◆平成17年11月19日 第9回手打ち蕎麦を味わう 東村山駅から程近いそば屋「はや川」で開催。参加者は申し込み順の限定10名。これが精々という程の小さな店である。しかし、店内は如何にも本物の蕎麦屋に相応しい構えで、壁は芯の藁を浮き出させた荒壁風、テーブルはどっしりとした無垢材、気取った装飾などはないところにこの店の蕎麦にたいするこだわりが垣間見える。生家が蕎麦屋だったという主人の早川さんは定年後、本物のそばの味を求めて修行と勉強を重ね、昨年ここに開店されたと聞く。 さて、当日の料理。先ず蕎麦寿司、板わさ、だし巻の前菜。鴨のロースに新鮮な水菜のサラダ。そして、これぞ蕎麦屋ならではの杓子に載せた焼味噌。烏賊の丸干し。中に鶏肉と松の実を挟んだ蕪の酢のもの。海老、椎茸、茄子の天麩羅。茸とホウレン草のお浸しと続いたが、ひとまずこの辺で酒の報告を。日本酒は新潟の「緑川」。辛口である。口当たりの良い冷やでつい杯が重なる。焼酎は薩摩のその名もずばり「芋」、これがまたそば湯割りに良く合って何ともまろやかである。因みにこの店は徳利も杯もそば猪口も陶器である。 陶器の持つ素朴さと暖かさが蕎麦には合う。 そして本番のせいろ蕎麦は二八である。この頃、十割蕎麦を時々見かけるが、蕎麦特有の香りと喉ごしはやはり二八に限ると早川さんは言う。細打ちで腰が強く、シャキッとした口あたりが抜群だ。料理の最後はこれも本格蕎麦屋の定番、殻を剥いた蕎麦の実の雑炊。 これで都合九品、手を変え品を変えて蕎麦の味覚の原点を堪能、満喫した午後でありました。足と舌を駆使して、こんな恰好な店を探し出してくれた神田部会長のご努力に感謝。 二八よし 蕎麦湯また佳し 仲間また (三田 三記) ◆平成17年6月25日 第8回小さな店で昼の本格中華を味わう 梅雨時にもかかわらず真夏のような暑さの中を、石神井公園駅から徒歩約10分。午後1時、中華料理の店・春秋園に着く。路地のラーメン屋という感じの小さな店だが、味は本格的で値段も手頃、口コミで人気が広まったと言う。料理はおまかせの春のコースで、蒸し鶏肉の香味かけ、椎茸と青菜の炒め、海老のマヨネーズあえ、牛肉の黒胡椒炒めなど、旨み調味料を使わない、濃いめのしっかりした味付けである。店主お勧めの10年ものの陳年紹興酒が口当たりよく、青島碑酒(中国ビール)もあり、思わず杯が進む。そして人気の麻 (マーラー)豆腐、レタスのオイスターソース炒め、点心のにら饅頭、デザートは冷たい愛玉子か仙草のゼリー。座敷が狭いため、10人で一杯で、大勢が参加できなかったのは残念であったが、満腹し、3時過ぎ、長老の川俣さんの音頭による一本締めでお開きとなった。(神田記) ◆平成16年6月26日 第7回「狭山 翁」の手打ちそばを楽しむ 梅雨時で雨が心配されたが、幸い好天に恵まれ、西武狭山線の下山口駅から日陰を求めながら、なだらかな坂道をゆっくり12分位上る。ひと汗かいて、まなかいにビールの泡がちらつくようになった頃、風格のある筆書きの「翁」の看板が目に入る。山梨長坂のそば打ち名人として有名な高橋邦弘さんの「翁」に弟子入りして修行した若主人が、暖簾分けを許されて3年前に開いた店、「狭山 翁」である。 まずはビールで乾杯。塩豆をつまんでいると、焼き味噌、土佐漬、こだわりの黒豆のおぼろ豆腐が一つの盆でだされる。箸休めは山葵の頭の醤油漬け、続いて茄子の冷やし煮付け、薄みで深みのある山掛け豆腐、あっさりと上品なだし巻き玉子、海老や野菜の天ぷら盛り合わせ。これらが、店主お奨めの静岡の地酒・特別本醸造「磯自慢」や、そば湯割りの焼酎によく合い、思わず杯のピッチが上がる。そして本命のざる蕎麦。