電子版

第42号
早稲田大学東久留米稲門会
  
   平成20年9月10日発行
   発行責任者  市川 英雄
   編集責任者  井坂 宏

   e-mail : w_higashikurume@nifty.com
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会の告知板


    9月17日(水)     お誕生会     17:30〜     東久留米「鮮乃庄」
    9月23日(火)     ウォーキングを楽しむ会  「原宿―渋谷」
    9月28日(日)     女性サークル  「小山の及川鳴り物博物館」見学
   10月 3日(金)     役員会      18:00〜     中央公民館
   10月10日(金)     ゴルフ部会例会             富貴ゴルフ倶楽部
   10月15日(水)     稲門会深秋コンパ 18:00〜 東久留米「鮮乃庄」10月お誕生会と共催 
   10月21日(火)     グルメの会   横浜中華街と山下公園
   11月 1日(土)     東京六大学秋季リーグ戦早慶戦観戦会
   11月11日(火)     稲門会/三田会親睦ゴルフ会       玉村ゴルフ場



[大学・校友会関係]
○6月7日(金)早稲田大学校友会代議員会が開催された。当会からは安次峰、山岡両代議員が出席。
 代表幹事が瀬下明氏から福田秋秀氏に交替した。
○6月17日(火)三多摩支部会長会議が開催された。当会からは市川会長、井坂副会長が出席した。
 11月24日(月)立川グランドホテルで支部大会を開催する事が決まった。
 また、稲門祭に三多摩支部の模擬店を出店することとなった。
○7月12日(土)早稲田大学商議員会が開催された。当会からは市川、菱山、平山各商議員が出席した。会長に日枝久氏、副会長に佐々木誠造氏、同角和夫氏がそれぞれ就任した。
 また、125周年行事が滞りなく終了したことと、募金目標200億円を達成したことに対し、校友の協力に謝意表明があった。
○10月26日(日)ホームカミングデイ及び稲門祭が開催される。
 当会の実行委員は塚越、橘の両幹事。ふるさと賞の寄付の要請があり、昨年同様清酒「ひがしくるめ」7本を寄付することとした。


[会の報告]

炎天下のウォーキングに参加した皆さん

○ウォーキングを楽しむ集い
 7月21日「祭日」第2回山手沿線巡り「新宿−原宿」を行なう。連日の猛暑で何人の参加があるか心配したが、何と男性ばかり11名で、出発。新宿駅南口を出て、天龍寺、大宗寺等を参拝、新宿御苑内で昼食。再度鳩森神社、瑞円寺を訪ね、最後に東郷神社へ。明治時代、ロシヤのバルチック艦隊を全滅させた東郷元帥の功績が評価され、何と立派な神社かと感服した。神社を抜けると、すぐ原宿の繁華街。当日は祭日で、学校も夏休みのせいか歩道は中学生以上の女性ばかり、歩くのも 大変な人々の波。原宿にこれほどの人を引きつける魅力は何なのか感心しながら、目的の表参道脇のタイ料理エレファントに到着。トム・ヤン・クンなるものを試食して全員で反省会。当日は一日中曇り空で全員元気にウォーキング完了。さあ此の混雑の中、原宿駅まで歩くのは大変だなあと見渡すと地下鉄があるではないか。
地下鉄を乗り継いで帰ろうと、神宮前駅のホームに降りて電車を待つ。何と来た電車は清瀬行き、直行で東久留米駅へ。また、駅前で二次会は云う迄もない。
             (久家政裕記)


○映画鑑賞会
 「エデンの東」 8月20日(水) 午後2時〜   成美教育文化会館グリーンホール
 8月の猛暑の中、入場動員が懸念されましたが、早い時間からお客さまが続々と並び、開場時間を繰り上げて過去最高のお客さまでふくれあがりました。(約300名)
 映画は1954年製作のアメリカ作品で、当時大変な話題となりました。
 ジェームス・ディーンの主演のデビュー作にして代表作(もっとも3本しかなく、若くして交通事故死する)、レナード・ローゼンマンの名テーマ曲、テッド・コマード(撮影)のシネマスコープ初期の映像美、名優で脇を固め、戦後アメリカ映画史上に残る不朽の名作になりました。
 ストーリーは旧約聖書のカインとアベルの物語を素材にした、文豪ジョン・スタインベックの原作の一部を脚色。第一次世界大戦前後の時代に農場を経営するトラスター一家の家族の愛憎を描いたシリアスなドラマ。
 監督は舞台でも活躍する有名なエリア・カザン。トルコからの移住者で、若い時からの苦労人。そのためか社会的なテーマが多く、異常なまでの熱気と執念と自己主張が織りまざったものが原動力となっている。しかし、若い頃入党した共産党員の履歴がアダとなった。1950年前後の共産党員の摘発(赤狩り)に協力(同志の名を公表)したことが、逆に有識者などから批判を受け、終生その汚名は拭いきれなかった。
 次回は11月に成美教育文化会館を予定。作品は未定。
                               (米光慶二郎記)


