東稲ニュース№100 アップしました

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東稲ニュース100号

ウォーキング&山歩き(臨時開催)5月2日 越生・五大尊つつじ公園

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総勢16名(男10、女6)の参加を得て、東武越生駅から徒歩15分。例年より1旬早いという開花状況の報道の通りであったが、辛うじて、「なごり雪」ならぬ、なごりの躑躅(つつじ)を観ることが出来たのは幸いであった。
「百両の 石にもまけぬ つつじ哉」(小林一茶)
満開に咲き誇る景色に想いを馳せながら、眼の前の可憐に残る花を楽しんだ。
本川越にて13名で打ち上げを行った。         部会長:東海俊孝記

五大尊つつじ公園

名残りの躑躅

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甲州街道を歩く 第6回(H30.4.16)野田尻宿、犬目宿、下鳥沢宿 14.6㎞

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JR上野原駅からJR鳥沢駅に至る今回のウォーキングは、全て現在の甲州街道(国道20号)と離れたルートで、自動車も少ない旧街道である。上野原の街中を出ると、道は曲がりくねり、アップダウンの連続で平地が殆ど無い昔ながらの道中を、総勢9名(男5、女4)は、天候に恵まれて、江戸時代の人々宜しく、長い道程を歩いた。往事の宿場の跡には集落があり、家々の表札に名字と共に屋号が記されているのが昔日の面影を残していた。集落を外れると、舗装されているものの昔ながらの街道であり、所々春の花が咲いている、そういった環境の中で旧街道の雰囲気を楽しみながら、最終地点に辿り着いた。途中、ごく僅かであったが、林の中に石畳の道も残っていた。また、集落内では、都会と違って隣家との距離が十分ある家々の、道に面して植えられている、色とりどりの花の美しさが非常に印象的であった。
別に記憶に残ったのは、武田信玄が小田原北条氏に備えて築いた長峰の砦跡の碑が道端にポツンとある傍にあった、松尾芭蕉の「古池や かわず飛び込む 水の音」の句碑である。 
恒例の打ち上げを東久留米に帰って行った。  ウォーキング部会長 東海俊孝
鶴川宿大椚一里塚跡野田尻宿石畳の道IMG_0959IMG_0969

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ウォーキング&山歩き(第65回)4月2日清瀬 カタクリの群生、柳瀬川の桜

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すぐ隣町にある花の名所を訪ねたことがない校友が、少なからずいらっしゃるようである。例年より10日程早い桜の開花を告げるマスコミ報道に、今回のウォーキングの期日では既に花が散っていることの危惧が止まぬ日々を送りながら、4月2日当日を迎えた。
天気は正にウォーキング日和の中、総勢18名(男12、女6)で清瀬駅北口を出発、空堀川沿いのカタクリ群生地を目指す。折からカタクリ祭りの最中で、ボランティアの方に案内されて最初の群生地B地区へ着くと、疎らな林の斜面に小さな薄紫の花を下向きにつけているのを、草むらの中に発見。眼を凝らすと、余り広くはない辺り一面に三々五々、同じ姿形の薄紫の点在が見て取れた。芝桜のように密集して咲き誇るというのとは異なり、それぞれが密やかに草の合間に隠れて咲くといった、別の趣を楽しむもののようである。更に少し歩いて、公園として整備されたA地区へ。園内に設えられた鑑賞の為の道に沿って歩くと、B地区と同じ態様のカタクリが所々に見られたが、やはり今年の気象の所為か花の盛りを過ぎている様子も感じられたのは少し残念であった。また、カタクリの植生状況は、こんな小さな儚い花が毎年咲く為の関係者の配慮と努力が並大抵ではないであろうと想像させるに十分であった。
カタクリのえも言えぬ風情の表現は、先人の詩歌に訪ねることにした。
群れゐても かたくりの花 ひそとして (渡辺伝三)
うつむきてかたるほかなく ふるさとのほのむらさきの片栗の花(馬場あき子)
罪隠す乙女に似たり カタクリの花はうつむき震えてゐたり(日出登)
次に、小さな小川に沿った「清瀬せせらぎ公園」を散策しながら、カタクリのC地区を訪ね、小金井街道の清瀬橋を渡り、柳瀬川の左岸に歩を進めた。過去の洪水への対策として綺麗に整備された堤防の道の所々に、未だ散り残る桜を愛でながら「清瀬金山緑地公園」に至る。その先金山橋から台田公園に至る川沿いの2㎞弱は桜の名所として知られており、散り始めていたものの、辛うじて花見に耐える花の咲き誇りを保っていた。早速その桜の木の下に筵(シート)を広げて昼食と細やかな宴会を始めた。参加者一同円陣となって、先ずビールで乾杯。折から吹く心地よい風が、散り行く花びらを桜吹雪として我々に降り注できて、酒宴が盛り上がった。満開の花の下も素晴らしいが、豪雪のような花びらを浴びることで、一同、酒に加えて、酒とは別の官能に酔い痴れて、一時を堪能した。
花吹雪 浴びて大樹を 仰ぎけり(加藤美津子)
花吹雪 吾が煩悩を 拭はばや (吉野濃菊)
またや見ん 交野 (かたの)の御野(みの)の桜がり 花の雪ちる春の曙(藤原俊成)
帰路の途中、日枝神社・水天宮に参拝し、清瀬駅に戻った。
恒例の打ち上げは、初めて清瀬で行った。        部会長:東海俊孝記

