損害賠償あれこれ-最近の裁判事例から
                     泉 信吾  40年法卒 当会幹事 
 平成14年6月2日(日)中央公民館で当会主催第四回雑学塾が開催された。講師は当会幹事で弁護士の泉信吾氏。演題は「損害賠償あれこれ−最近の裁判事例から」。泉弁護士は、最近手がけた裁判事例をもとに損害賠償の総論から各論に至るまで、身近な事例に即して簡潔にわかりやすく解説、一般市民を含めた40名もの参加者は熱心に聴き入った。

 ご紹介いただきました弁護士の泉でございます。我々法律家の話はあまり面白いものではありませんが、当会の幹事を仰せつかりながらもなかなか出席の機会を得られないという事情がございまして、せめてもの罪滅ぼしと思いまして、今回お引き受けした次第です。

 私は昭和40年の法学部の卒業で、弁護士も丁度31年というところです。私が卒業後司法試験を受ける頃というのは、早稲田大学の合格者はまだ非常に少ない頃でして、当時は中央大学がナンバ−ワンで、あとは東大、京大、その次くらいに早稲田がようやく30人位いるという状況でした。それがここ数年、早稲田が、東大と1,2位を争う位のところに来ています。最近は、我々の時代と違って、非常に優秀で真面目な学生が早稲田には集まってくるそうです。大学で同じクラスだった友人が或る保険会社の人事部長をしていますが、彼が言うには、とにかく今の早稲田の学生は優秀だと言うんですね。そんなことから、合格者数も増えているのだろうと思われます。
 今日は損害賠償について話をしますが、実はこれを急に思いついたのには、次のような事情がございました。私は現在、コ−プとうきょうという生活協同組合の監査役みたいな仕事をしております。今は生活協同組合も都道府県を越えてお互いに協力して、できるだけ良い商品を安く組合員に提供しようということで、首都圏コ−プネット連合という東京、千葉、埼玉、茨城、群馬などが事業連合を組んでいます。ここで供給しておりました鶏肉を無薬、薬を一切使っていないということで販売していましたが、実は、仕入先に騙されて、一部にそうでない鶏肉が混入していたことが判明しました。私が関与しているコ−プとうきょうではこの鶏肉を扱っていなかったのですが、埼玉コ−プが前から扱っておりました。無薬鶏肉として売っていたのが無薬でないとわかって、じゃどうしたらいいんだろうと長い間関係者が集まって、議論しました。その結果、お買い上げいただいた代金をすべてお返ししようということになりました。過去何年間かに亘って鶏肉の代金をお返ししようということです。ところが、お買い上げいただいた鶏肉をお客さまはすでに食べ終わっているのに、お金を全部返さなければならないかどうかという問題・即ち損害賠償をするとしても、どう解決すべきか、決断を迫られた訳です。このような議論に参加している中で、損害賠償というのは一体どういう損害を弁償すればいいのか、実に難しい問題だと改めて実感した次第です。

我々法律家でも簡単に結論が出ない問題が多数ありまして、司法試験の受験の論文問題で「何々の損害賠償について論ぜよ」なんて言われますと、非常に大変で、我々も簡単に結論を出しにくい問題が沢山ございます。

 さて、今日は私が最近実際に扱いました事例に沿いまして、損害賠償の考え方について少しでもご理解をいただければというところから、話を進めさせていただきます。事例はお手許の資料に記載された通りのものであります。

90歳のお年寄りが右大腿骨折で入院、手術も終わり退院目指してリハビリに励

んでいたところ、リハビリのためベッドから車椅子に移す時に看護士のミスでベ

ッドから落ちて、今度は左大腿骨折で(その時腕時計を破損)、再手術をしようと

していたら、事故数日後肺炎を発症し、退院もできずに再骨折から1週間で死亡。

同人はそれ迄元気で内臓もどこも悪いところはなく、周りからは100歳迄生き

ると言われていた。それ迄は1人で住んでいたが、入院を機に退院後は娘のとこ

ろで同居するということになり、入院中に600万円程かけてバリアフリ−にす

るため、娘宅(建ててまだ6年目)を改築したが、結局無駄になってしまった。

(病院側は落下事故の非は認めている)

  90歳のお年寄りが右大腿骨折で入院、手術も終わり退院目指してリハビリに励んでいたところ、リハビリのためベッドから車椅子に移す時に看護士のミスでベッドから落ちて、今度は左大腿骨折で(その時腕時計を破損)、再手術をしようとしていたら、事故数日後肺炎を発症し、退院もできずに再骨折から1週間で死亡。同人はそれ迄元気で内臓もどこも悪いところはなく、周りからは100歳迄生きると言われていた。それ迄は1人で住んでいたが、入院を機に退院後は娘のところで同居するということになり、入院中に600万円程かけてバリアフリ−にす