○お誕生会
 
こちらが7月16日。総勢11名

こちらが8月20日。徐々に参加者が増えています
Happy Birthday to you


[部会報告]
○俳句部会
 10月に第100回記念吟行を行なう。西東京稲門会より参加希望者があり、受け入れることとした。
○書道部会
 市民文化祭(10月29日〜11月2日)に今年も出品することとした。
○太極拳を楽しむ集い
 会計年度が8月末なので、会計報告を兼ねた懇親会を9月27日(土)、稽古終了後開催する。


部会だより
 ゴルフ部会
 「第9回東久留米稲門会・三田会合同ゴルフ会」へ初見参して
6月27日(金)関越道本庄児玉インターから程近い玉村ゴルフ場に、双方の精鋭26名(稲門会は

全員W−Kで一緒に作ったオリジナル早慶帽子を被って
 います。写真が小さくて申し訳けありません
11名)が集い,好天の下熱戦が繰り広げられました。皆さんゴルフが上手なことは勿論マナーも一流で、和気あいあいの内にプレーは無事終了。表彰式及び懇親会は当市内の"志乃"で6時から開催されました。早慶の対抗戦は惜しくも敗戦となりましたが、稲門会の皆さんは次回のリベンジを誓い今から盛り上がっています。私などゴルフを余りしなくなってから20年も
経ちますのでゴルフは散歩、家族とのコミュニケーションの手段などと考えておりますが,久し振りに友好の精神と戦いの精神が程よくコンデンスされた"得難いコンペ"に参加でき,老  いの血潮も爽やかに騒ぎ立った一日でした。 ゴルフは下手と思っている方もそれなりの方も、またお若い方(定年未満の方々)もそうでない方も、適度の運動・地元校友との交流・三田会に対する友好的ライバル心の高揚などを楽しみながら、秋のゴルフ会には奮って参加しようではありませんか。
(上條 忠記)


 囲碁部会
 9月28日(日)に第8回稲穂会囲碁大会が開催されます。会場は新学生会館(記念会堂裏)4階で、対象は早大現役囲碁会と東京23区、三多摩の囲碁愛好家です。(従来より若干範囲縮小)
 対局は11時30分〜15時ですが、昼食は各自済ませて下さいとのことです。試合は段級ではなく、持点によるハンデ戦で、新規参加者はオール早稲田囲碁祭の成績を参考に算定されます。
 これは個人戦で、当部会からも毎年何人かが参加し大いに活躍しております。参加希望者は9月10日(水)までにまとめて申し込むことになっています。
 暑い夏もようやく盛りを過ぎ、囲碁の季節が到来しようとしています。
 秋の合宿(秩父・小鹿野町)、12月初旬には慶應大学創立150周年記念の囲碁早慶戦など、大きなイベントが続きます。
                         (辰巳徳蔵記)


 俳句部会
平成20年7月20日(日)   第97回句会   中央公民館
兼題  「西日」 「鰻」


 高得点句
  藍浴衣下駄を鳴らして郡上節          

烏賊干して西日の中の漁師町   松田 博雄
糠床のなれて茄子紺極まれり     三田 畔巣
佐渡の海西日大きく入りにけり   大久保泰司
草原の西日駱駝の影長し       杉本 達夫
廃業のうなぎの老舗古格子   神田 尚計
飛びはねて遊ぶ雀や梅雨の隙   桜庭  明
塔頭の崩れし土塀大西日 河村 洋子
うなぎ裂く主人の技の小宇宙     川俣 栄一
うな重を“竹”にして飲む酒の味 迹見 富雄
神々の住んでいそうな雲の峰 馬場 清彦
名刹の香華にふれし髪洗ふ 河村 洋子
川風の匂へる鮎の化粧塩  神田 尚計
翡翠の飛翔一閃魚捕る 川俣 栄一

