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7月20日(月) ウォーキングを楽しむ会 9:35 東久留米駅2階改札口 「JR大崎駅からJR品川駅巡り」 7月31日(金) カラオケを楽しむ集い 18:00 清瀬「シダックス」 8月7日(金) 役員会 18:00〜 中央公民館 8月19日(水) お誕生会 17:30〜 東久留米「やる気茶屋」 [大学・校友会関係]
[会の報告]
「裏窓」6月19日(金)14:00〜 会場 成美教育文化会館 今年2回目の上映は猛暑日に近い暑さで動員が懸念されましたが、出足が早く1時間前から続々とつめかけ長い行列ができました。お客様からは早く開場を!という声があがる程で大盛況でした。 主催者側としてはありがたいことで、この上映会は天候に左右されず根強いファンが多いことを印象づけました。 この作品は1954年制作のアメリカ映画で当時としては異色作と云われてきました。監督のアルフレッド・ヒッチコックはイギリス出身で60数年の長い映画人生で晩年の<ヒッチコック劇場>数本のTV作品を含めると70数本近い多作家です。ヒッチコックの特長としては2〜3本を除いては一貫して@ミステリー&サスペンスAヤセ型の気品ある知的で清潔感のある美人女優を起用することB実験的な手法と状況を設定すること等があげられますが、この作品は3つの特長が揃いました。 原作はコーネルウィルリッチの短編小説の映画化で動きの少ない点では取り難い作品です。従って完成しても興業を危ぶみ1年近く<お蔵入り>しました。ところが上映されるや全世界でヒットしました。物語は主人公のカメラマンが足を骨折し、ギブスをはめ車椅子に座って動きが取れない状況です。退屈でクーラーのない時代の暑い夏の日、窓が開けられた向かいのアパートの人々の動静を観察するという<のぞき趣味>の映画です。ワキも適役揃いで、主人公の恋人役のグレースケリーは初めてヒッチコックの作品に出るのですが監督は大変気に入り立て続けに3本起用しました。20年位前、日本でヒッチコック作品で一番気に入った映画をアンケートした結果、この「裏窓」が一番人気でした。 (米光慶二郎記) お誕生会
心のふるさと」と言えば私たちにとっては都の西北だが、やや誇張だが、葛飾柴又は日本人の心のふるさととも言われている。何せ48作の映画を生み出した 「男はつらいよ」で人々の心に染み付いている全国版のゾーンだ。柴又駅を出ると私達11人をその心のふるさとが扉をあけて待ち受けてくれた。 帝釈天への参道には団子、煎餅、佃煮、飴など土産店が軒を並べ昔ながらの息づかいが情緒に浸らせてくれる。「黒い黒いは何見てわかる、色が黒くて貰い手なけりゃ、山のカラスは後家ばかり、ねぇ。色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないときや がった・・・」寅さん得意の口上が聞こえてくるようだ。帝釈天では今にも「御前様」がお出まししそう。
内殿の彫刻ギャラリーは大正、昭和の10人の名工が1 面ずつ分担製作したと言う彫刻だ。研ぎ澄まされた感性、熟成に息を呑む。寅さん記念館見学のあとお待ちかねのグルメだ。有名老舗「川甚」で鯉のあらい、鯉こく、うな重を楽しむ。それにしても、いつの間にかこの老舗は無機質なビルに変わっていた。時代の趨勢でやむをえないのか。過ぎ去った時間の多さが色あせて情緒という宝石を遠ざけてしまったらしい。 帰路につく。矢切の渡しの歌を思わず口ずさみながら江戸川をわたる。水面をゆっくりすべる風が心地よい。対岸は田園風景だ。濃い緑が目にしみる。伊藤左千夫の「野菊の墓」ロードをひたすら歩きながら男はいくつになっても純情だ、などとつぶやいている。時折あざやかな彩の紫陽花は夏への序曲だ。 東久留米で有志で打ち上げを行う。柴又の酒もいいが地元での一杯は格別だ。 何を流してくれるの 6月の雨は真珠の涙 (大島勝典記) 女性サークル 一面に咲くゆり園の散策 6月15日(月)、女性7名で西武球場近くにある"ゆり園"を訪れました。