4月2日   盆栽村から大宮公園

総勢12名

ワタアメ


                 12回 向島百花園から浅草寺へ
 「ウォーキングを楽しむ集いに参加して」 下町散歩雑感 
春と冬が交互に来る季候2月11日建国記念日は暖かく穏やかなウォーキング日和でした。
久しぶりの顔、初めての顔、集合したのは何と大勢の27名。賑やかに東久留米駅を出発しました。
東向島駅を下車して最初の訪問地は向島百花園です。狭いながらも草木の種類は驚くほど多く「四季百花が咲き乱れる園」と言われ多くの文人や町の人々に愛されてきたのもさこそと頷けます。
文人達の句碑や石柱がそこここにあり、池には立派な鯉が悠然と泳ぎ、あちこちで足が止まりました。この冬の寒さのせいか草木はまだ冬構えです。花も蕾さえ膨らんではいません。でも夫々の植物の前の真新しい木札はその草木の緑も花も彷彿とさせ案内してくれました。
福寿草の大きな鉢は白砂に真黄の鮮やかな花を沢山咲かせていて「福寿草家族の如く集まれり」の夫の実家の暖簾の一句を思い出しました。 白髭神社から幸田露伴住居の跡地の文学碑を訪ね隅田堤へ。ここで東京名物の言問団子と長命寺の桜餅の店へ各自好みの方へ立ち寄り一休み、どちらも美味しかったと満足顔です。名物にもうまいものがあると思いました。芭蕉の句碑がある長命寺へ寄り、桜橋を渡る。一足先に渡った健脚組は足の遅いのんびり組を橋のたもとで待つことしばし。隅田川はゆっくりと流れ、川面は早春の陽光にきらきらと光を放ち、堤防の桜並木がかすみ、花見時の賑わいが目に見えるようでした。
永井荷風が「墨東奇譚」の中で「様変わりしたとは言え隅田川の見える景色はやっぱり今も美しい....僕は好きだ」と書いたのはこのような隅田川の景色だったのでしょうか。皆で揃って待乳山聖天を参拝、混み合う浅草寺の参詣もそこそこに、この日の一番のお楽しみ神谷バーへと。ここで昼食を頂きながら歓談しました。昔からモダンと言われたこのレストランの目玉はデンキブランと言う知る人ぞ知るお酒で、名の面白さもあってか皆興味深々、綺麗な琥珀色のトローリとした感じのお酒を「昼間から」なんて言いながらも盛沢山の庶民的な洋食をおつまみに和気藹々と楽しみました。戦災を逃れたかに見える古い下町の家並み、春うららの隅田川、庶民的な味のコロッケやエビフライにハンバーグ....行けるようで行けなかった下町散歩の情景を思い出しています。
東京は広い。リーダーの土屋さん、久家さん、森田さんはじめ皆さん有り難う
                                    (菱山房子記)



          12回  横浜・みなとみらいから山手西洋館へ
◆平成17年5月15日(日) 晴時々曇り一時雨   昨年、横浜に新しい地下鉄「みなとみらい線」が開通して東急東横線と相互乗り入れ運転を始め、ちょっと遠くに感じていた元町や中華街が乗り換え無しの30分ほどでいけるというので一度行ってみたいと思っていましたから喜んで参加しました。 前々回の東京都庁と明治神宮初詣のときは20人以上と賑やかな会だったので、今回は天気はまあまあだし、さぞかしと思い西口に行ってみると全員で9名とやや少なかったが、皆勇んで横浜に向かう。 みなとみらい駅から長い階段を上がって地上に出ると、30年ぐらい以前に軍艦「三笠(?)」を見に来た時に比べてランドマークタワーを始めとするビル群あり、コスモワールドの観覧車ありで、浦島太郎の気分でした。 日本丸を見学する。練習艦として使われていた当時のそのままに保存されていて、若かりし頃に船乗りに憧れていた当時に思いを馳せた。 馬車道を通り、赤レンガのビル群を右に見ながら進むと左側に「工作船資料館」という建物があった。最初はピンとこなかったが、2001年12月海上保安庁の巡視船との銃撃戦の末自爆した北朝鮮工作船を展示した「海上保安庁資料館」と解り興味を引いた。昨年12月にオープンしたとの事、銃撃戦の時の生々しい弾痕や自爆の跡が印象的だった。 資料館を出る頃から雨が降り出し、皆傘を広げ、大桟橋まで歩く。丁度時間でもあり、送迎デッキで横一列に並び静かな海面をのんびりと眺めながら弁当を食べる。 横浜港では一般参加のレガッタレースが行われており、山下公園はその参加者で賑やかだった。氷川丸をバックに皆で写真を撮る。 この公園の時点で予定時間が1時間以上遅れていたので、横浜「人形の家」(改装中で休館)、港が見える丘公園、外人墓地、元町公園に隣接するエリスマン邸/ベーリックホールを足早で立ち寄り、待望の中華街に入る。 慰労会場は幹事さんがか ねて選んであった周富徳の 店。下戸の私も本場の中華 料理が食べられるという事 で参加させていただき、約 2時間美味しい料理をご馳 走になり、楽しい談笑のひ と時を過ごしました。皆様 の酒豪振りには驚きました。 帰りは、元町・中華街駅 から乗車、6時ごろ東久留 米駅に全員無事に帰ってき ました。 (島田 好多記)


