いなほ会バーベキュー

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去る11月3日(金)「いなほ会」主催のお見合いパーティーが行われ、当会の河村さんと私がスタッフとしてお手伝いしました。
今回はバーベキューで、好天に恵まれ小金井公園バーベキュー専用エリアに美男9名と美女10名が参加されました。我々スタッフも参加者と同じように食事を楽しみ、お見合いパーティーというより全員で秋の一日を楽しくすごしたようでした。
今回の参加者からカップルが誕生してくれれば嬉しいです。  



                                  山口謙二 記

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清瀬稲門会主催「オペラ鑑賞会」

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12月3日(日)場所は「アミューホール」(清瀬駅徒歩2分)。演目は「バレー チャイコフスキー 白鳥の湖」(ウイーン国立劇場舞踊団1966年)。
開場13時、開演13時30分。入場無料ですが、資料代として200円のカンパご用意ください。 山口謙二 記

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東稲ニュース №132 アップしました

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東稲ニュース 132 号

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第93回 ウォーキング (R5.10.24) 【子の権現・竹寺】

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昨年12月の龍崖山、今年5月の関八州見晴台と雨に祟られ中止を続けた山歩きにとって、2年を超える空白を経た久々のチャンスが到来。漸く秋が来たという実感に包まれた好天の下、総勢12人(男11、女1)で西武秩父線西吾野駅から出発した。総歩行距離9㎞、歩行時間3時間、標高差400mを目安とする今回の山歩きは、登り下り共きつい処が多く、少なからぬ方々が参加を躊躇された一方、古希以上で且つ大半が喜寿以上の元気な12名が集い、県道299号線沿いを流れる高麗川の小床橋を渡って登り始めた。
子の権現(標高640m、標高差400m)までの4㎞の杉林の山道は、かなりきつい上り坂が所々に続いてウンザリしたが、木漏れ日を浴びてゆっくりと、十分な休憩を織り交ぜて歩き、何とかガイドブックが表示する時間を少し超える程度、2時間をかけずに制覇。
子ノ権現は、高麗川と名栗川の分水尾根上に祀られる山寺で、正式名称は大鱗山天龍寺である。延喜11年(911年)の創建以来千年以上の歴史を誇る天台宗の古刹だが、権現(ごんげん)即ち日本の地に現れた仏の化身が祀られており、入口には鳥居があり、神仏習合の寺として、今日では足腰守護の神仏として信仰を集めている。参道では、二本杉が聳え、仁王像が迎えてくれ、本堂傍には大草鞋が奉納されていた。本堂裏の急階段を上った鐘楼では、霞む彼方に微かにスカイツリーを望みながら、昼食を楽しんだ。
子の権現からダラダラと3㎞、アップダウンが続く尾根道の林道を歩いて標高差150mを下り、竹寺に辿り着いた。天安元年(857年)、慈覚大師が東国巡礼の際この地で大護摩の秘法を修したのが開山とされ、正式名称は医王山薬寿院八王寺、本尊は牛頭天王*(ごずてんのう、薬師如来の化身:本地仏という)で、神仏習合の寺として知られている。
*日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。
本殿にあたる牛頭天王社は、幾つかの牛頭天王像に取り囲まれた朱塗りの壮麗な社で、登り口の鳥居に「茅の輪」が設けられていた。スサノオノミコトの日本神話に起源があるといわれる無病息災の祈願、茅で編んだ直径数メートルの輪をくぐり、心身を清めて厄災を払うことをさせて戴いた。
竹寺からは道のり1.6㎞で標高差250mを下る急坂の難所を越えて、最終目的地の小殿バス停に至るが、ここ迄で脚に違和感を抱いた3名が、車で送って戴くという寺の好意に預かることができた。最初の登りで2名が途中棄権していたので、全行程を完遂して歩いたのは女性を含む7名という結果となった。
今回のコースは、ガイドブックでは、初心者向けを多少超える難易度であったが、今後のコース選択では、初心者向け程度に落とすという課題が残った。
打ち上げは、飯能駅の近くで台湾料理に舌鼓を打ったが、帰路の西武線では人身事故で運転中止、飯能に足止めというオマケがついた。 東海俊孝 記


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第92回 ウォーキング (R5.9.19) 【向島百花園】

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立秋(今年は8月8日)を過ぎると暑中が残暑になり、9月にはこの言葉も消えてゆくのが常であるが、今年の暑さは9月一杯が残暑というより猛烈な暑中で、秋の訪れを見込んでの企画が真夏の行事となってしまった。総勢14人(男8、女6)で、日暮里から北千住に出て東武スカイツリーラインに乗り東向島迄1時間半。そこから炎天下に徒歩8分で向島百花園に到着。
百花園は、江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた「民営の花園」で、見所は早春の梅と秋の萩である。「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」という意味でつけられたものといい、入り口には芭蕉の立派な石の句碑「春もやや 景色ととのう 月と梅」が鎮座していた。設立当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なる趣が愛されて来て、民営としての百花園の歴史は昭和13年に東京市に寄付される迄続いた。その後昭和20年3月の東京大空襲により全焼し、それまで遺っていた往時の建物も焼失、イチョウとタブを除き、植物も死滅し、百花園としての継続が難しくなってしまったが、地元の努力もあり、幾度か変転を経ながらも、園内の景観は今なお旧時の趣きを保っている。文人庭の遺構としても貴重なものであり、その景観、遺跡ともに重要であるとして昭和53年に、国の史跡および名勝に指定され今日に至っている。
我々が訪れたのは、一方の見所、「萩まつり」開催中であったが、満開には少し早かったようで、目玉の萩のトンネルも、花がこぼれ散る程には至ってなかったのが残念であった。(花の盛りには少し早かったが、まつりの為に入場無料となった余禄に預かった。)園内には、庭造りに力を合わせた文人墨客たちの足跡も沢山あり、百花園にふさわしい多くの草花木々の中に、芭蕉の句碑を含め、合計29の句碑、石柱が随所に立っている。各自思い思いに園内を散策し、秋というには強すぎる日差しを避けた木陰で、三々五々昼食を楽しんだ。
万葉集で最も多く詠われている花は、萩141首であり、2位梅118首を引き離している。秋の七草は、万葉集に収められている山上憶良が詠んだ下記の2首の歌にちなんでおり、その中で七草の冒頭に萩の花が詠われている。
1.秋の野に 咲たる花を 指折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
2.萩の花 尾花葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなえし)また藤袴 朝顔の花* 
*当時は未だ現在の朝顔は日本になかったので、「桔梗」と言われている。
「園内には、山上憶良の秋の七草の地植えが楽しめます。」とパンフレットに書かれていたが、その場所では七草は半分程の成長で、憶良の歌碑だけが突出していた。
帰路途中、池袋にて恒例の打ち上げを全員で楽しんだ。       東海俊孝 記
【若山牧水(母校OB)の酒の秀歌】
それほどにうまきかとひとの問ひたらば 何と答へむこの酒の味
人の世にたのしみ多し然れども 酒なしにしてなにのたのしみ



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