ウォーキング番外編「甲州街道(甲州道中)を歩く」を終わっての活動報告
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令和元年5月13日(第15回)、最後に残した街道の原点・日本橋から内藤新宿までの都心部を歩き、全15回、合計16日を要した甲州街道の全道程(約220㎞)踏破を完了。平成29年10月に内藤新宿を出発して、平成31年3月に下諏訪の中山道との合流点に到達して以降、最後に残されていた締め括りのウォーキングでもあった。日本橋界隈から麹町を経て新宿通りを下ってみると、僅かな時の移ろいの中で、我々世代が通勤していた頃とは様変わりに高層ビルが林立していたのが印象的であった。ウォーキング番外編としての「甲州街道を歩く」は、稲門会の補助金を使わずに、下見無し参加費無し、ガイドブック購入を各自負担とし、行程案内はメールのみという、参加者自助努力をお願いした形で行ってきた。ということもあり、今回ウォーキングの完了に際し、参加者に感想文の寄せ書きを募った。(東海俊孝)
以下、参加回数の多い順に記載する。(全行程踏破は、東海、有賀の2名)
私は、運よく16回全部に参加できた。今は、達成感で一杯である。稲門会に入り、ウォーキングの仲間に出会い、最近は一人で山に出かけることも多くなった。スポーツといえば、バスケットボールだけやってきた人生だが、今回の甲州街道を歩いた体験は間違いなく人生の大切な思い出になった。幹事の方々、一緒に歩いた仲間達に改めて感謝したい。(有賀千歳)
お江戸日本橋から信州下諏訪へ。故郷が松本ということもあり、今しかないと迷いながらも勇んで参加させていただきました。雨の日、風の日、日照りの中をくたくたになりながらも、下諏訪に着いた時の充実感は何ものにも代えられません。毎回資料等、細かなご案内、ご指導した下さった幹事さん、一緒に歩いた仲間に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。(松崎洋子)
最終回の日本橋~内藤新宿を歩き、皇居半蔵門で天皇陛下をお見送りすることができ、感無量でした。私は甲州街道を全区間踏破はなりませんでしたが、曲がりなりに大方は歩くことが出来た事で大変いい経験をさせて頂きました。度重なる、帰りの電車での?み会は稲門会ならではの想い出です。(安次峰暁)
ただただ感謝の念で一杯です。第一回目の甲州街道ウォーキングがしんど過ぎて、いつまで続けられるか全く自信がありませんでした。ですが、幹事さんの丁寧な案内メールや、一緒に歩く仲間に勇気づけられ、難所と言われる笹子峠も小仏峠も、楽しく歩ききる事ができました。幹事さん、皆さま、ありがとうございました。(片平るみ)
歩いた!昔の人はアスリート?月に1回、10㎞~15㎞歩いただけなのに、後日足腰に影響が!これを毎日続けた昔の人はなんとすごいアスリートだったのだろう!?(別処尚志)
甲州道中最難所・笹子峠越え:2018年9月10日、中央本線笹子駅下車、前回到達地点笹子峠の登り口までのバスを待つ。見渡せば名物笹子餅を食らって、力を溜める者、足腰をグルグルと回して体をほぐす者、難所踏破への意欲満々。この日は峠入口よりすべて旧道を歩く計画だ。深山の感を肌で確かめながら樹林の枯れ跡、積もった落ち葉を踏みしめながら進む。太陽下は暑いものの樹林の中は涼しい。予想どおりの急勾配、江戸期の足元の悪さ、草鞋ばきを考えれば、往時の旅人の強さを痛感する。旧街道笹子トンネルの真上を超えるルートは、胸と大地が接触しそうな急勾配を這い上る。這い上がるが適切な言葉だった。メンバー一同「よくやるなあー」と自ら感心。息も絶え絶え登りきる。峠を越えての下りもすごい。直前の台風によりなぎ倒された木々、流された土砂、道は無い。途切れる道を探し探し、急斜面を一気に駆け下りた。流石街道一の難所だった。登りも下りも本当に大変だった。(渡辺真司)
