陶  芸
(その二)
  
 
    三田 三 33年政経
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気まぐれ陶芸

 定年後の手遊びにと陶芸に手を染め始めてから、かれこれ7年になる。私の入っている陶芸教室は先生のいない自由な教室である。公民館の創作室で各自勝手に土を捏ね、手轆轤を廻していろんな形に成型し、公民館付属の灯油窯を使って焼く。
 よく知らない人から「土(粘土)はどうするのか」と聞かれるが、今は信楽でも益子でも伊賀でもいろいろな産地の土を陶芸用品店から取り寄せることができる。焼き窯も現在はガス、灯油、電気が中心で、プロの陶芸家でも昔の穴窯や登窯で焼くことは殆どない。窯内部の温度も正確に計測できる機器が揃っている。
 最初のうちは何もかも新発見の連続で面白く、盃から徳利、花器、水注、壷、香炉などいろいろ挑戦してみたが、生来熱しやすく冷め易い性格も手伝って、四年目頃からマンネリに陥り、最近では、自分でも納得できない作品ばかりが窯から出てくる。
 今頃になって陶芸は自分には荷が重すぎ、奥が深すぎたと反省しつつ、未だに入口近くでうろうろしている。
 いくら轆轤を廻しても、すっきりした気にいった形になってくれない。釉薬が期待したような色を出してくれない。白い皿の上に呉須で簡単な草の絵などを書こうにも、相手は平面でなく曲面のため、筆がちびって上手く書けない、書き損なったら元に戻らない、などなどで、出てくるのは溜め息ばかり。
 しかし、いくら窯が使いやすく便利になっても、その中で炎と土が絡み合いながら演じるドラマは千変万化、人智の遠く及ばない世界であることに変わりはない。
 早稲田政経の大先輩であり、司馬遼太郎の名著「故郷忘じがたく候」の主人公としても有名な薩摩焼宗家14代の沈寿官氏は今も自分を単に陶工とのみ称して居られるが、この名工の座右の銘は「土に祈り火を畏れつつ」である。
 静嘉堂文庫に曜(窯)変天目茶碗と呼ばれる国宝の茶碗がある。これは中国の南宋時代、お寺の坊さん達が使う黒茶碗ばかりを焼いていた浙江省の平凡な窯から突然出現した七色の星を散りばめたような美しい窯変茶碗である。(下記 作品一覧の#18参照)
 以来、「この茶碗よ、もう一度」と多くの人が手を変え品を変えて挑戦してきたが数百年後のいまだに成功していない。
 だからといって何時なんどき、東京西北の小さな公民館の灯油窯から、世にも稀な窯変名器が或る日突然飛び出して来ないとも限らないではないか。そう自分に言い聞かせながら轆轤を廻し、窯を焚いている。
  (平成22年1月)


白く見えますが薄い空色の青白磁です。
酒なら二合程入ります h14cm

犬の注口は水切れの悪いのが難点です。 h11cm

釉が薄すぎた失敗作、晩酌には健康に適量の
1合少々入ります h14cm

花器 どんな花なら似合うでしょうか。 h15p

胴体は瓜のつもり、それらしく花や葉を
貼り付けました。 h10p

中国宋時代の水注の写し、好きな形です。 h11p

首長水注、この形を仙盞瓶と呼ぶようです。 h19p

このような花器を尊と名付けています。 h15p

丹波立杭焼きの傘徳利を写しました。 h17cm

瓢箪型ですが出るのは水か酒、
駒は出ません。 h13p

これでも香炉です。 h10p

山の神への言い訳に寿司折ぶら下げ千鳥足。 h12p

白磁瓜型徳利。 h12p

香炉、透かし彫りなど夢のまた夢で。 h10cm

黒掻き落とし徳利。 h15p


ブルーマウンテンには合いません。 h8p

 温泉宿の脱衣所にあった掛け花瓶を真似て。 h7p

          国宝