国内産の蕎麦の実を毎日石臼で挽いて、丹念に打った二八そばで、のどごしの良さと豊かな香りで評判である。お代わりを注文する人もいて、流石と思わせる。デザートは冷たい自家製梅酒の寒天寄せ。座席が狭いため、10人で一杯で、大勢が参加できなかったのは残念であったが、まずは味、ボリューム共に満足した土曜日の午後の一刻であった。 (部会長 神田 尚計記) ◆平成16年1月12日 豆富料理を楽しむ会 谷中七福神巡り(ウォーキング会共催) ウォーキング会の谷中七福神巡りが、不忍池弁天堂の弁財天を最後に無事終了し、一行18名、上野から歩いて鶯谷北口の「根岸・笹乃雪」へと向かう。 笹乃雪は、約320年前の元禄4年創業の豆富料理の専門店。上野の宮様と呼ばれた寛永寺門跡の輪王寺宮が「笹の上に積もりし雪の如く美しさよ」と称賛されたのが店名の由来となっている老舗で、「豆腐」ではなく、「豆富料理」と称している。製法も創業時のまま、にがりだけを使っているという。 店構えは、以前は古びた和風建物で、それなりに風情があったが、今は立派なビルになっていて、店内には、根岸ゆかりの文人墨客の書、絵画などが展示されている。広い玄関から、2階の風格のある座敷(個室)に通される。 定刻の午後3時、谷中七福神巡りのリーダー役を勤めてくれた土屋さんの発声で乾杯。小付の生ゆばの豆乳寄せから始まり、中桶の冷や奴、あんかけ豆富(二椀一組)、胡麻豆富、雲水(海老やほたてなどを湯葉で包み豆乳で蒸したもの)と続く。いずれも上品で淡白な味付けで、まさにヘルシーそのもの。ここで暫くおいて、うづみ豆富(わらびや椎茸の混ざったそぼろ状の豆富をのせたお茶漬け)。デザートは豆富のアイスクリームで、まろやか。 他の客も居ないから遠慮も要らず、話も弾む。焼酎のお湯割りやビールで、ほろ酔い気分になりながら、歴史ある名店の滋味をゆっくり賞味し、予定通り4時30分、深沢さんの一本締めでお開きとなった。 (神田 記)
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◆ 7月5日 貸切のビストロで土曜日の昼を楽しむ 梅雨時には珍しく爽やかな天候に恵まれ、秋津駅を出発。おしゃべりをしながら、ゆっくり南に向って歩き、8分ほどで志木街道に出る。左に一寸行き、空堀川に架かる野塩橋のほとりの、こじんまりしたビストロに着く。 パリの街角のレストランの雰囲気をコンセプトにしているという店内は、落ち着いて居心地良く、隠れ家的な感じである。因みに店名は「ニユー・マーケット」の意味とのこと。フランス料理歴30年というオーナーシェフが手間をかけて料理を作り、奥さんがテキパキと対応してくれる。 メニューはヌーボーコースのおまかせで、先ずは香りのよいパンにオードブル。オードブルには、田舎風パテ、生ハム、鯖の白ワイン漬け、スモークサーモン、鴨のスープ、北アフリカの主食であるクスクスのサラダ、きのこなどが、気取らずにさりげなく、ボリュームたっぷりに盛られている。そしてなめらかで色彩鮮やかなグリーンピースのポタージュスープ。メインは肉か魚かを各自好みで選ぶ。肉はビーフの赤ワイン煮、魚は的鯛のグリエのプールプランソースかけで、いずれもあっさり上品な味付けである。これらの料理がワインと実によく合い、そのうえ我々だけの貸し切りだから、周りを気にすることもなく話もすすむ。デザートはクレメダンジェというフレッシュチーズのムースで、ふわふわととろけるような食感でこの店の評判の品。 仕上げはコーヒー。ゆったりとした時を過ごし、土曜日の昼を堪能することができた。 (神田記) ◆ 4月1日 手打ち蕎麦と柳瀬川の桜を楽しむ会 昨日のうすら寒さが嘘のように、ポカポカの暖かい陽気にめぐまれ、満開まではもう一歩ながら、柳瀬川の堤の見事な桜並木をそぞろ歩く。 途中、円通寺に立ち寄る。暦応3年(1340年)の建立といわれる古刹で、山門や長屋門、本堂、鐘楼など鎌倉期の典型的な伽藍配置である。 「こんなところにおそば屋さんなんて本当にあるのかしら」などという心細そうな女性会員のつぶやきを背にJR武蔵野線のガードをくぐり、今日の会場の手打ちそばの店「下宿池添」に着く。一軒家で、掛けられている暖簾でやっと蕎麦屋と気のつくような店。無口でいかにも純朴そうな主人と活発な奥さんの二人だけでやっている。 主人手作りのこだわりつまみ類が供される。まず板わさ、コブシの花の酢漬けと花わさびの醤油漬けが添えられている。とろけるように柔らかい豚角煮、野菜の天ぷらはたらの芽、蕗のとう、ししうど、にわとこの新芽など。続いてそばいなりとお新香、揚げそばにトバ(鮭の干物)添え。そばがきのつゆは本鰹節のだしがよく効いて上品。もりそばは国内産のそばの実をその日に石臼で挽いて、つなぎを使わずに打ったもので、十割と思えない滑らかさである。 酒は名湯「臥龍梅」、宮崎の焼酎「仲仲」の蕎麦湯割りがこれらのつまみに合い、時のたつもの忘れた。 俳句部会の三田さんが一句よせてくれる。 春うらら そばと地酒と 古時計 翌日はまた冷たい雨に逆戻り、日頃の行いの良い我々の為にすばらしい一日をプレゼントしてくれた天気の神様に感謝。 (神田記) ◆平成14年10月10日(木) 散策山歩き、グルメ部会共催 爽秋の妙義山麓 初の日帰りバスツアー開催! この日参加された39名の紳士淑女は余程日ごろの行いが良い人達ばかりに相違ない。前日までの雨模様の天気がウソのように天高く青々と晴れ上がった。妙義山に繋がる道では野猿の出迎えもあって、全員の行楽ムードは勢い昂揚した。最初の目的地、妙義神社の参道の長い石段では、日頃歩き馴れないやんごとなき人達は早くも挫折、先が思いやられたが、妙義山の奇怪な山塊が見下ろす“さくらの里”まで歩いて、前橋より持ち込まれた盛りだくさんの鳥弁当を車座になって食する頃は別人のように元気で、健康な稚気に溢れていた。 秋草に重ね上州弁当解く(橘正治俳句部会長詠) ツアーの最終目的地“妙義もみじ温泉”で汗をおとし、文字通り裸のお付き合いをした後、名物のコンニャクなど夫々思い思いのお土産を仕入れ帰途につく、社内は定番のカラオケ大会、ビールのせいか、お歳のせいか、困ったものでトイレ休憩を余儀なくされ何度も中断、下車。その都度積み落とし(?)がないか気を揉んだが、定刻7時ぴったしに全員無事に東久留米駅に到着。中には立ち並ぶい居酒屋を羨ましげに眺める人もいたが皆お土産を抱えて真っ直ぐに我が家に散って行った。 散策山歩き・グルメ両部会の共催の試みはかくして大成功の一日でした。 比護喜一郎記 ◆第三回 会を重ねるごとにますます人気が高まってきたグルメ部会の「第3回グルメ探訪の会」は6月29日清瀬市元町のイル カバロ ビアンコ(白い馬)でイタリヤ郷土料理を楽しんだ。当店のシェフ阿部博さんはイタリヤ料理界では有名な方だとか。参加者14名うち女性3名、希望者はほかにもたくさんおられたが会場の都合で残念ながら先着順となったらしい。 イタリヤ郷土料理と聞くとなんとなくナポリあたりを想像しがちだが、ここはスイス、フランスに近い北部エミリアロマーナとリグリア地方の家庭、郷土料理。店の人に聞くと食材に大きな違いはないが南を田舎風とすれば北は洗練された都会風とでも言えましょうか、とのこと。 まずは何よりワインから。キリっと辛味の効いた白、香りからしてヘルシーな赤、どちらも素晴らしく血行の活発化とともに参加者の舌の動きも滑らかになる。 