最初は不安でいっぱいだったが、歩けなければ途中でやめれば良いと思い挑戦し、貴重な体験ができた事、幹事さん始め参加した皆さんに大感謝しています。特に日野春からの行程は、左に甲斐駒ヶ岳、右手前方に八ヶ岳と、素晴らしい景観に言葉を失う時間を持つ事ができ、一生の思い出となりました。(小野泰右)
完遂おめでとうございます。全行程踏破のスーパーマンにも脱帽です。ひきかえ、距離が短く、寒くも遠くもない回など、気ままな参加を許容いただきました。街道を歩く趣旨からは外れたかもしれませんが、お陰様でそれなりに楽しませていただきました。ありがとうございます。(坂井淑晃)
思いがけず同道を許されて、三年越しの「甲州街道を歩く」を終えることができました。
途中、暑い時期や峠越え等、数回回避してしまいましたが、出発点日本橋と中山道との
合流点はしっかり踏みしめました。国道20号の整備が遅かったせいか、参勤交代での行き来が三藩しか無かったせいか、史跡が比較的少ないと感じました。韮崎を過ぎた辺りから現れた七里岩には自然の威力に圧倒されました。和やかな皆様のお蔭で愉しく歩くことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。(浅輪田美)
初回と最終回は病欠、途中ジャカルタ移住、帯状疱疹等欠席多く虫食い状態での参加でした。が、下諏訪で甲州街道と中山道の合流地点に達した時の喜びはひとしおで、その光景は一生忘れられそうにありません。主催者のリーダーシップと熱意、参加者皆様の体力と根性に感服したり舌を巻きつつ、お世話になった事をここに深く感謝申し上げます。(山岡恭子)
ウォーキングとお酒と会話のお好きなメンバーで、「甲州街道を制覇」を目標にする方々の仲間に入れて頂き、やっとこさ歩き終わる回も沢山ありました。その中でも、猿橋の複雑な造り、笹子トンネルの上の笹子峠越え等、行きたいと思いつつ、一人では行けなかった数々に、企画して下さった皆様、それに、いつも殿(しんがり) で見届けて下さった幹事さま
本当に有り難うございました。(渡辺昌子)
ゴールお疲れ様でした。私は恥ずかしながら半分にも届かずリタイアしてしまいました。幹事の方の事前調査、細かいメール連絡など、色々ご配慮がなかったらスムーズに歩く事が出来なかったと思います。本当に有難うございました。(神田千鶴子)
終わりに当たり、5月27日、松崎邸にて、参加者一同が集い、稲門会のレジェンドとなっている蕎麦の振る舞いに舌鼓みを打ちながら、長かった甲州街道ウォーキングを振り返る話の花を咲かせる機会を得ることができましたことに、心より感謝申し上げます。(東海俊孝)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ウォーキング&山歩き(第73回、7月8日)入谷鬼子母神の朝顔市
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入谷鬼子母神(JR鶯谷駅から徒歩3分)に朝顔市を観に行こう!
