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第33号
早稲田大学東久留米稲門会
  
   平成19年3月10日
   発行責任者  帆角 信美
   編集責任者  井坂 宏

e-mail: w_higashikurume@nifty.com   http://homepage2.nifty..com/35292/

会の告知板

  3月21日(日)  臨時役員会     13:30〜    中央公民館
  3月30日(金)  ゴルフ部会     廣済堂埼玉ゴルフ倶楽部  (別途案内チラシあり)
  4月 8日(日)  第13回定時総会  14:00〜    成美教育文化会館
             14:00〜15:20  文化講演会
               講師  清水廣宣氏(S41早大商卒)
                   日本ニュートリション協会副理事長
                   早稲田大学スポーツメセナ研究所研究員
               演題  「生活習慣病の予防〜どうしたら100歳まで健康でいられるか」
             15:30〜16:15  定時総会
               平成18年度事業報告、収支決算報告、監査結果報告
               平成19年度事業計画、収支計画
               平成19年度役員改選
             16:30〜18:30  懇親会
               会費  会員5,000円  同伴者2,000円       
  4月30日(月)  第22回ウォーキング
             トトロのふるさと狭山丘陵南麓の里山へ
  5月19日(土)  散策山歩きの会    
             行き先検討中
  5月26日(土)  春季東京六大学野球 早慶戦観戦会

[大学・校友会関係]
○早稲田大学創立125周年記念事業募金
 12月末現在135億円、目標に対して65億円不足。
 3月3日(土)創立125周年記念募金推進懇談会をリーガロイヤルホテルにて開催した。
 当会からは市川副会長が出席した。
記念募金を呼びかける文書、及び振込用紙を総会開催案内状に同封した。

[広報関係]
○「杜の西北」13号を総会案内に同封して会員、校友に配布した。
○東稲ニュースでは毎号原稿募集の記事を載せているが、東稲ニュースに載せたいという人が出てこない。最初の数人が出てくれば続いていくと思われるので、東稲ニュースをより身近に、そして楽しいものにするために、もっと積極的に原稿募集をしたい。
○東稲ニュースをそのままホームページに掲載している。また、各種案内チラシ等も随時掲載する。

[会の報告]
○第20回ウォ−キングを楽しむ集い〜両国吉良邸跡から新橋へ(赤穂義士引揚げの道)平成18年12月23日、練馬駅で参加者全員が合流した。老若(?)男女18名だった。大江戸線で両国駅に出て地上に出たら、真っ青な空が広がり風はなく、ほかほかと暖かかった。まさに絶好のウォ−キング日和だった。
皆で「心がけがいいからだ」なんて軽口を叩きながら土屋さんの先導で歩き始めた。吉良邸の屋敷
跡は今は狭いが、案内板に当時は、敷地が約2550坪あり、そこに建坪が約1000坪の平屋の建物が建っていたと書いてあった。わずか47人でこんな広いところに討ち入って本懐を遂げたのだから、討ち入り前の事前調査が十分に行き届いていたのだろう。義士側の情報戦の勝利ともいえそうだ。
この近くの路地で大相撲力士の土佐の海が裸で付き人3人と話しているのに出会った。大きいが意
外にスマ−トだった。明暦の大火の無縁仏を祀った回向院から一の橋や仙台堀川、御船蔵跡、新大橋と歩いたが、池波正太郎著「鬼平犯科帳」によく出てくる地名で、妙に懐かしかった。
清澄公園を通って永代橋を渡り、豊海橋近くの隅田川遊歩道脇に座って、行き交う水上バスや屋形船、引き舟などを見ながら昼食をとった。昼食後八丁堀を抜けて鉄砲洲神社、旧浅野邸跡、聖路加病院、築地本願寺から歌舞伎座の前を通って新橋に出た。
有志15名はビル地下の居酒屋に腰を据えて、刺身のぶつ切りや熊本名産の馬刺し、寄せ鍋とチゲ鍋に舌鼓を打ちながら、飲める人は名焼酎"赤菟馬"のお湯割りに陶然となった。下見の際この店を見つけてくれた土屋さん、久家さん、森田さんに感謝、感謝だ。
帰宅途中、西武池袋線で人身事故が発生し、1時間強足止めになったが、これもいい思い出となった。                      
        (帆角信美記)


