東稲ニュース№106 アップしました

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東稲ニュース106号

ウォーキング(第72回)早稲田所沢キャンパス➡狭山湖+option「➡北山公園」

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日時:6月17日(月)集合8 : 30a.m. 東久留米駅改札口
*雨天、強風、の場合中止。 
  
行程:★途中駅からご参加の方は、事前にご連絡下さい。   

東久留米発8:42 → 小手指着8:56 西武バス9:08発 ➝ 所沢キャンパス着9:23

所沢キャンパス見学 ➡ 狭山湖畔を歩く ➡option1西武球場前駅(約6㎞)         
 (所要時間未定)        
➡option2 八国山 ➡ 北山公園* ➡ 東村山駅(約11㎞)
                         *花菖蒲の鑑賞
       ●距離数には所沢キャンパスの見学に関わるものは含まない。

昼食:弁当を御用意下さい。

費用: 参加費300円、 交通費*と飲食代
        *内訳 東久留米─小手指 206円 小手指─キャンパスのバス 200円
西武球場前─東久留米237円 東村山─東久留米206円   

連絡先:東海俊孝 電話473 – 8566  e-mail toshi-tokai@kvj.biglobe.ne.jp
     携帯:080 – 1205 – 9494
別処尚志 電話475 – 1710  e-mail t_bessyo@jcom.zaq.ne.jp

以上
     
●次回ウォーキングの予定:7月8日(月)入谷鬼子母神(鶯谷から3分)朝顔市
             東久留米を6時台前半の出発になる見込み。
      *実施可否を含め内容は今後詰める。