るため、娘宅(建ててまだ6年目)を改築したが、結局無駄になってしまった。(病院側は落下事故の非は認めている)

 このような事例で、さて一体、どういうような損害賠償が考えられるかということが今日の講演の内容でございます。 ご承知の通り、日本は平均寿命が高くなっていて、女性では83歳位です。ところが、このお年寄りはもう90歳、平均寿命をかなり過ぎております。そうすると、こういう方が亡くなった場合、どんなような損害賠償が発生するかという難しい問題が発生します。骨折後の入院費用等は病院側で持つのは誰も異議を挟まないと思うのですが、このお年寄りがしていた時計、これは非常に想い出深い時計で肌身離さず持っていたものなのだそうですが、この時計が壊れてしまった。ところで、この時計がお金には代えられない、今手に入れようとしても手に入らないものだとすると、すでに部品がなくて元に戻らないような場合、壊れた時計をどう評価するか、これまた非常に難しい問題なのです。

同じような事例が沢山出てきますが、車でもそういう問題が起きます。長年馴染んだ車で市場価値がゼロというような車でも、車としては価値があります。その車がぶっつけられて大破してエンジンまで使い物にならなくなったという場合に、加害者は元のように動くようにするために何十万円も使って、元に戻す義務があるかという問題に直面します。こういうことが問題になって、我々のところに相談に来られる方が沢山いらっしゃいます。こういう場合にどうなるかというと、市場価値以上の損害賠償をしてもらう訳にはいかないというのが大原則なのです。それではあまりにも可哀想じゃないかという観点から、慰謝料という形でカバ−できないかということになりますが、これも実際上は難しいということになります。つまり、物の損害、即ち物損の場合、その物の交換価値以上には損害賠償請求はなかなか及ばないというのが大原則になります。

 今回の事例の場合に、あとどんな損害賠償が考えられるかと言いますと、一般的には、亡くなられたお年寄りのお葬式代、さらにお墓を買ってなかった場合の墓地購入代金まで損害賠償をしなければならないかということが出てきます。家族にしてみれば、100歳まで生きると思っていたおばあちゃんがあっという間に死んでしまったという精神的なショックに対する慰謝料という問題が出てきます。

それから、亡くなったおばあちゃんがご主人の関係等で相当額の年金等をもらっていたという場合に、おばあちゃんの逸失利益というものが考えられないかという問題も出てきます。例えば、年金をもらっていても、家もあるし格別の出費もそれ程大したことがないから、年金の中から毎月貯金ができていたというケ−スもあり得ます。そうすると、その人が10年、20年経って亡くなられた時には、その年金を、残された貯金として受け取れる期待もあり得る訳で、そうすると90歳のおばあちゃんが亡くなっても、逸失利益という問題が出てきます。逸失利益とは、何も働き盛りの人が亡くなったから将来働けるまでの間に稼ぐであろう所得ということではなくて、90歳のおばあちゃんの逸失利益というものを頭から否定もできないし、理屈上も認められる訳でもあります。ところが、すでにもう平均寿命を過ぎた90歳の方だとすると、さてこの方がいくつまで生きたことにして、逸失利益を計算したらいいかという問題が出てきます。

 先程言ったように、周りから元気だから100歳まで生きると言われたとしても、あと10年本当に生きるという保証がある訳でもないし、この辺にもなかなか難しい問題が出てきます。それから年金がなくても、非常に元気なおばあちゃんで、若夫婦が働きに行ったあと、家族の炊事とかお孫さんの衣類の洗濯とかの責任を持っていたという場合に、おばあちゃんが亡くなりますと、家族にとってはいわば、家政婦さんが居なくなったような状況になります。家庭の主婦が交通事故に遭って入院しますと、家事労働、家の中で家族のために家事を担当しているということで、その労働分に対する補償がされるのが原則です。そうすると、90歳のおばあちゃんについても同じような考え方で、この方の家事労働分をどう評価するかという問題も出てきます。その家事労働分もまた、結局先程言ったように、将来の年数、いくつまで計算するかという問題に絡んできます。

 それから、この事例の中で考えられるものとしては、娘さんのところがおばあちゃんを迎えるためにバリアフリ−にするために600万円かけたということです。それが無駄になったから、600万円を病院に損害賠償として請求できるのだろうかという問題が出てきます。これは後に述べますけれども、時系列的にみて、どこまでの、どのような損害賠償が認められるかということなのです。人間の行動とか結果とかいうものは常につながっています。例えば、交通事故で入院した病院で火災に遭って死んでしまったという事例を見ますと、交通事故で受けた怪我は大したことはなく、骨折だから2週間位で退院できる予定で入院したところが、その病院が火事になって、結局亡くなってしまったという場合に、交通事故の加害者が死亡という結果まで、損害賠償の責任を負わなければならないのかというと、そこまでの責任はありません。でも、家族にしてみれば、あなたの所為で交通事故に遭って、入院せざるを得なくなった。入院しなければ死ななかったのにという気持ちがある訳です。