○東久留米稲門会新年会開催
平成19年1月27日の土曜日午後6時から市内の成美教育文化会館で毎年恒例の新年会が開催され、会員45名が集まりました。今も現役の会社会長である86歳の鈴木文雄さんが乾杯の杯を高らかに掲げて、新年の宴が始まり、楽しく飲んで食べて大いに語り合って、最後に肩を組んで校歌を歌い、今年の新年会も8時過ぎに盛況のうちにお開きとなりました。      (平山正徑記)
(参加者氏名 敬称略)藍原昌義、安宅武一、鮎貝盛和、荒川正行、池田治夫、井坂宏、泉信吾、市川英雄、伊東毅、大川洋子、太田晴之助、小仁井勝秀、小野泰右、小山田朋樹、河村洋子、神田尚計、久家政裕、呉淳久、酒井正敬、佐藤雄二、三田三、柴田義雄、白石春雄、鈴木文雄、末松毅、高橋勤、高橋哲男、竹山信保、橘優治、辰巳徳蔵、中道幸雄、西村享、服部雄吉、比護喜一郎、菱山房子、平山正徑、深澤政次、帆角信美、松ア博、松田博雄、武藤豊、村野建彦、森田隆、山ア敬雄、米光慶二郎




○映画鑑賞会
 「黄昏」2月1日(木)午後2時〜 東久留米市役所市民プラザホール
 1951年制作です。監督は文芸物を得意とする名匠W・ワイラー、俳優はR・オリビエ J・ジョンズで当時の実力派で、ワキも演技派で固め、まさに一流づくしの作品です。
 しかし、内容が地味で中年紳士の悲劇ということで、日本の配給会社も二の足を踏み制作から数年後に輸入し宣伝も殆どしませんでした。そのため話題にもならず興行的には失敗でした。しかし大人のメロドラマという悪評にもかかわらず、作品のキレは鋭く一度日の目を見せたい作品でした。
 また、今回は土、日に会場がとれず平日の上映。それに前回の「ひまわり」は大盛況で多数のお客様を帰してしまった反省から宣伝も控えめにしました。ところが満席になり立見も10人程で入場をお断りすることもなくスムーズに運営できました。
 映画の評価は、観る前の期待感、観劇中の感動(共感)、観劇後の満足度などで醸成されますが、恐らく今回のお客様はこの映画を知らなく、観ていないでしょうが、きっと満足していただいたと思います。なぜならば、観劇後「お布施箱」に小銭を寄付する人が多く万を超す過去最高の実入りでした。興行的にも成功で私の好きなワイラー監督に恩返しができた気持ちで満足しています。
 次回は会員の要望からマリリン・モンローの「お熱いのがお好き」を予定しています。
 モンローと言えばスキャンダラスな一面が誇張され、一部に顰蹙をかっていますが、可憐で芸熱心でなかなかの実力者です。奇想天外で大いに笑わせる作品です。乞うご期待。
                        (米光慶二郎記)


