ラグビーに学ぶリーダーシップとチームワーク
講師 日比野 弘早稲田大学人間科学部教授

                    講師紹介
 昭和9年11月20日東京生まれ。昭和33年早稲田大学教育学部社会科卒業。昭和56年早稲田大学専任講師(体育局)。昭和57年同助教授。昭和62年同教授。現在に至る。
 昭和29年早稲田大学に入学と同時にラグビー部に入部。1年からレギュラー獲得。国際試合などで、日本代表・全早大のウィングとして活躍.昭和45年早大ラグビー部監督に就任。現在は日本協会理事としてラグビーの強化、発展に尽力している。
       
                
目次
 1.はじめに
 2.私がラグビーにのめりこんでいったわけ
 3.ラグビー精神
  (1)アマチュアリズムを大切に
  (2)チームプレーを再優先 
  (3)レフリーが絶対
  (4)ノーサイドの精神
 4.カナダの仲間
 
  (1)ダニーベイチ
  (2)ビルダンバー 
 5.早稲田のラグビーについて
 6.チームワークとリーダーシップ
 7.努力が運を支配する

    
                              *  *  *  *

1 はじめに 
 皆さん今日は。只今ご紹介いただいた日比野でございます。本日は東久留米稲門会の皆様又特別参加の方々の前で私の体験したラグビーというスポーツを通じて学んだこと、或いは感じたことをお話しする機会を与えられ、大変嬉しく思っております。日曜日ですし、外が大変素晴らしい天気ですから、本当はこういった室内でなくて、表に出てスポーツをした方が良いようですけれども、どうぞ皆さんも背広を脱いで気楽に話を聞いていただければと思います。私も途中で失礼して脱がせていただきます。
 東久留米稲門会の総会、本年が第3回と伺っておりますけれども、それだけに大変気合が入っている。熱心にご活躍なさっておるようであり、ご同慶に耐えません。
 私もこの沿線に50年住んでおります。桜台に。ちょうど10歳のときに戦災で中央区の家を焼かれて練馬区に住んだまま、小学校、中学校、高等学校を出て早稲田に参りました。皆さんの中にもいろんな所で当然かかわり合いがあろうかと思います。東久留米にも沢山友人がおりますし、現に今回の安宅会長、それから高橋さんとは旧知の仲でございます。どうぞこれを機会にお見知りおきいただいて、よろしくお願いしたいと思います。

2 私がラグビイーにのめりこんでいったわけ
 
今日は外部から来られた方で、明治大学ご出身の方があったら手を挙げて下さい。けなしちゃってからでは取り返しがつきませんので。それは冗談としまして、やはり早稲田の方を中心とした会というのは大変話し易い。あいつはどうも早稲田のことばかり言ってるということで、外へ行くと時々反感をかうケースもありますので。
 今日は私の学んだスポーツ或いは早稲田のラグビー、そういった事を話させていただきたいと思います。皆さんの中には、ラグビーの好きな方もおいでになると思いますが、ラグビーもサッカーもアメリカンフットボールも区別がつかんという人もおいでになろうかと思います。けれども、それぞれ自分の好きなスポーツに置き換えてお聞きいただければと思います。
 今日本ではサッカー、Jリーグもすこし下り坂になって来たようでございますが、それでもサッカーが大変盛んになりまして、ラグビーを遥かに凌駕したといえるだろうと思います。ラグビーも又昔に較べれば大変盛んになってまいりました。私たちもよくマスコミの諸君から「今何故ラグビーか」と聞かれることが多くなりましたけれども、どうもそういうご質問にはうまく答えられない。何故この頃になって早明戦の切符が買えないような状況が続いているのか。或いは若い女の子が大勢観に来るようになったのか。どうして俺たちがやっている時に観に来なかったのか、不満であるけれども上手に答えることができない。
 お前は何故このスポーツにそんなにのめり込んだのかと聞かれればそれは判然と答えることができる。それはこのラグビーというゲームが、1チーム15人という最大人数のチームスポーツだと言うところに原因がある。その15人が体のでかい奴ばかり集めれば勝てるかというと必ずしもそうも行かない。15のポジション色々な個性を生かして適材適所にポジションを配置して、その15人が個人の手柄を競わずに、チームの勝利という目的に対して一丸となって戦った時に始めて良いゲームになる。それがこのゲームの大変面白いところです。
 皆さんの知り合い友人の中でもラグビーをやった人がおられると思いますが、よく耳のつぶれている奴がおりますねえ。ラグビーだけでなくてレスリングや柔道や格闘技をやった人,お相撲さんを見ればよく分かります。ラグビーもスクラムで押しくらまんじゅうをやりますので、そうすると耳がこすれてはれてくる。練習休ませてもらえば元に戻るのですけど、競争の世界ですから、練習休んでいるとレギュラーを取られちゃうということで頑張ってゆくとそのまま固まってしまう。それで今日日(キョウビ)の若い者が「先生ウォークマン耳に入りません」。ギョウザとかカリフラワーとか冴えないあだ名つけられて、何やっているかというと、大変地味で目立たないスクラムという押しくらまんじゅうの最前列をやってくれている。一緒にラグビーやっていてどうしてこんなポジションやってくれる奴がいるか不思議でしょうがないほど、痛くて辛くて大変だろうなあと思うんですけれども、そういうのが3人いないとこのゲームが成り立たないわけですね。
 そうかと思うと大変目立たないポジションもありますし、足の速いのが活躍できるそういうポジションもあります。それが皆やはり自分の手柄を競わずにチームの勝利をめざして、いろんな人が協力してゲームを進めてくれて初めていいゲームができる。それがこのゲームの大変面白いところであります。
 それからもうひとつはイギリスで起こったスポーツ、ラグビーは特にジェントルマンたれということをよく言います。ジェントルマンとは何かという定義も難しいですけれども、要するに他人が見ていようと見ていなかろうと常にベストを尽くすのだ。ファアプレーの精神で決して卑怯な振る舞いはしないのだというようなところになるかと思うんです。
 相手がどんなに弱くても全力を尽くして、その場合には徹底的にうちのめす。手抜きなんかしたら大変失礼だということになります。負けたとしても全力で闘ったのであれば何も恥じる必要がない。そういうことで大変フェアプレーの精神を強調します。
 そういう中で自然に我々がラグビー精神と呼んでいる一つのポリシー考え方が生まれてきて,それが我々大変好きで、そういうものを大事にしてくれる仲間が好きで、益々のめりこんでいったのではないかというように思います。

3 ラグビー精神
 ラグビー精神といいますと大変固くなってしまいますけれども、僕は4つ位特徴があるかなと思います。
  (1)アマチュアリズムを大切に
 ひとつはアマチュアリズムを大事にしてきたということです。残念ながらしていると言い難い時代に入りました。アマ・プロオープン化ということで世界のトップレベルは皆プロ化して来た。プロといっても、いわゆる日本のプロをイメージされるとちょっと違うんですけれども。ラグビーをやることによって大変多くの時間を以前と較べて必要とされるようになってきました。例えばヨーロッパで5カ国対抗というイングランド、スコットランド、アイルランド、ウエルズ、フランスの5カ国で毎年争われる。これがヨーロッパで大変大きなイベントで、人気あるゲームです。この5カ国対抗は10年前まで、試合は土曜日の1時に始まる。その48時間前、木曜日の1時以降に集まることは許されていなかった。アマチュアとして一週間も合宿してゲームするなんてことは、本当にアマチュアと言えるのかということで、大変厳しいアマチュアリズムが貫かれていたものです。そういう精神が今変わってきている。やはりそれぞれの国を代表して闘っていくために時間がとられるようになってきた。失われた時間は協会で補填しなければ、彼らは週給制ですから生活が出来ない。昔は生活レベルが高くて充分時間のとれる人達だけでやっていたのですが、今では誰でも参加できるようになった。そして失われた時間は協会が補填するようになった。
 そういう意味で従来のアマチュアとは違ったものになってきた。しかし日本はまだアマチュアリズムを守っておりますし、これからも精神的にはずっと残されてゆくと思います。我々の大事にしてきたアマチュアリズムというのは、現在でも脈々と生き続けています。
 例えば私なんかもラグビーの試合の多い時期、時々解説などで出させていただくことがありますが、うちの近所の奥さん方は、私の女房に「あんたのところは臨時収入があっていいわね」というそうです。けれどもそういったのはラグビーでは全部協会でちょうだいする。そういったのはみんなの競技普及或いは怪我した人のために積み立てておく。全体の目的のために使わせていただく。これがラグビーのルールです。別に格好つけているんじゃなくて、もっともっと協会に財源のなかった時代から、先輩たちが皆協力して頑張ってくれた。我々も年齢的に立場的にそういったことができるようになったことは喜びである。それ以上のものではない。
 今価値観が大きく変わり、こういったことを若い人達の求めることは無理だと思いますけれども、精神はしっかり生かしていって欲しいと思っているところです。
 
