森さん、日本は「手の国」です
                          國米 家己三  当会顧問   31年政経
 1940年ころの話である。日中戦争のさなか,中国奥地のある村に見知らぬ男がやってきて一夜を明かした。朝起きて、その男が井戸のそばで顔を洗っている。ほとんど顔はそのまま、水をすくった手の方を動かしている。それを古老のひとりが見とがめた。「おかしいぞ。われわれは手を固定し、顔を動かして洗うのがふつうだ」古老は近くの中国軍の出先に駆け込んだ。早速、一群の兵士がきて調べ、その男は日本軍の特務機関員だということが分かり、捕らえられていった。
 これは台湾出身の芥川賞作家、邱永漢の本にでてくるエピソードである。さすがの旧中野学校も、日中の洗顔の習俗のちがいをそこまで緻蜜に教え込まず、スパイを放ったのだろう。
 中国では自分自身を主張する。この国は共産党の治政下だが、庶民ひとりひとりの権利意識はなかなかのものである。そこにゆくと日本は逆で、簡単には自分を出さない。自己主張も抑制気味だ。その代わりといってはなんだが、手はよく動く、手でなく顔を動かして洗顔するなど、猿のマネでもする気なら別だが、習慣としてはまるでないことだ。
 某月某日、何げなく広辞苑で「手」のつく文字をさがしてみた。1時間で何字書き出せるだろうか。「手合い」「手垢」「手空き」「手足」「手当」......あるはあるは、頭に「手」がつくものだけで、たちまち300近くを拾った。このほか「徒手空拳」だとか「上手」「下手」のように、途中や下に「手」のつく文字まで加えると1千前後にはなるにちがいない。
 「手」の字の中には「手合い」もそうだが、「手」で人をあらわすものが割合多い。「手下」「手勢」「手の者」「手兵」「手人(てひと)」「女手」など、このほか「行く手」「山の手」のように方向を意味するものにも使う。ある新聞が「川の手、海の手」と見出しをつけていたことがあった。そうかと思うと、言葉を強調するために、あえてこの「手」をかぶせるものもある。「手堅く」「手厳しい」「手厚い」「手短に」「手ごわい」といったぐあいだ。日本語はちょっと言葉のリズムとして、調子をよくしたいと思うときに、「手」をもってくるのかもしれない。「手心」「手加減」「手近か」「手ざわり」かどがそれだろう。人間の手が便利このうえないのと同じように、「手」はまさに重宝な字なのだ。
 また、この国は昔から職人が支えた国だった。職人といえば、こらはもう「手」とは切ったも切れないもの。職人文化が、狭い職人世界からはみでて日本中に広がり、「手」の文字がこれほどまでに多用されるようになったと考えることができる。
 「日本人の手がほしい」といったのは米国の航空宇宙局NASAである。2000年秋スペースシャト「デスカバリー」に搭乗した若田光一さんが国際宇宙ステーションにアンテナや姿勢制御装置をもつ構造物をロボットアームでみごとに取り付けた。手先の器用な日本人ならではの作業で、「まさに芸術家の手だった」と「デスカバリー」搭乗員と基地のジョンソン宇宙センター全員が絶賛した。
 そう、日本人の手は世界一のすぐれものだ。米1粒に百人一首を書いた人がいた。東大工学部の教授が学生十人に顕微鏡を使って蚤の足に蹄鉄をつけるように指示したら、文句ひとついわずにやってのけたという。
 われらが同窓、森喜郎氏が首相当時、「日本は神の国」と発言してメディアに徹底的にたたかれたが、ま、「わが国は手の国であるんである」といっておけば手こずることもなかったろう。残念でした。