『甲州街道を歩く』第13回(3月18日)牧之原?台が原?JR富士見駅

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冬に代わって春の到来を漸く感じられた日、総勢5名(今回は男のみ)は、特急「あずさ」から乗り継いで、甲府駅から6つ目のJR日野春駅(標高615m)に降り立った。駅は八ヶ岳の大崩壊による「韮崎岩屑流(七里岩)」が造った崖の上に位置していることから、凡そ100m下の釜無川に沿った甲州街道の前回最終到達点、牧之原交差点までタクシーで下り、ここを今日の出発点とした。この日の行程は、途中に最寄りの駅が無い為、これまでで最長である20㎞を超え、後半は標高956mの富士見駅(標高差400m超)への登り坂が続くタフなウォーキングである。
コース前半は、抜けるような青空の下、左手に甲斐駒ケ岳が迫り、右手少し遠くには南八ヶ岳が望まれ、併せて100万$の眺望に恵まれた上、旧甲州街道は現在の国道20号線を縫うように走って自動車の往来を避けており、ウォーキングを大いに楽むことが出来た。甲斐駒ヶ岳に源を発し、白州町が世に誇る清流尾白川に掛かる橋の袂にある甲州街道古道入口「はらぢみち碑」から、今に残る小道を辿り「台が原宿」に至る。白州の名水が産んだ江戸時代からの山梨銘醸「七賢」蔵元(近くにサントリー白州工場もある)と旧旅籠の建物を使った信玄餅の老舗「金精軒」を訪れ、各自、それぞれで土地由来の名品を土産として購入した。
JR中央本線は、この辺りから崖下の釜無川に沿って走る国道20号から離れて、七里岩の高台を長坂駅、小渕沢駅と進むが、甲州街道は交通機関を利用するには遠くなった道を、「教来石宿」を経て、下蔦木の国界橋(甲斐と信濃の境、七里岩の北端)迄ひたすらに歩いた。この間歩きに忙しく、残念な事に、「目には青葉山ほととぎす初かつお」の山口素堂の生家と句碑を見落としてしまった。
七里岩と別れると、街道は左右の景観を見渡せない、山あいを走る国道20号の歩道を辿ることになり、自動車騒音と風圧に併せてJR富士見駅に向けての上り坂がかぶさってきた。「蔦木宿」の本陣大阪屋跡のある上蔦木を過ぎると、目ぼしい遺跡等もなく、最終目的地を目指して歩を稼ぐだけとなり、残りの行程を1時間半超、足を棒にしてJR富士見駅に辿り着き、20㎞超の長丁場の実感となった。
汽車の本数が少ない富士見駅から鈍行で小淵沢駅へ、そこで特急に乗り換え、幸いにも乗客の疎らな車内で酒を酌み交わし、疲れた身体を慰めた。東海俊孝記

甲斐駒ヶ岳南八ヶ岳甲州街道古道「はらじみち」台が原宿入口

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東稲ニュース No.105 アップしました

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東稲ニュース  105号

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ウォーキング(第71回  4月1日 ) 幸手(さって)権現堂桜堤

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ウォーキング(第71回) 幸手(さって)権現堂桜堤(桜と菜の花を鑑賞)
          
日時:4月1日(月)   *雨天の場合:順延又は中止(協議する) 
    集合: 8 : 50 東久留米駅改札口 ☆途中駅での参加の方は事前に連絡を!   
     
交通:<往路>
東久留米 9:02発 →(武蔵野線)新秋津9:17発 →南越谷9:49着 徒歩 →
→(東武伊勢崎線)新越谷10:01発(日光線南栗橋行急行)→幸手着10:28

行程:今回のウォーキングの負荷は軽いので、気軽にご参加下さい。
幸手駅から幸手権現堂桜堤まで:2㎞(徒歩30分)*バスも利用可  
 ★地面に敷く物(ブルーシート等)、紙コップがあれば、ご持参下さい。

費用: 参加費300円
交通費(西武池袋線144 + JR550 + 東武360)× 2  = 合計2,108円

桜祭り:期間3月25日(月)~4月9日(火)
長さ1kmにわたる堤に約1,000本のソメイヨシノが咲き誇り桜のトンネルを作る。また、堤の隣には、菜の花が作付けされ、桜の淡いピンクと菜の花の黄色とのコントラストが見事である。
桜祭りの期間中は、約100店舗の露店が出店し、様々なイベントが行わる。

連絡先:東海俊孝 電話473 ? 8566(携帯: 080 ? 1205 ? 9494) 
e-mail toshi-tokai@kvj.biglobe.ne.jp
         
    別処尚志 電話475 – 1710  e-mail t_bessyo@jcom.zaq.ne.jp

以上

                      

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 ウォーキング(臨時第3回、3月14日(水))高尾の梅郷を散策 

