講師紹介
1936年 東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、都立大学法学部博士課程終了・講師を経て、71年ロンドン大学研究員として渡英。エセックス大学日本研究所講師を務めた。マークス・スペンサーの当主と結婚。英国籍と男爵夫人の称号を持つ。現在、秀明大学教授。英国在住邦人向けの新聞「日英タイムズ」を発行し、日英交流のために尽力されている。
著 書
「ひ弱な男とフワフワした女の国日本」
「とんでもない母親と情けない男の国日本」
「大人の国イギリスと子どもの国日本」
(いずれも草思社刊) その他多数
平成11年4月18日
成美教育文化会館大ホールで講演
目 次
1.はじめに
○20世紀の夜明けと日本
○日本悲劇
○廃墟から世界の経済大国へ
○21世紀への危機感
○急成長が生んだひずみ
○日本とイギリスの関係---思い込み・思い違い
2.いまイギリスから何を学ぶか
○学ぶという意味
○イギリスの歩んだ経験を学ぶ---福祉・教育・民主主義・外交
○自国を知ること---文化が違うとものの考え方が違う
○国際化に対応できるか
○社会のルールを守る
○お金の大切さ
○子供は訓練の時期---お金をかけ過ぎない
○トップの責任---21世紀は個人が問われる
3.終わりに
1.はじめに
皆さんこんにちは。雨の中をよくおいで下さいました。せっかくの日曜日にわざわざおいでいただいて、一時間ですけどもなんとか皆さんに「まあまあ聞いて良かった」程ではなくても「まあまあそんなに退屈しなかった」と思うようなお話を一生懸命、それなりに考えてきたつもりですけども、どうなりますか。皆さんと一緒に今後の日本のことを考えていくという意味で、私の話が少しでも役に立てたら良いなと思っています。今日は稲門会の方だけではなくて一般の方もおいで下さっていると信じておりますので、早稲田の悪口を言うのを止めまして一般の方達にも受け入れてもらえるような、そんなお話をしたいと思います。
かなり大きなタイトルで「21世紀を迎えるにあたって、今イギリスに何を学ぶか」そういう大変ずうずうしい題名をつけまして、こういう題名をつけるのがとても難しくて、お話があるのが半年くらい前で、その半年くらい前に「来年の4月に講演をしてくれないか。」というふうに言われて、大抵のところはそんなんですけども。さあその時自分がどう感じているか分らないので、なんとなくボヤッとした大きな題名をつけておくと何かお話ができるんじゃないかと考えてそういう題名をつけるんですが、実際その日が迫ってみますとなんであんな大きな題名をつけてんだろう、もっと小さなイギリスの紅茶の話とか、或いはガーデニングの話とかそういうふうにしとけばその辺がずっと話し易いのにと後悔することしきりになるんですが、まあつけたものにはつけただけの理由がございます。
先ず第一に21世紀というのがいま盛んに問題になっておりますけども、なぜ21世紀が特別なのかと。
私にとってはあんまり特別はなくて1999年と2000年の間というのは、そんなに変わりがないと私自身思っております。勿論2000年は21世紀じゃなくて2001年からだといわれておりまして、私はてっきり2000年というのはもう21世紀だと思って、少なくとも2000年は20世紀じゃないと思っておりましたら、そうじゃなくて2001年からが21世紀なんだそうで、この辺の事を未だ私はすっかり飲み込んでいないのですが、いずれにしましても1999年と2000年と或いは2000年と2001年の間というのは
殆ど変わりないように思っております。平成で考えて見ますと平成11年と12年の間に或いは12年と13年の間にあんまりは変わりがないんじゃないかという気持ちが致します。まあ小渕首相が生き残っているかどうかこれはまた別なことですけども。それ以外日本としてそんなに変わりがないんじゃないかという感じが致します。それならなぜそんなに21世紀の事が問題になるかと考えてみますと、まあいわゆる2000年問題というコンピューターの問題は別にしまして、私も1999年12月31日になるべく旅行しないでおこうと思っておりますけども、そういうことは抜きにしましてなぜ2000年という事が問題になるかというのをちょっと考えてみました。
○20世紀の夜明けと日本
100年を振り返ってみましてその前の20世紀になる時1899年にはなにをしたか?という事をちょっと考えてみましたけども、実際日本では1899年というのは殆ど問題にならなかったはずです。その時期には未だ20世紀のいう考え方があまり一般的ではありませんでしたから、明治32年、33年という考え方で考えておりまして、20世紀がくる、20世紀というのはどういう世紀かなどというそういった世界的な規模での考え方はあんまりなかったかと思われます。それでは日本にとって重要ではなかったかと言いますとそう言う事はありません。ちょうど1899年というのは或いは1900年というのは明治維新、日清戦争、1894年から95年の日清戦争とその次に10年後にきます1904年と5年にかけて行われました日露戦争とその両方のちょうど中間点でございます。日本にとってみれば日清戦争というもので外国との戦争というものを初めて経験してそれに勝ったという一方で、それを経てずっと国際社会に出て行かなければならないといういうかなり緊張した難しい時期だったと思います。
そのなかに現在はあまり知られてはおりませんけども、ちょうど1900年に日本語で言いますと義和団の乱、英語で言いますボクサーのライオットというのが北京で行われています。これは
『北京の80日』とかいろいろな映画にもなっておりますので、そういう事でご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが。中国のいわゆるボクサー、義和団というグループが外国に対すると同時に北京の中の中国の清朝に対しての反乱を示しまして、ここで大きな国際的な義和団というのが各大使館を襲ったりしまして、かなり大きな反乱になっております。その時に日本が結局、北京には一番近い訳でいわゆる連合国々が北京を攻めていって北京を包囲した訳わけですけども、その時に一番活躍したのが日本軍だったわけです。日清戦争に勝った勢いで日本はかなり意欲的になっていましたから、ボクサー、リベーリオンというので日本の兵隊が沢山出まして鎮圧にかなりの力を示しております。これがいわば日本が国際的に、まあこの時は武力だったわけですけども、日本の国力というものを示した第1号になったと思います。
そこでそういうことで国際的な協力という事がどうもこの辺りから、どうも始まったように思います。その成果で日露戦争を行うにあたっての日本に対するお金というものは、ロンドンで募集されたんですがロンドン側でもって充分に日本へ援助してくれた。勿論借款でございますけどもポンドでございますけども、イギリスの肩入れがなければ日本は日露戦争を始められなかったと思います。日露戦争が日本にとって大勝利という事ではありませんでしたけども、それにしても大国ロシアというものを相手にして、小さな小さな日本が、それまで絶対に国際戦争で勝つなんて思われなかったのに勝ったと思うことで国際的な力をまた否応無しに世界に示したということになります。そこでその後の日英同盟も出来ますし、日本が世界の中に明晩伸びていく,或いは皆と肩を並べていくその土台ができたように思います。
そういうわけで1900年というのは日本にとってかなり大事な年だったと思います。その時には20世紀になったから大事なんだとは思いませんでしたけども、今考えてみると大変大事な年だったように思います。で、この時期の日本というのはやっと国際的に認められるようになった。日英同盟というイギリスという大きなサポーターができて、これも怪しいサポーターなんで日本にとってみれば神様みたいなもんだと思っていた人も沢山おりますけども、イギリス側にとってみれば世界の中の小さな国の一つに過ぎない日本という事になって、その見方の違いというのはその頃から今に至るまで続いていますけども、いずれにしましても日本というものを世界で認めてもらった大きな時期だったと思います。
