電子版

第36号
早稲田大学東久留米稲門会
  
   平成19年9月10日
   発行責任者  市川 英雄
   編集責任者  井坂 宏

   e-mail: w_higashikurume@nifty.com
    http://homepage2.nifty.com/35292/

会の告知板

  9月14日(金)  映画鑑賞会   14:00〜   成美教育文化会館
              題名「マイ・フェアレディ」 (案内チラシ配付済)
  9月16日(日)  ラグビーを観る会        秩父宮ラグビー場
                 日英大学ラグビー対抗戦
  9月19日(水)  お誕生会  17:30〜   東久留米「鮮乃庄」
  10月 7日(日) 役員会   13:00〜14:45  中央公民館
            講演会   15:00〜16:30   同 上
              演題「大相撲に魅せられて
               −古き良き時代へタイムスリップしてみませんか−」
            講師 当会 呉 淳久会員 (別途案内チラシあり)
  10月13日(土) 第2回秋の男料理を楽しむ会    成美教育文化会館
                      (別途案内チラシあり)
  10月17日(水) お誕生会    17:30〜   東久留米「鮮乃庄」
  10月21日(日) ウォーキングの会
             大宮花の丘公苑と周辺寺社巡り  (別途案内チラシあり)
  10月27日(土) 東京六大学秋季リーグ戦早慶戦観戦会
  11月11日(日) 芸術鑑賞会「名曲コンサート」 保谷こもれびホール
             日本フィルハーモニー交響楽団 (別途案内チラシあり)



[大学・校友関係]

○7月14日(土)商議員会が開催され、当会から市川会長、菱山副会長が出席した。
全体で二百数十人が参加。大学の財務報告、商議員会の予決算、125周年記念事業募金の概要について報告があった。
○8月25日(土)三多摩地区会長、事務局長会議が開催された。当会からは市川会長、安次峰事務局次長が出席した。
○三多摩支部北ブロック(7稲門会)の「地域発125フェスティバル」として9月1日(土)「ルネこだいら」で、「ゼロからの風」を上映した。
○ホームカミングディ及び稲門祭が10月20日(土)〜21日(日)に開催される。
10月20日(土)のホームカミングディには、今年は卒業25年(S58年卒)、35年(S48年卒)、45年(S38年卒)、50年目(S33年卒)を迎える校友が招待されている。
また、稲門祭に景品の協力要請があり、昨年同様清酒「ひがしくるめ」7本を提供することとした。




[会の報告]

○映画鑑賞会
 「お熱いのがお好き」 7月19日(木)午後2時〜  市民プラザホール
 前回の「アフリカの女王」は初めて会場を成美教育文化会館に変え、しかも映画が2人芝居的な地味な作品にもかかわらず、240名近い入場がありましたので、今回は宣伝(チラシ)も控えめにしましたので、久しぶりに[入場札止め][立ち見]もなく、関係者も胸をなでおろしました。
 映画は禁酒法時代のシカゴ、ギャングが密告者を含む7人を殺す現場を目撃した2人のバンドマンがギャングに追われ、マイアミに演奏旅行に向かう女性だけのバンドに女装して紛れ込む。このバンドの中のちょっと要領が悪いがチャーミングな歌手(M・モンロー)を中心にして物語は発展する。
 30年代のギャング映画(実録−聖バレンタインデイ)をもとにパロッた艶笑コメデイ。主役の3人、M・モンロー、T・カーティス、J・レモンがそれぞれの持ち味をだし、最後まで笑いを絶やさない。この映画は1959年制作ですが、年々評判が高まり現在ではアメリカのコメデイ映画の中でNO1に評価されている。 次回は、O・ヘップバーンの「マイ・フェアレディ」の大作。バーナード・ショウの戯曲「ビグマリオン」をもとにしたミュージカルの映画化。アカデミー賞8部門に輝く永遠の名作。(9月14日−成美教育文化会館グリーンホール)数々の名曲と踊り、ヘップバーンの魅力が圧巻です。
                        (米光慶二郎記)