 そういう風に世の中の出来事というのは次から次へとつながっていく訳ですけれども、損害賠償義務という観点からは、この連鎖をどの範囲で断ち切るべきかということが問題となってきます。この連鎖を断ち切る理論が相当因果関係論でありまして、この理論で持って、原因と結果との間に損害賠償義務を認めるに足る相当な因果関係があるかどうかを区分するのです。例えば、交通事故で脊椎を損傷して、首の周りから下が全部麻痺してしまったという場合を想定してみて下さい。症状が安定した場合に、その方のために車椅子で何とか日常生活を送れるよう家を改造せざるを得ない、あるいは場合によったら、エレベ−タ−も設置しなければならないという場合が起こります。そういう場合に、そういう家の改築費用は、損害賠償義務として入るのかどうかという議論が起きます。これについて結論だけを申し上げますと、原則的にはこれらは損害賠償の範囲とされます。そうすると、交通事故の被害者が車椅子生活をしなければならないためにバリアフリ−に改築するための費用は、相当因果関係内にあるんだということになります。では、おばあちゃんが車椅子の生活をするために、それを想定して、娘さんの方で家を改築したが、退院して利用しないまま病院で死亡されてしまったような場合、その費用は入るのかどうかというと、前の事例に似ているようですが、これがまた難しい問題なのです。

 この事例で考えられるもう1つは、事件を頼まれた弁護士の費用です。弁護士の費用を損害賠償請求として相手方に請求できるかという問題です。この問題がこれまた非常に難しい。裁判をやった場合、弁護士に払う費用は相手方に持たせることができるかという質問が、我々のところによくあります。特に、理由もないひどい裁判を相手方から起されて、自分を守るためにやむを得ず弁護士に頼らざるを得ない場合、言わば、降り掛かる火の粉を払うために弁護士を頼んだ場合、この弁護士の費用を相手方に持ってもらえるのだろうかという切実な質問もあります。不当な裁判を起された方にしてみれば、当然相手方が持つべきだということになる訳ですが、日本の一般の裁判では、弁護士に掛けた費用は、原則として、相手方に負担を要求できないことになっています。英米では当たり前とされていることでも、日本では裁判に掛かったお互いの弁護士費用は相手方には負担させないというのが大原則なのです。それで、そんなひどい話はないのではないかということで、ひどい裁判を起した相手方に当然負担させるべきだという議論が前々から起こっています。

 そのような理由から、いくつかの例外が認められてきており、交通事故の損害賠償請求裁判だとか、あとから述べます不法行為による損害賠償請求裁判では、弁護士費用については相当な一定の額に限って相手方から取れるというのが、今の裁判所の考え方です。また、相手方の訴えが非常に目茶苦茶な裁判の場合も、裁判所は弁護士費用を相手方に持たせることを認めてくれます。従って、本件の事故や交通事故は全て不法行為ですので、こういう損害賠償請求については、裁判所は、原則として、弁護士費用の一定額を相手方に持たせるのを認めてくれます。ただ、全額を認めてくれる訳ではなく、大体において、相手方から取れる損害賠償額の3%とか5%とかなら、裁判所は相当の弁護士費用ということで認めてくれます。

そして、本件の事例でざっと見ましても、
遺族に発生が予想される損害として、@入院費用、A時計代、B葬儀、墓地購入代金、C慰謝料、D逸失利益(年金分、家事労働分)、E家の工事改築費用、F弁護士費用、の7つ程の種類の損害
が考えられます。

 次に「損害賠償の発生原因」について話をします。今話したように、病院で事故に遭って怪我をしたとか、自動車事故に遭って怪我をしたとか、相手の不注意で物を壊されたとか、こういうものは全部、不法行為という損害賠償請求の原因なのです。それ以外に、損害賠償にどんな場合があるかといいますと、契約不履行といって、お互いに土地を売買します、商品を納入します、買いますという契約関係にある当事者間で、その一方が契約不履行をした場合に、相手方に生じた損害の賠償をしなければならないというケ−スです。世の中の損害賠償というのは、大体この2つ、不法行為による損害賠償と契約不履行による損害賠償とに分けられます。

 それで、例えば交通事故であっても、本件の事例であっても、そうなのですが、不法行為による損害賠償請求が相手方にできるためには、結果が発生すればすぐに請求できるという訳ではなく、損害賠償請求ができる要件というものが定められています。それは大きく言いますと、原則として、相手方に故意または過失がなければ、相手方に損害賠償責任が発生しないということなのです。極端な例でいきますと、寝ているときに寝返りをうったために何か物を壊したという場合です。これは通常、責任がないということですが、さらに細かくみますと、部屋に他に代え難いような大事な物があることを知っていて、寝てしまったという責任はどうなるのだという問題もなきにしもあらずなのです。ただ、いずれにしても、他人に損害賠償の責任を問うためには、相手方に不注意、即ち過失とか、意図的なもの、即ち故意とかがなければ、損害賠償請求はできないというのが大原則です。