  (2)チームプレーを最優先
 二つ目のラグビー精神の特徴は、アマチュアリズムの延長線上にある考え方と思いますけれども、個人プレーではなくてチームプレーを最優先にする。そういう思想だろうと思うんです。プロ化してきたラグビーでは変わっていきますけれども、ラグビーという競技には個人を表彰する制度が一切ありません。最優秀選手とか得点王とかそういうものは全然ないのです。どういうポジションであれ、チームを代表してチームの一員として闘ったのであれば、勝利に対する喜びも貢献度も或いは敗戦の責任はみんな一緒じゃないか、という考え方によるのです。
 その考え方は、ラグビーではよくone for all、all for oneという表現をします。これはラグビーが生み出した言葉ではなくて、フランスの(ダルタニヤンの三銃士を書いた)デュマという作家がその作品中で使った言葉だそうです。ちょうど毛利元就の三本の矢と同じですね。しかしラグビーはそれを専門のように使ってしまっております。
 「みんなは一人のために」というのは、誰でも良いのだ、チームの中で一番良いポジションを取れた奴に球を渡してやる。そいつに得点をあげさせる。そうすればそれがチームの勝利につながり、自分の喜びとなって戻ってくる。ボールをまわそうと思ったら、嫌いな奴が来たから止めたというのでは勝てないわけですから、自分の体をいつも鍛えておいて自分の体を武器にして、タックルから逃げるんじゃなくて、自分をタックルさせるようにして走る。そしてそこに相手を2人でも3人でも集めれば、相手の中で手薄になっている奴が出てきているはずだ自分の体を殺してボールを生かしてやれば、そいつが前進する。そういう競技なんです。
 皆さんもシーズンになるとテレビのスポーツニュースで、ラグビーのゲームのハイライトをご覧になることがあると思います。ラグビーでは相手の陣地に球をつけると、トライといって5点もらえる。従ってそれがゲームのハイライトですから、後になって写される。そのときにラグビーの選手は割りに淡々として引き上げてくるのをご覧になるでしょう。サッカーなんかですとシュートした選手が大変オーバーなアクションで全身で喜びを表現します。バレーボールなんかでも、一点取るたびに鉢合わせしてお手打ちをしています。
 みんなが痛い思いをして、自分の体を犠牲にして相手をそこで食い止めてボールを生かし、そのボールが仲間の手を渡って自分のところに渡って来た時にはもう敵がいなくなっていた。従って得点をあげることができた。1/15の責任を果たした喜びとか或いはチームに貢献できた満足感。そういうものはあっても、俺がやったんだとばかりはしゃぎ回ったんでは、ラグビーのチームプレーを最優先する思想が分かっていないということになろうと思います。
 「one for all」というのはその逆で、自分のボールを持ったときにはいくら足の騒ぐまま暴れまくっても、ルールに違反しない限り結構なんですけれども、大事なボールを敵に奪い取られてしまったんでは、チームに貢献できるどころか、マイナスになってしまう。自分がボールを持った時にも、俺には14人の仲間がいるんだ。今自分がチームのために組織のためにどう行動することが求められているのか、どう動くことがチームに貢献することになるのか、それを考えてプレーしようというのが「one for all」ということです。
 いずれにしてもラグビーのチームは「all for one」「one for all」という思想によって、個人を捨ててチームの目標を達成するために貢献する。それに喜びを感じる。そういった事が、自然に身についているスポーツのように思います。

  (3)レフリーが絶対
 3つ目のラグビー精神の特徴は、15人同士合計30人。かなり血の気の多い奴が体をぶっつけ合って競技するわけですから、時にはエキサイトして殴り合いになったりすることもあります。しかしそれをたった一人のレフリーが裁く。レフリー絶対という思想にあると思います。
 ルールブックでは、「レフリーは唯一絶対の事実の判定者である。何人もレフリーの決定に意義を申し立てることはできない。」一切クレームがつけられないようなルールになったいます。レフリーも人間ですから間違いを冒すこともあります。だいたいラグビーをやっている選手は、私のお話しするようなファアプレーを守ってやってくれれば、こんな素晴らしいことはないんですけれど、中には悪い奴がいっぱいいます。ラグビーをやってなければ間違いなくどこかの組の幹部だなんて奴が沢山いるんね。大体8人がスクラムをよいしょと組む。その組んだ瞬間に相手の目玉をつつく奴がいる。とんでもない奴がいるんで、そういうのはラグビーをやる資格がない。そういう卑怯な汚いことを嫌うわけです。ですからゲームの中でそういう汚いことをやられたら、「貴様汚ねえぞ」と殴るのは当たり前なんですけども、レフリーには目玉をつついた奴は見えませんから、殴った方を即刻退場させてしまう。「ちょっと待ってくれ」あいつがこうやったんだ。というのは一切なしですから、時には矛盾したことも起こりえます。
 しかしこのラグビーというゲームの中から、お互いがファアプレーに戦って全てレフリーにまかせる、そういう基本的精神をなくしてしまったら、途中から収拾がつかない殴り合いになってゲームは成立しない。だからレフリー絶対ということを大切にしてきているんだろうと思います。
  (4)ノーサイドの精神
 四つ目の特徴は、私の一番好きな言葉ですけれども、ラグビーにはノーサイドという言葉があります。ルールブックでは「試合の終了をノーサイドという」とわざわざ書いてあります。ボールゲームでしたらゲームセットとかタイムアップとかいう表現でよいと思いますけれども、ラグビーではことさら試合の終了をノーサイドと言うんだとルールで決めているんです。正にレフリーが両手を高々と挙げて試合終了の時刻が来たことを告げる瞬間がラグビーのノーサイドの瞬間です。
 しかしこの言葉には我々ラガーマンのもう一つの思いが込められているように思います。それはゲームが終了した瞬間、どんな宿命のライバル早稲田と明治というライバルであっても、それまでのお互いのライバルという立場は全てなくなるんだ。早稲田サイド、明治サイドというサイドがなくなるんだというのがノーサイドの精神です。従ってゲームが終わったら先ず自分と体をぶっつけ合ったプレーヤーとお互いの肩を抱き合い、勝って驕らず、負けて悪びれず、素晴らしいライバルがいて素晴らしいゲームができるわけですから、お互いの健闘を称えあう。そしてそのノーサイドの瞬間から今度はライバルとしてではなく、同じスポーツを愛する人間同士として新しい本当の交流友情のスタートを切る。これが我々ラガーマンのねずみ算式な仲間の増やし方でもあります。
 試合が終わったら高校生は別ですけども、大人のラグビーでは右と左に分かれるということはしません。必ず一堂に会して酒を飲みかわす。これをノーサイドのパーティと呼ぶんですけれども、そのパーティで今度は互いにラグビーの仲間として交流をスタートさせる。そういうのがラグビーにはつきものになっています。
 on the field,off the field とよくいいますけれども、onn the field グランドの中には戦場だ、入ったら徹底的に手抜きをせずにとことんやらなきゃいかん。しかし一歩グランドを離れたらoff the field はノーサイドの世界だ。そこではラグビー仲間としての友情あるのみということだ。従ってラグビーのノーサイドのファンというのは、ラグビーの第二試合として大変重要な意味を持ち、位置づけされています。従ってグランドの方で負けるとつい第二試合で勝とうとするもんだから飲み過ぎてくたびれるわけです。
 世界中のラガーマンがこのラグビーのノーサイドの精神を大変大事にしています。ノーサイドの話しをしているとかえってキリが悪くなっちゃうんですけども、大変思い出に残るノーサイドを一つ二つ話してみます。両方ともカナダの奴の話です。カナダというのは、昭和5年に日本が代表チームを作って初めて遠征したのがカナダです。それから実力もチョボチョボということもあって約70年位大変親しい交流を続けてきている国の一つです。
 今オーバーホージーといって40才以上のチームの交流も盛んで、そういう試合には70〜80のおじいさんも出てきます。そういう人がラグビーやって危なくないのかと思われますが、ちゃんとルールで保護されて危なくないんです。70才以上になりますと、黄色いパンツをはきます。80才以上になると赤パンツ。そういう人は走って来たらタックルしちゃいけないことになっている。

