最新の上海事情を語る
杉本 達夫 早稲田大学文学部教授 当会顧問  
 平成12年春から1年間、上海の大学で交換研究員生活を送られた杉本達夫教授に、帰国直後の昨年4月、最近の中国事情についてのご講演をお願いしました。その要約を次のようにまとめてみました。
                      ** ** **
 上海では、昔の孔子廟の境内に毎日曜、古書市が立ちます。早稲田の近くの穴八幡の古本祭よりはうんと小規模で、本は革命後のものばかり。たまたま運がいいと作家、老舎の革命前の版本などが手に入ります。ある日ほしい雑誌が25冊出ていて、聞くと1冊2百元だという。全部で5千元(邦貨で7万5千円)です。懐中には8百元しかないので「この範囲で売ってくれ」というと、相手はしばらく考えてから、「よしっ全部もっていけ!」
 この話を地元の人に話すと「8百元でも高い」ということでした。
 この孔子廟あたりは古い上海のたたずまいを残していて、幅1〜2メートルの細い路地が続いています。そこで洗濯したり食べ物を洗ったり。路地に向き合う建物の窓から窓へ竿を渡して洗濯物が干してあり、歩くと頭の上から滴が落ちてきたりします。
 一方、“老上海”と名づけられるこの辺りは何百年前からの街の姿を残し、新しい建物も古い時代の様式で建てられています。そんな建物の一つの屋上庭園でお茶が飲めるところがあります。そこからは明清様式の甍屋根の波をみ、遠景には超近代的な2百メートルの高層ビルやテレビ塔を眺めることができます。
 老舎は戦前から北京の庶民生活を描いて非常に著名な作家です。対日戦争時代、 国共統一戦線の文芸界の中心となり、革命後は共産党政権の宣伝役として活躍します。が、文化大革命のさなか、反革命分子とされ紅衛兵の少女たちに引き出され、暴行を受け、翌日自殺します。一昨年、老舎の死についてインタビュー集が刊行されました。老舎がどのように糾弾されたか、研究者が当時の模様をさまざまな観点から聞き取りしたものです。またその直後、北京で老舎文学についてのシンポジウムがあり、私も出席して話を聞きましたが、結局30数年しか経っていないのに老舎の死の実相は分かりません。一つの事実を確定することがいかに難しいか、それをよく物語っていると思います。
 かって日本人が多数住んでいた地域に魯迅公園があり、そのそばに著名な文芸関係者達を等身大の銅像に復元した文化名人街があります。そのなかに日本人の書店主、内山完造が和服で正座している像もあります。日本で出版された本を上海の店に並べ、「代金は払えるときに払いなさい」と長い間中国人相手に信用売りをしました。戦前多くの中国人が西欧世界の知識を日本の書籍で得ましたが、この信用売りが店の信頼を高め一層多くの客を呼びます。また内山は政府に追われる魯迅たちをかくまったりしています。こうして中国と内山は深い信頼関係を築き、いまも中国の人々の間では大きな存在として生きています。私は上海の町を歩きながら、不幸なことも多かった日中関係史の中で日本では無名の本屋さんがいかに大きな役割を果たしたか、改めて痛感したものでした。