カタクリ群生地にて柳瀬川_桜の下でカタクリ1カタクリ2柳瀬川_左岸IMG_0938

甲州街道を歩く 第5回(H30.3.19)小仏峠を越えて与瀬宿(相模湖駅)へ

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靖国神社の桜の開花が告げられる良い天気が続く中、NHK天気予報は1週間前から前日まで「曇り時々雨」のままで変わらず、峠越えをやれるのか気を揉んだ日々が続いた最後に、漸く「昼は曇り」という予報を得てウォーキング実施に漕ぎつけた。総勢9名(男5、女4)で高尾駅に降り立つと、バス停は我々と同じ年恰好のウォーキング姿の人達で溢れていたのにびっくり。ウィークデーにも拘わらずの賑わいは、小仏峠登り口近辺の梅園が目当てと後で分かったが、途中狭い上り坂を走るバスの両側のあちこちでも目にした、満開の梅による白、ピンク、赤に彩られた景色は素晴らしかった。
標高648mの小仏峠は、奈良時代の僧行基が峠に一寺を建て、一寸八分の小さな仏を安置したことから名付けられたと言われる。その旧甲州街道の難所だった小仏峠は、江戸時代には甲州街道(当時は甲州道中といった)のルートに指定され、交通の要所となって通行が盛んになり、甲斐国と武蔵国・相模国を結ぶ要路として、麓には小仏関所が置かれた。しかし勾配が急で車道化が困難であったため、1888年(明治21年)に当時の国道(現在の国道20号)は大垂水峠を経由するルートへ変更され、これによって小仏峠を通る通行者は激減した。
登り口である小仏からは300mに満たない標高差を2㎞半程度で登る峠道でも、日常坂や階段を登っていない我々には、かなりの負荷であり、九十九折の小仏峠東坂の急坂を、息を切らせて登って漸く頂上に辿り着いた。頂上は小さな広場で幾つかのテーブルが置かれ、これを囲んで昼食をとったが、運動の後の食事は美味であった。峠頂には、「明治天皇小佛峠御小休所趾及御野立所」碑があり、2人並んで歩くのが無理な山道を、高貴な方がどのように登られたのかが話題となった。小原宿を経て与瀬宿(相模湖駅)へ続く小仏峠西坂は、登りの倍近い距離の下り坂であり、後で少なからぬ人達が「足が痛い」と訴えることとなった。こうした難路を踏破した後、振り返って、江戸・明治の人々の道行きの苦労を思い知った。
平地に出て、中央高速の高架を遥かに見上げて歩き、国道20号に沿って小原宿を過ぎた。ここには、神奈川県下に26軒あった本陣の中で唯一現存する「清水本陣」(重要文化財)があるが、折悪しくも休館日の為、立派な門を眺めたに留まった。江戸時代末期、本陣1、脇本陣1、旅籠7、問屋1を誇った宿並は明治28年の大火で灰塵に帰したとのことで、今では小原宿標柱から往事を想像するだけであった。更に進むと相模湖のダムが正面から間近に見えてきて、そこを過ぎるとJR相模湖駅だった。
恒例の打ち上げは、久々に帰路の途中所沢で行った。 IMG_0898IMG_0905小仏峠_土道_登り口小仏峠頂上周辺小仏峠東坂_急坂途中 ウォーキング部会長 東海俊孝

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