4 カナダの仲間
  (1) ダニーベイチ
 カナダにそういう長い付き合いをしている仲間が沢山おりますが、そのうちの一人にダニーベイチというのがおります。これは私が、33年教育学部を卒業した年にカナダからラグビーチームが来日しまして、私もオールワセダのチームのOBとして補強されて対戦しました。そのチームにはダニーベンチという肩から右腕のない男が選ばれて参加していました。当時大変話題になった選手です。ラガーマンとして肩から全く腕がない、大変大きなハンディキャップなんですけども、それを克服して代表に選ばれた、そういうことで当時話題のなった選手です。
 その当時ノーサイドのパティで親しくなりました。その後私がナショナルチームの監督になってカナダに遠征した時、彼の消息を聞きました。彼はラグビーのアマチュアの世界から離れて、サッカーのクラブのマネージャーをやっているということで、ラグビーの会合には出てきませんでした。再会したいと思っていた男でしたから残念に思ってんですけども、それで彼のことをすっかり忘れておりました。
 香港でありました7人制大会に日本の団長監督で行ったときのことです。大会の前の日に各チームのマネージャーとキャプテンが集まってお互いに酒を飲む、そういう会がありました。カナダの連中の中に苦み走った良い男で俳優さんのような男がいる。そいつに僕が握手をして名乗りをあげようとして、手を出したらば彼の右手がなかった。それでアッと気がついて、「ダニーか?」と言ったら「そうだ。こんな所で会うなんて」ということで何十年振りの懐かしい再会をしたんです。その時に「俺はワセダのチームをよく覚えている。証拠を見せようか」彼が言う、「見せてくれ」と言ったら、そこで彼がワセダの校歌を歌いました。勿論その後誰かに教えられたのかもしれません。全く突然の出会いで、そういう所で何十年ふりかの旧交を温めた時に、彼の口からワセダの校歌が出てきた。何か一瞬僕も感動して涙ぐみました。ノーサイドというものをそれぞれ大事にしてくれているなという思いを新たにいたしました。