当日は、前日の雨も上がり、陽は差さなかったものの明るい曇り空で、ゆり園の散策には丁度良い日和でした。 西武球場前駅に降りたところ、乗客のほとんどは、西武球場とは反対側にあるゆり園に向かって歩いていきます。駅前からの陸橋を歩くこと3分ほどでゆり園に着きました。平日でしたが、結構混んでいます。 入園し、園内一周の約1000mの散策路を歩き出すと、白、黄、赤、オレンジと色とりどりのゆりが一面に咲きみだれていました。起伏のある自然林に囲まれた約3万uの広さに、50種類、約45万株のゆりが植えられているそうです。順路に従って坂を下っていくとやがて視界が開け、向かいの丘の斜面を帯状に色分けされたゆりが一面に咲いていました。期せずして「すごーい」、「きれいー」との声が揚がりました。訪れたときに咲いていたのは、早咲きの"すかしゆり種"だそうで、花は上を向いて咲き、香りはないが、色が鮮やかであることが特徴ということで、45万株のうち35万株がこのすかしゆり種だそうです。丘陵全体がゆりの花で覆われ、今、まさに見頃でした。色とりどりに、また、色分けされたゆりの花は、葉の緑とのコントラストもあり、見事なながめでした。上向きに咲く花なので、丘の上から見下ろしたながめは、格別でした。写真を撮ったりしながらゆっくり歩き、出口で販売されているゆりの鉢を買った方もおり、ゆりの花を堪能した1時間でした。 すかしゆり種の後には、下向きに花が咲き、芳香があり、大輪が主流のハイブリド種のゆりが咲くとのことで、ゆりの甘い香りがただよう頃にまた来てみたいと思いました。ゆり園をあとにしてからは、近くのレストランでの昼食となり、話も弾み、親睦を深めました。 (吉川明美記)
俳句部会 平成21年5月17日(日) 第107回句会 吟行 府中市郷土の森 参加者13名 高得点句
平成21年6月21日(日) 第108回句会 中央公民館 兼題 「桜桃忌」 「万緑」 高得点句
囲碁部会 6月6日(土)第9回オール早稲田囲碁祭(首都圏)が市ヶ谷日本棋院大ホール(2F)にて行われた。260名を越える参加があり、当部会からも例年通り2チーム・10名が参加した。全体をランクごとにAからF迄に区分し、1ブロック原則8チームの中で順位を争った。当部会からはAグループとFグループ1チームずつ参加、Aグループは前回の成績で全勝者が2人いて昇段したため今年はきびしい戦いとなった。順位は8チーム中5位にとどまった。Fチームは頑張って3位入賞となった。大会と併行して行われた昨年プロになった下坂美織初段(教育4年)の指導碁に人気が集中した。大会は5時頃終了し、戦いの余韻がさめない内に恒例の反省会を私学会館で行った。一部アルコールも入り、大いに盛り上がりをみせた。 (辰巳徳蔵記) 山歩き部会 5月22日(金)前日の天気予報は曇りの予定が、当日は好天に恵まれ、ハイキング日和となりました。総勢6名、飯能駅で下車、南口より、ゆっくり歩いて約2時間、正規のコースではなかったのですが、檜林の中を目的の七国峠へ到着、昼食後しばらくして、ゆっくり下り岩倉温泉バス停へ、そこからバスにて飯能まで。最後は、所沢の「百味」で反省会をした。 (安次峰暁記)
〈会員リレーエッセイ〉〜噴水広場〜 たかがウォーキング されど。。。 塚越 崇 (S43 政経) 〔あなたは何故左側をあるくのですか〕 私は週3〜4日黒目川沿いの道をウオーキングしています。歩いていますと道の左側を歩いてくる人と出会います。その都度どちらかが避けますが、その回数が非常に多いため、ある時、交番の巡査の方に尋ねました。「私の子供の頃は人は右、車は左と教えられました。今は、その標語は無くなったんでしょうか?」巡査の方は言われました。「無くなったどころか、私達は機会あるごとに訴えています。しかし守って頂けないのです。マナーが崩れてきているのです。それに左側通行は危険なんですがね。」 マナーを守って右側を歩けば、お互いスムーズに行き交い、前から来る人とぶつかる事はありません。それに左側を歩くと言う事は背後に迫る危険に背を向けていると言う事です。巡査の方が危険と言われたのもこの事です。