で、この後の日本は日英同盟のお金といいますか、その整備といいますか、第1次世界大戦にもいわば英国側或いは連合国側に立ちまして、ロシア、ドイツと戦っております。そのお金で山東半島を取るとか、その後も良い意味でも悪い意味でも、その後の日中戦争に入っていく一つの道ができてしまう訳ですけども、その辺りから否も応も無しに日本が国際社会、世界というものに押し入れられていく。自分の力で勿論入っていくんですけども、周りからそういうふうに押しこまれていくというところもあったような気がします。
そうしてしかし同時にどうしてよいかわからない。今又同じような状況に一つは経済的な意味でなっておりまして、グローバル・スタンダードとかアメリカン・スタンダードとか言われましてどうも世界の中の一員として、日本は日本だけ私達だけでやっていきたいと言っても、言えない様な状態になっていくんじゃあないかというふうに思われるところもありますけども、この時期に今よりもっともっとそれが強かったと思います。そうしてこの1900年から来年まで或いは今年まで99年或いは100年経ちましてその20世紀というものの日本を眺めてみますと、これはこの最初の日英同盟、日露戦争以来の歴史だったと思います。
○日本の悲劇
1941年から45年にかけての第2次世界大戦での日本の立場、それに至るまでの日本が戦争に踏み切るまでの、日本がせ世界という中でどれくらいの交渉ができたか、或いは日本の立場というものを世界の人にどれくらい本当に認識してもらう事ができたか、或いはそれに失敗したかというのは、その後の日本の歴史に大きな影響を与えていると思います。ですからその時期にもう少し違うやり方があったとしたら、きっとその後の戦争も違ったと思うのですが、日本というもの或いはアジアの中で、最初のヨーロッパの国々、欧州の国々、欧米の国々と肩を並べて交渉する国になったという事が日本のためには大発展でもあったと同時に悲劇でもあった。そういう中で日本は何とかして孤立しながらも自分の国の立場を認めてもらいたいとさまざまな努力をした訳ですが、力が足りなかった。或いは辛抱が足りなかった。努力が足りなかったといってもいいかもしれません。これは全て外交の力でありまして、今とまあその時期と変わりがありません。
外交という非常に特殊なもの、これは今もって日本があまり得意ではないところです。むしろ力を腕を振り上げてけんかをしてしまうというところへ日本は追い詰められていったというふうに私は考えています。どういうふうにして追うつめられたのかというのは一つ一つの学者の研究だの、日本の学者の研究、或いはヨーロッパの学者の研究、アメリカの学者の研究さまざまな研究がございますけども、一言でいえば日本はそこへ行かざるを得なくなった。特に植民地とか或いは領土拡張とかいう問題は日本にとっては非常に新しい事でございまして、それなくしては資源のない日本では一流の国として他の国を肩を並べていけないという、そういう要請が一方的にあると同時にヨーロッパの国々、アメリカまでも含めてヨーロッパの国々は「もう領土拡張運動は止めたよ。植民地戦争はもう止めました。」と言って植民地獲得というものを自分達がずうっとやってきていながら1930年段階になりますと、それは道徳的に悪い事であり政治的に悪い事でありもうやっちゃいけないと言うところへ日本は入り込んでしまった。とすれば単に軍事力の問題だけではなくて、日本に対する道徳的な制裁という意味でも日本は悪いというところで欧米の各国は一致してしまう。これは非常にタイミングが悪かったと思います。それやこれやで、日本はドイツと共に第2次大戦の中での一番悪役を振られてしまうわけですけども。で、これは日本自身の問題でもあると同時に世界の問題でもある訳であって、こういうことは何時でも起こりえる事です。遅れて来たがためにそれまで皆がやってきたことと同じ事をやっても、悪いと言われてしまう。これ沢山ある事なんです。
○廃墟から世界の経済大国へ
で、そういう訳で日本はまあ殆ど滅亡に近いところまで追い込まれて敗戦を迎え、そして戦後を迎えた訳です。それまでの20世紀の最初の50年というのが経っております。で、その後の50年まあ45年以降の日本というのはそれは最初のうちはサバイバルの戦いでありましたし、その後になりますと豊かさへの挑戦と言ったらいいかもしれません。それに日本が大変に目覚めたような成功、皆の目を驚かすようなそういった成功、サクセスストーリーがあったように思います。となりますと今の日本というのは世界でも指折りの豊かな国、そして平和な国というふうに考えられております。これは日本人にとって或いは日本という国にとって非常に大きなアチーブメントでありますし、他の殆ど全ての国から多分アメリカを除いて羨まれたり、或いは羨まれたり、或いは嫉まれたりするものだったという事をここで認識しておいてよいと思います。こうやって考えてみますと20世紀というのは、日本が滅びかねないような大惨事の起こった時期でありますけども、その後の日本は世界に誇ってもいいような大アチーブメントをやった時期でもあります。それ故にこそじゃあ21世紀はどうなるのかという事が問題になってくると思います。実際今考えてみて1945年の段階、或いは50年の独立した時の段階そして今の日本というものを比べてみますと、祝えばこそ心配する事は殆どないような感じがいたします。これだけここにいらっしゃる若い方達はそういう事は知らなくても仕方ない事当然のことなんですが、私たちの年代より上の方達は皆知っている通り、焼け野原になった日本、何もなかった日本、食べるにも事欠いた日本というところから、今の飽和状態の食べ物がありすぎて困って、グルメ、グルメって言って皆あっちに美味しいものがあるといって東に走って行く、西に美味しいものがあると言って西に走っていくというようなそういう非常に贅沢な状況になったというのは、贅沢になったといって非難することもできますけども、それだけになったというのはこれはやはり大したものでありますし、祝う事ですし、喜ぶべき事だと思います。
○21世紀への危機感
じゃあ、問題は何か?と言いますと、そういう状況がこのままずっと続くかと自身を持って言えるかどうかということなんです。目下皆が21世紀を心配しているのは、どうも続かなそうだ、ここのところ少年の様子を見ていると、どうもそういうふうにはならないようで、今までと同じような勢いで日本は世界に羨まれるように、より豊かになりより平和になり、しかも皆が生きがいを感じて暮らしていくようになるとは、はっきり言えないという感じに皆がしてきているからこそ、皆が心配しているんじゃないかというような思います。
ある意味で言ってみますと、これは先頭を走る人の心配と言ってもいいかもしれません。よその国に追いつき追いこせと言っている時にはこういう心配はありません。前に行く人と後を見ながら、それに沿って走っていけばいい訳ですし、前に走って行く人達がこうだから自分もこうしようと言う事がわかりますけども、前に誰もいなくなってしまって自分が一番先頭になってしまうと、先頭から落っこちるという心配が一つにはあります。もう一つにはこれで正しい道なんだろうか、前に何処にも指標がない、指し示してこっちへどうぞといわれているところがない、これを走ってて大丈夫なんだろうかと、どっかに大きな穴があいていてそこへ落ちるんはないかというようなそんな心配が出てくるわけです。
