部会 平成20年5月18日(日) 第95回句会 市男女平等推進センター 兼題 「青柿」 「あめんぼう、みずすまし」 高得点句 藍浴衣下駄を鳴らして郡上節
平成20年6月15日(日) 第96回句会 市男女平等推進センター 兼題 「浴衣」 「玉ねぎ」
○ラグビー観戦会 毎年決まっている早慶戦(勤労感謝の日)、早明戦(12月第一日曜日)を含め、今年都内で行なわれる早稲田の対抗戦: 9/13 19:00 vs.立教 (秩父宮) 10/19 12:00 vs.筑波 (秩父宮) 11/ 1 14:00 vs.帝京 (秩父宮) 11/23 14:00 vs.慶應 (秩父宮) 12/ 7 14:00 vs.明治 (国 立) 競技場の収容能力が小さく入場券入手が心配な早慶戦。今年は塾創立150年で力が入っている上に春の招待試合(甲府)で早稲田を破った慶應ファンが詰め掛けると予想されます。前売り券購入を手配します。 早明戦、その後の大学選手権等稲門会会員がなるべく一緒に観戦できるよう、当ニュースでお知らせしますが、間に合わない場合には興味ありと思われる方々にはe-mail等で連絡します。 (藍原昌義記) 〈会員リレーエッセイ〉〜噴水広場〜 少 年 時 代 渡辺 真司(45年 商卒) 冒頭 勝手に自己紹介。当会発会時からの会員ですが、ずっと幽霊会員。ようやく1年前に東稲ニュースで鮎貝さんの太極拳部会のご案内を見て、当会に初めて参加。そんな私にしばしお付き合いを頂き恐縮至極。 さてタイトルの吾が少年時代でありますが、生まれといえばこれは疎開先の杉並区荻窪。生まれるはずであった家は、昭和20年の東京大空襲の最後の最後に焼失と聞く。場所はといえば、早大演劇博物館の裏手、現在は22号館インターナショナルセンター・国際部などの建物に変わってしまっている、早稲田大学の校舎であります。生後すぐにこの地にもどり、早稲田を卒業するまでこの地で暮らすわけである。文字どおりわが庭として学内を駆けずりまわった少年時代であった。一番活躍したのが小学校時代。丁度昭和30年の前後3年間である。当時早稲田の学生であった先輩諸氏には、あるいはご迷惑をおかけしたのかも。 《構内侵入》 「来る者を拒まず」のワセダではあるが、各門には守衛さんがいかめしい顔をして〔いたずらっ子は一歩も構内には入れないぞ〕とばかりに睨んでいる。まともには入れないくらいは承知。裏口である。 周囲には金網で囲っているところもある。まさに網であって1箇所破れば後は簡単。丁寧にほぐせばいくらでも大きくなる。閉じられてもまた別のところにあける。まるでもぐら。その後、コンクリート製の塀になってしまった。 次には校舎の中。北門(グランド坂途中)を入り、すぐ左手のビル、6階建てくらいだった。ビル脇には木造の購買所と床屋があった。この6階建ての屋上が遊び場だ。見晴らし抜群、椿山荘方面がよーく見えた。屋上には雀とりの罠を仕掛ける。レンガ4個と割り箸を組み合わせ、内側に米粒を撒いて完成。翌日行けば必ず雀を生捕り。でも忘れて数日行かなければ雀は哀れおだぶつ。 このビルの屋上のへりをスズメよろしくトントンとスキップなど。近所のオバサンが下からその様子を見ていて危ないと小生のお袋さまにご注進。家に帰れば猛烈におこられた。本当に恐ろしいことを平気でやってしまうのが子供。あぶない、あぶない。 もうひとつ・・・・ 冬になると不思議にローラースケートをやったものだ。当時は鉄の車のついたやつだ。轟音をけたてて颯爽と滑るのだがまわりからすれば、はなはだやかましい。構内や大隈講堂の前を隊列を組んで爆走。 学生さんの間をスイスーイとすり抜けてジャンプ。時には学生さんと衝突だ。そのうち巡回の守衛に見つかり追いかけ回される。逃げ足は早い。絶対に捕まらない。時には小さい子分が捕まる。結果は年上が呼び出されて大目玉。「もう致しません」としおらしくその場を逃れる。痛快な鬼ごっこでした。 《あこがれ》 今はなき安部球場である。日本最初のナイター設備の球場。でも戦時中は照明塔は供出され、当時はその台座のみ残っていた。早慶6連戦の頃。まだ東京六大学野球も隆盛を保っていた。 小学校(戸塚第一小)の帰りに安部球場三塁側観覧席に陣取る。早大野球部の練習見学だ。まわりには、近所の爺さんが多い。どこで仕入れてくるのか情報も豊富で「今年はいった○○○はイイヨ」などと丁々発止のやりとりはなかなかの名調子である。数々の名選手を輩出したこのグランド。ここで小生も将来プロ野球選手になるんだなどと夢を見たりしたもんだ。ここでの楽しみはボールを失敬すること。練習中のファウルボールなどいただきである。プロ野球でないので、当然ボールプレゼントなどない。ファウルが打ち上がれば、ダッシュして獲得競争だ。野球部のお兄さんが来る前にボールを持って雲隠れ(太田さん御免なさい)。その後はボールは解体。芯のゴムボールでまた遊んだものだ。 