波紋呼ぶ魯迅の私生活研究
 
杉本 達夫 早稲田大学教授 会員
 中国で、倪(げい)墨炎氏の新書『魯迅と許広平』(上海書店出版社)の一節が、研究のあり方や研究者のモラル、さらには研究対象のプライバシーをめぐって波紋を投げかけている。
 魯迅(1881〜1936年)と北京時代の教え子である許広平(1898〜1968年)は、27年10月から上海で同居し、一子、周海嬰をもうけた。許夫人は日本の占領下を生き延び、新中国で全国婦女連合会副主席などの要職をつとめる。その許夫人の遺品の中から、白い紙に鉛筆書きした「魔崇」と題する一幕劇が見つかり、『魯迅研究動態』85年第1期に掲載された。倪氏は新書の中で、この劇は魯迅と許広平の最初の性愛を描いたものとした。その時期は25年8月以降、場所は北京の魯迅邸の一室で、魯迅の生前に書かれたが、魯迅が発表を抑えていた、との見解を述べた。
 これに対して、事実をねじ曲げた暴論であり、憶測の上に成り立つ学風は許し難いとする激越な批判が現れた(『魯迅研究月刊』01年第3期に掲載の裘(きゅう)真論文)。倪氏はこれに反論。周海嬰氏から得た情報として、周氏の手元に許夫人のメモ帳が残されており、その記録によって二人の交渉が具体的に証明されたと述べ、自説を補強した。
 ここにいたって周氏が激怒した。周氏は倪氏の新書に序文を寄せているのだが、序文送付以降の倪氏の度重なる背信行為を暴くとともに、両親のプライバシーを侵し、読者を欺くその姿勢を非難した。さらに、許夫人のメモ帳なるものは紙片に日付が記されているのみで、ひとつの字句も書かれていないと述べた。
 魯許両人の愛の軌跡をたどる評伝類は数多いが、最初の性交渉の確定に踏み込んでのは倪氏が初めてであろう。公人の残したものはすべて考察の対象になるうるし、性に関わる事柄が人物研究のタブーであるべきではない。だが、周氏の発言が事実であって、遺族の同意なしにその名を利用し、無いものを有ることにしているのなら、倪氏は見解の当否以前に道義的に誤っていることになる。これまでのところ、倪氏の反論や弁明は伝わっていないが、名誉や事実をめぐって紛糾の多い昨今、今回の件はまたひとつ不愉快な話題を供したといえるだろう。