ですから、そういった先頭を走る人間の心配と先頭を走る国の心配というものと、それから今日本国内で起こったきたさまざまな意味での暗い陰、まあ、その明るさではない陰、これは頂上に達すればどんな国でも当然起こることなんですが、それまで成長、成長と成長を続けてきた時には見えなかったような陰が、はっきり見えるようになったきた。或いは経済でお金の心配だけしていた時には問題のならなかったような他の社会的な問題、人間的な問題、そういうものが問題になってきた。そういう陰が皆に見え始めてきてそして、それが心配の種になっていると思います。
○急成長が生んだひずみ
もう一つ日本の場合、特に心配が大きくなる理由は日本が経済的にも或いは政治的にもいる意味ではそうなんですが、良くなったのが非常に急速だったと思う事です。たった25年くらいの間に急速に良くなってしまった。1960年代から70年代の初めはまだそれほどでもなかったのに1970年代の後半から80年、90年の初めまでかけて、日本は殆ど世界圏の1、2位を争う経済国になったしまった。まあアメリカは第1位というのは、これはもう誰が認めても当然のことです。あれだけ資源のある国なのですから何もしなくたって第1位かもしれない。ところが日本のように小さくて殆ど資源のない国が経済の或いは金融の25%を占めるようになってしまった。アメリカについで第2位になってしまったというのはこれは当然心配になる事なんです。
どうも日本が「自分達は小さい国でそしてあんまり人目につかない国で、東洋の端っこにある国で人の前には出たくありません。」と言っても、ほっといてはくれなくなっている。そんな事が言わないで、日本をぜひ引っ張り込もうじゃないかと世界の人達が羨望の眼で或いは嫉みの眼なりで見ていて何をも見逃してくれなくなっている。そういう状況に突如としてきた訳です。たった20年か25年できた。
イギリスは世界一番豊かだったという時期を考えてみましても、20世紀の前半にはもう既に陰って来た訳ですけども、その前に200年近い歴史というものを持っています。200年くらいの間に徐々に豊かになってきている訳ですから、かなりその準備ができております。
それがたった20年、25年で世界の経済的にはトップに至ってしまいますと,それは落ちる時もその勢いで落ちるんじゃないかという恐ろしさがありますし、世界の連中もできるだけ早く足を引っ張って落としてやろうというそういうふうに考えるようになってきています。それが日本にいてもだんだん感じられるようになってきたと思います。
全て時間というものは悩み事をもそれから病気をも治してくれるという、大変時間というものは良い、今の流行言葉で言えば癒しがあるわけですけども、日本の場合にはそういうものが殆どなくなって考えられないような状態で世界のトップに立ってしまった。
これはよく考えてみますと非常に難しい事と言いますか、よく考えてみなければならない事な訳です。老人問題だけをとってみましても、高齢者の情報だけとってみましても日本はこの25年程の間に高齢者の人口というものが一挙に増えまして21世紀になりますと21世紀の10年代15年代になりますと、日本の人口の20%から25%が65才以上になるといわれておりますけども、これだけの高齢者の人口比率と言うものは、例えばフランスの例を取ってみますと125年かかってそれだけの比率が、高齢者の比率が全体の人口の5分の1になるという形をとっております。
日本の場合はそれを20年から25年でもってやってしまって、経済的にも非常に急速に豊かになりましたけども、その他の社会的な問題の上でも多分さまざまな比率を考えてみますと、或いは犯罪の問題でも、少年非行の問題でもおそらく急速に増えているのが今の日本の問題ではないかと思います。ですから徐々に何とかしていこうということが出来なくなって、今急いで何とかしないと大変だという、そういった一つのパニックの状態を生み出しているように思います。
それから又、そういう状態の中で当然生まれてくるのは、この25年くらいの間に生まれた人達は過去の日本人が知っていた事を、何も知らないという状況にもなってきます。徐々に徐々に豊かになってきたのなら、或いは徐々に徐々に高齢者が増えてきたのなら、その一番良い状態と悪い状態の間にこの過渡期というものがあってプロセスがあります。ですから、今とても良いけどもその間にずうっと悪い時期があって、そしてもっと悪い時期があって、その間に100年くらい経ってきたという事で自然に納得できるところがあるんですが、日本の場合はそれができない。
今25才以下の方,特に20才以下の方たちは貧しいということを知らない。先日もどなたか書いていましたが、日本の中に貧しさがなくなってしまったから、貧しさを知るために、貧しさ旅行というものをしなければ、海外に連れて行って貧しいとはどういうことか教えなければならない。これは曽野綾子さんが書いているんですが、そういう非常に皮肉な状態になってきております。それは国としてはとても良いことだと思うんですが、人間としてはかなりいびつな事だと今の段階では考えております。これ人間がみんなロボットになってしまいまして人の感情なんてものを無視しても良いような状態になりますと、別に貧しさとか悲しさとかを知らなくたって生きていくのに差し支えないというようになりますけども、今もって世界の人口の3分の2以上、下手をすると4分の3以上貧しさに浸っている。その中でさまざまな惨めさが起こっている。それをごく少数の世界の人口が日本を始めとして貧しさというものを知らないで、世界を指導するとか世界政治の中に関わっていくという事は、どうしても間違いが起こりやすくなってしまいます。しかし日本の中にいたんでは貧しさはわからない、不便さというものもわからない、そういう状況になってきますと、これを何とか意識的にやらなければどうしようもないというところへきているような気が致します。
そして同時に貧しさを知らなくたってかまわないと言いますけども、貧しさを知らないだけに貧しくなったらどうしようという、それも大きくなります。変な言い方をしますと、私達みたいに半分飢えかけて子供時代を育った人間というものは、ある意味で言いますと怖いものを知らないわけです。何を食べても人間生きていけると思っております。美味しいものがでれば、これはもう本当に結構だと思いますけども、美味しいのもがなくても何の文句のない。小さい時からどうせまずい物ばかり食べて生きてきたのだからといえますけども、今の若い方たちはそうじゃない。自分の口に合わないもの、自分が美味しいと思わないものが出てきたらものすごくショックを受ける。
海外留学なんかしまして、イギリスなんかに来ますと、イギリスの食べ物はまずいという評判になっています。そして皆がまずいまずい、「まずいと思って食べるからよけいまずいんだろう。」と私はからかいますけども。私がかって勤めていましたイギリスの大学でもって日本の学生が大体90人から70人くらい来ましたけども。毎年一番大きい問題は「イギリスの食べ物はまずい」と言うんですね。「日本でそんなに美味しいものばかり食べていたの?」と私は言いますけども。まあ口に合わないということはあります。味付けが違うとかさまざまな事がありますけども。まずいというのが一種の流行になりまして、それに対しましてそれを逆手に取りまして『イギリスはおいしい』なんて本を書いて流行作家になる方もおりますから、ですからまあ物は使いようでございますけども、何かって言うと「イギリスの食べ物はまずいですね。」って言う。私は日本でかなり皆さんおいしいものを食べていらして、40過ぎ50過ぎの方がそろそろ人生後半に近づいて、おいしいものだけ食べて生きようとお考えになるのは、何も反対しません。どうぞおいしいものを食べて、脂肪分の沢山あるものを食べて、フランス料理を食べて、肝臓を悪くして早くお亡くなりになっても別に私の責任問題ではありませんと思いますけども。