そうでない場合に損害賠償できる例としては、皆さんも新聞などでご承知の無過失責任という特別な責任が認められるケ−スです。それは、不注意とか意図的なものがなくても、結果さえ発生すれば賠償責任が認められるというものです。その典型例が、自動車損害賠償責任法、つまり自賠責です。この法律では、車で事故を起しますと、加害者が賠償責任を負うと定めています。さらに、公害問題です。こういうものについて、損害賠償責任の原則通り、いちいち被害者側に相手方の故意だとか過失だとかを証明しなさいと言ったのでは、一般の国民が相手方に損害賠償をするのは困難ではないかということで、公害などの場合には、故意とか過失とかの立証責任を免除するという形で、無過失責任を認めています。損害賠償請求できる要件として、さらに違法性とか責任能力とかいう難しい問題がありますが、ここでは割愛させていただきます。

 次に、損害賠償の請求ができることの要件の1つとして、先程申し上げた相当因果関係論というのが非常に厄介な問題としてかかわってきます。これは、どこの範囲で責任の範囲を限定するかという問題なのです。例えば、不法行為ではなくて、土地を売ります、買いますという契約をした場合に、土地を渡してくれない、こちらはお金を用意したのに相手の気が変わり、他の人に売ってしまったというケ−スは世の中ではたまにあります。そうすると、買受人は相手方に損害賠償請求をしますが、その裁判中に1千万円で買う予定の土地が5千万円まで値上がってしまったという場合に、儲け損なった4千万円を損害賠償請求できるのかという問題が起きます。また、一旦5千万円に上がった土地が2千万円に下がってしまったとか、極端な場合には買う予定の価格以下になってしまったということもあり得る訳です。上がって下がったという場合に、どれが相手方の生じた損害なのか、これもなかなか難しい問題です。土地を買ったのだから引き渡せ、引き渡さないと裁判をやっている間に、買った値段の倍になったとか、逆に4分の1位になってしまったというケ−スも沢山あります。そうなると、買わなかった方が良かったということもあるものですから、一体その土地のどの範囲のものをどのように損害賠償としてとらえるのか、これは一筋縄ではいかない難しい問題なのです。

 従って、相当因果関係論という理論があるからといって、必ずしもすぱっと納得できるような区分けができる訳ではないのです。この理論は、誰が聞いてもできるだけ納得できるような結論を導こうとするための理論付けなのです。例えば、不動産売買の話でも、買う方が転売目的だったのか、自分で住む家として買ったのかによっても、受けた損害は違ってきます。これらは裁判官であろうと弁護士であろうと、非常に悩ましい問題で、これらについて皆様にすぱっとわかるような説明は私もなかなかできかねます。まあ−世の中には、そういう難しい問題が沢山あるのです。

 さて、事例に戻りまして、損害を賠償する場合に、一体誰に対して損害賠償をするかという問題が次に出てきます。本件で言いますと、病院に責任があるのは間違いありません。従って、病院に対し責任追及は可能なのですが、問題はおばあさんをベッドから落とした看護婦さんに損害賠償請求できるかということです。看護婦さんにミスがあれば、勿論損害賠償請求できるのが原則です。だから、我々は通常、本件のような事例であれば、裁判になる場合は、病院と実際に事故を起した看護婦さんの両名を相手にして、損害賠償請求の裁判を起します。ただ、例えば、子供が学校で授業中に、学校のプ−ルに飛び込んでプ−ル底のコンクリ−トに頭を打ち付けて、脊椎損傷という事故が起きたという場合には、国家賠償の問題になるため、学校の先生に監督不行届きの責任があっても、その先生を相手にして裁判は起さないというのが普通です。先生に損害賠償請求をして悪いということはないんでしょうが、国家賠償の場合は、当該の公務員を訴えないで、国だけあるいは都道府県だけを訴えていこうというのが殆どです。

 本件のような事故の場合、事故後の入院費、治療費等を相手方に損害賠償請求できることについては格別の問題はありません。よくこういう時に問題になるのは、お医者さんへの付け届けなのです。長い間治療を受けると、家族としては何とか病院側に一生懸命に治療にあたってもらいたいという気持ちから、お医者さんに付け届けをします。これは日本ではなかなか無くならない習慣です。そういうお医者さんに対する付け届けが損害賠償として請求できるかどうかという問題については、相当の範囲内であれば、これは認められるということになっています。そして、相当の範囲というのはいくら位かと言いますと、せいぜい2万円か3万円が限度ということになるでしょう。

