第94回 ウォーキング(R5.11.14)【菊展覧会巡り:明治神宮・新宿御苑】

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暑い夏が居座り、漸く秋が来たと思った途端、一足飛びに肌寒い冬になったという可笑しな天候が続いた中、一瞬だけ訪れた快晴の気持ち良い青空の下、総勢13人(男9、女4)で、我々の記憶とは異なる、駅建物の景色が一転していた原宿駅に降り立った。
明治神宮への参道では、高く茂った樹々から木漏れ日が降る厳粛な雰囲気に包まれる中を、平日にも拘わらず訪れた大勢の人、それも半分は外国人に混じって歩いた。往時荒れ地のような景観であった野原を、今日の広大、荘厳な鎮守の森に変える活動を始めた百年前の人々の努力に賛辞を惜しまずにはいられない。本殿に近い参道に、各地の菊愛好家から寄せられた菊花壇が設えてあり、歩みを止めてそれぞれに見入った。その中でも人目を引いたのは豪華な懸崖(けんがい)作りであり、両手に余る大きな花の大菊の一団も見事であった。菊花壇を楽しんだ後、本殿に参拝し、北参道を出て、新宿御苑に向かった。
菊と言えば4~5世紀の中国の陶淵明の漢詩が有名であり、勤めを辞めて故郷に帰り、自然と一体になって暮らす心境を、「菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る(漢詩飲酒の一節)と詠っているが、自然の中に鑑賞する菊花は、菊花壇を観るものとは全く異なっていたであろう。日本に菊が渡来したのは8~9世紀頃(奈良~平安時代)ということであり、菊の和歌は万葉集には無く、10世紀の古今和歌集まで待たなければならない。百人一首にも選ばれた「心あてに折らばや折らん 初霜のおきまどはせる白菊の花」(凡河内躬恒)は、菊花が世に広まったことを示している。
菊の園芸は室町、江戸時代と発展を遂げ、明治元年には菊が皇室の紋章に定められた。明治神宮の菊花壇は各地からの出典を展示したものであるが、新宿御苑では明治37年から自ら栽培を始め、昭和4年からは観菊会が御苑で行われるようになったという。千駄ヶ谷門から入り、日本庭園に設けられた菊花壇は、素晴らしい!の一言に尽きた。先ず、ピンクの花の大きな外円の中心に真白な花を浮き立たせた露地花壇が、ホー!と驚く顔の客を迎える。野菊が断崖の岩間から垂れ下がっている姿を模した「懸崖作り」の一団に圧倒され、花びらが花の中央を包み込んで咲く大菊の集団に眼を見張り、1株から数百輪の花を半円形に整然と仕立てた「大作り」の前では、美しく且つ大きく迫ってくる迫力に、呆然自失と言っても過言でない感動に浸っていた。
抜けるような青空の下、明治神宮、新宿御苑という都会のオアシスの中で、陶淵明や凡河内躬恒の時代の菊花とは異なる、人手を掛けた素晴らしい菊花を愛でることが出来た幸せは、何物にも代え難いひとときであった。
東久留米に帰り、打ち上げを行った。                  東海俊孝 記

明治神宮

新宿御苑

新宿御苑・大作り花壇

新宿御苑・懸崖造り


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