若い学生がイギリスへ留学して来て「食べ物がまずい」と言うのが私がそれは大変考え違いだ、心得違いだと思います。私の働いていたイギリスの大学の大学院に来た早稲田の大学院の学生、よそへ行きますと早稲田の大学院の学生とは言わないで、ある日本の学生と言うんですが、実は早稲田の大学の大学院の学生で経済学をやりに来た学生がおります。その学生が来て一週間でいなくなっちゃいました。9月の半ば頃にやって来まして、寮に入りまし一週間経ちましたら大学へ出てこなくなっちゃたんです。そこで大学のイギリスの先生方が心配しまして寮の彼の部屋を開けました。荷物は何もなくなっているんです。で、ベッドの上にノートが一つ、小さい手帳が残っておりまして、大学の私のところへ駆けつけてきて「彼は自殺でもしたんじゃないか。日本人はよく自殺すると言うから。」彼は大学でよく知られていますから「彼は勉強が難しくて自殺でもしたんじゃないか。」私に読んでくれと言いますから緊急の際ですから仕方ないから、立ち会ってもらって中を読みました。そしたら最初から終わりまで「飯がまずい。飯がまずい。」と書いてあるんです。「この国の飯がまずい。飯がまずいからインスタント味噌汁を飲んだ。インスタント・ラーメンを飲んだ。この国の飯がまずい。」で、飯がまずい、飯がまずいと言って自殺する人もいないだろと思いましたが、とにかく荷物がなくなっているんですから、「どうしよう。」とイギリスの先生方が集まって、警察へ届けようか届けまいかと相談しました。この頃はイギリスもそうですし、フランスの中でもそうですが若い方達が色々狙われたりするのは、女性だけではありません。男性もさまざまな理由で大変貴重な事があって、特に日本の男性はお洒落で、細くて、か弱くて女性に見まがうような男性が多いですから、これはなかなか色々なところでもって餌食にされる事もありますから男性だから大丈夫という訳にはいきません。
ある晩私がまあ警察に届ける前に日本に電話をかけてみました。お父さんやお母さんに心配をかけるといけないけどもという事になって、「○○さんのお宅ですか?」「もしもし。」と男の人の返事がします。てっきりお父さんが出たと思って、そこで私は「実は○○君の事でちょっとお話があるんですが。」「ああ僕です。」って言っているの。もうこっちはカァーッとなりまして、「ボクですって、そんなところで何しているの?大学にいるはずじゃあなないんですか?」って言っちゃったの。「あんまり飯がまずいんで家に電話したら、お袋が帰って来いと言うんで帰って来ました。」もうこんな息子も駄目。お袋も駄目。もし心当たりの方がいらっしゃいましたらぜひお許しください。そういう訳で飯がまずいなんていう留学した息子がいましたら、決して帰って来いなんて言わないで下さい。まあ自分のお金で帰った訳ですからそれはかまいません。それで私も「じゃあもう日本でおいしいものを食べて日本にいるんですね。」と言いますと「いやまた、イギリスへ行きます。」って言うから「その時はじゃあ飯はやっぱりイギリスの飯は同じようにまずいのどうすんですか?」って言ったら「1ヶ月くらいここで旨いもの食べてから帰るます。」まあ帰ってまいりまして、3ヶ月程経ってバッタリ大学で会いましたので「この頃どうしてる?」目をまっすぐに向けて言いますと、そこはまた日本の男性の良いところというか、日本の女性の悪いところと言うか、「いやあ、日本の女の子をうまく頼んで飯作ってもらっています。」私といたしましては大変憤慨の元でございましたけども。ま、彼はそういう訳で飯つくりの女性を女子学生の中に探しまして無事に勉強しているようです。そういうように話がだんだんそれて行くので少し話しを元に戻さなければなりません。それでまあ21世紀というのは、日本にとってはかなり難しい世紀になるんじゃないかという予想があって今、かなり心配している訳ですけども。
○日本とイギリスの関係---思い込み・思い違い
ではイギリスからなにを学ぶべきかというところに帰ってゆきます。ここのところもう終わったのかもしれませんけども、4,5年イギリスブームというふうに言われております。まあ、イギリスブームは本当にイギリスブームなのかどうか私にはわかりませんけども、でも今いわゆるイギリスブームというのは沢山ありまして、イギリスについていろいろと、ガーディニングの話とか紅茶の話とか、或いはイギリス旅行の話とか、これはアメリカに留学する人達が、イギリスのほうが良いんじゃないかというそういう事になった事もありますけども、さまざまな理由で一種イギリスブーム、アメリカブームというものが出てきております。
そこで、ちょっとその前を考えてみますと私がイギリスに行きました1970年代から80年代にかけて、特に70年代の後半から80年代にかけて日本はバブルというふうな状況に入った、入っていく直前の日本とイギリス関係というのを考えてみますと、イギリスブームの全く逆でございます。いわゆるイギリス病、英国病というのが盛んに日本では言われまして,、もう英国は駄目だ、英国から学ぶところなんか何もない、イギリスはもう駄目になっちゃた国でイギリスなんぞ付きあってもしょうがないと、はっきり言っていらっしゃる方も大勢おりました。
もっともその前を考えてみますと明治以降戦前にはイギリスというは殆どの事に関しまして、日本の先生という形で見られてきた訳ですけども、戦後になりますとそれは全てアメリカに変わりまして、アメリカこそ日本の先生であるし、アメリカと仲良くしなければいけない、アメリカと同じようになしければいけない、というふうに考えていって、イギリスというのは別に習う事もいし、イギリスについて自分達がどうかしなければならないということも、日本人は考えなくなったのです。
実際 1970年代頃イギリスでは日本研究をやるということは殆どありませんでした。或いは元々あったオックスフォード、ケンブリッジ、ロンドン大学或いはシーフィールドという4つの大学の日本研究が最低の線に下がったのが、この時代でございます。日本研究をやっても日本語が少しは出来ても就職がない。就職するならアメリカかオーストラリアへ行かなければない。就職がないということで4つの大学合わせても、日本語の話せる人というのは20人かそこらしか毎年卒業してなかったのですが、その20人でさえも職がなくて、そしてもう日本研究しても仕方のない人にそういう殆ど諦めの心境にあったのが1960年代から70年代にかけてです。
当然の事ながらイギリスの方にも,日本に対する関心というものはありませんで、日本というのはかっての敵国であり、自分達の捕虜をかなり残虐に扱ったんだと、それ今もって未だ引いている訳ですけども、そういった恨みが残っていまして、恨みというのは捕虜を残虐に扱ったという事と同時に大英帝国の崩壊の第一歩は、日本がアジアでイギリスを叩きのめしたからだというそういう恨み言もございまして、自分達が弱くて負けたのに文句言うなという人だってあったくらいですから、まあそういうものがかなり残っておりました。
まあそう言わないまでも、日本とイギリスというのは日本側が一方的に明治以来イギリスというのを先生として扱ってきた訳ですけども、イギリスにしてみれば日本というのがはそれ程たいした国ではなかった訳です。勿論日本というのをエキゾチックな国であり、蝶々婦人の国でありして、そして特殊な形で茶の湯とか武士道とかいうことも研究したいとか、勉強したいという人はいつの時代にもありましたけども、殆どの国民はそういう形で日本を見るということはありませんで、日本というのは見知らぬ国、私が行った時にこううまく表を作ってみたら、多分日本は世界各国のイギリス人に知られているという知名度という事から言ったら底にくるんじゃないか。
イギリス人にとってみれば、勿論インドというのはものすごく親しい国、アメリカが一番仲が良い国ですし、勿論アフリカの各国も親しい国です。その後で東南アジアの国々がきて、中国、香港全てイギリスにとってはとても大事な国であり、なおかつ親しい国であるわけです。
殆どの家庭で家族のうち誰かが、アフリカで働いているとか、インドで働いた事があるとか或いは婿さんはフィリピンの人だとかそういうふうな形で関係があるわけですけども、日本人というものをみた事のある人は殆どないというまあ状況だったと思います。
