電子版

第52号
早稲田大学東久留米稲門会
  
   平成22年5月10日発行
   発行責任者  平山 正徑
   編集責任者  大島 勝典

   e-mail : w_higashikurume@nifty.com
    http://homepage2.nifty.com/35292/



会の告知板
 5月16日(日)ラグビー観戦会 対東海大 12:30集合 井草ラグビー場 
 5月19日(水)5月お誕生会   17:30〜  東久留米「やるき茶屋」
 5月23日(日)ウォーキングを楽しむ会  9:00 東久留米駅改札
          山手線シリーズ「秋葉原駅から上野駅」
 5月29日(土)春季6大学野球早慶戦観戦会 10:45 東久留米駅改札
 6月 4日(金)ゴルフ部  稲門会/三田会親睦ゴルフ  玉村ゴルフ場
 6月 4日(金)芸術鑑賞会 千住真理子リサイタル18:00 ルネこだいら
 6月 5日(土)役員会  16:00 〜  生涯学習センター(旧中央公民館)
 6月 6日(日)散策山歩き会 狭山丘陵・六道山公園 9:00東久留米改札
 6月10日(木)グルメ部会 六本木ミッドタウン11:00 東久留米駅改札
 6月16日(水)6月お誕生会   17:30〜   東久留米「やるき茶屋」
 6月24日(木)映画観賞会「地上より永遠に」14:00 成美教育文化会館


[大学・校友会関係]
  5月23日(日) 西東京稲門会総会 早大東伏見校舎 井坂、安次峰      
  7月10日(土) 早稲田大学商議員会     平山、菱山、安次峰
  3月21日(日) 東大和稲門会設立総会開催 ビッグボックス東大和 平山出席
  4月20日(火) 三多摩支部事務引継ぎ 八王子にて 平山、安次峰、森田出席
  4月30日(金) 三多摩支部会長会 大隈会館 平山、高橋、森田、渡辺出席


[会の報告]
○平成22年東久留米稲門会総会
  4月18日(日)当稲門会第16回定時総会が成美教育文化会館にて開催された。大学から本多聖治早稲田大学理事・校友会常任幹事が出席、近隣4稲門会のほか今年設立された武蔵村山、東大和稲門会、東久留米三田会からの招待者を含め83名が出席した。
 橘優治幹事の司会で進められ、総会に先立ち校友松井信義氏による文化講演会が開催された。総会では平山会長による来賓紹介、及び今年校友会創立125周年に東村山、清瀬、当会が主幹稲門会に指名されており、種々の行事に関わって行くので会員のご協力をお願したい、また、稲門会活動も積極的にすすめ会員の親睦を図りつつ会員の拡大を図ってゆきたい、大学、東久留米市の発展に具体的に寄与して行きたいという趣旨の挨拶があった。引き続き井坂副会長が議長に選出され、平成21年度事業報告、同決算報告、会計監査報告があり承認可決後、会計年度の規約改正が提案され承認された。会計年度は4月1日から翌年3月31日までと改定された。続いて平成22年度事業計画(案)、同収支予算(案)が承認可決された。最後に早稲田大学本多聖治理事のご挨拶をいただき総会は終了した。会場を移しての懇親会は和やかな雰囲気の中、大いに交流を深めいつものように大矢幹事の指揮の下「都の西北」の大合唱で閉会した。



久々の好天に恵まれた第16回総会
   
平山会長の挨拶

市民の方も多数来場した文化講演会
   
懇親会は安宅初代会長の乾杯から


懇親会の締めは全員が肩を組んで校歌斉唱だ

部会報告


女性サークル

桜も咲き始めたというのに冷え込んだ3月29(月)、女性サークルの平成21年度最後の活動として「磯久」で昼食会が行われました。今回初めて参加された方もいたので、食事をいただきながら参加者8名が一人一人自己紹介をしました。日頃改まって自己紹介をすることもないので、それぞれの近況なども聞けた貴重な時間でした。食事の後は、場所を変え、喫茶店でコーヒーや紅茶を飲みながらの語らいに時間もあっという間に過ぎ、楽しい昼食会となりました。なお、平成22年度の部長も引き続き吉川が務めることになりました。          (吉川明美記)