  (2)ビルダンバー
 同じカナダにビルダンバーという奴がいました。これは生きていれば僕と同じ年くらいです。日本に大変友人の多い男でした。これが日本にブラッとやって来た。早速カナダで世話になったことのある連中を集めて、彼を囲むノーサイドのパーティを開きました。いつものように酒を飲み、歌を歌い、大変素晴らしい楽しい一夜を過ごすことができました。彼も大変喜んでくれまして再会を約して別れたんですけども、別れしなに「これからどうするんだ」と聞きましたら、関西九州を回って親しい友人とあって帰るんだということでした。ずいぶん優雅な熟年旅行だと冷やかして別れたんです。我々は彼が日本を離れてから、彼が癌に冒されていることを知りました。日本では癌に冒されると、症状が進んでいる場合には患者にショックを与えないように本人に告げない例が多い。ところが、成人男子65%位が、癌だったら俺にも言ってくれと言っている。これから日本も変わってくるかも知らない。現状では本人に告げないで、家族のしっかりした人に、患者が癌だと告げる例が多いようです。ある意味では、肉親の癌を告げられた人は、本人より辛い思いをして患者を見守り、癌と闘っています。別に悪いことではありませんが、外国ではストレートに本人に告げる例が多い。何故そんなことをするんだと聞きましたら、癌が例え不治の病だとはいえ、明日には良薬が発見できるかもしれない。患者に癌と闘う強い姿勢を求めると言うのが一つ。もう一つはもし大変不幸なことだが、本人にとって半年とか一年とか限られた命だとしたら、それは本人にとってかけがえのない時間だ。だから本人に知らせるんだと言うんです。
 癌だということを知らせれた時のビルの心中。これは我々の入ってはいけない世界です。どんなに苦しんだことか、悩んだことか。しかし彼はその闘いに勝ってそして彼の到達した結論は、それなら元気のうちにノーサイドの友人たちと別れを告げて置きたいという事だったようです。どんなに辛い旅行だったことか。その中で我々に全く気づかせずに、いつものように豪快に笑い、そして心の中で別れを告げていったビルという奴の生きざまを見て、すげえ奴がいるなと感動を覚えました。お前はあんなに強く生きられるか、人間として自分が全く未熟だということを教えられたような気がたのです。人間は元気な時は、そこそこ頑張っていけるようですけれども、誰も終焉が訪れます。
 人生で最大の不幸というのは最愛の人の別れだそうですけれども、これも誰でも避けることができない。必ずやって来る。時には生きていくには耐えられない、そういう辛い試練にぶち当たったときでも、やはり人間はその試練に耐えて、時間がかかってもそれに打ち克って、残された選択肢の中でなにがベストなのか、しっかりつかんで生きていかなくちゃいけない。またそれはできるかどうか。それが試される時がきっとあると思います。
 群馬山中に錐揉み状態になって落ちていった日航機の中で我々と同世代の人が、妻子への別れをしたためていった凄い人がいます。そういう人を見ると本当に人間とは強いものだと思いますし、自分が未熟だと言うことを改めて知らされます。
 皆でお見舞いを集めて、彼の枕元に届けたときには、彼は意識が無かったそうです。そのお金でカナダのバンクーバースタンレー公園にあるラグビー場のクラブハウスに、ビルバンダーズメモリアルルームを作って彼の功績、徳を偲ぶようにしました。私も昨年の秋そこに行きまして、彼の遺影と対面して大変懐かしく酒を飲み交わしたことです。
 僕もそれから以前に較べて少し強くなれたような気がします。なにか自分が行き詰まったりした時に、必ず彼の顔が浮かんで、気合を入れてくれるわけです。「おいヒロ!なにをお前しょぼくれているんだ。世の中にお前より苦しい思いをしている奴はなんぼでもいるんだぞ。しっかりせい!」と気合を入れてくれるんです。
 僕の心に浮かんでくるビルの顔というのは、一度も悲しい顔では浮かんできません。何時でも豪快に全身で笑っている顔しか浮かんできません。それがカナダでのノーサイドの楽しい思い出によるものです。
 ある日いつものようにゲームの後ビールの早飲み競争をやって騒いでいる時に、ビルが僕にラグビーの動物小話をした。「おいヒロこういう話を知ってるか?ある時いろんな動物が集まって、俺たちもラグビーしようということになった。」チームを二つに分けて、各々のチームでキャプテンを選んだ。片方のチームは象を、片方のチームは犀をキャプテンにして、象チームと犀チームでラグビーの試合をした。犀チームはキャプテンの犀にボールを集める。犀が低い姿勢で角をふりかざして、あの巨体でつっこんでくると、象チームはタックルに行っても皆ハネ飛ばされて誰も止められない。前半からワンサイドゲームになってしまった。僕が「おいビル一寸待て、どうやって犀がボールを持って走ってくるか説明しろ」といったら、「そんなことはいいんだ、最後まで聞け」というんです。ハーフタイムにキャプテンの象が全軍を集めて、お前は何としても犀を止めろ、犀をタックルしろ。そういう檄を飛ばして後半に入った。前半一度も止められなっかた犀がボールを持って突っ込んできたら、今度は見事にタックルされてズデンと倒れたんですね。象が喜んでナイスタックル。一体誰が犀を倒したんだと聞いたら、ムカデが出てきて私です。ムカデが犀の足に絡み付いて倒したというんです。随分でかいムカデがいるもんですね。象が喜んでナイスタックルだ。お前が最初からいてくれりゃこんなワンサイドゲームにならないのに、お前前半何やってたんだといったら、ムカデがスパイクつくのに手間どっていました。酒飲んだ時でしたから、本当に泣いて笑った顔がそのまま浮かんできます。
 皆さんの周りでもラグビーをやっておられる方がいるでしょう。一度そういう人に聞いてみてください。「お前ラグビーやって何がよかったか」決してマニュアルが出回っているわけではないんですが、ほとんどの者が素晴らしい友人ができたと応えるでしょう。僕もそれ以外に適切な言葉は見つかりません。ラグビーというスポーツに出会えたおかげで、「ノーサイドの精神」、ノーサイドというのは見方を変えれば、人生の中でふれあいを大事にするということとイコールです。共に闘った仲間は勿論のこと、ライバルともノーサイドの時を親しむ。ラグビーをやっていなかった人ともラグビーというゲームを媒介にしながら新たに親しく交流をはかる。その中で自分が育てられてゆく。ラグビーのノーサイドの精神に出会えたことが一番良かったと思います。
5 早稲田のラグビーについて
 ここの所早稲田はなかなか明治に勝てません。私この会報に載っている人間科学部という所沢に新しくできている素晴らしいキャンパスに勤務しているんですけども、教員でありながらスポーツ選手を入学させる制度がせっかくあるのに有効に機能しませんで、もどかしく思っているんです。世間から見ますとそういった入学制度には、我々も一枚も二枚も絡んでいるんだろうというように見えるらしくって、時々一般の方から「どうしてあんな細かいちっちゃいのばかり取るんだ。お前さんがラグビーはフォワードは小さくても勝てるなんて思っているうちは、早稲田は勝てね
」と投書をくれるんですけども、無記名の投書ではどうにも返事の仕様がなくて困るんです。
 私達もなかなか良い選手が集まらない。さっきいったように前の三人が明治さんと決定的な違いがあるんで、ここんところだけ補強してくれれば、あとは何とでも戦力を作れるんです。やっぱり大学に入れてから急に大きくするというわけにはゆきませんので、大変辛く悔しい思いをしています。
 今シーズンは早明戦2回とも認定トライ。ゴール前でレフリーがトライを決定するということになって、本当にあれだけ頑張ったのにと無念の涙を流しておる状況です。まあなかなか勝てないんで、私の話も説得力に欠けるわけですが、能書きがあるなら勝ってから言えよといわれれば一言もないんです。毎年ともかく一生懸命頑張っているということしか申し上げられません。
 どんな集団にも目標があると思いますけれども、我々早稲田のラグビー部員もみんな目標を持って頑張っております。皆さんが我々の後輩のラグビー部員に「君等の目標は何だ」問いかけられたら殆どの部員が「勝つことだ」と答えるでしょう。「大学のチャンピオンになることだ」と答えるでしょう。「オリンピックは参加することに意義がある。勝敗は結果であって全てではない。勝利至上主義はマイナスがいっぱいあるんだ。」そういう指摘があります。全く私も同感です。
 高校生まではそれぞれのスポーツの持っている楽しさ面白さを教えてもらうだけで充分だと思います。そういう意味では日本は世界に類を見ない学校教育の中にスポーツが入り、そして全国大会をやることで盛んになってきている。そういう経緯があるわけです。外国のクラブライフを違うわけです。従って日本のスポーツの一つの問題点「欠点」は、色んなスポーツを楽しむ、そしてその中で自分に合ったスポーツ、自分が本当に夢中になれるスポーツを選んでそれと一生付き合っていくという形になかなかなれない。見合いみたいに自分が出会ったスポーツと一生付き合わざるを得ないというようなところに問題があると思います。その現状を嘆いても始まりませんが。
 そういった勝利至上主義のマイナスというものが、いろいろ沢山あると理解しております。しかしそれは理解しつつも、我々は早稲田のラグビー部員に、勝ってチャンピオンになるというのを求めております。それは一つは大学生は大人だと思っているからです。また大人になってもらわなくては困る。ラグビー部に入ろうというのに母親に手をつないで連れてこられたんでは一寸向かないんじゃないかと言わざるを得ない。