そこで私が行ってすぐのときにもそうですけども、日本人が来た。私がロンドンでロンドン大学の女性達と一緒に住んでいて、たまたまお前一人では可愛そうだからクリスマスにご飯を食べさしてやろうと言うんで、呼んでもらいますと、ロンドンから暫く離れた田舎町のご両親のところに呼ばれたりしますと、もうその近所の人々が皆集まってきて、日本人ってのはどういうもんだろうというふうに、まあ日本の地方にも今もって黒人が例えば行けば皆そういうことをするって事がありますから、どこの国でもやることは同じで、まあその前に私のところへ大体電話がかかってきます。「この次の日曜お昼にお呼びしている誰々だけども、ちょっとお聞きしたい事があるんだけども。」って問い合せがかかってきます。どういう問い合せかって言うと「お前は歩けるか?」って問い合わせ。なんで歩けるかって言うと纏足(てんそく)しているんじゃないかと、中国のしかも100年も前の歴史と混乱しまして「お前はちゃんと靴はいて歩けるか?」なんて言うから「大丈夫です。車で運んでもらわなくてもちゃんと歩けます。」なんて言います。そして「ついでに聞くけどお前は豚が食べられるか?」しかもイスラム教と間違えているんです。なおかつイスラム教と間違えている点では「お前のお父さんは何人奥さんを持っているか?」「うちの父は残念ながら一人しか持っていません。」なんてふざけますけども。それくらい日本ということを知らなかったというのはついやっぱり20年か25年前の話ですからですからこれはお互い様で。日本の方はそれに比べますとイギリス人というものにあった事のない人は大勢いたかもしれませんけども、本はいやになる程その当時もイギリスについて、戦前でも出ていたわけですから、日本のほうが一方的に思い込んでイギリスは私達の親しい国であり、日本とイギリスは非常に近寄っているなあと考えていましたけども、相手の方はそうは考えていなかったという訳です。その関係が変わったのは80年代のいわゆるバブルの時期です。
このバブルの時期になりますと、ドォーツと日本の会社がロンドンに進出してまいります。本当に私がうかつにも名前を聞いた事のないような会社、名前を聞いた事のないような銀行が、みんなロンドンに支店を持ってきまして、何をしたのかよく知りませんけども、とにかく、日本の会社がずらりと並んで、もっと極端に言うならばイギリスの大きな建物をどんどん買っていく。その頃のいわゆるバブルの時期ですと、日本に小さい土地を持っていますと、お金はいくらでも銀行から借りられた訳ですけども、懐かしいよき時代ということに、今から考えてみますとたった10年から20年前のことになりますけども、そのお金でロンドンの金融界の多くの建物も買われましたし、GLCと言われるグレーター・ロンドン・カウンティと言われるロンドン市庁舎まで大ロンドン市庁舎というところまで、日本の不動産のあまり名を知られていない関西の不動産屋に買われてしまうと言うふうな状況になっておりました。アメリカでも同じ事だった訳です。
それだけではありませんで絵画とか骨董とかいうものも日本から来て派手に買い捲りました。絵画なんていうのは勿論日本人はオークションに加わっているとなりますと、それだけで値段が吊り上げられる訳です。いくら値段を吊り上げても日本は買うということで、値段が吊り上げられる。骨董品などというものは見もしないで倉庫を一つ買うというのが普通だった訳ですので、そういう事を散々やりますともう日本を見るイギリス人の目、ヨーロッパの人々の目というものは日本はお金のある国だという、そういう見方しかしません。「日本は素晴らしいねえ。」と言うから「何が素晴らしいの?」と言うと、「お金のなる木があるそうだね。」と言うくらい。
そして日本研究というのがどんどん復活してきます。或いは改めて始まってきます。これは日本研究と言いましても、かってそうであったように源氏物語の研究とか、日本の儒教・明治維新の研究でもなくて、日本式マーケット、ジャパニーズ、マーケティングの、或いはジャパニーズ・マネージメントの研究という事になります。その実研究と言うよりもそういうところを出たといって、日本の会社に採用してもらいたい事が殆どだった訳です。
これがバブルが切れたとたん、バブル崩壊したとたん今度は又、日本の会社がドォーッといなくなってしまいます。で、今ロンドンの稲門会は私が会長をしておりますけども、かって華やかに大勢集まったロンドン稲門会も「いや僕は来月帰ります。僕の会社はロンドンの支店を閉める事になりました。」というのが続出しまして、これもまた元へ帰って行く。かって私がいた頃に2軒か3軒しかなかった日本の料理店というのが、80年代の後半から90年に駆けまして100軒を超えることになりまして、今又どんどんと減っております。
つまりこれがあまりにも急ピッチに行われ過ぎて、ひっそりと形好く格好よくやってくれればまだごまかせるんですけども、派手にパァーッと出て又、派手にパァーッと帰って行くというのは、いかにも日本はたった20年間で良くなったのが又、駄目になりましたと示しているようなものでありまして、長期にいる人間には、かなり辛い事であります。で、イギリスの人達も或いはヨーロッパの人達も特に前から嫉み半分羨ましさ半分で考えた連中は「ざまーみろ」という感じなってしまいます。これは人間としてある程度卑しいことなんですけれど、そんなこといってられないんで仕方がないんで、相手もそういう気持ちでいるという訳です。
そんな話をしていますとあっという間にもう時間になってしまいますので、そういうふうな日本人とイギリスの関係の中で、じゃ何を学ぶかというところにいきます。
2.今イギリスから何を学ぶか
○学ぶという意味
学ぶという事はちょっと一言先に言っておきますと、学ぶということは決して真似をするということではありません。えてして学ぶという事と、それから真似をしろという事とは一緒になってしまいまして、特に最近の若い学生は学ぶということを丸暗記するということと思っている人達が大勢いるので、今大学が始まって私は授業の初めに「私は授業をしますけども、私は正しい答を出す訳ではない。私の言っている事が全く間違ったいるかもしれない。私が半分間違っているかもしれないそれを考えるのはあなた方ですよ私が言っている事を丸暗記すれば,答案に100点つくと思ったらそれは違います。まあ自然科学の中には理科系の中には、そういうものもあるでしょうけども、社会科学だの国際協力だの正しい解答なんていうのは殆どない訳です。いろんな問題が起こった時にできるだけ、自分で解答ができるように、私達は学生諸君を助けたり、或いはものの考え方というものを教えるし、それから「ああいう本も呼んでごらんなさい。こういう本も呼んでごらんなさい。」と言いますけども、どんな本を読んでも解答は出てこない。そういうさまざまな本を読んだり、人の意見を聞いたりする中で自分なりの意見を作っていく、自分なりの判断をしていく、それができる人間というのが大学の卒業生に求められる事であって、丸暗記しても駄目です。」そういうことをもういやになる程学生に言います。そこでそういうふうな意味で、本当の意味で学ぶということをやはり考えていかなければならないわけですから、イギリスから学ぶといってもイギリスでやってこう言ったこうなったから自分達もやったらこうなるだろうというのは、それは間違いですし、イギリスにとってはそれで良かったけども日本にとってはそれで良くないということもあります。しかしイギリスでやってきたことに対して、それを日本なりに自分なりに消化して日的にやっていってもうまくいく事もあるかもしれません。少なくともいくつかある参考の一つになるだろうと思います。そんなさまざまな国の参考になるものを集めて、そういうものを知識として知るだけでなくて自分でやってみて自分で一番良いと思うものを造り出すという事が大事だと思います。