               第11回 吉野梅郷散
◆平成17年3月13日(日)悪天候のため中止  悪天候のため中止

               第10回 東京都庁と明治神宮初詣
◆平成17年1月23日(日)曇天、極寒。私(北野)は、家内と初参加でした。十数人位の参加者かと思いきや二十数名、とても賑やかな会ですね。世話人の土屋さん、久家さんが実踏されていることが良く分かるような行程で、何一つ無理のない楽しいウォーキングでした。
当日は大寒間もないこともあり厳しい寒さでしたが、東久留米駅に集まった皆さんは、元気で明るく、集合場所は其処だけ春のような明るさでした。
最初に訪れた都庁は、休日という事もあり予定の議事堂は見られませんでしたが、展望台からは都内全域を見渡す事ができ、素晴らしいパノラマでした。次に明治神宮に初詣。還暦を過ぎた人も多いことでもあり、皆同じようなことを祈願した事と思います「健康第一、家内安全」。丁度、明治神宮内で結婚式があり、白無垢の花嫁さんが目の前を通り、心の中で「オメデトウ」と言っていました。我々夫婦も明治記念館で式を挙げたこともあり、四十年前のことも懐かしく思い出していました。
最後は新宿御苑。何時もの入口とは反対の「千駄ヶ谷門」から入った為、御苑の広さや、池の大きさに驚きました。園の中には珍しいペーパーホワイトのスイセンという真っ白なスイセンが咲いていました。また一本だけ寒緋桜が満開で、皆で歓声を挙げ、その前で写真撮影。そのあと、ドーム型の温室へ。南国の植物、世界の珍しい植物もたくさんあり、草花大好きな女性の皆さんは興味津々のご様子でした。温室の見学が終わる頃丁度昼食時間。外でおにぎりやお弁当を食べるには余りにも寒いので、レストハウスで食事。帰途、仕上げの会も計画されているようでしたが、昼食を取りながら男性軍中心に小さな酒盛りもあり、和気藹々の昼食でした。その後、帰り道に仕上げの会が有るとのことでしたが、私は翌日早朝からゴルフの予定もあり、今回は欠席させて貰いました。残念。
初参加にもかかわらず、皆さんのお気遣いにより楽しい一日を過ごす事が出来、家内共々感謝しております。特別な用事のない限り、今後とも参加させて頂きたくよろしくお願い致します。 
                         北野 直衛・博子