 本当にびっくりするような時代になっている。皆さんも体験されたようなスポーツというのは、特に運動部体育会は暗いイメージを持っていまして、部を止めると殴られる。どこかの組と同じようなイメージを持たれている。そういうことは今は全くありません。
 今ラグビー部のほかに、大学の中でラグビーを盛んにやっているクラブが18あります。又女子のラグビークラブも誕生しました。学内で秋に私の恩師であった大西鉄之助先生からもらったカップを使って、大西杯争奪戦をやっております。優勝チームとラグビー部のジュニアチームと試合するというような、好ましい関係をもって学内でラグビーが盛んに行われております。
 ラグビー部に入るか、或いはクラブを選んでラグビーをエンジョイするかというのは、それぞれの大学生活を如何に過ごそうかという、価値観によって分かれる。俺は何としても司法試験に合格するんだ、そういう明解な目標を持ってチャレンジしている者は、でもラグビーが好きだから続けて行きたい、それはやはりラグビー部という拘束時間の長いところに入るべきではありません。クラブで自分の時間でラグビーがエンジョイできる、かくてラグビーを楽しむ、そして本来の目標を達成してゆくべきです。俺は余り上手じゃないけれども勝利指向している集団に身を投じて、どこまでやれるかトコトンまでチャレンジしてみたい。そういう者はラグビー部を選んでよい。部に入った以上、沢山とはいえませんけど、大学から予算をいただいてやって行くわけですから、勉学以外の時間はすべてラグビーに打ち込んでやってもらわなくちゃ困る、というように考えるわけです。
 ラグビーというとどうも体のぶつかり合いというイメージが強く出てしまうのですけれども、このスポーツは合理的なスポーツです。先ほどお話ししたように、ボールを持って前進すれば、そこを阻止するために大勢集まらざるを得なくなる。そうすれば広いグラウンドの中に手薄なところが出てきて、従ってそこへ皆が自分の体を殺してボールを生かしていけば、やがて彼らの陣営を突破しえる。
 相手がボールを持って走ってきたら、タックルという手段で倒す。地面に倒しますと、倒された人はボールから手を離さなければならない。こういうルールがあります。したがって相手をタックルで倒したあとは、そのボールを支配する者は必ずしも体の大きな人ではなくて、そこへ半歩でも一歩でも早く走りこんだ人間がそのボールを支配して、防御から攻撃に切り替えられる。そういうスポーツです。
 従って目標となるべき明治に対して、こういうプレーが明確にできれば勝てるんだという理論があるんです。その理論を実践するために、毎日練習があるわけです。だから我々が負けたということは、相手の集団が一年間かかってやり遂げたことを、我々ができなっかたということになるわけです。だから悔いが残るのは当然だ。今年の明治はとてもじゃないが強かった。あれに勝てというのは無理だ。去年五位だったのに今年が二位だから御の字じゃないか、というようにだんだん目標を下げてしまったら、目標は手に入りにくくなってしまう。
 こういうことをやれば勝てる、そういうことを皆が確認して、そしてそれを俺たちが必ず身につけて彼らに勝って見せる、そういうことを誓い合って練習してきたのだとしたら、負けたということは、それが出来なかったことに他ならない。だからラグビーの理論が間違っていたのか、或いは練習の中身が悪かったのか、或いは練習に臨む一人一人の心構えが充分でなかったのか、何が原因だったのかをしっかり掴み出して、それを新しい課題目標にしてスタートしないと、言い訳や諦めをもっていたんでは、だんだん勝利が遠のいてしまいます。私たちはそう考えています。
 僕は先程紹介されたように、東京練馬区で育ちました。都立大泉高校という都立高校で、ラグビーというスポーツを始めました。全国大会、野球で言えば甲子園には一度も出たことのない弱小チームです。今OB会長なんかやっているので、たまに母校に試合などへ行きます。東京でラグビーの強い学校といいますと、久我山高校、目黒高校、本郷高校いろいろありますが、そういう全国大会でも通用するようなチームと私の母校が試合をしますと、大体70点位負けます。70対0です。大差です。しかし僕は悲観すべきスコアではないといいます。70点というのが確かに大差です。 ラグビーは相手の陣地にボールを持ち込んで球をつけるとトライといって5点もらえる。そのボールをつけた地点の直線上からあのH型のバーの上にボールを蹴り込みますと、ゴールといってさらに2点もらえる。一度に7点取れる競技です。ですから前半と後半に自分たちの陣地を5回づつ冒されちゃうと70対0になっちゃう。そのくらい力が違えばしょっちゅう起こる。だから100点ゲームというのは沢山あるんです。
 僕はチームや組織が強くなって行けるのか、横ばいのままなのか、或いは下降線をたどってしまうのかの分岐点は、戦った選手がその敗戦をどう受け止めるのか、そこにポイントがあると思う。70対0そういう大差で敗れたそういう現実を戦った選手がどう受け止めるのか。監督やコーチが怒鳴りまくって説教するんじゃなくて、戦った諸君が、そのゲームを振返って、何故こんなにやられるのか、同じ高校生じゃないか、どうして彼らのやること俺達に出来ないんだろう、なにが違うんだろう、どこが違うんだろう、そういうことを話し合ったら新しい課題が、しっかり掴める集団になる。
 俺たちが10回とられたトライ、あれは本当に一つも防げなかっただろうか。そういうことを皆で話し合ったら。いや待ってくれ。あん時は俺がタックルに行ったんだ、だがタックルが弱くてはずされちゃったんだ。タックルというのは両腕で相手の足を引き絞ることです。だから普段から俺がもう少し上半身を鍛えていたら、腕力を鍛えていたら、あれは絶対止められる。或いはあの時はボールを持って走ってきた奴をフリーにしっちゃたから、パスでとられっちゃた。こっちも二人いたんだから一人一人声をかけ合ってディフェンスを分担できたら、あれだって止められたはずだ。そういうことが、三つや四つ発見できるはずだ。ゲームをそのように振り返ることができたら、おのずと彼らの中から声が出てきます。悔しいじゃないか。やろうじゃないか。確かに奴等の方が強い。それは認めよう。来年やったて勝てねえだろう。だけど俺たちだって同じ高校生なんだ、もし皆本気になってこれから一年間努力して頑張ったら、来年彼らと戦う機会があったら、勝てないまでも、この70対0というこのスコアを半分に縮めることができる、やろうじゃないか。そういうのが生まれてくると思うんです。
 僕は目標というものは、そういうもんだと思います。親が勉強しろといって、翌日から勉強したなんて話しは聞いたことがありません。皆さんもどっかで人生やる時はやっとかんと後で悔いを残すぞと思った時に、それまで消化されなかった情報が、しっかりと頭の中に入ってきて、これまでいろいろと難関を突破した。こういう経験をお持ちだろうと思います。目標というものは与えられるものではなくて、俺たちが、或いは俺が本気になって一年間頑ったらこれだけのことが出来る、これだけのことをやってみせる、そういいきれるのが目標といくものだと思います。だから自ら目標を掴んだ集団というのは、必ずそれを達成できると思っています。
 おそらく彼らは一年経って70対0の大差で負けたチームと戦う機会がきたら、きっと35対3とかそういう試合をやってのけるでしょう。負けたりとはいえ、やっぱり努力すれば出来るんだということや、或いは目標達成できたという喜び、そういうものを持って社会へ出て行くことが出来るのです。
 一年間目標にチャレンジしてきた集団は、おそらく次の世代にそれを求めるでしょう。俺たちあれだけ頑張ったけれども、まだ30何点の差があるぞ、これからが大変だぞ、君等は俺たちが出来なかったことを何か一つでも克服して、来年更にこの差をあと3点でも5点でもいいから縮めてくれ、いつの日かみんなで彼らを倒して、その時こそ本当に喜び合おうじゃないか。そういう努力を継承してゆける集団になると思います。僕は集団スポーツの魅力はこの一点に尽きると思います。
 絶対に勝ち続ける存在はありません。勝っていったチームというのは、負けたチームの涙を乗り越えて勝っていくわけですから、負けたチームにしてみれば、あれだけ頑張ったのに又やられた、後一体何が足りないんだという必死の思いで一年間チャレンジしていくわけですから、それをことごとく返り討ちにするなんてことは至難の業です。
 しかし人間の集団というのは勝ってゆくと少しづつ心に隙が出来てきます。去年この位でなんとかいけた。今年もいけんじゃねえのか。ほんの少しづつ宿ってきた心の隙というのは集団では大きなものになり、去年より今年、今年より来年、必死の思いでチャレンジしてきてる集団にやがて並ばれ追い越されてしまう。それが集団スポーツの宿命のように思います。
 僕たちも何とか学生諸君に努力すれば報われるんだという喜び、又前進に突き抜けるような勝ったという感激、そういうものを教えてやりたい。そういうものを味わえば、又それが新しいエネルギーになって自分の伸びてゆく。そういう思いで毎年毎年少しでも、側面からでもお手伝いできればということで頑張っている集団です。