○カラオケを楽しむ会
 年に二回開催されていますカラオケ部会が今夏は7月28日(土)の午後6時から滝山のシダックスにて楽しく行われました。参加者は、菱山、井坂両副会長、河村部長、及び新人会員2名の大島勝典さんと私を含め14名となりました。諸先輩の歌唱力には圧倒されましたが、お互いに今まで生きてきたそれぞれの人生をかいま見る愛唱歌の数々でした。(常に元気のある男性の歌あり、悲恋の女歌ばかりの人、それぞれが背負ってきた人生一路だと思いますが・・・。)全員が持ち歌を少なくとも5曲以上は歌われました。(10曲近くの人もいたようですが・・・。)


料理も飲み物も沢山あり盛り上がっていました

最後は全員で都の西北の大合唱

参加者全員の記念写真

お料理も美味しく、会員同士の会話もはずみ、元気のわきあがる晩となりました。お開きの10時をすぎても沢山のリクエスト曲を残していましたが、最後は「早稲田大学校歌」を熱唱し、全員で夏の暑さをのりこえて、次回の年末の部会を誓いあって散会となりました。カラオケはゴルフ、麻雀と同様にそれぞれの性格・人生観がにじみでる一環とつくづく思われました。私自身当週の7/25(水)に続き2回目の部会への参加となりましたが(グルメの会)、とても楽しかったです。9月以降には、次に散策山歩き会、ウォーキング会に是非チャレンジしてみるつもりです。  (加藤武雄記)


○お誕生日会によせて
「お誕生日おめでとう」の言葉を言っていただいたのも久しぶりでした。まして食卓に尾頭付きの鯛、ささやかながら心づくしのプレゼントまで用意して、誕生日を祝ってもらうなど何年ぶりだったでしょう。その日当会で7月が誕生月の会員4名と、祝ってくださると集まってくださった方々、皆で9名が駅前の「鮮乃庄」に集まりました。平素あまり出席されない矢部不三雄さんも参加されました。今回お父様が早稲田大学を大正時代に卒業された当時の写真、卒業証書など貴重なめずらしい資料数点を見せて頂きました。卒業証書の大きくて立派な

前列4名がお祝いされる方です
こと。その重々しさに感じ入り、恭しく受けたであろう大先輩たちに思いを馳せました。この夜、それぞれ自分のこと、両親のこと、
故郷のこと、もう話題はつきません。誕生日は、今までは1歳年を重ねる日、何を今更と半ば思っていた私は、年を重ねた時の誕生日は、健康を願い今在ることを喜び感謝する日なんだと、当り前のことを改めて思いました。そして"大人の誕生日は友人と祝うのが特に良い"と妙に嬉しい  気分でした。
 熱夏の日々、プレゼントの海老茶のWの文字も鮮やかな団扇、今を時めくハンカチ王子と同じブルーのハンカチは大重宝。今後も当会の行事として互いに祝い、ますます親睦を深める機会になればと願っています。企画世話役の方に感謝。
                           (菱山房子記)

○8月のお誕生会
 8月のお誕生会が8月15日(水)17:00より「鮮乃庄」で開催され、7名が出席した。

8月の誕生日の久家会員を真ん中に

○「ラグビーを観る会」からのご案内
1) 日英大学ラグビー対抗戦2007(早稲田大学創立125周年記念)
早稲田大学 vs. ケンブリッジ大学 於秩父宮ラグビー場
9月16日(日) k.o. 17:00
当日はゴスペラーズ、ザ・ワイルドワンズによる「早稲田大学校歌」、「英国国歌」、125周年記念学生歌「早稲田の詩」等のアカペラ熱唱があります。
集合:秩父宮ラグビー場切符売り場前、15:55
2) 関東大学対抗戦Aグループ
・早慶戦 勤労感謝の日 於 秩父宮ラグビー場
・早明戦 12月第一日曜日 於 国立競技場
東稲ニュース次号で案内します。
3) 上井草早稲田グラウンドでの試合を観ましょう
  上井草で行われるジュニアー選手権の試合観戦をお勧めします。(無料)
   9月17日(祝)14:00 早稲田 − 帝京大
   9月23日(日)14:00 早稲田 − 東海大
  11月18日(日)13:00 早稲田 − 慶応
  グラウンドマナー
  ・募金箱にコイン(50 or 100、プラス1円玉、5円玉を出して小銭入れの掃除)を入れて、出場選手名簿をもらいましょう。
  ・所定の場所以外禁煙、ゴミは持ち帰りましょう。
  ・グラウンドには(練習だけの場合でも)選手の身内や後輩等関係者が来ています。
   熱くなっても特定の選手を腐す言葉は慎みましょう。
  (藍原昌義記)