日時:7月8日(月)8:30東久留米駅集合(8:43発準急池袋行きに乗車予定)
参加費無料(事前の下見なし) ★小雨決行
(参考)朝顔の値段:行灯が1,200円程度、小さいものが800円前後。
宅配便の受付場所も設置されている。
約100店の屋台出店もあり、食べて、飲んでの朝顔観賞も可。
<朝顔市を見た後>
選択肢1:ウォーキングを終了し、自由解散
選択肢2:鶯谷駅から?寛永寺?谷中霊園?谷中銀座商店街(夕焼けだんだん)
?根津神社?根津駅or千駄木駅(一例を表示。内容の変更はあり得る)
☆第74回として、8月下旬に清瀬の「向日葵(ひまわり)」を検討している。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@東稲ニュース No,106 アップしました
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@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ウォーキング(第72回)早稲田所沢キャンパス?狭山湖+option「?北山公園」
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日時:6月17日(月)集合8 : 30a.m. 東久留米駅改札口
*雨天、強風、の場合中止。
行程:★途中駅からご参加の方は、事前にご連絡下さい。
東久留米発8:42 → 小手指着8:56 西武バス9:08発 ? 所沢キャンパス着9:23
所沢キャンパス見学 ? 狭山湖畔を歩く ?option1西武球場前駅(約6㎞)
(所要時間未定)
?option2 八国山 ? 北山公園* ? 東村山駅(約11㎞)
*花菖蒲の鑑賞
●距離数には所沢キャンパスの見学に関わるものは含まない。
昼食:弁当を御用意下さい。
費用: 参加費300円、 交通費*と飲食代
*内訳 東久留米─小手指 206円 小手指─キャンパスのバス 200円
西武球場前─東久留米237円 東村山─東久留米206円
連絡先:東海俊孝 電話473 – 8566 e-mail toshi-tokai@kvj.biglobe.ne.jp
携帯:080 – 1205 – 9494
別処尚志 電話475 – 1710 e-mail t_bessyo@jcom.zaq.ne.jp
以上
●次回ウォーキングの予定:7月8日(月)入谷鬼子母神(鶯谷から3分)朝顔市
東久留米を6時台前半の出発になる見込み。
*実施可否を含め内容は今後詰める。
第71回 ウォーキング(H31.4.1幸手(さって)権現堂桜堤)の活動報告
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好天に恵まれての関東有数の桜の名所探訪ということで、総勢23名(男17、女6)参加の盛会となった。東久留米から約1時間半、武蔵野線、東武スカイツリーライン(旧伊勢崎線、旧日光線)を乗り継いで幸手駅に降り立った。
幸手は、古くから利根川水系による河川舟運と鎌倉街道中道の人の往来で交通の要衝として栄えてきたが、特に江戸時代に日光街道(日光道中と言った)が整備されると、幸手宿が設けられ、将軍の日光御成道との結節点としても重要な地となった。権現堂堤は、利根川の本流又は支流であった権現堂川(現在は中川)の氾濫から江戸を守る為に16世紀末に築かれ、明治期には新堤が造られて天皇が行幸された。利根川の改修により堤の重要性は薄まったが、明治天皇の緑の聖蹟であるこの堤を後世に伝えようと桜の植樹が始まり、現在、権現堂桜堤は約1㎞に亘り1,000本超を数える桜並木の名所となった。
今に残る日光街道の幸手宿跡を歩き抜けること約30分、ピンクのベールに覆われた堤が見えてきた。堤に登ると左右に満開の桜のトンネルが続いており、川原を見下ろすと菜の花の黄色の広がりが眼に飛び込んで、桜のピンクとのコン美ネーション(造語)が見事に描かれた一幅の絵画となっていた。堤に沿って、平日にも拘わらず花見客が溢れており、我々も僅かな隙間を見付けて宴の筵を広げ、穏やかに和みながら、花見を満喫した。
折からこの日は、新元号「令和」が発表され、平成時代の最後の1ヵ月を残す日である。 「さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉」
ベルリンの壁崩壊が冷戦終結と共に未来への希望を抱かせた平成元年ではあったが、国内は、バブル崩壊(H3年)に続く失われた10年が後を引き、今でも長期経済低迷から抜け出したという実感に乏しい。阪神淡路大震災(H8年)、東日本大震災(H23年)等々と未曽有の大災害にも襲われた。平成30年間を振り返って、明るい思い出に乏しいことを寂しいと感じ、令和に明るい時代を期待する方も少なくないのではないだろうか。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」、中村草田男は、昭和6年に、明治から大正を経て昭和へのあらがい難い時の流れの感慨を込めて、懐かしさに浸りつつ詠じているが、現稲門会の世代は、「—–昭和は遠くなりにけり」と感歎することは出来ても、平成を同じ心地で嘆じるには未だ早いし、機が熟する頃はもういないだろうと、よしなしごとを思いやっていた。
東久留米に戻り、現実に帰って、大勢で打ち上げにのめり込んだ次第である。東海俊孝記