 それから、本件の事故で時計の問題がありました。その時計が本人にとっていかに想い出深い、お金に代え難い、世の中に二つとない形見の物であっても、既に交換価値もないような場合に、相手方に対して慰謝料等を請求して通るかという問題が生じます。これについては先程の相当因果関係論という理論から、物の交換価値が損害額の限度という意味合いが働き、たとえ形見のものだと言っても、それをお金に代えて慰謝料等を請求するということは現実には難しいということになります。

 次に、本件の事例で、ベッドから落ちたために今度は左大腿部を骨折し、それで肺炎になってしまったという問題に話を進めます。肺炎が悪化して亡くなったのは確実なのですが、ここでは、肺炎になったことと左大腿部骨折との間に相当因果関係があるかどうかということが問題になりますが、骨折と肺炎とは関係がないと思うのが普通です。特に、お年寄りの場合、ちょっとしたことから肺炎を起して亡くなられることがよくありますので、骨折と肺炎とは関係ないと見られ勝ちです。実は私も医学面では素人ですから、最初の相談を受けました時には、骨折と肺炎とは全く関係ないと思いました。それでもちょっと気になったものですから、念の為と思って、図書館で調べてみましたところ、骨折を原因とする肺炎はあり得るということがわかりました。そうなりますと、おばあちゃんの心肺機能が弱っていて肺炎にかったと認められるのか、あるいは骨折が原因で肺炎となったと認められるのか、という問題が出てきます。ところが、これが実に難しいのです。亡くなったあと解剖して厳密な検査をすれば、ひょっとして、骨折外傷性による肺炎だという因果関係を医学的に証明できたかもしれません。本件事例では、病院側は責任を感じて、亡くなったあと解剖しましょうかと遺族に申し出たそうなのですが、遺族の方はまさか肺炎で死んだことまで骨折と因果関係があるとは思いもしなかったものですから、いやもう結構ですと言って、解剖しないで引き取って、お葬式を済ませてしまいました。こういう訳で、おばあちゃんの肺炎が大腿部骨折によるものなのかどうかは、結局藪の中になってしまいました。今更もう証明がつかないものですから、死亡という結果について、病院側に責任を問うのは難しいということになりました。

ところが、事故が起きて数日して肺炎になって、骨折から1週間もしない間に亡くなったということになりますと、肺炎の原因が骨折にあるということになり、骨折と肺炎との間には相当因果関係があるということになってきます。そうなりますと、病院側は死亡という結果まで責任を負わねばならないということになり、お葬式代とか初七日、四十九日だという費用、これも病院側が持つのかという問題になってくる訳です。そもそも、人間は必ず死ぬ訳ですから、葬式代などは必ず掛かるものです。それなのに何故葬式代を死亡事故を起した人が持たなければいけないのかという疑問が出ます。また、例えば、50歳の人が亡くなった場合に、平均寿命が83歳というのなら、葬式代が100万円掛かるものだったら、30年も前に100万円負担しなければならないということで、利息分を面倒見てやればいいのではないかということにもなります。つまり、中間利息という考え方で、30年後に出せばよかった葬式代を30年早く出さざるを得なかったのだから、その間貯金できなかったという損害分をみてあげればいいという理屈が考えられ、その方が理屈に合っているとも思えます。ところが、今の裁判所は、何十年も前から、不法行為によって人が亡くなった時には、損害賠償の内容として葬式代などや、墓地がなかった方の一定の墓地購入費用を相手方が負担することを、当然のこととして認めてくれています。実際に、交通事故で死亡事故が起きますと、今の自動車保険では今言ったような費用を認めています。ただ、あらゆるものを全部持ってくれる訳ではなくて、その人の身分や社会的地位の見合った範囲内で、葬式代、初七日、四十九日の費用、お寺さんへの謝礼、墓地の購入代などを持ってくれます。

 損害賠償請求に絡み、男女平等という考え方をどう扱うかという問題が出てきます。男性と女性が亡くなった場合、男性と女性が現に働いて収入に差がある時、例えば、月100万円稼いでいる男性と月50万円稼いでいる女性とでは、逸失利益、つまり将来得べかりし利益が変わるのは当たり前なのですが、まだ働いていない小さな子供が亡くなった場合、男の子と女の子で将来得べかりし利益に差を設けるのは、男女平等という観点から言えば、おかしいのではないかということになります。ところが、世の中、現実には男性と女性の年間所得は明らかに差があります。それから勿論、大学卒の平均賃金と大学を卒業していない平均賃金では差があります。それから男女にも差があります。確かに今までの過去の統計ではその通りなのですけれども、10歳の中学生の子供が亡くなったケ−スで、あと15年後に果たして同じような男女の賃金格差があるのだろうか。男女平等ということが広く求められているのに、、今更差を設けるのはおかしい、むしろ男性と女性とに現実に差があっても、少なくともその二つを足して2で割ったもの、すなわち、男女の平均値を使えばいいのではないか、という議論があります。ところが、今のところは、裁判所の考え方は、やはり男の子であれば、将来男性労働者の平均賃金を稼ぐであろうという原則の下に、将来の得べかりし利益を計算していますし、女の子であれば、女性労働者の平均賃金で平均稼動可能年数を働けばという計算をして、男性と女性との間で将来得べかりし利益に差を設けています。裁判官の中には、それはおかしいと言って、足して2で割った形で判決を書く人がたまには居ますが、まだ大勢は差を設けているのが現実なのです。