6 チームワークとリーダーシップ
 チームが目標を達成する。集団が力を出し切る。そのために必要不可欠なものは、言い古されておりますけれどもチームワークとリーダーシップだと思います。
 チームワークというのも、チャンピオンスポーツを志向している集団に必要なものは、みんな仲良くというチームワークではなくして、本当にみんなが激しくチャレンジしあって最終的に目標のために本当に一本になれる、そういったチームワークが必要のように思います。
 今早稲田には130名位部員がいます。15人のメンバーに選ばれるのにはなかなか激しい競争があります。グランドに出ていったらみんなと仲良くしてはいられません。自分以外の129人は全部ライバルです。彼等が体をぶつけ合って練習している後姿は、我々監督コーチに対して、なぜ俺を使ってくれないんだと、そういう思いで呼びかけているように思います。これが個人競技ですとわりと納得がいくんです。10ぺん走ったら10ぺん負けたらというんなら、奴の方が上だと思わざるを得ない。
 球技なんかの場合には、決定することが難しい。これも上の方でやっている1軍を争っているメンバーと7軍、8軍というところでやっているメンバーとでは、自ずと自分たちで基礎体力にも基本的なスキルにも差があるということを感じるはずです。
 しかしレギュラーを争っている30人にはなかなかそこは難しい。確かに奴の方が足が速い。それは認めるけれども、タックルは俺の方が強いとか、あいつの方がボールを遠くまで蹴っ飛ばすけれども、狙ったところへ正確に蹴れるのは俺だ。そういう一長一短があるわけですから、本人にしてみても俺の方が上だとは言わないけれども五分じゃないのか。五分なら2回か3回に1回俺を使ってくれたっていいじゃないか。なぜ監督はあいつばかり出すのか。奴の姉さんとおかしいじゃねえのか。そうとでも思いたくなると思うんです。
 監督だって人の親ですから、頑張っている奴は誰だって出してやりたいと思うのは当たり前です。しかし我々はチームの目標を大学でチャンピオンになる、そのためにはどんな辛いことでも喜んで耐える。そして最後までチームの優勝という目標のために皆が一体になって頑張るということを誓い合ってきた人間だとしたら、その目標を達成するために、皆が一体となって闘う。そういう集団を志向しきている訳です。監督といえども勝つめにどういう選手を起用したらよいのか、その勝利のためのチームつくりの中で、辛い決定をして行かなければならないということになる。
 これが明治のような一人一人たくましいそういうチームであれば、元気な奴を使うということによって刺激になり自然の競争が生まれるでしょう。チームが良いほうに行くかも知れない。しかし残念ながら早稲田は一人一人のパワーで勝利をおさめることができない。でもどうしても勝つんだということになれば、組織プレー、チームプレーで勝つ道を考えなければならない。
 例えばスクラムという押しくらまんじゅうがありますが、あの中にボールを入れてボールをかき出して攻撃スタートを切ります。これがラグビーのゲームです。野球と大変違うところです。野球というのは9回守ったら9回攻撃させてくれるんです。しかしラグビーというゲームはあのスクラムを組んであそこに球を入れてさあ攻撃しようと思ったら、明治の強力フォワードにわっと押されて球を取られちゃたら、攻撃できないわけですから、限りなく負け戦に近づいていってしまう。そこでどうしてもスクラムを組む瞬間だけは、どんな相手がハードなフォワードであっても、一瞬はしっかり低く固く組んで耐えなければいけない。
 相撲だってそうで、立会いの踏み込みがよければでかい奴に対して前褌(マエミツ)をとって下れば、でかい方がなかなか力を出せない。従って8人がしっかりとしたかたまりで低く相手に組む、ボールを入れる瞬間だけは、押されないで静止して、ボールだけはかき出してしまう。そうすれば極端に言えば仰向けにめくり倒されるような悲惨な目に合ったとしても、ボールさえかき出してくれば、取りあえず攻撃のスタートだけは出来る。
 そこで球を入れ、ボールをかき出すプレー、こういうもののコンビネーションプレーを作り上げていくわけですが、これは野球のバッテリーと似たような大変微妙なコンビネーションプレーを必要とします。ボールを入れる役、背番号9番。ちょこまかしてる奴と、真ん中で両側にでぶっちょを抱えている背番号2番、この2人が目をつぶってもボールを入れる瞬間ぱっとボールをかき出す。そのかき出すボールもスペード、方向、コントロールそれも正確に来ないとタイミングの良い攻撃は仕掛けられない。従って秋のシーズン始まった時とか、あまり強くない東京大学中りと試合して50対0で勝ったとかで喜んで酒飲んでいるようでは強くなりません。その時に今日は50対0で勝てるような試合、それであのスクラムの中に入れたボールがどれだけ計算どおりコントロールされて出てきたのか。今日のようにパチンコの玉みたいにスクラムの中を向こうへ行ったりこっちへ来たりしてそれから出てくるんじゃ、あれが明治だったらどうなるんだ。そういう完成されていない部品を取り出して、そこを手直しをする。そういう練習をしてゲームにフィードバックする。
 そういってことが積み重なってチームというのは強くなるわけですから、そういう部品をあいつも卒業までに一回は使ってやりたい、あいつの親父はよく知っているから、そんなことを言って交代して起用したんでは、やはり我々より力の強い明治その他のチームに対してそういうパーツのプレーが機能しないで、結局は負けても皆で泣かなっきゃいけない。こういうことになるわけですから監督としても辛い決定ですけどチームを作っていく過程の中で、どうしてもこいつを作り上げて、もしこいつが怪我したら、こいつを使わなくっちゃいかん。そういう構想のもとにメンバーを起用していかなくてはいけない。こういうことにもなるんです。
 大事な試合の前に監督がユニフォームを一人一人手渡しする.そういうセレモニーがあります。監督にしてみれば、明日の試合でお前の持っている力を全部出し切ってくれ。力がなくて負けるのなら結構なんですけれども、力があるのにそれを出し切れないで負けるなんてそんな残念なことはない。持っている力を全部出し切ってくれ。そう祈りにも似た気持ちでユニフォームを手渡しするわけです。
 その時に僕はいつも言います。「明日の試合でそのユニフォームをお前一人で着ると思うな。今シーズンお前とポジッションを争ってきた奴、そいつらの顔を一人一人思い浮かべてみろ。少なくとも明日の試合でそいつらから、あんなプレーをするなら、おれが出た方が良かった。そんなことを言わせるな。」もしお前をそんな無気力なプレーをしたとしたら、お前のために出られないで卒業していく奴、そいつらの4年間は一体なんだったのかということを問いかけるのです。 みんなで勝利を誓い合って寄せ書きをして、それを食堂に張り出します。明日は持っている力を全部出し切って闘うから、みんなも見守ってくれ。仲間に誓いを立てて戦場に赴くわけですけども、僕はいつも涙無しに言われないのは、試合に出る奴の寄せ書きじゃなくて、試合に出られない奴が自分の思いをライバルに託す、その寄せ書きです。
 その寄せ書きは試合当日、国立競技場のロッカーに張り出されます。選手もユニフォームに着替える前に、その寄せ書きに目を見やって、自分のライバルへの思いを新たにして、どうしてもこいつらのためにも勝たなっきゃならん。そういう思いを熱くするのです。自分のライバルに向かって、俺の分もたのむぞと、呼びかけているその文字にその男の4年間の総てが凝縮しているような気がします。