ウォーキングを楽しむ集い

 うららかな春の日を浴びながら、山手線シリーズ第9回、東京駅から秋葉原駅をウォークする予定でしたが、何というこの寒さ、それでも19人もの参加者は元気一杯で、てくてく様変わりした丸の内を後に常盤公園、日本銀行の貨幣博物館を見学後日本橋へ、ここで三々五々ランチタイム、再集合し三浦按針屋敷跡、小網神社に参り、休日で閑散としている繊維問屋街をとことこと堀留公園、十思公園(吉田松陰終焉地碑)へ、この辺一帯は牢屋敷だったとか、そして昔は不忍池に次ぐ大きな池「お玉が池」があったそうで、今はお玉稲荷(お玉が池跡)だけがその名を残すばかり、千葉周作道場跡も碑があるのみで、今は想像すら出来ない。足取りだらだらと柳森神社にやってきた。やたらとタヌキの像がある、例年今頃は名物の緑の桜が満開なのだそうだ・・・この寒さでは仕方ないか。冷え冷えの身体を温めるのは打ち上げのお酒!秋葉原駅前のモダンなビルにあるコテコテの居酒屋でやっと人心地がついた。有志は地元で更に身体を温めたようだ。
           (平山正徑記)



お誕生会

3月のお誕生会は?誰も居ません
  
4月は藍原さんひとり
5月のお誕生会は19日(水)17:30〜やるき茶屋で行います。5月生まれの方は大矢真弘、菊池伸明、辰巳徳蔵、三田三、鈴木賢太郎、藤田貞夫、伊藤厚、梶井琢太、米光慶二郎の各氏 6月は16日(水)で本間信一、川俣栄一、松本大地、鈴木昇、比護喜一郎、山崎弘、酒巻俊雄の各氏です。


部会たより


映画観賞会 「地上より永遠(とわ)に」
 
軍隊機構の非人間性を暴露したベストセラー小説の映画化。今回初めて戦争映画を取りあげるが、よくぞまあこの題材をハリウッドで映画化したものだとまずは感心した。
真珠湾攻撃直前のハワイの兵営。ボクシング狂の中隊長に従わなかったために徹底的にしごかれるラッパ手(M・クリフト)の苦悩を通して、非合理的な人間関係が描かれ、実務家型の典型的な下士官(B・ランカスター)と上官の妻(D・カー)の不倫が彩りを添える。A・ボーグナインの軍曹と凄絶な渡り合いをする兵卒役のフランク・シナトラ。クリフトの恋仲になるクラブの女役ドナ・リードが共にオスカー賞を受賞。プロデューサーのスタンリー・クレイマー、監督のフレッド・ジンネマンは共に超一流。当時の人気、実力派のスター6人が研を競う豪華版、価値あるアカデミー作品賞、監督賞他全部で8部門を独占。(当時は賞の対象が少なかった)15年前の「風と共に去りぬ」以来の快挙を成し遂げた。(上映118分)                       
                 (米光慶二郎記



郷土研究会   「自由学園の見学とお花見」
  平成22年4月2日(金)は朝から雨模様で、見学会を開催するか迷ったが決行することにした。参加者数を心配したが、それでも10人の参加者が東久留米駅に集合した。
 昔の中島軍事工場までの引込み線を歩き、落合川の鉄橋の跡、立野緑地を見学し自由学園に到着。自由学園で施設担当の宮井さんより校内の案内をしてもらう。最高学部、初等部の校舎を見学、女子部へ行く途中の立野川は、一部暗渠になっているが、護岸を行わず自然のままに西武鉄道の下まで流れている。菜の花が満開になっており「春の小川」を口ずさみたくなる。自由学園のシンボルでもある瀟洒な女子部食堂の説明をうけ、男子部の羽仁吉一先生記念ホール、芝生の広場を挟む二列の中等部、高等部木造2階建て校舎など約1時間で一通りの見学を終了した。遺跡については、初等部付近が多いが、校内を掘ればどこでも出土するという。
 自由学園を見学後、市内で桜の名所であるひばりヶ丘団地の樹齢40年をこえる桜並木を歩き、西東京いこいの森公園に到着する。西東京いこいの森公園は、5年前に東京大学原子力研究所跡地に開園、バーベキューも抽選でできる。桜の樹のほとんどが樹齢3年程度であるが、古木も10数本移植しており、その下で花見を開催、寒かったため1時間程度で切上げ、ひばりヶ丘駅近くの居酒屋で暖を得た。          
              (高橋哲男記)