平成20年8月17日(日)   第98回句会   中央公民館
兼題  「花火」 「朝顔」
編笠に白きうなじや風の盆          大久保泰司
追ひかけるねずみ花火に泣く子かな           跡見 富雄
かけぬけて逝きし友あり遠花火 川島 知子
黒々と山並浮かぶ大花火      松田 博雄
水溜まる朝顔の路地下駄の音         比護喜一郎
朝顔のつると我とのせいくらべ          川島 知子
秋めくや木陰が伸びて壁に立ち 松田 博雄
物豊富世相殺伐敗戦忌 市川 英雄









 カラオケの集い
 7月26日(土)暑気払いをかねて今年度最初の集いを東久留米駅東口「唄うんだ村」で開きました。
今までの「シダックス」に比べ非常に狭く人が移動するたびに席を立たねばならないような状況でした。食べ物もひどく、今回参加された方々にはお詫びいたします。
そんな悪条件にもかかわらず6時から10時迄15名はいつものように熱唱し、暑さとストレスを吹き飛ばすことができました。次回からは市内でなくても、もっと良い会場をと思っています
                                    (河村洋子記)
  
最初に全員そろってまず乾杯!)

  唄っているときも楽しいです
           
           楽しそうでしょう  初めての方も是非参加して下さい


これでも全員で都の西北を唄っているのです
   
最後に参加者全員で




会員リレーエッセイ〉〜噴水広場〜

               トルファン盆地  −1980年夏ー
                           杉本 達夫


 1980年の夏、つまりは30年近くも前に、北京で漢語を学ぶ留学生の一団にもぐりこんで旅をした。中国の光景は、そのころと今日とでは、二つの世界と言ってよいほどに変化している。思い出話は霞の中に分け入るようなものだ。
遠距離を移る足は鉄道である。北京を発ってウルムチに直行し、帰途にあちこち立寄ってゆく。このころにはカメラを携行していて、行く先々で写真を撮ったものだが、写真はしまったままで、ろくろく見返すことがない。手帳にはメモを残しているはずだが、それもどこに置いたか分からない。この文も地図を見ながら、薄れた記憶を頼りに書いている。風化した記憶が、思わぬ錯覚を生んでいるかもしれない。
まずはトルファンに寄る。ウルムチからトルファンまでの路は、天山山脈の隙間を走る。と言うよりは、峠を切り裂いて走る。車窓の両側に低い山が、あるいは山の切れ端がせまり、その間を長い長い列車が勇壮に上り下りする。山というのが樹木に覆われた山ではない。草のひと葉も見られない、ただ黒い岩の塊なのである。雨もなく、夏の炎熱と冬の酷寒にさらされて、土は岩と化し、まるで巨大な溶鉱炉から流れ出た鋳鉄が、果てなく流れて固まっているように見えた。
トルファン市は広大な盆地の中にある。盆地の底の海抜はマイナス155メートル。トルファン市もまた低い低い位置にある。鉄道は山すその高い位置を走るから、当然ながら、トルファン駅は市から遠く離れた高い位置にある。駅のあたり一帯は「風庫」と呼ばれているという。天山山脈で冷やされた空気が、隙間を縫ってなだれ込み、年中強風が吹きつけるのである。わたしが駅に降りたときにも、強い風が吹いていた。風は砂を吹き上げ、砂がわたしの目に入った。砂は大きくて尖っていたらしく、瞼の裏に傷がついて、その後何日もわたしは辛い思いをした。
駅から市内へはバスで移動する。高い駅から低い市まで、アスファルトで舗装された道路が、何キロもまっすぐに下ってゆく。炎熱で知られるトルファン盆地の夏であり、冷房のない車中の温度は午前でも40度を超えている。アスファルトの地表は何度になっているか。そんな路上に寝転んで、故障した自動車を修理している若い男がいた。機械は環境を考慮してくれない。男の肌は相当に鍛えられているのだろう。
途中から路沿いに用水路が現れた。天山山脈から流れ出た水を、トルファン市内に運ぶ水路である。名高い地下水路カレーズばかりではない、こうして今では地上でも水を運んでいる。急傾斜の水路を冷たい水が急流となって流れ下る。水路の幅は2メートル程度ではなかっただろうか。底はセメントで固められ、「卵石」と呼ばれる、通常の川底に見られる角の取れた丸い石が植え込んである。その用水路のそばで休憩したとき、無鉄砲を本分と心得る連中が次つぎ水路に飛び込んだ。白人女子学生の幾人かも、ブラジャーとパンティ姿で飛び込んだ。いかに暑いとはいえ、いかに若いとはいえ、この水が下流の市民の生活用水であることを考えぬ、無分別の極みだった。
市内の住人はウイグル族が大半である。容貌はもとより、衣服もちがう。回教徒であるから、白い帽子が目立つ。色物の布で頭を包んだ婦人が、水路で洗い物をするそばを、ロバが引く車が四隅に細い柱を立てて、上に日除けの布を張り、白ひげの老人がゆるゆると御していたりした。わたしたちの宿舎は教育系統と思われる招待所だった。招待所というのは、徹底した縦割り社会で、分野ごと、機関ごとに作られた宿泊施設である。平屋で天井は高く、壁は厚さが30センチを超えるかと思われた。水はひとり大ぶりの洗面器一杯の割り当てである。風呂もシャワーも望みえない。
