バドミントンクラブからのお知らせ

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 2月1日の金曜日の練習につきまして、お知らせいたします。

 2月1日は、東久留米スポーツセンターが臨時休館となりますので、バドミントンクラブの練習はお休みといたします。

従いまして、1月の練習は18,25日、2月の練習は8,15、22日となります。

東稲ニュース№104 アップしました

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東稲ニュース104号

バドミントンクラブからのお知らせ

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来週の練習開始時間が変更になりますので、お間違えの無いようお願いいたします。

     12月7日 金曜日  東久留米スポーツセンター  13:30   集合

13:30 までは、スポーツセンター体育館が使用できませんので、練習の開始時間を上記の通りにいたします。

14日以降は、通常通りの練習時間になります。

ウォーキング&山歩き(第68回)部会活動報告 9月24日 高麗峠(こまとうげ)、巾着田の彼岸花鑑賞

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巾着田_1彼岸花_2IMG_1294

IMG_1301休日で色々お忙しいせいか、今回はご婦人の参加がないこれ迄で初めてのケースとなった男所帯総勢11名。秋分の日にふさわしい天候に恵まれて、飯能駅を10:30に出発。30分程歩いて、市街地を抜けて天覧山の麓の能仁寺の脇を通り、国道299号線に突き当たって、武蔵丘ゴルフの入口と並んだ奥武蔵自然遊歩道の入り口に着いた。
ここからは、林の中のなだらかな登り坂を標高177mの高麗峠を目指して歩く。休日とあって、ハイキングの人達は多かったが、心地よい風が通う木陰の中、所々木々の間にゴルフ場のフェアウェイを覗かせる道は、快適な歩みを提供してくれた。自分が住まいする地の近くにこのような場所があれば、毎日散歩を楽しんで、人生を豊かに過ごすことが出来ると妄想
したのは、筆者だけではないと思う。高麗峠は頂上という趣は全くない通過点という感じであったが、記念に集合写真をとった。ここから巾着田までは長い下り坂が続いたので、逆コースだと多少はシンドイ思いもするなと思う内に、巾着田についた。途中、休憩もとったので、12:00を回っていた。
休日で、売り物の5百万本の彼岸花が盛り(多少盛りが過ぎている所もあったが)とあって、辺り一面を朱色で埋め尽くした広大な花畑を巡って、人が溢れていた。会場が多数用意したベンチやテントは満杯であり、我々は辛うじて脇の土手に隙間を見付けて昼食をとることにした。会場外の酒屋まで飲み物を買いに行き、皆で乾杯したビールは、何と形容したら良いか、えも言われぬとは此の事であった。ここで、暫くの間、酒を飲みながら各自持参の昼食をとり、のんびりとした一時を楽しんだ。この後、改めて花畑を巡り、景色を朱色に染める彼岸花群生の威力を目の当たりにし、「仏教で曼珠沙華(まんじゅしゃげ)と呼ぶこの花の彼方に極楽への入り口があっても不思議でないという思いが掠めた」、というのはチョット大袈裟か。高麗駅から東久留米に帰り、駅前の焼き鳥屋で、恒例の打ち上げを行った。
ウォーキング&山歩き部会長 東海
自然道_広場 自然道_広場
高麗峠 高麗峠
 width=巾着田 昼食

『甲州街道を歩く』第10回(10月15日)JR甲斐大和駅➡勝沼➡JR石和温泉駅

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朝方は少し肌寒さを感じたが、最高気温22℃、曇り空という絶好の天候の中、総勢10名(男5、女5)は、難関であった笹子峠越えを想い出しながら、中央本線笹子トンネルを過ぎて、甲斐大和駅に降り立った。この日の行程は、前半の長いなだらかな下り坂の後は平坦な道、自動車道路脇の歩道であり、歩く負荷は軽いものの、全行程17㎞を超えるこれまでの最長である。
駅から少し歩いて国道20号に出ると直ぐに鶴瀬から甲州街道となる。広い自動車道路の歩道を行くと、鶴瀬関所跡、鶴瀬宿跡を示す看板を過ぎる。谷の向かい側斜面に中央高速道を高速で走る自動車を見ながら、歩道に沢山落ちている胡桃の実を拾ったりして進んでいる内に、柏尾古戦場跡とその主役近藤勇像に行き会った。慶応4年(1868)、官軍に1時間で粉砕された戦いがこの地で行われたことを知り、幕末の動乱を垣間見た思いがした。この先500mを進み、「ぶどう寺」として有名な大善寺に着いた。養老2年(718)、行基がこの地で修業し、満願の日に右手にブドウを持った薬師如来が現れ、以来この地でブドウは法薬として広く栽培されるようになったという。
甲州街道は、柏尾の交差点で20号線と別れ、県道38号となって勝沼を進む。道の両側は全てブドウ畑で、道に面してブドウ狩りと販売店が数キロに亘って続いていた。途中、武田信玄の伯父信友の家系である勝沼氏の館跡を訪れた。勝沼を一望する高台に、堀跡と発掘された屋敷跡が公園となっていた。広々とした公園に我々しか居ない、ゆったりとした気分の中でとった昼食は美味であった。
殆ど店舗もないという町筋に、古民家を利用した「ほうとう店皆吉」があった。昼食時とは言え平日にも拘わらず行列をなしており、機会があれば訪れてみたいと思ったものである。この店のある等々力から国道411号となった。平坦なかなりの距離を日川に沿って進み、日川橋を渡ってこの地方での大河、笛吹川沿いの道、甲州桃太郎街道に出て更に進む。笛吹橋を渡ると、昭和36年ブドウ畑に突然湧き出した石和温泉郷の東入口であり、漸くこの日のゴールが見えてきた。
近くの川沿いに、笛吹川の名の由来となった「笛吹権三郎像」があった。600年程前のこと、洪水で流された母を日夜探し求め、母の好きだった曲を吹きながらさ迷い歩き、深みにはまり亡くなった男の話が綴られていた。この小さな公園で、ゴールまでの最後歩きに備えて休憩をとり、歩みを再開。16㎞を過ぎて誰もが疲れを否めなくなっていた頃、折しも石和温泉駅まで1㎞の地に足湯があり、短い時間ではあったが、脚を温泉に浸すことによる解放感が疲れを癒してくれた。
石和温泉駅からは、初めての特急、「かいじ」で帰路についた。部会長東海
勝沼氏館跡笛吹権三郎像IMG_1325

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