新宿御苑  寒サクラ

◆平成16年11月28日
  第9回 汐留新都心から高輪泉岳寺へ
  空が抜けるような良い天気。男性9人、女性7人のパーティは新橋の駅からシティセンターのビルを抜けて、「汽笛一声新橋を・・・」の旧新橋駐車場に出ました。あの広大な貨物駅跡地の片隅にこの遺跡が眠っていたのです。当時の発掘現場を新聞紙上で見たのは、いつの頃だったでしょうか。高いビル群に囲まれて復元された駅舎がひっそり立っています。日本の最初の汽車が横浜に向けて出発したのは明治5年。錦絵で見たことがあります。浜離宮は歩いて10分ばかり。昔歩いた頃とはあたりの景色がすっかり変わっていましたが、庭園の風景は暖冬で遅めの紅葉が池に映えて、少しも変わっておらず実に見事でした。将軍家の鷹狩場だったのでしょうが、ご一新後は皇室の鴨場に使われていたようで、その跡をゆっくりと観てまわりました。出来たばかりのイタリア庭園に行く道の傍らに一寸気のきいたスーパーがありました。ビールや揚げたてのコロッケを買い込んで、芝離宮へ。芝生に座りお弁当。お菜やお菓子を交換して和やかなお昼の風景です。増上寺と東照宮にお詣りして、日比谷通りを三田方向へ。慶応大学のそばを通り、普連土女学院を右に見て、聖坂の登りに汗をかきました。途中、土屋さんが日本労働運動発祥の地、勝海舟と西郷隆盛が会見した薩摩屋敷、縄文住居跡の三田台公園、さらに加賀千代の句碑「朝顔につるべとられてもらい水」の井戸のある薬王院などを案内してくれます。薬王院を出て、その先を左に折れ坂道を下ると、人一人やっと通れるような狭い道。高輪商業の校庭を左に見て、突然とび出したのは泉岳寺の門前。よくこんな道を知っているものだと、土屋さん、久家さんの下調べの熱心さに感心しました。泉岳寺は浅野内匠頭夫妻と四十七士の墓で有名なところ。線香の香の絶えることがありません。赤穂義士奉賛会の寄付により参道が、新義士記念館がリニューアルされています。いまも日本人の心をひきつけてやまないものがあるのでしょうか。この7kmのウォーキングコースを歩いてみて、汐留地区や浜松町あたりはすっかり変わって高層ビル群ばかり。名所旧跡は昔のままながらなにか遠慮がちにひっそりとおさまっていることなど、在りし日の東京を想い、懐旧の念にひたるばかりでした。仕上げは五反田のやきとり屋「秋吉」。まだ明るいので、貸切でした。 (中島 宏記)

◆平成16年9月23日 
第8回「ウォ−クを楽しむ集い」開催〜見沼代用水東縁コ−ス巡り

 
秋分の日、午前9時までに東久留米駅中央改札口前に往年の美男美女16名が集合し、10時近くに武蔵野線東浦和駅に降り立った。天候は曇り、気温は27度と絶好のウォ−キング日和だった。ちょっと歩いて見沼代用水西縁に出てから鬱蒼とした樹木に覆われた通船堀公園を横切って通船堀に出た。この堀は江戸時代に年貢米を江戸に運ぶために作られた大掛かりな堀で、水位の違う堀に百俵あまりの米などを積んだ「ひらた舟」を通す閘門が3つほど設けられていた。この閘門は規模こそ違うが、パナマ運河と同じ仕組みだ。江戸時代に人力でこれだけの規模の堀を作り上げ、閘門まで築いた技術力の高さに驚きつつ堀沿いの道を歩いた。代用水の東縁に突き当たって右に回り、東縁沿いの「緑のヘルシ−ロ−ド」を歩き、12時近くに川口グリ−ンセンタ−に着き、広大な芝生の広場の一角に陣取って、持参した弁当を広げた。昼食後ぐるっと園内を回ってから再び代用水東縁に出て、東縁沿いの遊歩道を歩いた。川側には桜やハナミズキ、クスノキ、山桃、ゆりのき、ポプラが順序立って植えられ、目を楽しませてくれた。最後に玉龍寺から地蔵院に出て天然記念物に指定されているタブの巨木を見て、桜町2丁目バス停から30分ほどバスに揺られて赤羽駅に着いた。下見の時に見つけた居酒屋に全員揃って直行し、まず1人1000円のトワイライトコ−スを注文し、生ビ−ルで乾杯して渇いた喉を潤した。普段ビ−ルすら飲まない女の人もおいしそうにビ−ルを飲み、男性陣を驚かせた。もとよりこのコ−スで足りるわけがなく、さらにお酒や料理を追加注文して飲んで食べて大いに語り合って1時間30分ほど過した。そして心地好い疲れと酔いに陶然となって赤羽駅から帰途についた。
                              (帆角記)