車や自転車は左側通行が日本では原則となっているからです。 確かに左側を歩行することは精神的に省エネです。自分で歩いてみて分かります。右側通行は前から来る危険(この場合は自転車)に同一レーン上で向き合います。怖いですし、精神的なエネルギーの消耗は大きいです。 これに対し、左側を歩いた場合、前から来る危険は隣のレーンを走ってくるため容易に受け流せます。そして背後からの危険は認識しつつも、危険は避けて通ってくれるという身勝手な都合の良い思い込みをすることで流してしまいます。この様にすれば精神的なエネルギーの消耗は少なくてすみます。あまり気を使わずにすむので楽なのです。 背後の危険を都合よく流す対応については良い例があります。それは挨拶の仕方に顕れます。西洋と日本を較べればハッキリします。西洋の場合、苛酷な歴史の教訓から、自らの命を守るために握手という手法が考えられました。これは「私は、あなたに殺意を持っていません」その証拠に武器を手にしていないということで両者が手を差し出します。しかし目は相手の目から離しません。 日本の場合、初対面の場合でもお辞儀をします。目を相手から離し、顔を下に向け、無防備な背中を相手の目の前に曝します。殺しの絶好のチャンスです。しかし、「殺しのマナー」があります。「背後から襲うは卑怯なり」です。この考えが連綿と読いて来て、背後への警戒意識は薄れ、危険は避けて通ってくれるという身勝手な思い込みを生んでいるのではないかと思われます。 左側を歩き、背後から事故に遭ったと言う事であれば、それは自己責任であり結果を甘受すれば、事はそれで済みます。しかし問題は別にあります。それはマナーを守り右側を歩いてくる人と出会っても、自らが道を譲ろうとはせず、逆に相手を道路中央へ押し出し危険に曝すことです。前からの危険には立ち向かうことなく受け流し、背後からの危険には背を向け、自らのマナー違反が他人を危険に追いやることなど一顧だもせず、平然とゴーイング マイ ウエイです。きわめて利己的で迷惑な行為です。 迷惑といえば犬の散歩も、歩行者にとっては迷惑な話です。 犬は右も左も分かりません。右へ行ったり、左へ行ったり、時には急に中央へ跳び出します。危険で迷惑な動きです。犬には分別がつきません。それ故、散歩させている方に一段の注意力とマナー遵守が求められます。しかし注意力もマナーも全く放棄され犬の動きに追随し、犬が右へ行けば右、左に行けば左、甚だしくは「そこのけ、そこのけ、お犬様のお通り!」と言わんばかりに人を脇に追いやり、平然と通り過ぎて行く光景も見られます。人間より犬のほうが大事であるかの如きです。 江戸時代にも、これに似た時代がありました。ご存知の五代将軍綱吉による生類憐みの令、服忌令(1680年代中頃)が相次いで発布された時代です。開府から80年の年月が流れ、国の内外も漸く安定し、今までの槍や刀の武力優位とする発想から,忠、孝、礼儀を中心とした社会の実現へと、時代の舵が大きく切られたのです。綱吉政権は生類の殺生をせず、放生するという仏教思想を背景に,武威の論理とは対極の価値観である殺生禁断の思想を社会に浸透させ、武威に頼る論理と価値観を社会全体から否定しようと図ったのです。 殺生禁断は野良犬の横行ともなり、トラブルや人体への危険も多発したと考えられます。この様な理不尽な状況の出現にも、社会の秩序が維持されたのは、時代を変える、社会を変えるという明確な意思が存在し、人々がその意思を共有し得えたからだと思います。 翻って現在を見てみますと、社会に明確な意思はなく、野良犬の横行に替わり、「タローかわいや」、「ジローかわいや」が横行し、通行マナーを無視し安全秩序を乱し、他人への迷惑、危険についての配慮などほとんど見られません。 動物を愛護することは素晴しい精神だと思いますが、これでは利己主義と言わざるを得ません。 倫理観や道徳観が乱れていると思います。しかしそれを如何にして立て直すか、難しい問題だとおもいます。絶対的な力を持ち、明確な規範として社会に君臨する仏や神を私達は持っていません。 キリスト教、イスラム教、中華思想、儒教、これらの文化圏にはそれぞれ固有の明確な規範があり、倫理、道徳を律しています。 