東京都選定歴史的建造物の女子部食堂前でパチリ
   
春の小川は・・・ 


囲碁部会

 今年も「オール早稲田囲碁祭」の時期になりました。回を重ね、今年は第10回大会となります。メンバー相互の顔見知りも増え再会が楽しみです。平成22年6月5日(土)10時より、市ヶ谷日本棋院2階大ホールを借り切って熱戦が行われます。毎年のことで細かいことは省略しますが、今年の特長は級位者の個人戦の充実(32人位を想定)です。総勢は300人に達しようかという盛況です。
部会各位の積極的参加を期待しています。今年9月には「第1回オール早稲田ネット囲碁祭」の対局が開始されます。現在関係事務局で具体案を練っている段階で成り行きが注目されています。また、毎年12月に行われている「オール早慶囲碁フェスティバル」の規模拡大案が出ており、こちらも楽しみです。              
                 (辰巳徳蔵記)



俳句部会

平成22年3月21日(日)  第117回句会  中央図書館
兼題   「陽炎」   「卒業」  当季雑詠 
     高得点句

ピッケルを贈られ部会卒業す    松尾 良久 063_.GIF
瓦斯タンク二つ並んで陽炎へる     松田 博雄
単線のレールかげろひ無人駅    神田 尚計
陽炎や行き先知らぬ少年期     大久保泰司
廃校の隅に菜の花暮れなずむ     三田 三(畔巣)
嫁ぐ娘と語り明かすや雛の部屋       川俣 栄一


平成22年4月25日(日) 第118回句会  吟行後東村山公民館
久し振りにすっきり晴れ上がった4月25日(日)、東村山の正福寺から北山公園を吟行。正午過ぎ参加14の東稲俳人が東村山公民館に夫々の力作を持ち寄り第118回の句会を行った。
 高得点句
清流に朱き欄干木の芽風        神田 尚計 別ウィンドウでイラストを表示します
武蔵野の春事もなし正福寺      市川 英雄
春愁や千体地蔵は寺の陰       比護喜一郎
それぞれの空を分けあい木の芽吹く   松田 博雄
若き父童となりて蝌蚪を追う      杉本 達夫
元気な子公園一杯春をまく       馬場 清彦


ゴルフ部会
東久留米三田会との懇親ゴルフ会を6月4日(金)玉村ゴルフ場で開催します。
対抗戦方式のゴルフと東久留米に戻ってからの表彰式・懇親会がセットになっており今回は13回目になります。これまで三田会には苦戦を強いられてきましたがようやく稲門会も戦力が充実し打倒三田会が期待できそうです。昨年秋は当方15名、先方8名参加予定で圧勝のチャンスでしたが残念ながら降雨で中止になってしまいました。
時間的余裕が少なく申し訳ありませんが、参加ご希望の方は5月18日までに下記あてご連絡下さい。ゴルフはやりたいが腕に自信がなく迷惑をかけるのではと躊躇する人もおられるかもしれませんがご心配ありません。上手な人、普通の人、努力の必要な人など各レベルバランスが取れています。
    伊東毅 Tel:471−7114 
        E-メール tsuyoshi_ito@tenor.ocn.ne.jp
尚春の稲門ゴルフ会は4月23日8名参加のもと玉村ゴルフ場で行われました。
                                (伊東毅記)