[部会報告]
○7月28日(土)滝山シダックスに於いて、カラオケを楽しむ会を開催した。参加者14名。
                                     (別途報告あり)
○7月25日(水)草門去来荘に於いて野膳料理を楽しむ会を開催した。参加者11名。
                                     (別途報告あり)
グルメ部会の部会長が神田尚計会員から太田晴之助会員(32政経)に引き継がれた。
神田会員におかれましては長い間ご苦労様でした。また、沢山の美味しいところを紹介してくれて有難うございました。
○10月11日(木)玉村ゴルフ場にてゴルフ部会を開催する。      (別途案内チラシあり)



部会だより

囲碁部会
 今回は、「オール早慶戦フェスタ・早稲田大学創立125周年記念大会」をご案内します。
 平成19年10月28日(日)正午より、早稲田中学・高校体育館にて早慶それぞれ125人ずつ(囲碁部関係50人・校友会関係75人)が対局します。特に、校友会関係の希望者が75名を上回った場合はゲストプロ及び現役アマ高段者の指導碁を受けることができます。ゲストプロは、梅沢由香里女流棋聖(慶應卒)、青葉かおり(早稲田卒)の豪華版です。 特に、早稲田は出場希望者が多いようで、世話人代表の志水氏は先日の「オール早稲田囲碁祭」の出場者の1/2程度を参加枠と考えているようです。そこから類推すると、当部会の出場枠は5〜6名になるかと思います。人選はこれからですが、高段者を優先したいと思っていますが、最終的には皆様と相談して決めることになります。
                   (辰巳徳蔵記)


俳句部会
7月8日(日) 第85回句会 中央公民館
兼題 「茄子」 「汗」 「当季自由句」
 高得点句
  職離れひとり昼餉の焼茄子      比護喜一郎
  舞い終えて汗にまみれし神楽面    太田 千雪
  汗ばみし妻の項の白髪かな      三田 畔巣
  腕の汗なめて気合の村相撲      橘  優治
  風通るそば屋の二階青簾       大久保泰司
  さくらんぼ含む少女の片ゑくぼ    三田 畔巣
  方丈の庇かすめて夏つばめ      神田 尚計
  早苗田水しずまらず訃報来る     杉本 達夫


8月11日(土)  第86回句会   中央公民館
兼題 「蜩・かなかな」 「新涼」 「当季自由句」
 高得点句
  新涼や湯上がりの児の日焼跡     神田 尚計
  身の程に生きて半丁冷奴       三田 畔巣
  かなかなの寺の庭掃く作務衣かな   川島 知子
  新涼や李朝小壺の白い肌       三田 畔巣
  夏帽子脱ぎ山門の風受ける      神田 尚計



グルメ部会
《第12回グルメ探訪》7月25日 草門去来荘で野膳料理を楽しむ会
 今回は、西武国分寺線小川駅から歩10分程、武蔵野の面影を残す野火止用水のほとりの草門去来荘で、野膳料理を楽しもうという趣向である。参加者は11名。 6百坪の竹藪の中、風情ある山荘風の個室で、三方が天井までガラス貼りになっていて、風にそよぐ竹林の眺めはまさに深山の中という雰囲気である。

ガラス越しに竹林が見える素晴らしい雰囲気ですね
今日のメニューは特別昼懐石コース。定刻の正午、まず食前酒の梅酒。先付けの冷やし夏野菜は、白ダツ胡桃和え、叩き胡
瓜、伏見唐辛子揚げ浸し糸がき、フルーツトマトと岩塩、蓮根酢焚き。続いて鮎椀にもち米飛竜頭。向付のめじまぐろの刺身。 ビール、酒、焼酎など各自好みの飲み物が、歩いて来て一汗かいた体を心地よく癒してくれ、ゆったりとした刻が流れる。揚げ物は加茂茄子の肉味噌天ぷら、煮物は冷やし冬瓜と海老あん、焼き物は漬け込み豚のあぶり焼き。ご飯は鰻ひつまぶし。あさりと岩海苔の信州味噌仕立がつく。仕上げの甘味は西瓜シャーベットとバニラアイス。予定は2時迄であったが、心地よさにメートルが上がり3時近くにようやくお開きとなった。東久留米駅から歩行時間も含め30分という近くに、山里を想わせるこんな別天地のような処があるとは知らなかったという声が聞かれた。
                           (神田尚計記)