 試合のメンバーはグランドでキャプテンが発表します.大体日曜日の試合ですと、木曜日ぐらいにキャプテンが発表しますが、対早明戦メンバー1番誰々、2番誰々。呼ばれた者はみんな元気よく返事してきますが、やっぱり自分の名前が呼ばれなっかた、予期していたこととはいえ、その時の思いというのは、大声で叫びたいような、グランドを走り回りたいような、そういう気持ちだと思います。しかしみんながチームの勝利のために、どんな苦労をいとわないと言うことを誓い合ってきた仲間だとすれば、それは自分の腹の中にだけ収めて、あとは試合に出て行く奴に対して、精一杯応援をしてやる。誰もいなくなったグランドで毎日のように殴り合いをやっていたライバルに対して、初めてそいつの手を握って、明日頑張れよ俺も精一杯応援しているぞ、そういってやれるのが我々の求めているチームワークです。
 皆が仲良くということでは、チームのエネルギーが高まってきません。激しくチャレンジし合って、その中で戦場に赴くメンバーが固まったら、あとは一体となって本当に自分が試合をやっていくような気持ちで声援できる。そういう集団になりきれた時に我々以上のものを出すことが出来る。そういうことを体験的に教えられてきています。そういう集団を率いて戦うリーダーがキャプテンです。
 ラグビーのゲームにはキャプテンらしいキャプテンが残っていると言われています。キャプテンと言うのは文字通り船長のことです。昔太平洋を横断する船長の役割は大変なもんです。もし嵐に遭って船を沈めるようなことになれば、乗客を避難させて自分だけは沈み行く船に留まって、船と運命を共にした。それが昔の海の男の生きざまだったと思います。ラグビーのキャプテンのそんな存在と思います。勝たなきゃいけない、そういう集団を率いて、そして日常生活の中心になり、試合では監督コーチに代わってゲームそのものをリードしていかなければならない。大変責任が重い。それだけの重責を22〜23歳の奴に負わせるのはコクのようにも思います。
試合が始まったら、選手がグランドに走って出て行った瞬間、船は港を離れたんです。監督コーチというのはラグビーでは背広を着てスタンドに座っている。全く無力な存在になってしまう。ハーフタイム5分のお休みの時だけ、元気付けに行くことが出来ます。後はもうスタンドで皆さんが幼稚園の孫かなんかの運動会見に行ってハラハラしていると同じように、あいつ気が弱いけどちゃんとやってくれるかどうか心もとなく見守っているだけの無力の存在になってしまう。 ハーフタイムのお休みに気合を入れに行くんです。これもベテランになってきますと、戦況がよく分かって。相手のネライ、いつも旨くいっていない点そういうものを指摘して、ハーフタイムで軌道修正することができますけども、早稲田のように毎年のように監督が変わっているチームでは、監督自身が無我夢中になっているのですから、そんなしゃれた事言えません.みんなただ集まって、手握って頑張れ勝てるぞなんて言ってる。向こうだってそう言っているんだからたいしたことない。
 僕らも一度スクイズのサインだしてみたいと思うんですが、そういうことができない。相手の反則によって、あのHバーの上をねらう権利を得た、ペナルティゴールに成功すれば2点もらえる権利を得た。とりあえずゴールを狙って同点に追いついておくべきなのか、或いは練習を積んできた必殺技をしかけて逆転のトライを狙いにゆくのか、時間は何分、得点差何点、相手の陣営はどうか、自分のところのボールキッカーの能力はどうか、そういうことを瞬時に判断してキャプテンが指示を出す。そういう勝敗に直結するような決断をしていく。
 ですから普段からリーダーに対しては、ゲームの中でどういう指示を出すのか、どういう戦術を選択するのか、何故あそこであんなプレーをやるのか、それは理論的におかしいじゃないか、そういうことはちゃんとゲームの中で、春の練習の中から修正していかないと、そこで悔いを残す事になるのです。そういった立派なキャプテンを育てていくことが非常に重要になる、そういう競技でもあるのです。
 早稲田のラグビー部では、キャプテンを選挙で選んでいません。卒業してゆく年次の役員、キャプテン、バイスキャプテン、マネージャー、委員そういうリーダーシップ集団が7〜8人おりますが、そのリーダー達が自分たちが船を下りるとき、卒業するときに、誰にバトンを託して行けば次の年次の力が一つになれるのか、そういう人選をして次期のキャプテンを指名して卒業して行く。
 キャプテンに指名された者は、一様に悩むようです。俺でそんな重責が務まるだろうか。僕はいつもキャプテンに言います。「お前の3年間の努力、実績、人柄、そういうものがキャプテンにふさわしいということでバトンを託されたのだ。君のやり方でチームの中心になって引っ張っていったらそれでいいんだ。君がスパルタ型でチームを引っ張ってゆくようなタイプなら、仲間から君の話し合いのパイプになってくれる奴が出てきてくれる。君が話し合いでチームを引っ張っていくようなキャプテンなら仲間から鬼軍曹が出てきて気合を入れてくれる。君の足らない所は仲間がみんなサポートしてくれるんだから、自分の持ち味を出して、先頭にたって頑張っていけばよい。ただ他の部員に負けてもらっては困る点が一つだけある。それは目標達成のための信念を持ち続けて欲しいことだ。」そういう話しをします。
 早稲田のラグビー部には優勝した時にしか歌えない「荒ぶる」という歌があります。「荒ぶる吹雪の逆巻く中に」この優勝の歌を、年寄りも若いのもみんなが涙を流して肩を組んで歌う時ほど、ラグビーやってよかったと幸せに酔える時はない。この歌の習慣が我々のリーダーシップ論をよく表しているように思うんでご紹介したいと思う。
 この歌は卒業後もついてきます。彼らが卒業し、企業にお世話になったり、教員になったりしてそれぞれの社会人の道を歩いて行きます。やがて好きな女性ができて結婚式を迎える。先輩同僚大勢集まって新郎新婦の誕生を祝福してくれるわけです。その結婚式の時に、優勝した奴にはこの優勝の歌「荒ぶる」を歌って新郎新腑を囲んでみんなが祝福してくれる。負けた奴には歌ってくれない。大変冷たい仕打ちをするんですけれども、結婚式で優勝の歌を歌ってもらえるメンバーというのは、皆さんはおそらくユニフォームを着て戦った1番から15番の選手を思い浮かべられると思うんです。我々の仲間ではそうではない。我々の目標は何か,大学でチャンピオンになることだ。それには全員が一つになりきらなければ、自分たちより強い相手に勝ち得ない。集団が目標を達成するために最後までキャプテンをサポートして目標に向かって一緒に努力いった誇るべきメンバーというのは、試合に出た15人ではなくて、自分が卒業年次の時に部を優勝させたメンバー、優勝した時の最上級生全員それが我々の仲間で誇るべき「荒ぶる」のメンバーとして、終生称えられる。そういう習慣がずっと受け継がれて来ている。
 或いは試合に出られなかった奴に報いるための手段のように感じられるかもしれないんですが、一般にハードな試合を4年間もやっていると素直に実感できます。俺は幸いに下級生から出してもらったから何とか頑張ってこられたけれども、果たして彼らのように卒業まで一度も試合に出してもらえなかったら、果たしてあれだけ頑張れただろうか。どっかでやる気を失ったり、マンネリ化になってたんじゃなかろうか。彼等がいてくれて今日の優勝があったのだ。人間的に彼らの方が立派じゃないのか。そういう尊敬の念を持てるようになります。
 集団が目標を達成するために、リーダーシップというのが必要なんです。好き嫌いの問題ではなく、なぜ彼がキャプテンに選ばれなかっただろうか。俺は彼の方が好きだ、彼の方が能力がある、実績がある。キャプテン以上の能力を持っている奴が、俺はキャプテンに選ばれなかったんだから、おれは協力できるわけねえだろうとそっぽむいちゃったろ、組織が一つになるはずがありません。そういう人間こそキャプテンに積極的に協力を申に出て、そして最後まで頑張るぞということを誓ってはじめて組織が一体化できる。従ってチームの力を出し切るために一番大切なのは、部員全体の中にリーダーシップというものを大切にする。そういう考え方をしっかり持たせる。それからサブリーダーという機能が本当に働いたときに、集団というのは方向が一つになるのだということを我々に教えてくれたかのように思います。