会員リレーエッセイ〉〜噴水広場〜


            卒業の歌
                       杉本 達夫

わたしの記憶の中では、春は雪解けとともにやってくる。家々の屋根からは、雪解の水が音高く垂れ、雫のひとつひとつが光をはじく。ひとの歩く分だけ除雪されていた道路は、両がわの雪が眼に見えて沈んでゆく。雪は上から融けるのではない。地表に接するあたりから融けてゆく。ぐじゅぐじゅと融ける音が聞こえるような気がする。地面との間に隙間ができて、ぽたぽたと雫が落ちる。水がしみこんだ道路は、道行く足に踏まれてぬかるんでゆく。坂道ともなれば、小さな雫が集まって、いつしかひとつの流れを作り、道路の土を浸食しつつ下ってゆく。道路中央を走る小さな小さな川なのである。雫にも流れにも、確かな春の音がある。そして確かな土のにおいがある。そのかすかな音とにおいの間を、長靴が、高下駄が、流れを避け、ぬかるみに気を取られつつ進む。時に自転車も走る。陽光の下の雪は、眼が痛いほどに眩しく、室内に入ると、しばらくは闇に踏み込んだかと思う。道を這う水の流れと土のにおいは、とりわけ忘れがたい思い出である。雪が消え、柔らかな風の中、道路が傷だらけのまま乾くにつれて、雪焼けも直ってゆく。太平洋がわでいう霜焼けを、わたしの郷里では雪焼けという。暖かくなるにつれ、血の巡りがよくなって、手や足の腫れ上がり崩れていた雪焼けにも、ずきんずきんと血がかよう。痛いが、それ以上にたまらなく痒い。痒みは治癒への道筋なのだ。今70を過ぎて、手の甲はしみと皴に覆われているが、皴をかき寄せてよく見れば、雪焼けの痕がいまなお残っている。道が乾くころ、小学校では学芸会も済み、卒業の日が近づいて、音楽の時間には、式の日の歌の練習が始まる。1学年1クラスの小さな学校で、平屋1棟の教室棟の東の端が音楽教室だった。音楽室の歌声はともすれば、廊下伝いに全棟に流れるから、どの児童も、同じメロディをくりかえし聞いていただろう。学校は山のふもと、段々畑の上にあり、音楽室のすぐ近くに道路が走っていた。音楽室の歌声は、あるいは春風に乗ってなだらかな坂道を流れ下り、機音に吸収されていったかもしれない。
卒業式の歌といえば、わたしのこども時代には、「仰げば尊し」や「蛍の光」が通例だったのではなかろうか。けれどもわたしの小学校では違った。母校、桑飼小学校では、珍しい歌が歌われていた。わたしは長じて後も、その歌をよそで聞いたことがない。こどものわたしは、誰の作詞、作曲かなど、まるで関心がなかった。それどころか、題名さえ憶えていない。ただ、メロディはもちろん、歌詞も多少は脳裏にへばりついている。

       1. 恵みの露に潤いて / 教えの庭に咲きにおう
          花の色香はおしなべて / 時を得るこそうれしけれ

       2. 春にまず逢う鶯は / 早くも谷を立ち出でて
          かなたこなたに飛びかえど / 雪の降る巣を忘れじな

       3. 深き海にも勝りける / 教えの親のこころざし
           出でてかなたの沖を漕ぐ / … … … …

       4. …………


…以降は思い出せない。うろ覚えであり、文字だって確かではない。歌は4番まであったが、4番の歌詞は片鱗さえ呼び起こせない。
この歌を何学年から習ったのか、少なくとも5年の時には在校生として、式で歌ったはずなのだが、歌ったこと自体が思い出せない。児童は与えられた歌を憶えるだけである。歌詞の解釈だの、こめられた意義だのはどうでもよい。いちおうの説明は聞いたのだろうが、聞いた記憶も消えている。式では1番を全体で、2番を在校生が、3番を卒業する6年が、4番をふたたび全体で歌ったのではなかっただろうか。全体というのが、何学年から上を含んでいたのか、おぼろの春に霞んで見えない。そのどうでもよいはずの歌が、後年、ちょくちょく脳裏に蘇えるのである。おぼろなままで。
上記の歌詞は新かなで記したが、本来は旧かなの、堂々たる文語の詞である。得るは'うる'、逢うは'おお'と読む。いま読めば、詞の1行1行がすばらしいではないか。学びの園に咲く花、春浅き日に飛び立つ鶯、荒波に乗り出す児童を見守る目。ひとつひとつのイメージが鮮やかであり、巣立ちゆく児童への、力強いメッセージが浮かび出るではないか。民主教育の理念に合うかどうかは問わない。なにより格調高い文語であることがいい。七五調の格律が、歌になにやら重みを加え、巣立ちの瞬間をおごそかにしている。これが口語の軽やかな歌であったら、児童も保護者も、感慨はするりと抜け落ちるのではあるまいか。
卒業にこんな歌を歌う小学校が、世間にいったい幾つあるだろう。調べたわけではないが、ひょっとして稀有なのではあるまいか。児童は卒業の日のためだけに歌う。ラジオやテレビで耳にすることもない。言ってみれば、自分のためだけに存在した歌なのだ。歌が受け継がれていて、子供や孫の卒業の時にふたたび巡りあうなら、感動がいや増そうではないか。母校がいつからこの歌を採用したかは知らない。明治であれ、大正であれ、あるいは昭和であれ、採用はじつに英断であったなと、歌を懐かしむ身は思う。もしあちこちで歌われているのであれば、とんだ思い込みである。
 わたしの学年は、男女合わせて40人はいた。あれから60年、母校の児童数は当時の半数に満たず、近隣校と合併の話も出ているらしい。野球もサッカーも、学年だけではチームが作れないというのは、いかにもわびしい。小人数の卒業式はどんな雰囲気なのだろう。あの歌をいまも歌っているだろうか。それとも今風の、翼をどうこうとか、旅立ちがどうこうとか、まったく新しいリズムとイメージに変わっているのだろうか。誰かに尋ねてみたい気もするが、わざわざ尋ねるほどのことでもない。帰省の際、同級会には何度も出ているが、この歌が話題になったことはない。みんなが忘れているのであれば、わたしのセンチなひとり相撲になってしまう。だいたい、小学校の卒業式に何を歌ったかなど、仲間内でも職場でも話題になったことがない。旅の途次のコーヒーにも似た、些事中の些事なのかもしれない。
 小学校を卒業する時、優等賞の賞品に万年筆をもらった。エボナイトの軸のインク吸い込み式の品だった。望外の賞品で胸が躍った。だがいざ使おうとすると、インクは吸い上げられず、ペン先は字が書けなかった。とんだ欠陥品だった。賞品といえば、相撲大会で優勝したとき、アルマイトの箸箱をもらった。帰宅して蓋を開けると、中にはセルロイドの折れた箸が入っていた。貧しい村の小規模校に、賞品をはずむゆとりはない。おそらく近隣の商店に無心したのだろう。商店だってささやかな利益に頼る身であれば、売れる商品を寄付するゆとりはない。欠陥商品で形を繕うしかなかったのだろう。使えぬ品をもらって、わたしは落胆はしたが腹は立たなかった。貧しさというものの悲しみが、こども心に染み付いていたのかもしれない。
          2010.3.28.

