第16講演会
−講演要約
講師 野崎 市郎氏
東久留米市郷土研究会前会長
平成17年6月5日
東久留米中央公民館
東久留米市文化財資料集「講編」によりますと、『講』とは一種の信仰的社会集団である。学問的ですね。つまり、何らかの信仰的な対象、目的を共通とする複数の人々が集まり、結成されるもので、本来の意味を尋ねてみると、仏教において僧侶たちが法華経など主要な経典を寺院内で講演問答した講会からきている語で、当初においては純粋な仏教行事であった。それが貴族階層から庶民にうつり全国に広がったと記載されています。久留米の『講』につきましては、地元の講である稲荷講と念仏講、他地区へ行く講である大山・榛名・御嶽・富士講などがありました。
出入り自由の講をつくり、講金を集め講員で抽選し4名あるいは7名の代表者を決め、目的の社寺に参詣します。(代参)そして御師あるいは直接神社に行き祈祷してもらって講員の数だけのお札をもらい、帰ってきて講中にお札を配ります。その時に酒や御馳走がでるお日待ちとなります。これが農村の大きな年中行事で楽しみでありました。また代参講の数だけお日待ち講もありました。講に行く費用は、講元が月掛けを集めておいて代参に行く人の旅費や神社への奉納金にあてたものです。代参の人達は御馳走になりおみやげを買って帰ってきます。当初のうちは信仰が大きな目的でありましたが、時代とともにレジャー化し、受け入れる神社も名所・温泉等を案内、宣伝しましたので講は盛んになっていきました。
寺社も栄枯盛衰、善光寺でも不況時や建物建立時に出開帳を実施し、宝物を開帳し江戸で1日120両の金を集めたこともあり、他の社寺でも競争して出開帳を実施しております。御嶽や、三峯、榛名では、宝物がないので講をつくりいろいろな御利益がある各特色のあるお札を配布し関東、東北、信越地方に広まりました。農民はもともと自分の氏神様とお寺を神様としていましたが新しい講にものりましたので講はひろがっていきました。講がひろがる過程でなかには、宝くじをつくり寺社等の建築資金にあてた神社もありました。
農民に対して行商人からの講に関する情報や農民が豊かになり神社側でつくった講の提案をうけいれることができるようになったことや神社も穀物等が必要であり講元を御師がまわり講員から穀物類を調達したりすることによっても講は広がりました。
講員全員が抽選で順番に代参を終了することを満開といい、50人の講員の場合は10年かかります。満開になると御師から大々神楽をあげる依頼があり、御馳走の用意や神社への奉納金の他、同類の御師も参加して神楽を奏上するので莫大な費用がかかりました。御師も講員1,000人未満の小規模のものから10,000人以上の講員を抱えていました。
明治になっての神仏分離令により、御師も影響をうけ榛名神社では、170名以上の御師が70名程度に減少し、現在は10名程度です。これは講の衰退とともに御師の転職のためと思えます。神仏分離令の時に榛名山では、御師が生活に困り山道の木を切ったとのこともありましたが、御師も副業等で復活し現在に至っています。
さて現在の講金につきましては、柳窪の講社では、神社に納めるお金は三峯神社では35,050円で平均661円、御嶽神社で27,300円平均515円、榛名神社ではさらに少なく14,600円平均275円です。これでお札をもらい、御馳走し昔からの講員を優遇するので各坊は赤字かもしれません。代参から帰ってくると各神社の掛け軸をかけ講員にお札を配り酒宴となります。酒代もかかるがたいした金額でありません。抽選で来年の代参者を決め解散します。昔は各講元でお日待ちを実施していましたからたいへん忙しいものでした。代参者がうどんをつくり各講員に御馳走をします。うどんづくりができないと一人前でありませんでした。昔は農作業の後のお日待ちであったのでうどんも飛ぶようにうれました。このようなお日待ちも3講社があったので3回あり農民の年中行事として楽しめました。
現在は3神社をまとめてお日待ちも1回になっているし、うどんづくりもなくスーパーの菓子程度に寂しく簡略されています。お互いの話もはずみません。講についても信仰は1割あるかないか九分どおり遊山になっています。昔の代参でのおみやげは木工品が中心でありましたが、おみやげも変化しているし門前町も昔の影はありません。
御師は年間100日以上講元を回り山の布教活動に努めていまして、山の信仰において神主よりも重要な立場であったので幕末においては盛大な力をもっていました。それが明治の神仏分離令のもと転職の基礎となっています。
今こそ代参講の講金はたいした金額でありませんが、昔は負担が重かったので代参講をやめる申し出の人がいたので、代参講は脱退するかわりにお札をもらうだけの札講だけ加入している人もいました。お札は、火災除けの札は火の元の台所、盗難除けは玄関か蔵に貼って信仰していました。
現在の講は鉄道の発達により講の数も多くなり、うすく範囲が広がっています。久留米の講は、御嶽、三峯、榛名が主でありますが継続しておりまして地区としては立派です。講は寺社側の構想が庶民に及び発展してきたものですが、現在では企業が成田山等に毎年参拝することや学習塾で合格祈願するのも新しい講かもしれません。
一方講も講員の商売により衰退します。織物や鋳物の講社も消滅しており、講の寿命は短い。御嶽、三峯、榛名の講は農村に広く浸透しており継続しています。このように講は講員の職業と密着しています。
現在の寺社は交通安全や合格祈願などのお札の売上が多く講のお札の売上は少ないが、昔からの講で講員が広い範囲で分布しており丁重に扱っています。
日本人は無神論であるけれど苦しい時は大半のひとが神だのみをします。これが日本人のDNAでないでしょうか。
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