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ウォーキング(臨時第3回)高尾の梅郷を散策、木下沢(こげさわ)梅林が最終目的地 
日時:3月14日(水)集合8 : 45 a.m. 東久留米駅改札口
*悪天候の場合:中止か順延か、追って協議。 
**歩行の負荷は軽度。バス利用で殆ど歩かないことも出来る。

<行程> ★途中駅からご参加の方は、事前にご連絡下さい 
   (鈍行所沢行)  乗り換え        乗り換え
           東久留米発8:52 →新秋津発9:08→西国分寺、(高尾行)→ 高尾
                    9:17着  9:30発  9:53着
●高尾駅からは原則歩きだが、木下梅園までバス利用も可

費用: 参加費無し(今回は下見なしの為)、交通費合計 1,216円* と飲食代
    *交通費内訳 東久留米─秋津 144円×2 新秋津─高尾 464円×2      

昼食: 弁当持参が無難と思われる
連絡先:東海俊孝 電話473 – 8566  e-mail toshi-tokai@kvj.biglobe.ne.jp
     携帯:080 – 1205 – 9494
別処尚志 電話475 – 1710  e-mail t_bessyo@jcom.zaq.ne.jp

     
                

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第70回 ウォーキング(H31.2.4宝登山 蝋梅<ろうばい>園)の活動報告

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ウォーキングで最初に宝登山を訪れたのは3年前(H28.1.28)である。厳しい寒さに凍ついた日々が続く中、その日だけ奇跡的な青空の暖かい日和となり、標高497mの宝登山山頂周辺の約15,000㎡の敷地に咲き乱れる3,000本の蝋梅を巡り歩いた。蝋梅の黄色を透かして、雪に覆われて真っ白な秩父の街を見下ろしたことも思い出された。この時参加出来なかった方々のご要望を受けて昨年2度目の宝登山を企画したが、寒さと積雪の為に断念。今年天候を気にしながら3度目を企画したところ、これまでとは打って変わって雪は全く無く、春到来と間違う程の気温に恵まれて、参加者15名(男11女4)は、冬のお花見を大いに楽しんだ上に、帰りの下り道では陽春の心地良いウォーキングを堪能した次第です。
冬に咲く花木の代表種と言える蝋梅の名前の由来としては、花がロウ細工のように美しいという説を始め幾つか言われている。植物学的には、梅の仲間ではなく、ロウバイ科ロウバイ属で中国中部原産の高さ3~4mになる落葉低木。彼の地では古くから梅・水仙・山茶花(日本の椿)と共に「雪中四友」の一として画人文人に愛されたが、日本に入ったのは遅れて江戸時代になってからという。唐梅(からうめ)の別名もあるが、古歌に詠まれた例は無く、和歌の作例は近代以降に限られるようだ。花言葉の「ゆかしさ」「慈しみ」は、まだ花の少ない冬期に、そっと黄色い花を咲かせる蝋梅のひかえめで奥ゆかしい姿にちなむといわれる。蝋梅園を巡った趣を表したいところだが、自分には俳句を作る才が乏しいので、先人の句の中に、今回のウォーキングでの鑑賞に合うものを捜した。
蝋梅を過ぎくる風に吹かれをり 宮本道子 雑誌:酸漿(2003.04)
蝋梅の香の中につと入れり   大山妙子 雑誌:酸漿(2003.04)
宝登山神社を参拝。今から約1,900年前の日本武尊の東国平定物語に神社の由来があり、東征の際に神武天皇・山の神・火の神を宝登山に祀ったのが起源と伝えられている。秩父地方にある狼犬(ニホンオオカミ)信仰の神社でもある。平成21年に改築された壮麗な本宮が麓に鎮座、山頂には狛犬ならぬ狼犬が護る奥宮がある。山火事に遭遇した尊が神犬の神助を得て、無事に宝登山に於いて神霊を祀られた事が神社創建の始めであり、防火守護の霊験がある火止山(ほどさん)神社が建立され、後に宝登山神社に変名されたという。
長瀞駅から土産屋を冷やかしながら、路地を進んですぐにある「岩畳」を訪れた。日本列島が大陸から分離する遥か以前、2億年前に海底下数十㎞で生成された岩石が変成作用を受けた後に隆起し、結晶片岩として地表に表出して扁平な岩石の連なりとなったもので、荒川の雄大な流れに沿った壮大な岩の連なりが畳のように見えるところである。人間の歴史を遥かに超えた自然の営みの中に抱かれて立ち尽くすだけであった。
東久留米に戻り、恒例に則り、打ち上げで締め括った。          東海俊孝記

宝登山_Cablecar駅前宝登山神社入口西蝋梅園西蝋梅園_2東蝋梅園宝登山紅梅_1宝登山白梅宝登山福寿草

追:「甲州街道を歩く」1月と2月は、厳しい寒さの為に、3月以降に延期しました。

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