◆平成16年7月25日 第7回菅谷館跡 蝶の里公園から嵐山渓谷へ
 猛暑最中、誰もが家を出るのを躊躇ったのではないかと思われる725日(日)の8時、それでも東久留米駅に8人が集まる。予定通り武蔵嵐山駅に到着、何とここで松田さん合流、計9人でギンギン照りつける太陽の下を歩き始める。稲荷塚古墳、菅谷館跡、この辺から森林に変わり、蝉時雨の中、最近はあまり見かけない黒羽蜻蛉の群れに遭遇、マイナスイオンを浴びつつ蝶の里公園を抜けオオムラサキの森活動センターへ入る。中には標本や写真が展示されている。今は絶滅寸前で殆ど観ることが出来ないだろうと思っていると、驚いたことに所長が先程もオオムラサキの居るところへ案内したと云う。我々もと案内を乞い向かいの森の中へ「あそこに居るでしょう。あれがオオムラサキですよ」。数メートル先の木の二股のところに3匹のオオムラサキを発見、別の木にも1匹、12匹は羽を広げたり閉じたりしていて広げたときに独特の斑点が見え隠れしている。オオムラサキは案外大きくて羽を広げると10センチ以上はありそう、オスのほうが美しい紋様を見せるという、どうも皆雌らしい。それでも皆少年少女のような目で暫くはオオムラサキの虜になっていた。予定のコースを進み武蔵嵐山公園で昼食、この辺が京都の嵐山に似ているのが地名の由来とか、再び森林、田園風景を抜けJA産直に寄り菅田神社へ。駅に向かう途中世話人が下見時苦労して探し当てた成金屋という大衆酒場が今日の打ち上げの場所。この辺りは養豚の産地、鮮度抜群の焼きとんと冷え冷えの生で乾杯、カシラ、レバー、ナンコツは絶品!懐かしいホッピーまで登場、男共はヨレヨレとなりて目出度く幕。今回は焼きとんとオオムラサキの集いでした。焼きとんはオススメ一見(食)の価値あり。

                         (平山正徑記)


◆平成16年4月29日 第6回 都心のツツジを求めて・駒込駅から六義園・根津神社
 みどりの日、大型連休の初日は終日雲一つない絶好の日和に恵まれた。今回の探訪のテーマは「都心のツツジを求めてJR駒込駅から根津神社」です。駒込駅を降り立つと両側の土手はツツジがびっしり植えられ今年も満開。まことに見事、手入れをされている駅員さんに感謝感謝。新緑の六義園から本郷通り沿いを南下して「一冨士二鷹三茄子」の冨士神社。広大な敷地に歴史を感じる吉祥寺では昨年引退した三塚博元蔵相外相の葬儀が盛大に行われていた。更に南下して養源寺、夏目漱石の旧居跡を過ぎ根津神社へ。予想通りの大変な賑わいで、早々にツツジを横目に通り抜けて東大キャンパスへ向い安田講堂前の木陰で昼食となった。昼食後、三四郎池を通り抜け春日通りへ、春日局の墓がある麟祥院や土蔵造りの講安寺に立ち寄り旧岩崎邸庭園へ。正に豪華巧緻を極めた建物。先の深川清澄庭園、今日の六義園、この岩崎邸庭園を所有した岩崎弥太郎、東大講堂を寄贈した安田善次郎、往時の権勢をうかがい知ることが出来た。〆は上野広小路、初夏の陽気に冷えたビール、冷酒がひとしおであった。 
付記 参加者21名 (内女性 7名)、祝日の為、六義園 旧岩崎邸庭園 無料開放 (松崎 博 記)



               旧岩崎邸庭園



◆平成16年3月5日  第5回 豪徳寺から羽根木公園・観梅散策
 梅、観ごろ。初めてウォーキングの会に参加しました。総勢18名、世田谷の豪徳寺を起点に、比較的平坦で、楽な徒歩6km、所要時間3時間のコースでした。ウォーキングには脚力、体力の増進と爽快感があり、思索と風物の触れ合う愉しみがあります。また、夫々の地には歴史が刻まれており、歴史の重みと深厳なる気分が体感できます。さて、今回のコースは山の手の閑静な住宅路。世田谷城主 吉良政忠が500年前に建立し、後に井伊家の菩提寺となった曹洞宗禅寺<豪徳寺>をはじめ寺院(3ケ所)、松蔭神社など神社(3ケ所)、城址、公園ありの、そして世田谷区役所、国士舘大学等を傍観しながらの密度の濃い内容でした。松下村塾を模した建物や墓石、井伊直弼、吉田松陰、桂太郎が隣り合わせに眠っているのも往時を偲ばせ感慨深いものでした。コースの終着駅は「羽根木公園」。700本の満開の梅の樹の下、弁当を開きながら、サークル会長の土屋さんが持参した「早稲田の酒」で "梅見て一杯” と傾けたの風情のある光景でした。   
                             