その日は最高気温が48度に達した。この温度では外出どころではない。午後の行動は3時からとなり、それまでは休息である。気温が48度に達するとき、地表の温度は75度に達し、砂に卵を埋めると、ゆで卵ができるという。直射日光の力も凄まじい。だからみんな長袖を着る。半そで、短パン、はだしなど考えられない。そんななか、わたしは外に出てトイレに行った。無帽の上から日の矢が注ぐ。高温の空気が身を包み頭を包み、現実感覚があやしくなる。体が自分の体でなくなり、ひと足歩くごとに宙を漂うような気がした。もちろん、高温への警戒が先立っているからでもある。トイレがまた凄まじかった。暑く乾燥した土地であるから、水分が速く蒸発する。盛り上がった黄金の山が適度に水分を保って、芳香を凝縮している。こんな所に閉じ込められたら、5分と耐えられないのではあるまいか。文革期その他の政治犯への迫害をついつい連想する。
午後3時、バスに乗って遊覧が始まった。バスにはたくさんのスイカが積み込まれた。乗車の前にバケツ一杯の水が運ばれてきた。わたしはタオルと帽子を水につけ、絞らずに首に巻き、頭に載せた。ぼたぼたと雫が垂れる。バスが動き出す。開け放った窓から風が入る。ところがこの風が、涼しさのかけらもない、体温を遥かに超える熱風なのである。タオルも帽子も乾いた熱気に水気を吸われ、たちまちのうちにからからに乾いた。体内の水もまた、相当に吸い取られているに違いない。タオルと帽子は休憩地点でふたたび水に浸し、ふたたびからからに乾いた。スイカは何のために積み込むか。水代わりである。いまならペットボトルの飲料を積み込むか、あるいは行く先々に飲み物が用意されているのであろうが、当時はそうではない。休憩地点でスイカを下ろし、ポカリと割って食らうのである。黒い種を吐き散らしながら、甘い果肉を食い液を吸う。多数の若者がいっせいにそうするから、ちょっとした見ものである。皮や種がどう処理されたのかはしらない。
招待所には広場があり、夜にはそこでアトラクションがあった。見るひとも見ぬひとも外に出て涼をとっていた。教育関係の催しがあったらしく、ウイグル族の教員も多く宿泊していた。その人びとの間に混じって涼んでいると、いきなり難問を投げかれられた。「日本には天皇がいて首相がいる。天皇と首相はどう違うのか、どっちが力を持っているのか」。折から日本では大平首相が急逝し、鈴木首相が誕生する直前だった。中国から華国鋒首相だったか誰だったかが日本を訪れ、天皇や首相に会った後のことで、中国首脳の会見や行動は、テレビを通じて新疆の砂漠のかなたにも伝えられていたのである。さらには、「日本人はトルファンへ来ると、かならず高昌故城を見に行くが、なぜだ。あんな物のどこがよいのか」。こういう問いにどう答えるか、わたしには短く的確な答が浮かばない。そもそもの天皇制のはなしから始められるものではない。国民統合の象徴で……云々と言っても飲み込めないだろう。イギリスの王制と違って云々と言っても、イギリスのそれを相手は知らない。わたしはどう説明したのだったか、相手は分かった顔つきをしていなかった。
高昌故城とは5世紀に生まれ7世紀に滅びた高昌国の廃墟であり、トルファン市の東部に位置する。廃墟であって、都市のあと、レンガを積んだ建物の崩れたあとが、一面に広がっている。わたしが目にした印象では、泥を固めたレンガを新たに積み上げた作為が多すぎるようで、廃墟を廃墟らしく修復しているように思われた。高昌国は漢人が作った国である。よほど歴史に興味がなければ、こんな土くれの集積のような場所の何が面白いのか、なぜわざわざ遠い国から見に来るのか、地元の人がいぶかしむのも無理はなかろう。
トルファン遊覧のコースは、だいたい決まっているのだろう。高昌故城、交河故城、千仏洞、火焔山、葡萄谷、さらには墳墓群といったところだろうか。それぞれの場所で印象が目に残っているが、語るのはもうよそう。なかでわたしが意外だったのは、火焔山の色である。太陽の熱射をあびた山は赤く輝き、ほんとうに燃えているような迫力があった。ところがカラーで撮り、出来上がってきた写真を見ると、燃えあがる炎の輝きは消え、平凡な赤土の壁と化していた。夏の土の色はいつでもそうなのだ。黄土地帯の黄土も、華中のオレンジ色の畑も、見ると写真とでは大違いなのだ。どうしてだろう。
トルファンは一日のうちに四季がある、一日の最高気温と最低気温の差が極端に大きい、と聞かされていたが、わたしの滞在中はそんな差を感じなかった。48度の体験は、後にも先にもこの時だけである。トルファンとしても珍しい気温なのかもしれない。わたしの翌年、同じころに訪れた人の話では、雨が降って気温は30度しかなかったそうだ。これまた稀有のことなのだろう。だから、旅行者の体験談は、一般化してはいけないのである。
                           2007.11.3