  追記
 その後友人に教えられて、インターネットでこの歌を目にした。題名も、作詞者、作曲者の名も知った。正しい歌詞もしっかりと読み、わたしの記憶が相当に捩れていたことを知った。とはいえ、歌詞の一部については、こんな歌詞を歌った覚えがないぞと思う。信じられない思いがする。おそらく記憶が消えているのだろう。が、母校では歌詞の一部に手直しがされていたのではないか、歌う方式が変えられていたのではないか、という疑いを捨てることができない。
                             2010.4.1






ご近所まいうー店紹介    「らうめん燕京」
 南沢交番の斜め前に黄地に黒字で「らうめん燕京」の看板がある。極めて庶民的な中華料理屋で椅子席10、カウンター7席ほどがあり、60位の夫婦が丁寧な仕事をしている。昼時は近所のサラリーマンで賑わうのはその値段の安さとボリュームだ。ラーメン500円、タンメン、ヤキソバ、チャーハンは600円、野菜炒め定食650円、ニラレバ、麻婆豆腐定食700円とどれも今時嬉しい値段である。
   定休日は水曜日、
   11:30〜15:00と17:00〜21:00が開店タイム 
   幸町1-1-2 Tel 474−1510    (平山記)


ラーメン、タンメン、餃子
  
野菜炒め定食


 東稲広報室
 ○弔問御礼 一月夫菱山健一郎葬儀には、寒中会員の方々に弔問いただき本当に有難うございました。皆様の温情心より謝し遅くなりましたが、改めて御礼を申し上げます。
              菱山房子
○白井総長を囲む「稲門ハワイの集い」募集中!2010年9月9日(木)〜14日(火)6日間 パシフィックビーチホテル 135,000円から 詳細は事務局へ。    
○総会懇親会収支 収入222,000円 会費(64人分)192,000、近隣稲門
会祝い金(6稲門会)30,000 支出209,037円 会場、機器使用料18、
000、寿司45,000、ケイタリング100,000、酒類他飲料30,555、
配膳他15,482  余剰金12,963円は会の会計に戻入。


編集後記 ●暦をあざむくように荒れたこの春だったが、ようやく樹木の緑がほほえみだした。総会も無事終了し、会員相互の親睦、会員増の推進、早稲田及び東久留米の発展に寄与する、という目標は予想を超えて実現の香りが匂っている。●何度も見た映画などというのは滅多にないが、この映画は例外といってよい。過日上映された当会、映画鑑賞会主催による「グレンミラー物語」だ。平日の雨の日にもかかわらず三百人近い市民がつめかけ、スクリーンにふんだんに演出される懐かしいスイングジャズに酔いしれた。米光さんの前解説も後押しする。一曲一曲に青春の甘酸っぱい思い出が凝縮され、思わず目頭が熱くなる。名作、名曲は半世紀を遥かに越えた今でも色褪せることはない。●誰かに背中を押してもらわなくても外に出たくなる。空の蒼さは澄みわたり、はずむように光があふれる五月だ。     
                (大島勝典)


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