『甲州街道を歩く』第14回(4月15 & 16日)富士見➡上諏訪➡中山道合流点

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【4月15日(月)】
1週間前から小雨の予報で、実施か否か気を揉んでいた中、直前になって晴の予報に変り、総勢10名(男5、女5)は勇み立って、甲州街道の最終地点を目指して東久留米を出立、立川から特急あずさ3号に乗り中央本線富士見駅に降り立った。標高956mにある駅では、東久留米の春の感触は何処へやら、1桁台の気温に加えて強い風に見舞われ、思わず身をちぢこませた。
初日の行程は茅野駅迄の15㎞である。旧街道(甲州道中)は、比較的平坦な国道20号を縫うように沿って続いている。今に残る小さな集落を通り、畑や田圃、山裾の林を抜けるという様相で、名所旧跡はないが、自動車が多数走る車道脇の狭い歩道を歩くことに比べると多少の上り下りも気にならず、日常の雑踏を逃れて、穏やかな、伸び伸びとした感じを覚えながらの歩きを楽しむことができた。「原の茶屋」を過ぎ、畑中にポツンと在るJR「すずらんの里駅」を遠望しながら「御射山神戸(かんべ)」の一里塚に至り、樹齢400年の欅大木の下で休憩。金沢宿跡まで進んで、往時宿場窓口を担った泉長寺の一隅を借りて昼食をとった。「矢ノ口」の権現の森を過ぎて宮川沿いに進むと「寒天の里」の大看板に出会い、この地が寒天の名産地であることを思い出した。中央本線の跨線橋にある「貴船」の石仏石塔群で休憩し、「宮川坂室」を過ぎる辺りでは白雪に覆われた八ヶ岳の眺望に目を奪われている間に、茅野駅は指呼の先にあった。15㎞が短く感じられた1日であった。
茅野駅から上諏訪迄電車に乗り、今日の宿泊先「諏訪シティホテル成田屋」へ。途中、上諏訪駅にある足湯の気持ち良さに、一同の疲れが癒された。夕食迄の時間を利用し、近くにある、当時の諏訪湖波打ち際に築城された高島城(高島藩諏訪氏の居城)を散策。明治期に破却されたが近年復興され、大手門、天守閣、庭園が昔日の美しい光景を再現していた。
夜は、ホテル近くで、甲州街道最終地点到達を目前に、祝杯を挙げた。
御射山神戸の一里塚貴船の石仏石塔群上諏訪駅構内の足湯高島城(上諏訪)大手門_1高島城(上諏訪)_2
【4月16日(火)】
昨夜から1名増の11名となった。甲州道中終点(中山道合流点)を目指して、茅野駅迄戻り甲州道中を歩く組と上諏訪周辺を散策してからの2つの組に分かれて行動を開始、両者は上諏訪駅から近い銘酒真澄の店で落ち合うことにした。
茅野駅では、駅の真ん前(建物の蔭)に建つ諏訪大社上社大鳥居に至るのに大迂回をしたハプニングを経て、暫く20号線の車道脇の狭い歩道を歩き、甲州街道渋沢小路から旧街道(甲州道中)に入る。山裾に沿った、住宅が建つ中を辿る往来の少ない道で、快晴の日差しを浴びて家の合間から茅野市街を見下ろす眺めが素晴らしかった。山の上で行くことは出来なかったが、諏訪総領家の諏訪頼重が信玄に攻められて籠城、降伏した(諏訪氏断絶に繋がる)桑原城址を、歴史の一齣に思いを馳せながら、見上げ、眺めながら歩いた。
上諏訪に入ると酒造蔵が多く並んでおり、その中の一つ銘酒真澄に立ち寄る。以後の歩きに配慮しながら、醸造法、味、香り、飲み方の解説付きで、五種類の利き酒を楽しんだ。他の酒蔵も訪れたい思いを断ち切り、次に向かう。4月1日に幸手で花見を堪能したが、直ぐ傍にある貞松院月仙寺では、市の天然記念物「延命桜」と名付けられた樹齢400年の枝垂桜が満開となっており、整えられた庭に花が降り立つ美しさは、極楽とはこんな所かと、真摯な仏教徒ではない身でも、美の極致に感動を覚えていた。
  眺むとて花にもいたく馴れぬれば 散る別れこそ悲しかりけれ 西行(山家集)
甲州道中は、山裾の高台を下諏訪に続いている。古事記の国譲りでこの地を統治した際の被征服者を祀った先宮神社で神殿脇に鎮座する市の天然記念物大欅の下で休息。引き続き終点(中山道との合流点)を目指して坂道を登るにつれて、眼下に薄青く広がる諏訪湖を眺めるようになり、暑さと疲れを覚えてきた頃、漸く諏訪大社下社に辿り着いた。折から昼飯時とて、門前の蕎麦屋に入り、地元名物である蕎麦で腹ごしらえをした後、下社を参拝。
終点は近くにあると聞いていたものの、明確には知っていなかったので、歩き回って探したところ、門前から数分の所に終点の石碑とチョットした広場を発見。平成29年10月から3年越しで挑んできた思いとはかけ離れた感が否めない、細やかな雰囲気の場所ではあったが、一同、目的達成を記念して写真に納まった。
東久留米に戻った後の恒例の打ち上げは、昨夜の酒宴と2日間の歩きの疲れの為に見送りとした。                      東海俊孝記
IMG_1557諏訪大社下社_2諏訪大社下社_1甲州道中終点の石碑IMG_1568
追記:「甲州街道を歩く」は、内藤新宿からスタートしたが、本来の日本橋からの都心コースを歩く要望が多く、5月13日に実施することとした。

第71回 ウォーキング(H31.4.1幸手(さって)権現堂桜堤)の活動報告

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好天に恵まれての関東有数の桜の名所探訪ということで、総勢23名(男17、女6)参加の盛会となった。東久留米から約1時間半、武蔵野線、東武スカイツリーライン(旧伊勢崎線、旧日光線)を乗り継いで幸手駅に降り立った。
幸手は、古くから利根川水系による河川舟運と鎌倉街道中道の人の往来で交通の要衝として栄えてきたが、特に江戸時代に日光街道(日光道中と言った)が整備されると、幸手宿が設けられ、将軍の日光御成道との結節点としても重要な地となった。権現堂堤は、利根川の本流又は支流であった権現堂川(現在は中川)の氾濫から江戸を守る為に16世紀末に築かれ、明治期には新堤が造られて天皇が行幸された。利根川の改修により堤の重要性は薄まったが、明治天皇の緑の聖蹟であるこの堤を後世に伝えようと桜の植樹が始まり、現在、権現堂桜堤は約1㎞に亘り1,000本超を数える桜並木の名所となった。
今に残る日光街道の幸手宿跡を歩き抜けること約30分、ピンクのベールに覆われた堤が見えてきた。堤に登ると左右に満開の桜のトンネルが続いており、川原を見下ろすと菜の花の黄色の広がりが眼に飛び込んで、桜のピンクとのコン美ネーション(造語)が見事に描かれた一幅の絵画となっていた。堤に沿って、平日にも拘わらず花見客が溢れており、我々も僅かな隙間を見付けて宴の筵を広げ、穏やかに和みながら、花見を満喫した。
折からこの日は、新元号「令和」が発表され、平成時代の最後の1ヵ月を残す日である。  「さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉」
ベルリンの壁崩壊が冷戦終結と共に未来への希望を抱かせた平成元年ではあったが、国内は、バブル崩壊(H3年)に続く失われた10年が後を引き、今でも長期経済低迷から抜け出したという実感に乏しい。阪神淡路大震災(H8年)、東日本大震災(H23年)等々と未曽有の大災害にも襲われた。平成30年間を振り返って、明るい思い出に乏しいことを寂しいと感じ、令和に明るい時代を期待する方も少なくないのではないだろうか。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」、中村草田男は、昭和6年に、明治から大正を経て昭和へのあらがい難い時の流れの感慨を込めて、懐かしさに浸りつつ詠じているが、現稲門会の世代は、「—–昭和は遠くなりにけり」と感歎することは出来ても、平成を同じ心地で嘆じるには未だ早いし、機が熟する頃はもういないだろうと、よしなしごとを思いやっていた。
東久留米に戻り、現実に帰って、大勢で打ち上げにのめり込んだ次第である。東海俊孝記
権現堂桜堤_1権現堂桜堤_4_乾杯IMG_1491権現堂桜堤_3_乾杯