7 努力が運を支配する
僕も35年か、30数年前女房をもらいました。結婚式でこの優勝の歌「荒ぶる」を歌ってもらえませんでした。僕が4年の時は負けたわけです。従って歌ってもらえない。下級生で試合に出て連勝したって駄目なんです。卒業年次に勝たないと歌ってもらえない。未だに残念でなりません。仲間はお前は監督で何回も優勝したから、お前再婚のときは歌ってやるぞと言われているんですけれども、どうも頑丈な女房をもらっちゃて、チャンスはついに来そうにありません。
 毎年持っている力を出しきってほしい、努力が実るんだということを覚えてほしい。そういう思いでおりますが、なかなか思うに任せないということは、皆さんよくご存知の通りです。しかし世間でよく今年は早稲田ムリだよと言われても、7・3で駄目だといわれれば3つ勝つ可能性がある。その3割をいかに生かすかということで、勝つことしか考えないでやってきている集団です。今後もそのようにやって行きたいと思います。時として信じられないような力を出して喜ばしてくれる時もありますし、なぜ今年やられたんだというような力のあるのに出せない大変悔しい思いを残すシーズンもあるわけです。時間も近づいてきましてので、最後に私が一番思い出に残る試合を話させていただきたいと思います。
 私が母校の監督になったのは、昭和45年のことです。もう27年位前になるんでしょうか。しっかりしたチームで大東(オーヒガシ)というのがキャプテンしていまして、その時の優勝メンバーからその後、早稲田の監督に5人なりましたが。なかなかしっかりしたメンバーだったと思います。順調に勝ち進み、対抗戦を全勝し、そして大学選手権では前年度苦杯をなめた日本体育大学に勝って大学一位になり、就任して早々「荒ぶる」を歌い、胴上げをしてもらった大変素晴らしい忘れられない年になりました。1月15日には社会人代表の新日鉄釜石と戦って勿論日本一になりました。
 その翌年早稲田は大勢の卒業生を出して弱体化を噂されました。15人のレギュラーのうちから10人が卒業していった。今年の早稲田は苦しいといわれたんですけども、一戦一戦何とか力をつけながら対抗戦の連勝記録を伸ばしていきまして、早明戦は実に6対4の辛勝でした。そして大学選手権の決勝では、当時強かった法政大学に勝って3年連続日本一になりました。その年の正月1月15日社会人の代表で出てきたのは三菱自工でした。早稲田は強力フォワードを持つ三菱自工に蹂躙されるんではなかろうかという下馬評でしたけれども、大変健闘してくれまして、本当に前褌を取ってくいさがったという展開になってノーサイド寸前にひっくり返した。劇的な連続日本一になった。ラグビーでは名勝負としても語られている。
 翌日の新聞には、早稲田にラッキーバウンド、ラッキーだとか運だとか,勝利の女神だとか、そういう活字が躍りました。我々は勝敗を運不運で片付けられるのを好きになれないんです。新聞記者の諸君は、あんな楕円形のへんてこりんなボールが、一番大事な所でボールの方から手の中に入ってきた、これをラッキーと言わずして何だというのがその論調です。
 早稲田は11対9で2点負けていて、グランドの中央で一進一退を繰り返していました。レフリーが時計を見るようになった。我々もこれだけ頑張っているのに遂にこの2点に泣くのかと観念のほぞを決めかけた最後に早稲田にチャンスが訪れました。中央付近のスクラムで三菱自工のボールのスクラムです。フォワードの強い三菱がスクラムの中にボールを入れたら、先ず100%ボールがそちらに出るのは通常です。しかしそこで三菱に痛恨のミスが出ました。フッカーのかき出すタイミングが合わない、かきそこなってボールがそこに残っちゃう、それを早稲田のフッカーがボールをとってくれた。そこでドアが生まれたんです。そのスクラムから出てきたボールをスクラムハーフやっていた宿沢というのが、これは僕の後任でナショナルチームの監督をやったり、住友銀行に勤務しています。宿沢というのが出てきたボールを直ぐそばにいた11番の金指というのにパスしました。金指というのはトヨタの監督やっていましたけれども、不幸にして昨年まだ43才の若さで白血病で亡くなりました。その金指が突っ込んで、タックルされて倒された。そこへ相手よりも早稲田のフォワードが半歩一歩早く走っていってそのボールを再び攻撃ボールに結びつけた。そして今度はグランドの広い方スクラムハーフ宿沢からスタンドオフ中村、藤井、佐藤とボールが渡っていきました。相手がみんな必死にタックルで止めようとして飛び出してきます。飛び出してきた後にできたスペースに13番の佐藤という選手がボールを小さく蹴りまして、そこへ走りこんできた14番の堀口という選手がバウンドしたボールを腕で受け止めそのまま走ってトライした。
 このときの事情を宿沢が「楕円形の青春」(48年4月)と題して早稲田学報に書いています。まあ昨日今日あんな形になったんじゃない。あのボールはノーバウンドで受けないで、一回地面にバウンドさせると360度どっちに転がるか分からない、これは誰でも知っている。そうだとすればわざわざ人にいない所にボールを蹴った瞬間から、勝敗を分けるものはボールのはずみ方ではなくて、そこへ走りこんでいく人数と陣形の勝負だ。ラグビーでは4〜5人の集団が蹴られたボールを追っかけて、そのボールを受け止めて、そのゴールまでパスしながら走って行くという通称キックダッシュという練習があります。その時にみんなノーバンドで受けようとして走るんですけど、ノーバンドで受けられない時には先頭の奴はボールにただ直進する、跳ね返ったら体にでも当てる、そういうつもりで走っていきます。集団の中でおれは二人目だなと思ったら、右なら右に走ります。三人目は左に走ります。四人目は後に、菱形の陣形を形成しながら、ボールについていく。そうすればバウンドがどっか他の方向に変わっても誰かが対応しうる。従ってあの時は、あの状況、あのキック、ボールを追っていく人数、陣形そういうものから見たら、バウンドの方向が変わったとしてもあれはトライになったのではなかろうか。トライにならなかったとしても我々は運が悪かったとは言わないだろう。一番大事なところで相手よりも早く、より多くカバーリングディヘンスに戻ってきたんだとしたら、それは三菱自工ヒィフティーンの執念の勝利を称えるべきだ。
 勝敗というものを運不運という物差しで見ることはきわめて簡単だけれども、そういうふうにものを見てしまうと、それまでの努力の大切さを見失ってしまうのではなかろうか。我々はもしかしたらあのキックが実って逆転のトライをあげることができずに、2点差のまま涙をのんで今シーズン終わったかもしれない。それが逆転トライに結びついたとしたら,毎日の練習パターンの中に、相手のバックスのライン背後に小さくボールを蹴って、それを集団で追ってチャンスを広げていく、そういう戦術パターンを織り込んで毎日練習してきた、それが一番大事なところで実ったんだ。僕らそう思いたい。彼は努力の大切さということを書いたんです。
 僕もそれから大変教えられるところ多く、自分の座右の銘を「努力は運を支配する」、人生というものは運に左右されているんではないんだ、人生は努力することによって切り開いていくこともできるし、運を味方にして行くこともできる。やはり努力が人生を支配してゆくんだ。そういう思いで「努力が運を支配する」という自分の座右の銘にしております。
 人生誰でもチャンスが訪れるといわれています。しかしいつ自分に訪れるかわからないチャンス、それをものにできるかというのは、その人その人の絶え間ない努力によって、自分に回ってきたチャンスをしっかりと、ボールを抱えて人生を快走出来る人と、目の前にやたらはずんでくれているのに、そのボールを掴み損なってしまう、そういう人に分かれてしまうんではないかと思います。
 よく火事場の馬鹿力ということを言いますけれども、腰の曲がったおばあさんが重い金庫かついで100mダッシュしたなんて話が本当にあるんですね。人間は時として自分では考えられない力を出すことがあります。
 人間というのは大脳が命令して、体の筋肉を動かして、関節を動かして、体の中のグリコーゲンを燃料にして動かす仕組みになっているわけです。従って皆さんマラソンなんかやる時よくわかると思いますが、今日はいっちょうおれにどれだけ若さが残っているかここを走ってやろう。かなり走りこんでくると大脳の方からあんたなに気張ってるの、いい年こいてそんなにムリすることはないだろう。そろそろ限界だよ。という危険信号が出てきます。人間の場合には本来動物として持っている人間のエネルギーの2/3位のところで危険信号が出てくると聞いています。だから残り1/3は殆ど使いこなすことができていない。それが電撃的に殺すぞとか、火事だというショックに出会った時には、その弁がポーンとはずれちゃうわけですから、人間が全身反応してしまう。その時に自分では二度とできないような力を出してしまう時があるし、スポーツではそういう普段は言うことを聞いてくれない残りの1/3の力、筋力を練習や努力でもって使いこなすすべを知った奴が最後の勝利者になれるんだということを聞いたこともあります。
 皆さんにはまだまだ大きなエネルギーが眠っておられる。一度騙されたと思って新しい年度ですから、新しい課題をもって一年間チャレンジしていただけたらいかがかと思います。
 どんな些細なことでも一年間続けるのはなかなか大変なことですし、三日坊主とはよく言ったもので、挫折を味わうことが多いわけです。本当に一年間やり遂げたら、その一年を振り返って、おそらく清々しい満足感と同時に、ああおれにはこんな力があったのかと、そういう自分を再発見してきっとびっくりすることがあると思います。又そういうことが出来た中に、更に一段と高い活躍のステージが用意されているんじゃないかと思っています。
 大変生意気なことを述べましたけれども、何か一つでも皆さんの日常生活の中で、お役に立てていただけることがあったら、これに優る喜びはございません。
 この後も、ラグビーは必ずこれで帰ってしまうということはありませんので、ぜひノーサイドのパーティに参加させていただきます。楽しみにしておりますので、又何か質問などありましたらそういう席で承ります。本来こういう一方通行の話じゃなくて、屋台ででも飲みながら、人生を論じるとか、大体この頃の大学はけしからんとか、そういう話をしていくのが楽しいわけです。この後の会で、或いは又同じ沿線に住んでいる人間ですから、どっかでお会いする機会もあろうかと思います。又お目にかかる機会があったらいつでもどこでも遠慮なくお声をかけていただければ皆さんと第2、第3のノーサイドが広がっていくと今後楽しみにしております。

 
 本講演は、平成9年4月13日(日)東久留米稲門会第三回総会において行われた早稲田大学人間科学部教授 日比野 弘 先生の講演をまとめたものです。
 東久留米稲門会では、大変興味深くなおかつ参考になる講演を、当日お見えにならなかった方々も含めて全会員に読んでいただける様講演者のご了解を得て、「文化講演シーリーズ」として発行することにしました。
 今回が第一号になります。
 これをまとめるにあたっては、大川洋子・菱山房子 両氏に大変お力添えをいただきました。厚く御礼を申し上げます。
                           平成10年2月10日
                           東久留米稲門会会長   安宅 武一