明治維新後、日本の指導者というのは、その点大変利口な人達で、頭の良い人達で、イギリスから或いはフランスからいろんなものを学んだんですが、その時に和魂洋才という最近であんまり使わない、私も一生懸命字引をひいて字を見つけたというふうな、そんな和魂洋才でも換骨奪胎でもいいんですけども、そういった事をやって日本に合わせたやり方をやってきております。ただ戦後の日本はどうも和魂洋才どころか、米魂米才という、米はアメリカですけども、なっちゃってなんとなくアメリカ人になりたいと思っちゃっようなそういう感じが致します。それを改めて和魂洋才とは言いませんし和魂要塞の弊害というものも非常にあった訳ですけども、学ぶということの意味を本当に考えていって、日本に合った形でしかし今問題になっている点をよく消化していって、いろいろの事をよその国から学べるものは学ぼう、そういうのは私はイギリスから学ぶ場合に大切だと思います。
○イギリスの歩んだ経験を学ぶ−福祉・教育・民主主義・外交
イギリスから学ぶものは沢山あると私は思います。一つは例えばイギリスがもう既に通ってきた道、それを日本が又これも経済と同じように急速に追いかけていく。例えば高齢者の問題これをどうしたらよいか?イギリスはもう高齢者の問題とか少子化の問題というのは1930年代から問題になっております。イギリスなりの解答は完全には見つかるわけではありませんけども、イギリスなりにさまざまな努力をやってきております。で、日本はこれをイギリスだけではありませんけども、いろんな国からそれぞれやってきた、どういう事をやっているかということを、又やってきたかという事を知る必要があります。知ると同時にそれを自分達なりにどうやったか考える必要があるんじゃないかと思います。ですから、そういった福祉の問題、それから教育の問題、或いはもっと根本的な民主主義の問題があるかもしれません。日本は非常に優秀な生徒さんとして、アメリカが持ち込んでくれた民主主義というものを教科書通りに、でも内容はその実自分達で考えたものじゃあないものとして、民主主義というものを実践してきたとそう言います。ただし、民主主義というのは本に書いてあるマニュアルでありませんから、その国その国のやり方があるというのは、今や間違っているという事ではありませんけども、民主主義の出発点から考えてみる必要があります。民主主義の発祥の地といわれるイギリスでは、多分かなり日本と違うような考え方をしております。
民主主義の第一の問題というのは、これは自分の身の回りの問題から始まっております。ですから地方自治体から始まっているといったら、これまだ言葉が大き過ぎる。自分の町や村から始まっておりまして、自分の近所の人達それがもし30人の小さな村でしたら、30人みんな会議に出席して話し合って決めれば良い訳ですけども100人になりますと、そろそろ100人皆がバラバラな事を言ったんじゃ駄目だという事になって代表が必要になってくる。300人と500人になりますと、もっと代表は必要になってくる。それからそういう形で代表を選ぶというのが出てきましたし、それから自分の身の回りの問題の時だったら、皆が一つ意見がある訳でこの道をどうしようとか、この建物をどうしようという事は皆がいる訳ですけども、これをもっと大きな国の財政の問題とか国防の問題とか、或いは外交の問題とかになりますと、やはり専門家が必要になってきてそれなりの代表者を選ぶようになるので、そういうような形で一票というものが大切になってくるんですが、つまり自分の身の回りから民主主義が始まっている事をもう一遍考え直す必要があるんじゃないか。ちょうど、地方選挙の後半に入っているようなので、別に私は選挙対策を頼まれた訳でも何でもありませんけども、是非そういった身の回りの事こそ民主主義の第一歩だと、皆さんにもう一度考えていただきたいと思うのです。
そんな事も考え直さなくてはならないと同時に、一番大切な事はやはり国際的な感覚と言いますか、外交という問題だと思います。さっき戦前の話をしましたけども、戦後になりましても日本はやはり外交下手だというふうに思います。イギリスが経済的にはあれ程、まあ衰退というほどではありませんで、今イギリス経済はとても良いんですが、それでも一時期あれ程悪くなりながら、なおかつ世界の中でえらそうな口をきいていると言うと怒られますでも、まだ指導者としてがんばっているという一つの理由は、先ずこれは外交自治と言いますか或いは外交の指導経験、過去に培ってきたノウハウ特にイギリスの場合にはアメリカとの関係が強い、或いは東南アジアとの関係にも強いのですが、その長い過去の植民地の中で自分達の経験してきた事を、決して無駄にしておりません。ですから世界戦略会議のようなものになりますと、経済の上でも国防の上でもイギリスの力というものは、まだまだそのノウハウというものは非常に貴重なものになると思います。そういった形で外交関係の知識及び実は交渉の実ですね、はっきり言ってしまうと討論の仕方です、そういったものが日本の一番弱点はないかというふうに思います。
これかは日本は否も応も無しに国際化といわれてきますと、そういうものが不足しているというところで大きなマイナスを示す事になるんじゃないかと思います。
日本人の考え方或いは日本の歴史というものが、ヨーロッパの、欧米の国々と違うということは、これはもう言うもでもないことです。
ただ一つだけとってみましてもキリスト教というものをバックにしている国々と、それから日本のように仏教と或いは儒教というものを元々はバックにしておりましたけども今では形跡もない国々とはものの考え方が随分違います。例えば平和とか或いはそういった問題について同じような事を考えているとは言えない訳です。
言葉一つとってみても、同じ言葉を翻訳で使ったからといって同じことを耳にしているんではないということがしばしばあります。そういう時に日本がどういうふうに日本のことを日本人の考え方を説明するかということについては、日本人ほど下手な国民はないように私は思います。そんな国際的な問題だけではなくても、大変小さな問題をとってみましても、今ロンドンに日本大使館にいる大使館員の人達がイギリスに送られるという事になりますと、その前3ヶ月位の間皆特別の訓練を受けまして、イギリスについてイギリスの文字とかイギリスの芸術とか芝居とかさまざまなものを勉強してきます。来て何を言うかと言いますと、実はイギリスについていろいろの勉強をしてきたけども、イギリスについて聞かれ、勿論話なんかすることはない。勿論イギリス人が日本人にイギリスの事を聞く事はないですから、よほどシェークスピアの大家でもいれば別ですけども、聞く訳なんかないんです。
○自国を知ること-文化の基本が違うとものの考え方が違う
すると何を聞かれるかと言うと、日本について聞かれる。「日本のお能というのはどういうのもだね?日本のティー・セレモニーというのはどういうものだね?」お能もみた事がないし、文楽も観た事もない、お茶の席に行ったこともないという若い日本人が殆どですから説明できない、或いはそんな特別な事ではなくて、日本の憲法の問題、或いは日本に行った時にお金をいくら持って行ったらいいかという問題にも答えられないという人が多いという状況で、日本人というのは日本について殆ど知らないんじゃないか、というふうなそんな感じを与えています。
私はよくいう話で、日本のことを自分の国のことを説明するのは大変難しいんだけども、文化の基本が違う場合は普通に考える以上にもっと難しい、というその一つの例が,よく私が行った時に聞かれた問題が、私が日本に経済について説明してくれなんて言われて、45分位こう丁寧に調べていって統計やなんか出して日本経済の話。「質問なんかありますか?」と終わって聞きますと「日本では生の魚を食べるというのは本当ですか?」なんて聞かれる。大体そんなところです。で、そこで勿論英語で聞かれますから、「Do