〈会員リレーエッセイ〉〜噴水広場〜

               「グァム島戦記」掲載に当たって     
                                 平山 正徑(40年政経)
 小生、1991年から1996年の5年間グアム島に駐在し、日本からのお客様に足を提供するバス会社に勤務しておりました。暖かいグアム島での生活は、そこに住む多くの日本人と短期間に顔見知りになるため、昔の村のような雰囲気があり、夜も昼も盛んに交流したものでした。ある時、旅行会社RIC TOURS社長澤田文雄氏が主題のグアム島戦記のテープを所持していることを知り、是非貸していただきたいとお願いし、軽い気持ちでテープを聴いたところ、その凄惨さに衝撃を受けたのであります。数年前、澤田氏にその出所を尋ねたところ『グアム島戦記』の主はテッド荒川氏です。彼はホリデイツアー専用のバスオペレーターのマネージャーをしていた1970年代、自らガイドもこなしておりました。後に退社して、グアム新報という週刊の日本語新聞を発行するようになりました。当時はまだ慰霊団のツアーなどもありましたので、タモンのホテルを出発して、ジーゴにある戦没者慰霊公園に到着するまでの、時間帯にあわせて彼が自分で作ったものです。彼は80年代初頭グアム新報を売却して、グアムを去ったとのことでした。テープは古く聞き取り難い箇所も多く、必ずしも正確とはいえませんが、何とか聞き取り書き綴ったもので、人名等当て字もありますので悪しからず。戦後既に60年経て戦争はすっかり風化してしまいましたが、現在の日本人にこの事実をしっかりと伝えていきたいのです。                   
                    グアム島戦記
歴史とは、我々がこれを先代より引継ぎ後世に伝えるべきものであり、この中に気に入らない、一ページがあるからと言って、これを飛ばしたり引きちぎってしまうわけにはいきません。南国のパラダイスこのグアム島にも日本の皆さんが目を覆い、耳を塞ぎたい歴史のひとこまがあるのです。昭和12年7月中国は、盧溝橋で轟き渡った一発の銃声は、支那事変の勃発を告げる銃声であり、同時に日本帝国主義、軍国主義の崩壊を予告する不気味な凶砲でもあったのであります。平和を愛する一般国民の願いをよそに、時の政府は不拡大方針を唱えながらも、貪欲に戦線拡張を続け、遂には広大な中国大陸の前線で、数多の将兵が釘付けにされ、支那事変は泥沼に足を踏み入れたまま、膠着状態を続けました。顔では笑いながらも、愛する夫や子を戦場に送る家族達の悲しみは濃かった。しかし、全国津々浦々から若者達は、無情な一銭五厘の赤紙によって召され続々と戦場に狩り出されて行きました。一方、米国との関係も険悪さを増し、昭和16年終わり頃には、まさに一触即発の危機にたっておりました。ABCD包囲網を敷き、経済封鎖によって日本を苦しみ続けさせた米英に対し、遂に堪忍袋の緒を切り同年12月8日、日本海軍は真珠湾奇襲攻撃を敢行し、第二次世界大戦の幕は切って落とされました。1898年以降米国の領土であったこのグアム島にも、12月8日午前8時30分サイパンを発した9機の爆撃機が来襲し、軍事施設を中心として、かなりの被害を与えました。
この空襲は9日も繰り返されました。続いて12月9日夕方、後藤海軍少将率いる連合艦隊の一群が、グアムの沖合に雄姿を現しました。そして翌10日午前4時、約5000からなる上陸部隊が、怒涛の如き勢いで上陸を敢行いたしました。
時に、このグアム島の米守備隊の勢力は、24000の島民を別として、海軍が236人、286人の現地人義勇軍、5人の看護婦を加えて527人、海兵部隊153人、総勢680人。当時世界最強をうたわれた、選りすぐりの5000の上陸軍を前にし、米守備隊はうろたえあわてて脆くも上陸を許し、午前5時45分には、マクミラン知事は、早くも降伏を決意しました、同日中に降伏文書の調印がなされ、日本軍は正式にこのグアムが軍政に入る旨の布告を出しました。そして、この布告文書は、島の隅々まで貼り出されました。以来2年半グアムは日本の軍政下にありました。戦争下の常として多少の軍規違反はあったでしょうが、概して善政が敷かれました。殆ど働くことを知らず怠惰に慣れていた島民達が、日本軍によって勤労の尊さを教えられたのも、この軍政時代でした。子供達は当時を回想し、戦後アメリカの準州となった今日、グアムは異常に犯罪率が上昇し、社会問題となっておりますが殺人、強盗などの凶悪犯罪は、当時一件も無く医療設備が行き渡り、病人も殆ど出なかったと語っております。グアム島は、呼び名を大宮島と改められ、首都アガニャは明石町、マゼラン上陸未開の地ウマタックは馬田村、ココス島は細長い島なので長島と呼ばれておりました。タロフォフォ川の上流に、ジャングルをさすらい歩いた日本兵が詠んだのでしょう「スコールを集めて早し太郎川」と石に刻まれたのが残っており、訪れる者の涙を誘っております。タロフォフォ川は、太郎川と呼ばれておりました。その間に太平洋戦争は、ようやくにして日本に利非ず、太平洋の日本軍の占領地区には暗雲が低く垂れ込め始めました。ミッドウエー沖大海戦の惨憺たる敗北は、太平洋作戦での決定的躓きになりました。更にマリアナ沖海戦でのダメージに続きガダルカナル島の撤退、アッツ島の玉砕、サイパン、テニアン、硫黄島の玉砕と大本営には、悲報が相次いでもたらされました。やがて、グアム島も同じ運命をたどることになるのです。昭和19年6月11日、米軍のグアム島開放作戦の序盤戦が、猛烈な空からの爆弾投下で始まりました。空爆は以降、執拗に続けられ延べ3800機で、淡路島程のグアム島に1500トン近くの爆弾を、容赦なく投下したのです。一方、島を包囲した戦艦、巡洋艦、駆逐艦など70艘による艦砲射撃も、強烈を極め米軍の資料によるとその数は16214発、そして40センチもの巨砲弾も使用されておりました。正に裁量改まるの形容通りだったのです。海外線を美しく彩っていた数千本の椰子も、殆どなぎ倒されてしまったという。これにもめげず日本軍の守備隊の士気は、まことに軒昂たるものがありました。そして、遂に決戦の日がやって来ました。1944年7月21日朝まだき、東方海上80度の線に黒点見ゆの第一報が、グアム島守備軍司令官、高品中将の許にもたされました。
  *編集者註  本エッセイは紙面で4ページ弱の長文であったため、筆者の了解のもと、2回に分けさせて頂きました。後半は次号に掲載します。