我々法律家は理屈で飯を食っている訳ですけれども、世の中には理屈に合わないことが沢山あります。我々はそういう問題について最高裁判所で何度も繰り返し争うようにすれば、最高裁判所の考えもそのうち変わるんでしょうが、常にそのようなことのためにエネルギ−を注ぎ込んでばかりいる訳にはいかないものですから、なかなか思うようにはならないというのが現実です。

将来の逸失利益の中で、皆さんホフマン方式とかライプニッツ方式とかいう話を聞いたことがあると思います。これは先程話した中間利息の取り扱いに関するものなのです。通常、収入は月毎に入ってきます。人が亡くなった時に損害賠償請求をすると、賠償金を一挙にもらうことになります。本当は40年から50年掛けて、月100万円なら100万円ずつしかもらえないものを、今亡くなったということで一挙にもらうと、その人は貯金をしておくと得することになりますので、その分の利息を差し引く訳です。これが中間利息の控除という考え方です。そして、その計算方式がホフマン方式とかライプニッツ方式と言います。

 また、皆さんは慰謝料という言葉をよく聞かれることと思いますが、この慰謝料というのは一体いくら位になるかと言いますと、例えば交通事故で人を1人死亡させてしまったという場合の相場は、大体最高限度で3000万円位なのです。そして、1人死亡させて最高の慰謝料が3000万円だとすると、世の中の慰謝料はそれ以上のものがなかなかないということになります。そうなりますと、18歳で脊椎損傷で一生車椅子の生活を送らざるを得なくなったという場合、後遺障害としては最大のものなのですけれども、まだ結婚もしていないその人がこれから一生車椅子の生活をしなければいけないという精神的なショック、苦痛はとても想像もできない程の大変なものだろうと思います。この精神的なショックと、自分のパ−トナ−、自分の親、自分の子供が亡くなったことから受ける精神的なショックとは誰も甲乙をつけられないと思います。否、むしろ、首から下が全部麻痺してしまった人の一生受ける苦痛の方が大きいのではないかと考えるのが自然かもしれません。しかしながら、死亡についての慰謝料が3000万円としますと、なかなかそれを超え難いところがあります。実際上、右半身が駄目になったとか、男性の大事な象徴が切り取られたとかいうケ−スの後遺症の場合も、最大限3000万円というところからの比率で算出するものですから、自ら金額がどんどん下がっていってしまいます。首から下が全部駄目になった場合でも、慰謝料としてとらえれば、最大限の3000万円程度になってしまう訳です。この間もジャイアンツの清原選手が名誉毀損で訴えて、1000万円の慰謝料を認められましたが、高等裁判所では金額が下げられたということがありました。名誉毀損の裁判で1000万円という慰謝料は我々の扱う訴訟では滅多にないのです。女性が誰かに塩酸をかけられて、顔半分に醜い傷跡が残った場合、たとえ若い女性であっても、慰謝料としては1500万円までいくかどうかというところです。こんなことから、慰謝料というのはなかなか金額がいかないということがご理解いただけると思います。 ところで、我々のところに離婚事件の相談がよく来ます。例えば旦那さんが女を作り、子供まで作って帰ってこなくなってしまい、離婚した時に、奥さんの側が離婚と引き換えに相手に請求できるものは何かというと、まず、財産分与や子供の養育費があります。その次に、慰謝料というのがあります。こんなひどい仕打ちを受けたから慰謝料をとりたいという時に、先程言ったように、慰謝料の金額はなかなかいかないのです。通常の夫婦でいえば、相手から1000万円をとるというのは大変なのです。私自身、そんな金額の慰謝料をとったことはありません。旦那の方が大金持ちだということであれば、1000万円位の慰謝料もあり得るかもしれません。このように慰謝料というのは、相手の資力によっても大きく違ってくるものなのです。というのは、10億円持っている人から100万円をもらってもあまり嬉しくないけれども、100万円しか財産がない人から50万円取ったら、非常に安らぐものがあります。10億円持っている人から1億円取っても嬉しくとも何ともないようなことがあるものですから、離婚の慰謝料は相手の財産とか地位とかそういうものによって大きく変動するものなのです。ところが、動くことは動くのですが、今言ったように1000万円の慰謝料というのは、先程の身体障害との比較から、なかなか達し難い金額なのです。普通のサラリ−マンが浮気をして子供を作ってしまったという場合、年収1千万円位のサラリ−マンとして、しかも奥さんに何の落度もない時に、どの位慰謝料が取れるかと言うと、500万円まではなかなかいきません。だから、特に真面目に一生懸命家庭のためにやってきた奥さんからみると、わずか300万円とか400万円とかの慰謝料ではとても納得いかないというのが正直な気持ちだと思います。私もそう思うのですが、慰謝料の金額はなかなか思うようにはいきません。