○第21回ウォーキングを楽しむ集い
 平成19年2月12日(月)建国記念の日の振り替え休日、朝9時に本日のウォーキングの参加者が集まった。ひばりが丘から乗車した人も含めて総勢16名。東久留米駅のコンコースから富士山がきれいに見える素晴らしい日和である。地下鉄有楽町線直通の飯田橋で下車。最初の目的地は小石川後楽園である。ここは水戸徳川家の屋敷跡で、「回遊式泉水庭園」というらしい。あちこちに梅が咲いており、紅梅、白梅を愛でながら池を巡り、途中のお休み処では甘酒を売っていた。何人かが一杯200円の甘酒を飲んだが、私も当然そのひとりであった。
 後楽園を出て次ぎに向かったところは文京区役所、シビックセンタービルである。ここの25階にある展望ラウンジがまた素晴らしい。あいにく霞んでいて遠くの富士山は見えなかったが、360度の展望は全員を感激させるに十分であった。何で人間は高いところに昇りたがるのだろう。もしかしたら人間の遠い祖先は鳥だったのかもしれない。そんなことを考えていた。
 再び路面を歩く。眼病に御利益があると
いう「こんにゃく閻魔」こと源覚寺を思い思いに参拝して、伝通院に向かう。ここは家康の生母於大の方の菩提寺で、於大の方の法名に因んで伝通院と名付けられた。於大の方をはじめ家康の孫娘千姫や家光夫人の孝子の大きな石塔の法名を読みながら廻ったが、ここには沢山の徳川ゆかりの女性の墓がある。作家佐藤春夫の墓は少し離れたところにあった。 休日の町中は人通りも少なく閑散としている。そのようなところを歩いて小石川植物園に着いた。 ここは独立法人東京大学が管理しているらしく、都営と違ってサービスが格段と劣る。とは言っても入ってしまえば梅が満開で何となく甘い香りが漂ってくる。南向きの暖かい斜面にビニールを敷いて昼食である。途中の弁当屋でお好みで作ってもらった、お茶と合わせて790円の弁当を開く。午後は桜の時期には大勢の人の出る播磨坂を通って、道を15メートルくらい逸れて石川啄木終焉の地という石碑をちょっと見て、筑波大学キャンパスの中を歩いて地下鉄茗荷谷駅に出た。ここで所用があって帰られた方以外は、幹事さんが段取りをつけておいてくれた居酒屋に上がり込み、時間の許す限り一層のコミュニケーションを図ったことは言うまでもない。至る所に幹事さんのこころ配りがあり、大変楽しいウォーキングとなった。幹事の皆さん大変有り難うございました。この原稿を書くに当たって土屋久郎さんの書かれた案内パンフレットを参考にさせて頂きました。
                      (井坂 宏記)


部会だより


俳句部会
第81回句会
   平成19年1月20日(土)  13:30〜16:00
兼題  「初句会」、「冬の空」、「当季雑詠」
高得点句
 厄年は全て越えきてなずな粥          三田 畔巣
 白寿近き媼きりりと初句会           河村 洋子
 冬の空果てることなく続きけり         松田 博雄
 憂ふことまた一つ増え冬の空          河村 洋子
 冬の空きしむ廊下の湯治宿           太田 千雪
 凍て空や家なき猫の細き声           川島 知子
 赤い実の食べ尽くされて冬の空         安宅 武一


太極拳部会
東久留米稲門会の太極拳部会は、平成13年9月、森田、船尾両会員の指導で始まりました。
当初、部員構成は稲門会々員と家族及び友人でしたが、稲門会の活動の目的でもある『東久留米市の発展に寄与する』ことで、一般市民の参加も認めてきました。
一時は、稲門会関係者の在籍数は30名を超える盛況でしたが、平成15年末頃から部会設立当初ご尽力・ご協力いただいた会員が徐々に減少し、平成19年1月では稲門会関係者の在籍数は8名になりました。また、練習に参加する人数も最盛期の30名前後の参加が15名前後まで減ってきました。

このような状況下で去る2月17日(土)の練習後、突然船尾会員から「東久留米稲門会を退会する」旨の発言がありましたが、太極拳部会の今後については何ら言及されませんでした。
この発言を受けて、急遽、帆角会長を含め関係者が集まり、意見交換をしました。
その結果、船尾会員の退会によって太極拳部会が廃部されるものではなく、今後も継続していくことを確認しました。
差当たり、3月9日(金)10時から成美教育文化会館1階ギャラリーで『東久留米稲門会 太極拳部会』の初会合を開き、今後の運営をご相談することになりました。
3月一杯は会場予約の関係で金曜日に行いますが、4月からは従来どおり土曜日に行うよう段取りしています。
稲門会々員及びご家族の参加をお待ちしています。
                         (鮎貝盛和記)


