大型クルーザー「稲魂」に乗船して
                     川上 昇一   散策山歩き部会長   32年政経


 前日までの天気予報では100%の雨。が、当日は幸いにも少し肌寒いものの曇り空。楽しみにしていた相模湾でのヨットによるクルージング。昭和25年早稲田大学高等学院入学時の恩師、三浦和雄先生を中心に学部卒業以来続いている「三和会」の集いである。幹事役は毎年持ち回りで、各部出身者2〜3名が担当することになっているが、今年が法学部卒の小林・中田両君が当番役となった。中田君は学院、大学と通じてヨット部に所属、ヨットとの関わりは50年を上回り、自身ではクルーザー「げっこう」(艇長33フィート、定員12人)のオーナーとなり仲間とセーリングを楽しんでいる由。また今回は参加していないが、元早稲田ヨット部監督で今なお日本ヨット界の重鎮である竹村洋一君(三和会メンバー)は、アメリカズ・カップの日本の事務局で、山崎会長を補佐して多忙を極めているとのことである。この様な関係から本年の「三和会」は幹事の配慮でヨットによるクルージングに決定したわけです。

 さて当日、甲府、宇都宮からの参加者も合流して総勢13名、三崎口駅前よりタクシーに分乗、油壺ヨットハーバーに向かう。我々の到着を待って、SPIRIT OF WASEDA と書かれた大学所有の大型外洋クルーザー「稲魂」(艇長40フィート、定員20人、8ベッド・バス・トイレ付)は停泊地からゆっくりと岸壁に横付けられる。クルーは浜田裕艇長(昭和30年学部卒)、佐伯浩一、米田晴二、鈴木賢太郎、遊佐喜弘(敬称略)の諸先輩5名。いずれもヨット部OBのベテランヨットマンである。翌5月18日、葉山沖で行われる早慶ヨットOB戦を控えていたが、我々後輩のために世話役をかって出ていただいた。学部での体躯実技にヨットを選択した者もいましたが、大半は荒天候下のクルージングへの期待と緊張感、船酔いへの不安をもって乗船。キャビン内の説明、ライフジャケットの装着、キャビン内よりデッキの方が船酔いは少ない等々クルーの方々には種々お気遣いを戴きました。
 予定時刻10時15分、艇は岸壁を離れ、石原都知事所有のヨットをはじめ湾内に停泊中の豪華なヨット群の間を抜けるまではエンジン航行。湾外に出ると中田君を含めた6名のクルーが、艇長の支持のもとそれぞれの持ち場で甲斐甲斐しく動き帆を揚げ帆走に移る。波静かな湾内と違い波浪も高く、クルーのキャップも飛ばされるほど風邪も強くなる。永年ヨットに乗っているベテランでも、時には船酔いに苦しむこともあるとか。片方の舷が海面に近付き、思っていた以上の大きなシール。初めての乗船者は少々不安になる。が、ビールを片手に、もう一方の手は艇にしがみつきながら荒波のセーリングを大いに楽しむ(?)。約10ノットの快走のなか、石原裕次郎、加山雄三、早稲田応援歌のBGMを聞きながら豊かな心地に浸る。艇は城ヶ島近くの相模湾を周遊、好天ならば富士山、伊豆の山々、大島、江ノ島を望めるところだが曇りのため視界は遮られた。
 鉛色の海、波しぶきの中、かってテレビで観たことのあるアメリカズカップ・ヨットレース、或いは南米最南端のホーン岬の難所で時化に遭遇、苦闘するクルーを重ね合わせながら午後12時15分、2時間の楽しいクルージングを終えて無事油壺ヨットハーバーに帰港。
 艇を操船、お世話をいただいた諸先輩方の古希を過ぎてもなお青年時の夢を追う姿に接し、都の西北早稲田の杜に学んだ後輩の我々に人生の道標を示していただいたかの感を抱きました。また当稲門会員の鈴木賢太郎さんには、同士の誼で新潟〜ウラジオストック・レースのこと、計画中のタヒチ・オーシャンレース、豪州沖帆走、さらに日本一周クルージングのこと等々ヨットに関する楽しいお話を沢山聞かせていただきました。
 艇長はじめ諸先輩の、出航準備から帰港までの終始暖かいご配慮に感謝し、翌日のヨット早慶戦でのご健闘を祈りながら下船。岸壁で記念撮影の後、懇親会会場のホテル「観潮荘」に移る。まずは相模湾を見下ろす海洋深海層水の露天風呂でクルージングの疲れを癒し、懇親会に入る。大いに盛り上がって最後に応援歌を唱い、学生時代にタイムスリップした2時間30分の懇親会はあっというまに終宴した。最後に来年は山梨で10月に開催、その幹事役も決めて再会を約し散会した。参加者は全員が楽しんで実に有意義な一日でした。