                         

豪徳寺



◆平成16年1月12日      
第4回 谷中七福神巡り 
                             
豆富料理を楽しむ会(グルメ部会共催)
  
  
1月12日午前10時頃田端駅に降り立ったときは、谷中七福神巡りの参加者は23名を数えていた。穏やかな曇り空のもと土屋さんの先導で細長い列になって歩き出した。谷中の七福神は宝暦年間(1751〜1764)に開創された、江戸最古の七福神といわれ、最も古い七福神の1つだそうだ。東覚寺で福禄寿、青雲寺で恵比寿、修性院で布袋尊と順次おまいりをしてから佃煮の老舗“中野屋”や谷中せんべいの“信泉堂”をのぞき、日暮里駅前から谷中霊園に入った。天王寺で毘沙門天におまいりしてから寛永寺霊園内にある徳川慶喜、谷中霊園内にある長谷川一夫、横山大観などの墓を見て回り、幸田露伴の小説「五重塔」のモデルだった天王寺五重塔跡地の公園内で昼食をとった。昼から霊園を出て、長安寺で寿老人におまいりしてからちょっと寄り道をして全生庵に立ち寄った。この寺は江戸末期から明治維新時に活躍した山岡鉄舟が国事に殉じた人々を弔うために建立した寺で、鉄舟のほか三遊亭円朝、「叱らせて」など多くの童謡の作曲家弘田龍太郎などの墓があった。それから寺町の中を通って護国院を訪ねて大黒天におまいりし、さらに上野公園へと歩を進め、上野東照宮から寛永寺時鐘堂へと抜けて不忍池の弁天島に出た。最後に見目麗しい弁天様にお会いできると楽しみにしていたのに、ここの弁天様は1年に1回、9月11日しかご開帳しないと聞かされ、至極残念な思いをしたのは私ばかりでなかった筈だ。ここでひとまず解散となったが、うち18名はそのまま寛永寺を回って鶯谷駅に出て、豆腐料理で有名な老舗“笹乃雪”でやっと腰を落ち着けた。田端駅を出てから約9万歩。お寺と神社と七福神そしてお墓を巡り、満開の蝋梅の芳しい匂いに酔い、ところどころでほころび出した紅梅白梅を愛でた約5時間の楽しいウォ−キングだった。                  
                                   (帆角信美)


福禄寿の東覚寺



◆ 平成15年10月19日   第3回 深川界隈散策

 晴天に恵まれて総勢11名(内女性4名)の参加を得て、隅田川の東岸・江戸の下町の名残を見る深川界隈のコースを散策した。8時30分東久留米駅に集合し、西武線、地下鉄大江戸線と乗り継ぎ、森下駅からのウオーキング開始が10時。新大橋、芭蕉記念館、芭蕉庵跡と訪ね清澄庭園にて昼食。この庭園は江戸の豪商紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ、岩崎弥太郎が造園を計画し、全国から取り寄せた名石を配して「回遊式林泉庭園」としたもので、その景観はとても素晴らしかった。午後は最初に深川江戸資料館を見学。この中には江戸時代の庶民の家や生活が再現されており、下町の暮らしが実感できて大変興味深かった。そのあと富岡八幡宮、深川不動尊等を経て石川島公園にて休憩し、佃島にてそれぞれ佃煮を買い求め最終地月島駅に到着した。月島では有名な「もんじゃ焼き」の店に入り、雑談しながら初めて食べる美味しさに皆満足した。今回のウオーキングでは江戸の下町風景を感じ、隅田川に架かる美しい橋(新大橋、清澄橋、佃大橋等)を眺めながら約7km3時間の散策で全員楽しく完歩することが出来た。
                                 (森田 隆記)
 