私たちの道徳は、何を拠り所にしているのでしょうか。仏教思想、儒教、キリスト教、はたまた森羅万象八百万の神々。全くのごちゃ混ぜ状態で、状況に応じ都合の良い教えを取り出してきているのではないかと思います。 道徳の乱れは、道徳教育の強化という論議を生んでいます。 日本は明治時代に、それまで人々の信仰の対象となっていた数多くの神々を殺し、天皇と国を神とする国家神道をつくりました。それを強力に支えたのが道徳教育で、行き着いた先は悲惨な戦争でした。私は、道徳教育は必要だと思っていますが、歴史の事実から国による大掛かりな道徳教育には一抹の不信感を拭えません。 そして戦後は自由を尊重する個人主義が浸透しました。西欧個人主義は神と向き合い、神と強く結ばれ、利己主義を克服してきた歴史を有しています。「自分の行為は神の教えに適うものなのか?」、「自分の行為は神に対し申し開きの出来る行為なのか?」。神と向き合い、利己主義を克服する上に成り立つ西欧個人主義。 神の存在はなく、個人の自由のみが強調され、容易に利己主義がはびこる日本の『個人主義』。 全能の神こそいないが、私たちの周りには多くの神々や仏が存在し、生きとし生きるもの全てを見守っている。私達も多くの仏や神々に見守られ、その慈悲の中で生かされている。深い慈悲に感謝し、慈悲に応えるべく身を正す。 私達の道徳の本源は、そこら辺りに有るのではないでしょうか。しかし、この考えは仏教思想なのか?、、、、、、分かりません。 今こそ日本の宗教界は、その存在を示す時ではないのか。金権や世俗の欲に塗れている時ではないのではないか。そんな厭味な考えも浮かんできます。 何処か近くの寺から鐘の音が聞こえてきます。『晩鐘』祈りを込めて撞かれる鐘の音。神の慈悲に感謝し、敬虔な祈りをささげ一日の労働を終える。あの光景。 タイマーにセットされた無機質な鐘の音。 出会い、目にする光景から様々な事を考えさせられます。たかがウオーキングなのですが、しかし、されど、、、、、、、、、という気持になります。(了) 「東稲広報室」 ○ 11名の方が新たに入会されました。 ○ 当会後援の東久留米経友会主催第4回文化講演会「笑いは百薬の長」が9月6日(日)14.:00より成美教育文化会館にて 開催されます。チラシ参照 ○ 当会ではポストマンによる「東稲ニュース」等の宅配を行っておりますが、7月より新体制で継続することにいたしました。 ご近所まいうー店紹介 東久留米周辺には美味い店がねーなーと云う話をよく耳にします。そんな中でも情報を集めると案外名店もあるものだと感心させられることが度々あるのです。 今回は焼き鳥「むさし野」を紹介いたします。 当会会員竹山さんに連れて行かれたのは今改装中の東京都民銀行脇の旧市役所通りからちょっと入った間口一間ほどの店、入口には白い暖簾が掛かっていて入ると左にカウンター右に会議でもやるようなテーブルが一つだけ7〜8人が座れる。当然見ず知らず同士が仲間のように輪になって安くて美味い焼き鳥(実際はやきとん)を食いながら酒を飲む。月曜は鮮度の良いレバー刺しがお勧めと竹山さんは云う。とにかく一度お試しあれ。電話:474-3412 (平山記) ○いつも青春時代の閉じ込められた記憶を甦らせてくれる「東稲ニュース」。永年にわたり編集責任者としてご活躍くださった井坂さん、ありがとうございました。まだ後任者が決まらぬ状況ですが、引き続き井坂さんのご指導をいただきながら、当面私がその大役を引き受けることになりました。微力ですがどうぞよろしくお願いいたします。○平山新会長の「東久留米に稲門会があってよかった」という声を増やしてゆきたいとの主旨に沿うように、折りしも新会員が大幅に増え心強いかぎりです。○国民的作家として揺るぎない太宰治、生誕百年を迎えた今年、彼の作品が若者たちにブームでそうです。一時、「蟹工船」もそうでした。作品に共通点があるとしたら「苦悩や弱さ、逆境の中にかすかな希望の光がある」ということでしょうか。優れた作品は時空をこえて現代に生き生きと輝いています。それも色あざやかに。 (大島勝典記) |