この球場では夏は高校野球の東京都予選会の数試合をやっていた。早稲田実業の試合。投手はあの王貞治さん。ある時王さんがバッターボックスに入ると一塁側の早実応援団席より「王に勝てるか!」の掛け声。相手はまだ王のことをよく知らないとみえて「おー、あったりまえだー」と応戦。すざましい打球がライト前へ。その時はすごい人なんだと思ったかどうか?のちの天下のホームラン王とは・・・ 《来る者は拒まず》 小生の父(昭和9年商卒)から、「ワセダは来る者を拒まないから、お前も大きくなったらワセダへいくか?」と問われ、「もちろん」と答えた。前述のごとく遊びまくっている庭だから、なにも考えずに単純にいくと思っていただけ。小学校卒業時にクラスの友と「ワセダで会おう」なんて簡単に言ったものだ。 しかしなかなかよく拒んでくれて同級生の遊び仲間では、稲門堂の矢崎宣彰、食堂松風の桜井一郎、駄菓子屋の丸山啓一郎と小生の4人だ。かっては、観音寺から西門(武道館、前野書店)へ通じる道は近隣の者がいつでも通過できるようにと、その門を閉じないとの約束もあったそうな。 名実ともにその門は狭くなっているのか? 小学校の学芸会を大隈講堂でやり、早稲田祭には小学校下校後夜遅くまで校舎をめぐり、大隈庭園に忍び込んでは魚を釣ったり、ザリガニをとったり(ここでも守衛さんと追いかけっこ)しながら成長(?)した少年時代。早稲田マンと称される先輩諸兄とは違い、いまだに早稲田っ子の自分であり、まだまだ 成長できない少年時代を続けている小生でありますがどうぞ宜しく。 読者のページ 時々、貴重な写真を添えて原稿を送って下さる矢部不三雄会員(S27教育)から、戦時中に「風と共に去りぬ」を見た経験を記事として頂きました。 空襲下の帝大で「風と共に去りぬ」を見た そして何と、一緒に見た人が東久留米に… 昭和19年11月某日、私達は帝大の法経25番教室で最高に緊張しながら 米国映画 "Gone with the Wind " を見たのです。
当時、私は府立四中夜間部に通学しており、昼間は帝大・工学部航空学科材料力学実験室に、実験補手として勤務しておりました。実験補手とは云っても、小使いさんと五十歩百歩で、学生の勉強のため「敵産管理局」の倉庫に行って航空機関係の映画、たとえばジョンウェインの「急降下爆撃機」などを借りてくるのも私の仕事でした。 ある日、倉庫のフイルムの山を物色しているうちに学生さんがそれを見つけたのです。守衛さんを拝み倒して借りてきましたが、関係者だけで見るのはモッタイナイと言う訳で、極秘にクチコミで他学部にも知らせました。残念ながら日時は失念しましたが会場は法経25番教室。ところが、映写開始後30分で空襲!…すぐに中止して私は砲声のとどろく騒然たる真っ暗闇を、牛込・天神町まで駆け足で帰りました。その後もう一度、と言うことになり二部作の翻訳本を借りて夢中で読みました。約十日後に再、映画の素晴らしさは言うまでもありませんが、米国の余裕に更きました。もちろん会場の誰もがそう思ったことでしょう。 私は翌年の5月、志願して海軍特別幹部練習生に入隊。激烈を極める戦闘演習の最中にも、なぜかこの映画のシーンが脳裏をかすめるのでした。戦後、無事に復員して大学を卒業し新聞社に入り多くの企業人と接してきましたが、ついぞこの映写会について知る人にあえませんでした。ところがなんと…東久留米にいたのです。それも永年お世話になっている有地病院の有地道輝院長なのです。有地先生とは同一時期に帝大にいたことで前々から学生食堂やら本郷の思い出話をしておりましたが、最近先生の方から「そう言えば…」とこの映写会の話を始めたのです。本当にびっくりしました。先生は私より一つ上の83歳、患者さんの応接にいつも多忙ですが、そのうちゆっくりとおしゃべりしたいと思っております
新鮮美味な魚は自分で釣るしか手に入りません。 同好の方は473−3289 平山までご連絡下さい。 ○前号での新入会員の紹介以後下記の方が新たに会員になられました。 ・青柳成彦 S34 商 浅間町1−11−6 (編集後記)○本東稲ニュースと一緒に平成20年度の名簿をお届けします。ご近所、お知り合いで早稲田のOB・OGの方が居られましたら、当会に入会されるようお誘いください。また、本紙で案内している各種のイベントにもご参加下さい。地域との楽しいつながりが出来ると思います。○今回は各種イベントが少なく紙面を埋めるのに心配しましたが、矢部不三雄会員から貴重な写真と一文を頂き埋めることが出来ました。趣味・紀行文・エッセイ・写真等を募集しています。読者の皆さんからの原稿をお待ちしています。○今年は梅雨入りが早かったにもかかわらず、梅雨明けは平年並みとのことですが、この2〜3日大変暑い日が続いています。晴れた日には入道雲が湧き、梅雨明けした真夏のような感じです。夏の好きな編集子は入道雲を見ているとなぜか郷愁を感じます。雲の峰崩れてもなほ迫りあがる(井坂) |