不思議な体験をした私
 菱山 房子 32年文卒 会員
  毎号機知に溢れる楽しい記事が掲載されてきました。でも今回だけは愉快でないお話で許していただきたいと思います。唐突ですが、私も命とは限りあるものと重々承知してはいました。でもそれは観念に過ぎず、切実さも実感も伴っていなかったのです。
 その時は何の予知もなく、残暑の酷しい一昨年八月のある昼下がりにやって来たのです。ここからは家人の話ですが、深呼吸とも鼾ともつかぬたった2,3度の息づかいの後、意識不明になり、まもなく呼吸も止まりました。後日読んだ救命医の本に、これは三途の川を渡りもう向こう岸に着いた状態で昔ならここで一巻の終わりと書いてありました。到着した救急救命士は心肺が停止しているのを確認すると少しも慌てず心臓マッサージを行いました。次いで最後の手段として電気ショックを施しました。心肺蘇生術が成功して私のボロ心臓の拍動が再開したのです。
 運びこまれた病院では、壊れたロボットの修理でもするように、いちかばちかやってみるよりしょうがないと低体温療法を行いました(救急救命医の言葉)。病気の原因はともかく蘇生後脳症ということで脳の保護を最優先して行ってくれたのです。
 いま私が半ば笑顔でこんなことをお伝えできるのは発症時の対応、救命士のご努力、そしてすばらしい現代医学の恩恵を適切に受けることができたからなのです。診療に関する説明と同意の書類には「深昏睡」、「少なくとも数分は脳への血流は途絶えた」、「元通りの意識の回復はきわめて困難」、「予後は死→脳死→植物状態」などの文字が並んでいます。やがて一週間も過ぎ、意識の回復はあり得ないと宣告された家族は、コロッと逝きたいと言っていた私の言葉を思い延命処置の承諾書への捺印を保留しました。ところが予想に反してその翌日、呼びかけに私は笑顔を返し、家族をびっくり仰天させたのです。
 ICU(集中治療室)とCCU(心臓の集中治療室)での3週間、急性心筋梗塞という病の中、私は不思議な体験をしました。人は今際の際、何を見、何を聞き、何を思うのでしょうか。後日、私は立花隆著「臨死体
験」を読み、私の場合もこの「臨死体験」といわれるものではないかと思いました。それはNHKスペシャルでも取り上げられ、2000万人もの人々が視聴しました。その一つは「体外離脱」という奇妙な現象です。私は意識が回復するまで当然入院中であることなど知らなかったのですが、その私がなんと病院のベットをするりと抜け出し、椿の花の咲き乱れる家を訪ね上品な老夫婦に会ったのです。また石仏の並ぶ洞穴で、肌の暖かい石仏から「またいらっしゃい」と声を掛けられ、大急ぎで病院のベッドに戻りました。そしてスパゲッティのように身体に着けられていた管を元通りに取り付けました。その時何と現実の私の姿を上の方から別の私自身が見ていたのです。その他にもいろいろと見聞きしました。
 それは幻覚だったのでしょうか。そうだとすると、幻覚とは自分が覚醒していると錯覚している中、鮮やかに現実の如く認識するものだと、実に不思議な思いが致します。脳科学はドーバミンによる自己像幻視、またはエンドルフィンのもたらす快感等と説明していますが、いずれにしても脳とは何と複雑なものでしょう。
 私達は人、物、金、情報等々を基盤に暮らしています。でも脳死体験では、私ばかりでなく他の方々も水、光、花、善き人等と、時空を超えた世界を体験しているのを書物で知りました。人は今際の際で、もしかすると生命の存在の根源的のものに出会い、その脳裏に自然への回帰の予感を抱きつついるのではないかと思います。たとえそれが脳内物質の仕業でも幸せなことだと思いました。
 立花隆氏も、救急救命医も現代科学では解明できないことがあると記していますが、私も千載不決の事柄があると思うようなりました。因みにギャラップの調査によると、死後の世界を信じるかとの問いにアメリカ人は67%がyesと答え、医師と科学者だけを対象とした調査でもそれぞれ32%と15%がyes
という結果だそうです。一方日本人は、同時期の日本数理研究所の調査によると、わずかに12%という数字です。日本人は非宗教的な国民性なのでしょう。
 今回の数奇な体験が私にもたらしたこと、それは限りない命へのいとしさです。病室の窓から見た秋雨の中、足早に過ぎ往く人々の通院風景も、近くの鎮守の秋祭りの太鼓も提灯も、宵闇の中お詣りする善男善女の気配も、冠雪の富士山も、生きて平凡に過ごす一日の幸せと大切さを心底思わせてくれたものでした。励まして下さった稲門会の方々本当にありがとうございました。
 私は今、お世話になった多くの方々に心から感謝する日を元気に過ごしています。