「首が回らない」
                          高柳 康夫     33年商


 「喉仏の下を一寸切りますからね」手術室に向かうストレッチャー(移動式ベッド)の上から執刀医の声がした。「あれ、後ろからではないの」と思ったが、俎板の上の鯉なので、声にならない。「ひとーつ、ふたーつ、みーつ、・・・」若い女性の看護師の顔がぼやけ、あっという間に闇の世界に引き摺り込まれた。
平成8年11月5日、今から丁度9年前順天堂医院でヘルニアの手術を受けた日である。それまで、手術というのは、30年前に痔主で体験しただけであり、病院にも殆ど縁がなかった。尤も多少は体調を崩すこともあったが、兎に角働き蜂の世代、休みを取って病院に通うことは罪の意識につながったことは否めない。少々のことは無理を重ねて、滅私奉公にならざるをえなかった。還暦を過ぎてそのツケが回ってきたのかも知れない。
この年は62歳半ば、気持ちは変わらないが、体力的にガタついて、機械は錆つき、配管はボロボロ、老化現象は水面下で着々進んでいたにもかかわらず、サラリーマン社会では「減点パパ」になることもあり、見栄を張ることが多かったことも事実だ。
この夏、営業担当の宿命か、北海道で出張ゴルフ3連雀、ユーザー接待、支社コンペ、流通業者との懇親が続いたが、いつもと違う違和感を覚えた。2日目、札幌のホテルで階段を降りる時足が痺れる。「どうしてだろう」「まあ、一晩寝れば何とかなる」と思いきや、3日目になるとティーアップができない。自分は乗せているつもりでもこぼれてしまう。「キャディさん、悪いけどこれからのホールはティーアップお願いします」「はい、わかりました」。でも、ホール毎に高かったり低かったり、自分では直せないから仕方がない。やっとグリーンに乗れば、パットはオトトイの方へ行ってしまう。頚椎と頚椎の間の軟骨が飛び出して、首の神経を圧迫し、脳の命令が末端に伝わらない。銀座4丁目で事故渋滞により車がスムーズに流れない感じだ。風呂から上がり、反省会の席上、「高柳さん、それは首のヘルニアですよ、老化現象ですね。私の知り合いで手術したのがいましてね、その方はヨイヨイになりましたよ。だからやらない方がいいですよ」と問屋の社長さん。帰郷後、溺れる者藁をも掴む心境で、順天堂の医師をやっている高校時代の友人に連絡、たまたま彼も捻挫で整形外科部長に診てもらっていることもあって紹介を受けた。ただ、その山内教授は、海外出張やら整形外科学会の会長職などで業務多端、暫く牽引を続けていたが、はかばかしくなく、MRI(磁気共鳴による画像診断法)診断の結果、手術を薦められた。「どうします」「このままだったら、どうなります」「やがてヨイヨイでしょう」「それならお願いします」と相成った。手術は7対の頚椎のうち、下の方の5〜6番目に飛び出している軟骨を取り除き、その隙間に無用の長物となっている骨盤の骨を埋め込むものであり、軟骨の代わりに硬骨を入れ、文字通り「恍惚の人」となった。術後は骨の手術と同じように、馴染むまで首の両側から5キロづつ砂袋で固められ、約10日間身動きできないまま、天井の染みを数える日々であった。これも偶然だが、この大先生は前社長と旧制高校時代に机を並べた間柄であったこともあり、教授と患者の距離は短く、気楽な関係で入院生活を過ごすことができた。週1の教授回診も、『白い巨塔』に描かれていたとおり、大勢の医師、看護師を随え、緊張感が漂う中、教授の一挙手一投足に目を凝らしていたが、小生との場面では、一言二言世間話程度で、なんだか拍子抜けの感があった。また、ある時は、「先生、腰椎もダメで痺れが止みません。首と一緒にやってくれたら良かったのに」「とんでもない。食道、気管をよけてやる手術は顕微鏡の世界で、ものすごく神経を使うんだ。腰だって首と同じように神経が走っているんで、二つなんて同時にできないよ。ただ。腰の方はまだ手術するまでもないから仲良く付き合っていきなさい」と一蹴されてしまった。約1ヶ月半の入院を終え、暫く首輪をつけて出勤、「その方が似合うよ」と冷やかされたり、「結局ヘッドアップが強すぎたのではないか」とも言われたりした。翌年、教授からメンバーコースの「程ヶ谷カントリー」で前社長と回らないかとの誘いを受け、恐る恐る同行したが、首が回らないため、尺取り虫となり、以前と比べて数字は小さくなった。すかさず「お前は手術の仕方を間違えたのではないか。前より真っ直ぐ飛ぶし、右や左の旦那様でなくなった」と前社長の声。
その後、年1,2回のMRIのフィルムをもって診てもらっているが、大病院だと時間がかかるので、近くのクリニックで撮ってもらい、そのコピーを携えて行く。クリニックの先生曰く、「この手術は誰がやったんですか。良くできていますね」とのご託宣。確かにそ
の部位は収まったが、脊椎は繋がっており、やはり神経の通路は傷んでいる。腰椎の4〜5番目のヘルニアはそのまんま、今でも両足は痺れている。両手指先の第一関節もジンときている。ただ、麻雀の盲牌は大体できるし、ゴルフも回数は激減したが、カートの助けを借りて何とかラウンドしている。
若いときは、そこそこ働いて人並みのシニアライフを送る設計図を描いていたが、そうは問屋が卸さない。もうひとつの「首が回らない」という世界は、年の功もあり、少しは和らいでいるかも知れないが、今や日々老化も進み、首も腰も十分に回らず、思うように体が動かない。「人生って自分の都合のいいようにできていないんだよ」「神様は意地悪だなあ」と思いながら、同時にやはりバランス感覚が優れているのではないかと妙に感心している。これからどこまで自分の体と仲良く付き合っていけるか分からないが、何とか宥めたりすかしたりして、、一緒に歩んで行くしかない。ただ、どうせ仲良く付き合うのなら、同性でない方とのほうが良いと願っているが、なかなか女神が微笑んでくれそうにない。