平成17年10月14日(金)15日(土)4年ぶりに「南沢獅子舞」が開催された。 この獅子舞は、五穀豊穣や無病息災を願って江戸時代初期より秋祭りの奉納行事として行われてきており、南沢獅子舞連により保存継承されている。獅子頭をかぶり腹に太鼓をつけた2匹の雄獅子と1匹の雌獅子が笛や謡にあわせて踊る他「太刀つかい」歌舞伎のような口上をのべる「世流布」おかめ・ひょっとこの「神楽」も一緒に行われ15日の夜には最終に全国でも類をみない「万歳」が実施される見所である。 しかし、当日は開催直前に雨が降り出し各出し物は短縮され、メインの獅子舞も短時間に終了した。雨のため当日の参加者は10名、予定より早く終了したため残念会を開催した。 4年後に再度企画する予定です。 郷土研究会 高橋
◆平成15年10月27日(日) 東久留米七福神巡り 七福神のご加護のためか前夜までの雨はすっかり上がり、好天のもと総勢17名で市内の5つのお寺の七福神を参拝した。コースは約7km余りで約4時間、浄牧院(大黒天)→宝泉寺(弁財天)→大円寺(寿老尊、福禄寿、恵比須)→米津寺(布袋尊)→多聞寺(毘沙門天)と健脚をしめした。各お寺の住職さんの協力をいただきあらためてお礼を申し上げたい。特に浄牧院の住職さんの『座禅の法話』をはじめ各住職さんからの法話については充分時間をとって拝聴したい思いであった。各お寺の沿革と東久留米市の歴史を学んで「郷土研究会」の行事として成功裡に終了した。次回からも年1、2度郷土文化について紹介をしていきたいと思っています。
●新春の行事について 正月松の内も明け、1月14日は小正月である。全国各地でも行われている行事でもあるがこの日は、「まゆ玉」を作り豊作を祈願する。「まゆ玉」は米粉を熱湯で丸めて繭の形や作物の形態にこしらえ樫や檜にさして飾り繭などの豊作を祈った。私の実家でも戦前蚕により繭の生産しており、当地区でも繭の生産は農業の主要事業であった。 1月15日は病気にかからないように、「あずき粥」を作って食べた。1月と11月の20日は「えびす講」である。えびす様は稼ぎの神様であり、なんでも沢山あげた方がよいので赤飯や白飯を高盛にしたあげた。 節分はトシトリとも言われ2月3日前後に行われ目立つものはないが、家の玄関先に柊や豆殻に鰯の頭を焼いて魔除けとしてさし、大豆を炒り、家の内外に「福は内、鬼は外」と言って豆をまく。「初午」は2月の初午の日の行事としてお稲荷様をまつるもので「オビシャ」とも云われる。各戸の屋敷稲荷に奉納稲荷大明神と墨書きした五色の旗をたて、赤飯、油揚げ、魚などを供える。また地域ごとの稲荷神社ごとに講をつくり輪番で飲み食いの行事が行われた。 今ではこれらの行事で残っているものは少なくなったが東久留米の農家ではこのようななかで本格的な春を迎えた。 * * * ●「東久留米」の地名の由来 東久留米に先立つ久留米村は明治22年に江戸期の8ケ村(神山村、門前村、落合村、南沢村、小山村、前沢村、下里村、柳窪村)と2つの新田(栗原新田、柳窪新田)に田無の飛地(田無、神山、前沢、野火止)を含めて誕生した.当時は神奈川県北多摩郡に属していたが、明治26年に東京府に編入され、昭和45年に東久留米市となった. 地名の由来についてだが、柳窪村の皀莢(さいかち)窪(現小平霊園内)から湧出し、下里村、小山村、門前村と流れ下る「久留米川」は、落合村で落合川に合流し、新座郡に入ると黒目川と名を変えるが、この川の呼称から来ていると考えられる.一方、黒目川と落合川の合流点より下流を「黒目の里」と呼ばれていたが、この地は現東久留米市所在地と異なるため、市名の由来となったとは考えにくい.また、柳窪の天神社に安政4年(1857年)に建立され、市の指定文化財ともなっている「梅林の碑」があるが、この碑にこの天神社から湧き出ている清水の流れを「来梅川」というと記されている.これが「くるめ」の由来とする説もある.
●東久留米市の無形文化財 平成14年10月13日から14日にかけて、4年振りに「南沢の獅子舞」が上演されました.これは江戸時代の初期から五穀豊穣や無病息災を願って、南沢の多聞寺で行われてきました.特徴は、獅子舞と万歳等の芸能が組み合わされており全国でも類を見ないものです.なお、昭和42年に東久留米市の無形文化財に指定されています. ●東久留米市の七福神 東久留米七福神は平成2年に設けられた東久留米市内の5つの寺に祀られている7福神のことで、宝泉寺の弁財天、浄牧院の大黒天、多聞寺の毘沙門天、米津寺の布袋尊および大円寺の恵比須、福禄寿、寿老人である。この5つのお寺は黒目川と落合川にそってどの寺からも2〜3時間で巡ることができる。 今回は取材のできた大円寺と米津寺について紹介します。
平成13年は、東久留米七福神を巡って市内の中心となる五つのお寺の沿革や郷土とのつながりを学びました。 「郷土研究部会」といっても学習するだけの会ではありません。興味や関心のある史跡を探索したり、郷土の桜の下で酒を飲んだり、またバーベキューのできるところ(清瀬市柳瀬川沿いなど)で遊び、たまには「郷土」に関する講演会などを企画しております。差し当たって今年は諸先輩の指導を仰ぎながら気候の穏やかな時期に「さいかち窪」「澤頭」「竹林公園」に水と緑を訪ねたいと思っています。 部会長 高橋哲男 中央町在住 50政経 |