前菜は見るからに新鮮な厚切りサーモンのマリネ、パスタは緑の枝豆を散らした小烏賊入りの手打ちスパゲッティ、メイは鱸のポアレーあるいは茸入り牛ヒレステーキと続くがどの料理も鮮度のいい旬の食材、味付けは上品でくどくない。また盛り付けがいかにも品良く気が利いている。サラダは蕪、これト、コーヒーとなる。 「好きな酒と好きな料理を好きな時に好きな店で好きな仲間と好きなだけ味わうことが食の醍醐味」と聞いたことがある。まさに気心の知れた親しい仲間と楽しい会話こそが最高のソースであると実感したグルメ会でありました。店の選択から案内、当日の世話まで幹事の細かい気配りに改めて深謝。 (三田 三記) ◆第二回 グルメ 探訪−貸し切で手打ちそばを堪能− 2月23日、保谷駅に集合、歩くこと7〜8分、閑静な住宅街の中にこじんまりした瀟洒な洋風建物。看板も小さく注意しないと気が付かない洒落た店。此処が今回の会場の「手打ちそば・季彩すず木」である。若夫婦二人だけの店で今日は我々16名だけの貸切である。美人の奥さんに優しく迎えられ店内に入ると壁の一部には大谷石が使われており、照明も柔らか、モダンでしかも落ち着きがあり心が和む。 午後1時高橋会長の発声でビールで乾杯、料理はおまかせコースで、蛸のオイル漬けに蕪とスモークサーモンのサラダから始まり、鴨ロースのバルサミコ風味まで6品、店主の手作りつまみがそれぞれセンスの良い器に盛り付けられ、奥さんの爽やかな笑顔と共に供される。 酒は越後の松露、サラリとした辛口で、冷や良し、燗も又善し。始めはおとなしくいていた面々も貸し切りで他の客が居ないためかだんだん勢いづいて、まさに談論風発大いに盛り上った。 締めは細く香り高い十割せいろ、つゆは濃い辛口で、薬味は葱でなく、辛味大根と生の本わさび、居心地が良すぎてつい予定時間を大分超過してしまったが土曜日の午後を堪能できた集いであった。 (神田記) ◆第一回 平成13年10月27日午後、第一回グルメ探検の会が催された.参加16名(内同伴者1名)は西武新宿線小平駅から迎えのマイクロバスに揺られておよそ15分玉川上水沿いにある雑木林にかこまれた閑静なたたずまいの「いろりの里」に到着.水車と石畳の小径と苔につゝまれた日本調庭園で野点もどきの「お薄」をいただいた後、庭園の眺望がすばらしい会室に移動、神田部会長のグルメ部会発足の経緯報告に続いて高橋稲門会長の乾杯の音頭でグルメ本番の開始である.コースはミニ懐石「遊山」.ミニといえども小平特産のブルーベリーのリキュールから始まるコースメニューは、ほんのり松茸の香りを漂わせた土瓶蒸等かなりの品数がそろって質量共に充分満足されるものでグルメを堪能出来た.遅い昼食による空腹感もあって昼酒のまわりも心地よく会話の方も大いに弾み所定の二時間もあっという間に過ぎ去ってしまった.おわりにこれからもグルメ探検をもっと奥深くつき進めてゆくことを確認しあって帰りのバスに乗り 込んだ.楽しい午後の一刻であった. (土屋 久郎記) 発足2年目を迎え、今年も引き続き高級店やテレビがもてはやすような有名店ではなくて @自分達で探した旨い店の中から Aあまり遠くなく B値段も手頃で C威張ったりせず感じの良い、言わば路地裏の隠れた名店といった所を選んで希望する方と一緒に訪ねて見たいと思います。 年に三回くらい会合する予定ですが、うち一回は大勢で集まる機会 −例えば貸し切りバスで漁師宿に行き、とれたての地魚を味わう− というようなことをやってみたいと思います。行き先、方策などについてどうぞご意見をお聞かせ下さい。 部会長 神田 尚計 昭32年政経 |