読者のページ
○神宝町の矢部不三雄会員(27教育)から落合川風景の写真を頂いた。

緋鯉が目立ちますが、真鯉もいるはずです

川の中で餌でも探しているのですか。白鷺さん

鷭(バン)だそうです。落合川では珍しいそうです

81才で益々お元気な矢部会員


原稿募集
 東稲ニュースでは、会員の原稿を募集しています。
 内容は、エッセイの他、絵画、写真、陶磁器・人形の創作、詩、短歌、俳句等、本紙上で発表出来るものなら何でも結構です。また、最近読んで感銘を受けた本の感想、得意料理のレシピ等もお寄せ頂きたいと思っています。東稲ニュースに発表することで本紙をより身近に感じて頂けたら有難いことです。   
東稲ニュースに掲載されたい方は、東稲ニュースのタイトルの所にあるメールアドレスにメールして頂くか、編集委員の誰にでもかまいませんのでご連絡ください。
 現在の編集委員は菱山、神田、松崎(博)、鮎貝、森田、井坂、平山、河村、塚越の各会員です。


(編集後記)○今年の8月は記録的な猛暑でした。日本の最高気温の記録を塗り替えたということで、否応なしに地球温暖化と省エネについて考えさせられました。地球は確実に病んでいます。経済優先などと言っているゆとりはないと思うのですが。○いよいよ9月。芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋です。当会ではこれらの全てを網羅して、会員の皆様に楽しんで頂こうと考えています。それぞれの趣味に合ったものになるべく多くの会員が参加されることを期待しています。
○今年は秋刀魚が豊漁で8月から大きな秋刀魚が安くスーパーに並んでいます。編集子も早速買ってきて塩焼きにして大根おろしで食べました。大変美味しく、さすが秋の味覚です。海見てる目を持つ秋刀魚買ひにけり(井坂)