 次に、先程のバリアフリ−の改築費用のことに話を移します。交通事故で車椅子の生活になったような時は、普通、300万円とか500万円位の改築費は掛かる訳ですから、この程度の費用であれば、損害賠償金として払わなければならないということになります。

 ところが、私が手掛けた裁判でこんなことがありました。2階建ての非常に古い建物だったのですが、バリアフリ−に改築するには建て直すしかないと言われ、1200万円をかけて新しい2階建ての家に立て替えた場合に、その全額を損害賠償請求できるかという問題になった訳です。これは、先程の相当因果関係論から言うと、2階建ての立て直し費用まではなかなか難しいという結論になります。そうすると、1200万円のうちの何百万円までは損害賠償として認めましょうにいうことになります。

 それからもう1つ、損害賠償の場合には、皆さんご存知の過失相殺という問題が起きます。損害賠償の中で、日常一番遭遇するのは多分交通事故だと思います。交通事故の場合、よく交差点での衝突事故が起きます。青信号で入ってきたのに、片方から赤信号で入ってきてぶっつかったという事故の場合に、青信号で入った人に全く過失がないということではなく、その人にも、交差点では左右安全を確認しながら注意して通過しなければならないという注意義務が課せられます。そうすると、こちら側にも責任の一端があるということで、過失相殺が適用されます。ですから、どんな事故でも、例えば、殴りあいの喧嘩であっても、過失相殺という問題が常に出てきます。この間、こんな出来事で相談がありました。場所は吉祥寺のデパ−トの駐車場でした。相手の車が駐車線に斜めに停めてあったため、こちら側はやむを得ず、ぎりぎりのところに駐車して、ドアを開けて出ようとしたら、ドアが隣の車にぶっつかってしまいました。車の中に居たお年寄りが非常に血の気が多い方でして、こう野郎と言いながら出てきて、胸倉をつかみました。そして、お互いにお前が悪いと言い争っているうちに、そのお年寄りがこの野郎、ぶっころしてやると言って、自分の車のトランクを開けて、中から何か取り出そうとしました。こちら側は40歳位の男性だったのですが、ジャッキでぶん殴られたら大変だと思い、開いたトランクを閉めようとしたら、それがお年寄りの頭に当たって、お年寄りが血だらけになってしまいました。それで、救急車は来るわ、警察は来るわの大騒ぎになり、結局、お年寄りは救急車で病院に運ばれ、怪我の治療を行いました。警察が現場で調査をした結果、治療費位は加害者側で持ってやりなさいということで一旦は収まりました。ところが、お年寄りが内容証明郵便で、「病院で治療を受けて抗生物質をもらって飲んだら、150ccほど下血したが、頭からの出血した分を含めると200ccも出てしまった。治療費だけで済まそうと思ったけれども、そんな訳にはいかない。弁護士を立てて裁判してもよいが、もし、直ちに50万円支払ってくれればなかったことにする」と要求してきました。こちら側の人は一流会社の真面目なサラリ−マンだったため、この事件が刑事事件にでもなったら、会社を首になるのではないかと食事も喉を通らなくなって、私のところに相談に来ました。トランクをバタ−ンと下げた方に責任があるかということになる訳ですが、これは実は、過失相殺の問題なのです。お年寄りがトランクを開けて何か取り出そうとすれば、相手側が自分の身を守ろうとするのは正当防衛ではないかと主張したところ、今度はお年寄りは、雑巾を出そうとしただけだと言い張るのです。それで結局、お年寄りの方も弁護士を立てて、裁判が始まりそうになっています。この裁判は、私の感じでは、お年寄りにも過失が5割位ありますから、5分5分というところでしょう。(即ち、治療費などの半分を負担しなさいということになります。)

損害賠償請求には時効があります。請求をしないまま一定の期間が経った場合にもう請求できませんという法的効果です。貸したお金は友達同士なら10年、商売上の貸し借りなら5年、お店で買った物であれば代金請求権は1年という時効が定められております。不法行為による損害賠償請求は3年です。だから、3年経ってしまうと、損害賠償請求ができません。ただ、大丈夫だと思って示談したところが、その後後遺症が出てきた場合は別扱いになりますが、実際には、3年も経ってしまうと後遺症が出ても、事故との因果関係を立証するのはかなり難しいと言えましょう。