◆ 平成15年8月6日 第2回 谷津干潟とサッポロビール工場訪問

 東久留米駅集合、参加者は女性6名、男性8名の計14名。8時27分の電車で出発、池袋、日暮里乗換えで10時15分谷津駅着、暑い中まず谷津公園へ。園内にプロ野球発祥の地として記念石碑が設置され、巨人軍の名選手の手形が彫刻されている。そのすぐ横の谷津バラ園に入園、700種、6300株のバラが植えてあるが、シーズンを過ぎており、花は少々元気がない。次に谷津干潟公園へと歩を進める。東京湾最奥部に残された約40ヘクタールの干潟で周囲約3.5キロ、生態観察公園として、観察路が整備されている。多数の野鳥を観ながら、約1時間で谷津干潟観察センターに到着、館内で種々の資料、パンフレットを参照しながら再度野鳥の勉強。昼食後12時15分出発、猛暑の中汗を拭きふき、若松公園、食品工業団地を歩き東京湾奥部の船橋港の突端にあるサッポロビール千葉工場に約1時間で到着、敷地面積17万2千平方メートル、大ビン換算年間5億500万本生産の大工場を見学する。完全なオートメーションの設備、総てコンピューター制御の素晴らしい工場を約40分案内される。工場の見学通路から見える緑地帯の熱帯植物の中の一本、メキシコ原産の植物が日本では30年〜50年に一度開花する青乃龍舌蘭の10メートル近い開花に一同は幸運にも遭遇する。開花を終えると、この植物は枯渇するとのこと。最後に待望のビールの試飲で喉を潤し、しばし暑さを忘れる。隣接のビール園に席を移し、再度ビールで乾杯、ジンギスカン、ソーセージ等を食べ宴も盛り上がる。今日一日猛暑の中でのウオーキングであったが、一人の落伍者もなく一同元気で懇親を深めることが出来た。午後5時、44年早大理工学部卒の取締役工場長の見送りを受け帰路へつく。 
                               (久家 政裕記) 




◆ 平成15年6月15日  第1回 水元公園と江戸川堤散策 

 会員・会員家族総勢14名の参加を得て、初めてのウォ−キングの会が催された。

 午前9時東久留米駅に集合した一行は、葛飾区にある「水元公園の花菖蒲」と「すがすがしい江戸川堤」を求めて、西武線・JR線更には京成バスを乗り継ぎ、公園の北側入口からウォ−ク開始したのが11時前。最初の「さわせみの里」では、なかなかお目にかかれないはずの〈かわせみ〉とのご対面とあって一行ご満悦、幸先のよいスタ−トとなった。北欧の農村地帯を思わせる雄大なポプラ並木を歩み、水生植物園では暫し満開の花菖蒲を楽しんだあと、雨滴を含んだ広大な雑草地帯を足の裏にやわらかさを感じながら雑草と土を踏み締め、更に、古い利根川の河跡といわれる小合溜(コアイタメ)の水辺に沿って釣り人一人一人の背を追いながら進む。こうして、ゆっくり1時間あまり歩いたところで、都内随一を誇る菖蒲園に到着。
 12ヶ所の菖蒲園に20万株もの花菖蒲が、紫・藍・白と色鮮やかにみずみずしく咲き競う様は見応えのあるものだったが、花まつり最中の日曜日とあって人手もはげしく、ゆっくりと花を楽しむには少々期待はずれであった。
 日比谷公園の4倍以上もあるというこの公園は、広大かつ自然味あふれる水郷風景が広がり、東京都心とは到底感じさせないすばらしい公園である。
 小合溜の水面を眺めながらおにぎりを頬張った後、しばられ地蔵で知られる南蔵院から尾州徳川家の立願所だった半田稲荷や大イチョウが目につく葛西神社で参拝がてら小休止を取りながら、一路江戸川堤へと進む。 広い河原敷とゆっくりと流れる川面、その向こう遠くにかすむ千葉県の田園風景、いっぺんに視界が大きく広がり、実にすがすがしい。おもいっきりいっぱい空気を吸いながら、渡し船の往き来や河川敷での草野球を眺めながら1kmを超す堤防ウォ−クが続く。矢切の渡し地点で堤防と別れ、最後の目的地、寅さんで名高い柴又帝釈天を参拝し、全行程の完歩である。
 この時期特有の梅雨空下での第1回ウォ−キングではあったが、一度も傘を開くこともなく、7km3時間、文字通りのんびりぶらりの歩行とはいえ、総勢14名全員が無事完歩でき、まずまずのウォ−キングであった。
 この後、全員で帝釈天参道の一角にある飲食店でビ−ルで乾杯、親睦のひとときを過した。                                 (土屋記)


65万uの広大な水郷公園
  バードウォッチング(かわせみ) 

何れがあやめ、しょうぶ、かきつばたの菖蒲園

梅雨の晴れ間 
最後は柴又帝釈天で一杯