〈会員リレーエッセイ〉〜噴水広場〜
        戦前・戦後の早稲田界隈
                          安藤 信雄(S26・文)
 私は小石川高田老松町(現・文京区目白台)の旧侯爵細川家の邸内で育ったので、そのころのことや、母校に近い早稲田界隈の戦前の様子について少し述べてみたい。
 細川家は熊本藩五十四万石の大名であり、元総理の田中角栄邸(当時は、ある男爵家の邸であったと思う)と講談社の野間社長邸に隣接する広大な邸であった。邸内に職員住宅があり、執事を中心とした職員や、植木職人、大工、女中(お手伝いさん)など、多くの人たちが住んでいた。職員の大半は熊本県人で、熊本弁での会話が主流で、楽しいやり取りであった。広い邸内には手入れの行き届いた芝生や花壇があり、孔雀も鷹も飼っていて、ブランコや滑り台で遊んだり、相撲や戦争ごっこ、冬に雪が積もると、職人さんがつくってくれたスキーで斜面を滑ったりして、あらゆるスポーツを楽しむことが出来た。
 細川家の方々はスポーツ好きが多く、男性はもちろんのこと、お嬢さま方もなかなか活発で、ときには職員たちと一緒に野球やテニスをすることもあった。広い芝生で、細川家職員対有斐学舎(茗荷谷にあった熊本県出身者の学生寮)の試合が行われ、幼いころ野球選手になることを夢見ていた私は、早く大人になりたいと思ったものである。
 後楽園球場や神宮球場には細川家の指定席があり、プロ野球(当時は職業野球と言った)や早慶戦などもその席で観戦することが出来た。
 また、細川家は熊本の吉田司家(相撲の家元)との関係で、横綱や力士が邸を訪れることもしばしばで、国技館の正面桟敷には細川家専用の席が設けられていた。職員にも相撲ファンは多く、西の控え力士のすぐ後ろには肥後土間という職員用の席もあって、交替で相撲を観戦することができた。場所が始まると、職員同士で勝敗の予想をつけ、千秋楽の後には各人が思い思いの力士にちなんだ名前を付け、予想の成績によって番付表をつくったりして楽しんだ。
 父は先々代の侯爵に仕えていたので、毎日袴姿で出勤し、侯爵のお相手を務めたり、葉山、軽井沢、赤倉などの別荘にもお供でよく出かけていたので、子供たちは各地のお土産がとても楽しみだった。
 邸から一歩出ると早稲田の商店街で、江戸川に架かった豊橋を渡ると都電の終点早稲田である。何かの祝賀会があると都電に花電車が走ったので、子供たちはみんな誘い合って見に行ったものである。鶴巻町には一年中サンタクロースの恰好をしたおじいさんがいて、電車が通るたびににこやかに手を振るので、われわれ子供たちも一緒になって手を振ってはしゃいでいた。
 早稲田の終点から大隈会館への通りには、ショーウィンドーに早稲田の制服を飾った店がずらっと並び、入学時には制服や角帽の誇らしげな姿が多く見られた。近ごろはあの角帽が見られないのが残念である。
 安部球場も近かったので、よく父や叔父に連れられて試合や練習を見に行った。
 夏になると週に2日縁日が出て、大人も子供もみんな浴衣姿で出かけ、出店を冷やかしたり、金魚すくいなどをして、にぎやかなひと時を過ごした。
 穴八幡の近くの全線座では、「忠臣蔵」や、ベルリンオリンピックで有名な水泳の"前畑ガンバレ"の快挙の映画を、夢中になって観たものである。この年のオリンピックで日本は水泳で1位、陸上で4位という好成績をおさめた。
 早大時代、我が家は学校に近いこともあって、友人たちは私が留守でも勝手に家に上がり込み、碁を打ったり、青春談義に花を咲かせる場にもなっていた。
 戦前の細川家には各界の名士や力士(栃光、不動岩、八方山など)、野球選手では川上、吉原などスポーツ選手も多く参集し、華やかな世界であったが、昭和20年の敗戦を機にその情勢は一変した。
 しばらくの間は大きな変化もなく、戦前と世代交代してわれわれの年代が中心となって有斐学舎との野球の試合やテニスをすることもあった。元総理の細川護煕氏は運動神経抜群で、私もバッテリーを組んだことがあったが、制球力もあり、なかなかの好投手だった。
 しかしその後、華族制度の廃止により膨大な財産税を課せられ、邸の大半を手放さざるを得なくなり、多くの職員も立ち退くことになった。家族の多かった私たちはようやく目白駅の近くに家を見つけて住むことになり、父も退職したので、細川家との関係も疎遠になった。
 年を経て昭和52年に東久留米に移り住み、しばらくして東久留米稲門会の発足を知って早速会員になった。かって我が家に集まった学友たちも次々と世を去って残りわずかとなり、寂しい限りであったが、稲門会で同窓の諸兄ととともに活動できるようになったことは、80歳を目前にした老骨の身にとって大きな活力となっているので、大変ありがたく思っている。



