『甲州街道を歩く』第9回(9月10日)JR笹子駅→新田下→笹子峠→JR甲斐大和
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笹子峠(標高1,096m)は、甲州街道の江戸と下諏訪のほぼ中間の、黒野田宿と駒飼宿の間にあり、同街道の最大の難所と言われた。
【参考】甲州街道は、大正9年の旧道路法では大月から富士吉田を経由して御坂峠越えとなったが、昭和13年に峠の頂上のほぼ真下を貫く笹子隧道(全長:240m)が開通し、昭和27年の新道路法制定に伴い、国道20号として、御坂峠越えから再び笹子峠越えに変更された。昭和33年には新笹子隧道(トンネル)(全長:2,953m)が開通したことで、国道20号は笹子峠道を通らなくなり、峠道は県道日影笹子線とされた。
猛暑が漸く去った曇り空の下、総勢12名(男7、女5)は、街道の最難関に挑む思いを胸に、JR笹子駅から午前中1本しかないバスで新田下停留所に降り立った。笹子隧道に繋がる道は、今では通る車も殆どないが、狭いながらも舗装され整備されている。往事の甲州街道はこれとは別に、杉林の峠道として残っており、所々に倒木や道端の崩れもある坂道が続く、忘れられた感が否めない佇まいであった。我々は足拵えをしっかりとして山道に臨んだが、江戸時代の草鞋掛けの旅人は苦労したであろうことが偲ばれる難路であった。
途中、出陣の武者が矢を射立てて武運長久を祈ったという「矢立の杉」(山梨県指定天然記念物)で一服。笹子隧道入口付近で県道を横切り、熊出没の看板に、「誰が一番美味そうか」と軽口を叩きながら隧道の真上を目指して急坂を登ると、谷道となったところに笹子峠の道標が建っていた。両側の崖が迫る狭い道端の斜面を背にして、昼食をとりながら、甲州街道ウォーキングの初志成就が手の届く場所に近づいた感を強くした。
峠を越えると、長い下り坂が続いていた。先の台風による傷跡、倒木とがけ崩れで迂回を余儀なくされることもあったが、舗装道路の県道に合流し楽な歩行に移行した頃から、予報よりも早い雨に見舞われた。駒飼宿跡を過ぎる頃には本降りとなり、漸くこの日の目的地甲斐大和駅に辿り着いた。参加者全員が、終結時の雨を忘れさせてくれる、大きな達成感に包まれていた。
東久留米に戻り、全員が参加して笹子峠越え達成の祝杯を挙げた。部会長東海記
【参考】鉄道トンネル(中央本線):
1903年(明治36年)2月 大月-初鹿野(現・甲斐大和)間片側通行開業
1966年(昭和41年)12月新笹子トンネル開通、従来の笹子トンネルは下り列車専用、新笹子トンネルは上り列
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