you eat raw fish in Japan?]なんて聞かれる。「Yes」なんて言ったのが大変間違っていうのが後になって気がついて。生の魚を食べると私が言ったとたんに皆が想像するのは、川や海で釣ったとたんその魚を頭から食べると言う事な訳ですね。日本人は野蛮だといわれる、そういうと原因を作っていたように思います。
そういう訳で日本の事を説明するのは非常に難しいことで、私が今教えている日本の大学の学生たちも、皆留学する事になっていますけども、その連中に宗教について、いかに注意しなければいけないかという話をよくします。例えば日本だと生まれたのは神道で生まれて、そして結婚式はキリスト教でやって葬式は仏教でやるというなんてのは、当たり前のことになっております。しかし、うっかりそういうことを言いますと、その日本人はこれはキリスト教をわざわざからかっているんじゃないか。宗教に真剣な国はあります。それが特にイスラム教なんかになりますと、いやお世辞のつもりで、「本当は結婚式だってイスラム教でやったっていいんですよ。面白けりゃなんでもやりますよ。」なんて図に乗って言いますと、それこそ命がけという事になります。そういう点を知らないで日本的なのりで外国へ行くことの危険さというものを、できるだけ説明するようにしておりますけども、日本と外国の勿論似た点も沢山ありますけれども違いというのを知るのが今の日本人にとって、これだけ大勢の人が外国へ出て行くとしたら、大変重要な事になります。時間がなくなってきましたので、大分だんだん早口になって、ただでさえ早口なのにもっとなって、わかりづらいという事がないように気をつけますけども,先ずそういった英語も含めたそして自分の国を知るという意味での、国際化に対する態度、これがとても大切な事です。
○国際化に対応できるか
そして同時に国際化というのは、決して良い事ばかりではありません。よく日本人で良い外国人は来てもいいけども、悪い外国人は来てもらっちゃ困る、なんて言う人がいます。そうはいかないんです。日本だって悪い日本人も沢山外へ送り出しているわけですから、よそから来るものを、良いものだけにしようという訳のはいきません。最近の日本ですと、日本では大学の試験に受かりそうもないし、「うちの子供はどうしても駄目だから、イギリスへ留学させたいんですけど、お世話願います。」なんて言うんですからこれはお互い様の事で、良いのだけ取りたいなんて言ったっていけない。実は国際化と言いますと、悪い国際化の方が早くやってくるんです。麻薬問題とか密輸入の問題とか或いは外国人がここへ来てそして、したい放題のことをするとか或いは密入国とかそういうことのほうが多くなるんで、一体それに対処するだけの処置が日本の中で取られているかどうか。
例えば警官というのは必ず外国語が一つ話せるような訓練ができているか?イギリスの場合には警官も含めた公務員というのは、36ヶ国語のうち一つは必ずできないといけないという事で、必ず半年から1年その国に送られたり、或いはイギリスの中でもって担当する言葉を勉強します。日本の場合にそうゆうことをやっぱりやる必要があるんじゃないかと思います。2002年ですかfットボールが来てフットボールと同時に、日本の円がこれだけ高いと心配ないかもしれませんけど、何かの形で円が安くなっているとフーリガンまで、ドォーッ押し寄せてきます。フーリガンが押し寄せてきた時に、それに対処するだけの言葉が或いは能力が、或いは毅然とした力が日本の警官にあるのかどうか、大変心配になります。ですからそういう問題。
○社会のルールを守る
それから次に第二に社会のルールというものを、日本の中できっちと教えているかどうかということが問題になると思います。これは日本の中で守っている社会のルールというのは殆どの場合、世界に通じます。人にぶつかったら、足を踏んだら、「ごめんなさい」と言う、年取った人や病気のような人や、身体の悪そうな人達に席を譲る。朝会った時には「おはようございます」と言う、或いは「こんにちは」と言う、何かしてもらったら「ありがとう」と言う、そういうふうなルールはこれはもう世界共通です。そういうルールを日本の中で身につけていれば、世界中どこへ行っても困らない。ところが日本の中ですと最近の日本の状況で、まあ「おはようございます」と言わなくても先生方も何も言わない。まして「ただいま」と言わなくても家の人も何も言わない。お母さんも何も言わない。欲しいものを欲しいと言えば勝手に食べても怒られない。台所へ行って好きにそこにあるものを食べれば良い。まして夕飯になったら子供が一番先においしいものを一番に食べる、そういう状況の中ですと外国へ行きますとかなり困るんじゃないかと思います。そうじゃない国というのはとても多い。特にイギリスは子供と大人の差別が厳しくて、子供と言うものは大人になるまでは贅沢はしちゃあいけない、おいしいものは食べてはいけない、というふうにしつけられている事はそれもまあ、変わりつつあるところもありますけども、しかしまだそういった昔からのしつけと言いますかルールというものもちゃんと残っております。そういう事を日本の中でやっていませんと、外国へ行った時でけマナーを覚えて行こうなんたって、そういう訳にはいきません。マナーなんていうのは別にナイフとフォークを間違えても、出ていたフィンガーボールの水を飲んでも別にそんなに困る事ではありませんけども、人の足を踏んで「ごめんなさい」と言わなかったら、これは随分失礼なやつだ、ああいう奴はもう信用するに足りない言われてしまいます。或いは何かしてもらった時に「ありがとう」と言えないという人もこれも困ります。その他やはり日本の中でもってきちっとしたルール、個人主義は大切ですし、自分のやりたい事をやる自由があるというのも大切ですけども、それはルールに従うという前提があってやっているんだと、皆がバラバラな事をやってしまったら、社会というのは成り立たなくなってしまう。今の日本は大分その傾向が出ているような気がします。そこで自分のやりたい放題じゃなくてやりたいという事をはっきり持ってやるという為には、それ以外の問題について社会のルールをきちっと守る。もし守れなかったらなぜこのルールに対して守れないのかという事をはっきり言う。なんとなくごまかしていい加減に済ましてしまわないという事が、かなり大切になったくると思います。
○お金の大切さ
ですから今の日本でバブルの時期からあった一つの影響、つまりお金があれば何でもできるというふうな事を今この時期になんとか一掃したいと思います。お金というものはとても大切なもので、イギリス人も大好きです。ですからお金のなる木があれば、そういう国に行きたいと思うのは当然なんですが、しかし非常に危険なものです。さっきも言ったとおりイギリスや欧米の、アメリカのそうですけども、お金というものを長い時間かけて蓄積した国というのはお金の危険性を知っております。お金というものは便利なものだけども、下手をするとこれは悪い事に使われる事になる。という事を知っております。特に子供の教育にはお金のある家庭ほど厳しくなります。つまり子供が自分で稼いだお金、親が稼いでいる場合にはお金をいくらためても苦労して稼いでいるわけですから、それぞれ知っております。お金を稼ぐというのは大変なことだと言うことを知っています。しかし自分で働いた事のない子供達はそういうことを知らないで、いくらでもお金が使えるんだと思って、そしてお金を使う、そういうふうにイージーな具合に安易にお金を使っていきますと、たいてい悪い事に使ってします。人に騙される。或いは無駄な事につかる。下手をするとドラッグとか麻薬とか自分の人生を破壊する方へ使っていく、そういう事になります。ですから親が子供にお金をあげる場合には、何に使うのかはっきりする必要がありますし、ちゃんと使っていなかったらお金を出さないという事も大切になってきます。実際もう少し子供達、つまり子供達というのは18才位の、大人になるまでの子供達に対して、親がきっちと目を向けるということが大切じゃないかと思います。
○子供は訓練の時期−−お金をかけ過ぎない