会員の声

                 再び書道部に参加して                    
                                 菱山房子(S32・文)

稲門会の書道部が誕生して、かれこれもう十年近くが経ったであろうか。当初参加していたメンバーの人達は、熱心に継続している十人ほどを残し皆やめてしまった。かく言う私もその中の一人である。
最近思うことがあり再び書道部を訪ねた。当書道部は中央の書道展でも定評のある賞を受賞する方もおられるのだが、発足当時は初心者の域をでなかった仲間達もその進歩は目覚ましく、あれから殆ど筆さえ持たぬ私にはその後ろ姿さえ見る事ができない感である。でも、全くの初心者をスタートする私は久しぶりの筆を持ち、ある感慨を持つこの頃である。与えられた課題が般若心経の写経であることが日々介護に辛苦している今の私にふさわしい課題であることもあろう。
 どんなつたない書とて筆先の文字に自分の思いを込めることはできると思う。私は皆さんと一緒に出展するつもりなどまったくないので一人つたない自分の書を書道部という機会を借りて楽しみたいと思う。それにしても初心者一人は淋しいかぎりである。何方かご一緒に参加してくださる方はいらっしゃいませんか。心待ちにしています。



東稲広報室

○2月の役員会において、稲門会及び部会の活性化について意見を交換した。
 稲門会の活性化については、会員の拡大に対しては団塊世代への取り組みが必要ということで認識が一致した。また、会員を減らさないための工夫も求められた。
 部会の活性化については、当会会員でありながら40%の人が会主催の行事、部会に参加していないことからアンケートを取るなどして、その人たちの気持ちを聴く必要がある。音楽を聴く会、ラグビー応援団、お誕生会など参加しやすい部会を作る等の意見が出た。今後さらに検討を加えて出来ることから実行していくことになった。会員の皆様からのご意見・ご提案をお待ちしています。



(編集後記)○比護会員から東稲ニュースの編集を引き継いで1年が経ちました。自分なりに感じがつかめてきましたので、さらに面白く、皆さんの身近なものになるようにしたいと思っています。今号は写真が少なかったです。もう少し見ても楽しめるようにしたいと考えています。今後ともよろしくお願いします。○今年の冬の話題といえば何と言っても暖冬でしょう。大体1ヶ月くらい季節が早まっているようですけれど、孵化が早まったり、雪が少なかったり早くもその影響を心配する声が上がっています。○先日当会のウォーキングに参加して小石川後楽園から植物園を経て茗荷谷まで歩きました。風もなくおだやかな日で、後楽園、植物園とも梅が盛りで大変楽しい一日でした。ウォーキングは年に数回実施していますので、若い会員の方もお子様連れで参加されたら如何でしょうか。紅梅の饒舌に耳澄ましけり(井坂)


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