東稲広報室
○第15回総会は平成21年4月5日(日)成美教育文化会館で開催する。
○近隣稲門会会長が交代した。
 日野稲門会会長  中川邦雄氏(32法)
 多磨稲門会会長  内山治男氏(35教育)
○訃報
   6月   南町   岡田富夫氏
   7月  市外会員  安楽孝雄氏
   お二方のご冥福をお祈りします。
   なお、当稲門会からは規定に従って香典、生花を供えました。


         東稲ニュースの原稿を募集します

○内 容   エッセイ、絵画、写真、陶磁器・人形などの創作
       詩、短歌、俳句、本の感想、私のレシピ 等 
○投 稿   メール、ファックス、郵送 等
○投稿者   東久留米稲門会会員及びその家族
○投稿先   編集委員なら誰のところでも結構です
○編集委員  
     菱山、神田、松崎(博)、鮎貝、
     森田、井坂、平山、河村、塚越
  東稲ニュースは会員の皆さん同士を結ぶ楽しい
  情報のネットワークです
  皆さんの投稿をお待ちしています



(編集後記)○いよいよ9月です。今年の8月は最初は猛暑で、寒い日が続いたと思ったら、今度は集中豪雨と、地球規模での変調を思わせる日々が続きました。これからは天高き秋日和になって貰いたいものです。秋には当稲門会でも楽しい催しが目白押しです。いままで参加されていなかった方も10月の深秋コンパに是非参加されてみては如何でしょう。○今号は紙面にゆとりがあったので、原稿募集の記事を思いっきり大きく出させて貰いました。編集部からの一方的な情報伝達でなく、会員のみなさんとの双方向のコミュニケーションが出来ることを期待しています。○今年の夏は越谷の虫送りと富岡八幡の大祭という二つの伝統行事を体験しました。富岡八幡の大神輿は、かって紀伊国屋文左衛門が奉納したものが関東大震災で焼失ししばらく不在でしたが、佐川急便の会長が新たに奉納したものだそうです。大神輿の屋根に留まっている鳳凰は誠に見事で、目にはダイヤが散りばめられています。鳳凰のがっしと掴む大神輿(井坂)