子供を可愛がって何でも子供の言いなりにするっていうのは、必ずしも子供の為にならない。大人になる準備の為に苦しい事も辛い事もある程度、子供に経験させてやる必要があります。でもできる事なら、親や大人がもうちゃんと抜けていて、そして本当に困った時、大変な時には助ける手段というものを持っていなくちゃいけませんけども、何でもしてやっちゃいけない。今の場合、特に日本の核家族といわれる両親に子供が1人、或いはお母さんが家にいて、子供が1人か2人という場合には、手をかけ過ぎる、お金をかけ過ぎる。そういう親の善意と、たぶん善意なんでしょうけども、それが悪い結果をしている。イギリスの場合にもアメリカの場合にもそうですけども、まだ寮生活をさせて非常に厳しい生活をさせてリ、或いは子供には親と一緒に夕飯を食べさせない。6時頃まずいものを子供には食べさせて、さっさと寝かせてしまって8時過ぎ頃、大人だけおいしいものを食べる。大変意地汚く見えますけども、そういうことをしている家庭というのはまだまだ沢山あります。子供の方もそういうもんだと思っていますから、早く一人前の大人になってこんな意地の悪い親から離れて、自分の生活をしたいものだと思うようになります。大変良い結果になっております。どうもこの間も、何かの雑誌で30才になっても親の許とにいる若い人達という特集がありまして、良いか悪いか、どういうメリットがあるか、デメリットがあるかというのをやっておりまして、それを見た時私は本当にびっくりしました。若い人達が30才になって親の許にあって、どういう良い点があるか悪い点がなんて言えた義理かって。イギリス人から言うと、これは親が決める事なんです。子供たちが居たいたって18才になったら追い出すのが殆どで、25才にもなって親の許にいるんだったら、親の方が本当にそれじゃあ置いてやろうと恩に着せておいてやるぐらいのもので、子供が自分で親の許にいようとか、いないでおこうとか決める事じゃない。大学でて就職したとたんに「さあ出て行け、さあ出て行け。」と親の方が出て行くのを待っているくらい、お尻を叩いてたたき出されてしまいます。大抵は大学に入った時に叩き出されるんですが、そういうふうな国もあります。それが全て良いということではありませんけども、ある意味で言いますと、今のしつけの問題、学級崩壊の問題、若い人達が辛抱が足りないという問題はこういう点にも一つあるんじゃないかなと思います。
そこでこのルールの問題ですけども、これはむしろ日本の方が異様なんです。これだけ平和で安全な国、最近危険になってきたと言っても、よそに比べたら安全な訳で、そういう国の中で暮らしている特に子供にそんな日本を海外の持っていったらとんでもない事になるんで、最近もいろんな女の人達のグループでいろんなことを聞かれて、例えば夜中に男の人の部屋に行くとか、或いは女性一人で暮らしている所へ男の人を招くとか、そういうことを絶対に海外ではしないで欲しい。日本の方たちは日本の中だったら、ちょっとしたアドベンチャーぐらいいいじゃないのって言って、アドベンチャーが大変な事になる事もありますし、この間1月にありましたなんですか、テレホンクラブですか電話サービスみたいなところで、知らない男の人の車に乗って殺されるなんてのが日本にも出てきている訳ですけども、これは欧米でしたらおそらく5才の女の子でもやらないことです。と言うのはもう親に嫌になるほど叩き込まれていて、絶対に知らない人の車に乗らない、知らない人からもらったものを口に入れない、というのはこれはもう最初の一歩の一歩なんですね。そういう事がどうも日本では教えられていないんじゃないか、叩き込まれていないんじゃないか。で、少なくとも日本の中は安全だと、もし言うんだったら、海外へ出たらそれはやらないでください。非常に危険ですという事を嫌な感じですけども私が言わざるをえない。で、そんなふうな社会のルールとか自分の守るべき事とかいうものを、あまりにも今の若い人達に教えてこなかった。これは中年以上老年の人達をも含めた、その経済ばっかりに目を向けてきた人達の責任でないかと思います。
他に幾つかの点がイギリスから学ぶものにありますけども、これはやっぱりこの次の講演にする事にしまして、一言づつ言いますと例えば今の金持ちに子供をきっちと育てる責任があるとか、お金があった場合にはお金がなかったときの子育てと違う子育てをしなければいけない、教育をしなければならない、という問題に関してはイギリスは非常によくやっていると思います。
○トップの責任--21世紀は個人が問われる
もう一つは例えばトップの責任、会社でも或いは公務員でもそうですけども、トップが責任を取るという事に対して日本はまだまだ足りないんじゃないか。集団主義とか或いは顔のない日本人とか言われますけども、これまで日本はそれで何とかやってきましたし、今後の日本はそれでそれでやっていけなくなるようになるんじゃないか。トップが責任を取って自分の責任で何かをやる、悪い事があっても、進退をきちんと決めるという事が必要になってくるんじゃないかと思います。
それからそれと同時に関連しておりますけども、21世紀は個人が大切になる世紀になると思います。さまざまな出来事が21世紀にも考えられまして、特にいわゆる先進国と言われる国以外の、後進国といわれる国、発展途上国といわれる国の中のさまざまな問題が、しかしその国でけにとどまらないで、いろいろなところに波及されていく。そうなりますと一人一人の人間が国際的に協力できる為には、自分の意見をはっきり持って自分が何が出来るか、何が出来ないかと言うのをはっきり知っていることが必要になってくると思います。情報だけは、こういうふうにすべからくすぐアチコチに飛んで行きます。そうしますと、「ちょっと東京へ電話をかけますから待っててください。」という訳にはいかなくて、その場で決定しなければならない問題が沢山でてきます。その時に決定ができないような人間では困ると思います。
3.おわりに
それから最後に大急ぎで言っておきたいこと、国際社会になればなるほど或いは地球社会だの地球市民だのといえば言うほど、自分の国を愛するという事、古い言葉で恐縮ですけども日本では流行らない言葉ですけども、愛国心というものが非常に大切になったくると、私は思います。
自分の村、自分の町、自分の市或いは自分の社会といっても良いかもしれませんけども、これは愛国心と言っても、いきなり国というふうに言わなくてもいい訳ですけども、自分の生まれて生きて、そして影響されて育ってきた文化というものを愛さなければ、一体世界なんてものを愛せない。それぞれの国が皆、自分の国というものを大切に思い、自分の住んでいる社会そのものを大切に思うから、一生懸命努力する訳で、その社会に貢献しようという気になる訳ですから、日本でけはそうじゃない、よその国は皆それぞれの国を大事にして大切にして、それを動かしてその国の国民に或いはその国の社会に育ったということを誇りに思っているのに、日本人だけが日本はあんまり良い国じゃないと思ったり、或いは旗も立てたくない、歌も歌いたくないと、国歌も歌いたくないということは国際社会の中でやっていくのは、非常に難しいのではないかと思います。日本というのはどういう国なんだ、日本というのはどういう国民なんだと皆、不思議に思うような気が致します。
だからと言って国粋主義になれとか国家主義になれとか言うほどではありません。自分の家族を大事に思い、自分の町の人達と親しくする、近所の人達と親しくするというような意味での、或いは苦しい時に自分の国のことを故郷の事を思うと、力が沸いてくるというそういう意味の愛国心というのが、海外に出て長く暮らせば暮らすほど、必要になってくる支えになってくるという事を実際実感している人間として、皆さんに一言だけお伝えして、そして少々時間オーバーしましたけどもお話を終わります。どうもご静聴ありがとうございました。
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