臨時開催 第3回ウォーキング(H31.3.13)高尾梅郷、木下沢(こげさわ)梅林 活動報告

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寒さで引き籠って過ごした冬が去り、待ち望んだ春が一気に訪れたかのような陽光が降り注ぐ快晴の下、総勢10名(男8、女2)で出立。グルメの会との重なりを避けて、開催日を水曜日に振り替えた結果が好天を呼び込んだ一方、参加者が少し寂しいことになったようだ。JR高尾駅から、4.5kmにわたり点在する梅の郷を、片道2時間ほど、ゆったりとして梅見するウォーキングを開始した。(木下沢梅園迄のバスもあるが、今回は利用せず)
木下沢(こげさわ)梅林へと続く高尾梅郷は、初耳という人が多いようだが、知る人ぞ知る梅見の里だ。関東三大梅林には諸説あるが、ほぼ定説となっている越生(おごせ)梅林(H29.2.27ウォーキング実施)と水戸市の偕楽園の二つのほか、三つめとして、小田原市の曽我梅林、安中市の秋間梅林、熱海梅林が挙げられている。関東ナンバーワンの梅林だった青梅の吉野梅郷が、2014年にプラム・ポックス・ウィルス病のため全伐採となってしまうという悲しいニュースがあったが、高尾ではもともと旧甲州街道沿いに点在していた梅をボリュームアップするかたちで1960年代から植樹を始めて梅郷を造ってきた。私見だが、高尾梅郷・木下沢梅林が三大梅林に名を連ねる日も近いと思われる。
歩き始めて15分程後には、現実を離れた別世界に入り、小仏川の堤に植生された「遊歩道梅林」の白い花の屋根の中を歩いていた。ここを抜けて、小仏川に沿った旧甲州街道を跨いで、駒木野の関所跡地にある「関所梅林」で小休止。再び小仏川を越えて、谷の斜面を埋める「天神梅林」では、梅の香を浴びながら筵を広げて憩う人々の中を縫い、咲き乱れる花の中を泳ぐようにして、花と香を楽しんだ。
この先、「湯の花梅林」を遠くに見て、道に沿って咲く梅の花を愛でながら、旧甲州街道の小仏峠方向への上り坂を約30分、この日の最終目的地、約1,400本もの紅梅・白梅が咲く梅の里「木下沢梅林」に到着。下段の梅、中段の梅、小さな広場を含む上段の梅、3つのゾーンに満開の梅が、その自慢の香と共に出迎えてくれた。
「君ならで誰にか見せん梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」 紀貫之(古今集)
こうしたロマンチックな想いに浸るのも、梅見の喜び。そして、澄み渡った青空の下での持参の酒が、花による眼と鼻の保養を加えて、「五臓六腑に染みわたる」とはこのことであったか。昼食のコンビニのお握りに、満漢全席に劣らぬ美味を感じたのも、小生だけではなかったでしょう。東久留米に帰り、恒例の打ち上げで喉を潤した。   東海俊孝記
注:木下沢梅園は、花の咲く3月の特定期間だけ無料開放され、他の期間は閉鎖される。
遊歩道梅林天神梅林木下沢梅林木下沢梅林_2木下沢梅林_3木下沢梅林_4満開の梅

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