 最近は成田離婚という出来事がよく起きています。結婚して成田に戻ってすぐ離婚という出来事です。私も何件か相談に乗ったことがあります。なかには、結婚式の途中で花婿が逃げ出したということもありました。これは、或る有名なご一家で起きた出来事です。長男は前々から付き合っていたロシア系の女性がおり、その女性と結婚したかったのですが、親が、我が家の跡取りだということで、無理矢理二人を切り離して、某名家の女性と見合いをさせて、強引に帝国ホテルで何千万円も掛けて、結婚式を挙げました。そうしたら、花婿が式の途中で居なくなってしまったのです。これも成田離婚みたいなものなのですが、こういう離婚になりますと、もう新居は用意してある、立派な花嫁道具は入っているということでいろいろな問題が起きてきます。嫁入り道具1つとってみても、何千万円単位になります。こういう高価な嫁入り道具でも結婚が破棄となりますと、花嫁の方は絶対に要らない、花婿の方も要らないということになります。そうすると、何千万円単位の嫁入り道具をどうすればいいのかという問題が起きます。新婚旅行から帰ってから新居に住む積りだから、一度も使っていませんから、家具としては全く無傷のものです。これらの家具をどちらが持つかというのは、損害賠償の問題となる訳です。さらに、私が扱った成田離婚の事例では、男性がその機能に問題があって、成田に着いた直後に女性が居なくなり、あとで仲人を介して離婚を言ってきたものです。そのあと、家財道具の代金をどちらが持つかという問題になりました。仲人が婿さんの学校の恩師で、学校の先生を辞めてから家具屋に勤めていたため、家財道具がその家具屋から買っていました。かなり揉めましたが、結局は女性側が家財道具を引き取ることで決着をみました。このように結婚解消や婚約破棄という場合は、高価な家財道具についてどちらに損害賠償させるかというのは大変な問題なのです。どちらも要らない物だけに非常に困るのです。家具屋が引き取ってくれればいいのですが、現実はそう簡単にはいきません。

 最後に、アメリカの裁判でよく損害賠償額が何十億ドルという事例がありますが、そのことについて触れます。アメリカの所得が日本の何十倍、何百倍である訳はないのに、損害賠償額が何でこんなに巨額になるのかと言いますと、英米法では、懲罰的な損害賠償、言わば、罰金みたいな損害賠償制度があるからです。わかりやすく言いますと、相手が故意にやった場合に裁判所がこれはけしからんと懲罰の意味を込めて、損害賠償額を決める訳です。だから、日本と違って、裁判所はこんな場合には何倍、何十倍という損害賠償額を言い渡します。これも、ある意味では納得を得られる面があるのではないかと思われます。単なる損害賠償よりも、意図的は悪い奴には罰則の意味で余計に損害賠償額を上積みするというのもわからない訳ではないのですが、日本ではそのようなことはなかなか認められず、せいぜい慰謝料が少し上乗せになるだけ位です。

 我々弁護士は、明確な結論が出る問題ばかりを扱っている訳ではありませんから、はっきりと話ができない面が多々あります。慰謝料にしても計算式はありません。裁判所の判決も、「慰謝料として金いくらいくらを相当とする」と一言あるだけです。理由も計算式もありません。しかしながら、専門家が慰謝料いくらと言いますと、総じて、大きくは変わらないものなのです。それから皆様、弁護士費用は高いと誤解なさっているかもしれませんが、実際は全くそんなことはありません。法律扶助制度があり、お金がなければ、法律扶助協会でお金も貸してくれますから、この制度を大いに利用すればいいと思います。費用が高いようであれば、弁護士会に苦情を申し立てれば、悪質な場合なら、弁護士はバッジを取り上げられてしまいます。

 アメリカは弁護士が儲かるとよく言われます。アメリカでは、弁護士は人口2億4千万人位に対し60万人から70万人います。日本は1億2千万人に対し3万人位です。これでは少ないからと、国は弁護士をもっと増やそうとしています。1年500人位しか生まれなかったのを、今度は3000人位ずつ毎年増やそう計画しています。大義名分は規制緩和です。規制を外していくと、今までは役所が、問題が起きないよう監督していたのに、抑えが効かなくなって、いいも悪いも出てくるから、紛争がどんどん増える筈だ。そうすると、弁護士が不足するし、裁判官も不足するから、もっと増やさないと国中が大変なことになってしまうと予測しています。だから、増やすのだというのが、今の司法改革の前提なのです。ただ、日本の社会は、アメリカと違って、いわゆる同一的民族から成っている社会で、お互いの腹がわかるという人たちが住んでいる社会でもあります。アメリカみたいに多数民族の社会だから、相手が何を考えているかわからないという社会とは、根本的に違います。また、アメリカのような契約社会とも違いますから、アメリカ並みに弁護士や裁判官を増やしたところで、紛争裁判がそれ程飛躍的に増えるとは到底思えませんし、アメリカみたいな訴訟社会にもならないのではないかと思っています。