第9回  中高年の登山とその生理学
 東久留米雑学塾講演録  
       
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     講師 納見 明徳氏
        
        37年教育卒 当会々員
      
       平成15年6月1日
       成美教育文化会ギャラリー


         
 

 
最近は、中高年の中で健康のために山登りをする人が多くなってきました。また、登山が盛んになった原因の1つに深田久弥の「日本百名山」を完登するのがブ−ムになったことがあります。ちょうど、昔の四国八十八ヶ所お遍路の現代版かと思います。

 人間何か目標を決めて達成することが大きな生きがいとなっています。 私も山の友人に誘われて、百名山には30年前から付き合い始めたのですが、初めは他人の選んだ山なんかと思っていましたが、80、90と達成していくとだんだんと面白くなってきました。

 最初に自己紹介しますと、配布資料に載せました通り、昭和30年に教育学部に入学、2年生の春、昭和31年に政経の一般教養で生物を教えておられた田辺和雄先生の案内で尾瀬山行があり、燧岳に登りました。その時の参加者が昭和32年に早大山の会を創設しました。私はこの会に入会したことで、登山は単に登るだけでなく、山にかかわる色々な知識を広めて、山の楽しみを知りました。体育局の山岳部やワンダ−フォ−ゲル部はスポ−ツとして登山を対象にしますが、もっとアカデミックな分野まで広げ、生物、地歴、資料、気象、厚生の5つの研究グル−プがあり、会員はそのいずれか1つに加入します。

 生物部は主に山野草や高山植物を主題に、地歴部は地図の読み方、地形の見方、地質、山村にまつわる民俗学、資料部は書籍を中心に登山や山の知識を深め、気象部は山の気象を勉強して天気図の作成をマスタ−し、厚生部は日本赤十字社の救急法を習得します。

 さて、本日は1回の山登りで3倍の楽しみ方と中高年というと響きがいいのですが、60歳を過ぎた高齢者が安全に楽しく登山をするための心得、自覚を中心にお話したいと思います。私は20歳代前半から30代、40代、50代、60代と45年間、登山を続けてきましたが、特に60歳代になってからの体力、しかも人間ドッグで冠動脈が詰まっている狭心症の発見で、一大転機に入ったと思っています。

 今日は55歳ぐらいから実行している安全登山について、また、以前に比べて山登りの楽しみを多く味わっている、この10年程度の経験をお話ししたいと思います。

 初めに登山の3倍の楽しみ方ですが、実はこのフレ−ズは、女房が私の山登りを見て、「あなたは山に行く前と登山中と帰ってきてからと1つの山行に3回楽しんでいる」と言ったこと、からきています。

 山の計画・準備は、まず3人以上のメンバ−の時は、食事会を設け飲んだり食べたりしながら目標の山を話し合います。何年も前から気にしていた山、時期にぴったりの山などから絞り込みます。昔はハ−ドな山行が多かったのですが、今は参加者が決まった時点でレベルに合ったコ−スを検討します。

 私がコ−チをしているグル−プの1つに、昭和53年から25年続けている会があります。 年1回は必ず実行することが長続きの秘訣です。昨年の岩木山、八甲田山と白神山地のブナの原生林を見る山行で43回になりました。時期も特に新緑の6月を選びました。6人パ−ティでしたが、最高年齢者は82歳でした。早大政経を出た人で、石油会社の副社長までなった人です。その前年ちょっと失敗しまして、25年も付き合っているのにその人が80歳を超えた年齢であることを忘れてしまい、百名山の希望も多いので、日光白根山を選びました。今は沼田側の菅沼、丸池からケ−ブルのゴンドラがあり、高度2000mまで乗り物で行けます。奥白根山から前白根を経て日光湯元温泉に下るル−トを選びました。前白根から湯元へ下る径は切り株が多く、また沢のようにえぐれていて、まともに歩けず6時間コ−スを10時間かけて下りました。高齢だと膝が弱くなり、下りに約2倍の時間がかかってしまうのです。
その日の山行を振り返って、夕食の時に恐る恐る年齢をうかがったところ、82歳と言われたので、びっくりしてしまいました。ご本人も今回は参加をやめようかと思ったそうですが、自分にはきつい山行が達成できれば、また1年間健康に自信を持って生きていけると思い、毎日犬の散歩で歩くトレ−ニングをしたとのことでした。切り株の多い70〜80センチの段差のある下りは、高齢者には極端に負担になります。翌年の岩木山へは十分コ−ス選定に気をつかいました。
 さて、どんな山行にしようかという計画づくりには、山の情報として、山渓の「アルパインガイドシリ−ズ」、実業之日本社の「ブル−ガイド」、東京新聞出版局の「岳人カラ−ガイドブックス」などの案内書、月刊雑誌の「山と渓谷」、「岳人」は最新情報がわかります。地図は国土地理院の1/25000の地図、5万分の1、20万分の1もあります。これらの地図は雪山で径が隠れている時、地形を見て方向を定めるのに磁石とともに欠かせません。また、夏山登山には昭文社の「山と高原地図」、日地出版の「登山・ハイキングシリ−ズ」は北海道から九州までの著名な地図がコ−スタイム入りで載っており、また、雨に濡れない合成紙を使用していますので便利です。これらを参考に計画を考え、参加者のレベルに合わせてコ−スを設定します。私は例のグル−プを案内し始めた当初は、各人の登山の技量もわからなかったので、3年間ぐらいは以前経験したコ−スでも1ヶ月程前には自分で歩いて確認してから同伴しました。リ−ダ−としては参加者が安全に登山し、無事に下山されるまで責任があります。計画書は準備会で決めたことを基にリ−ダ−と幹事で作ります。10人くらいのパ−ティでは係の分担を決めます。役割は装備・器具係、食料係、医療係、会計係、記録係などです。小屋泊まりが多くなった昨今では、昼食用に炊事用具と食料用意が主です。2〜3人のパ−ティの時は、私が計画書と携行品リストを作っています。1例のサンプルとして、配布資料の計画書(参加者、コ−ス、日程、費用など)と食料計画、携行品リストを載せておきました。計画書には日程、コ−ス、参加者の氏名、住所、電話番号、血液型、宿泊小屋の連絡先、食料計画、携行品リスト、概算費用などを書き込みます。私は留守宅用に別に1枚コピ−して渡します。これが大切で、留守宅では安心します。万が一の場合にも役立ちます。これ1つで同行者の奥さんからは、納見さんと一緒なら山に行くのでも安心です、と絶大なる信頼を得ております。食事や装備についてはのちほど述べます。山登りの楽しみの1つである計画や準備には日頃の山への知識吸収やクリエイティブな活動がものをいいます。

 現在90歳を超えておられる板倉登喜子さんの率いる女性だけのグル−プ・エ−デルワイスクラブは創立より約50年で、4300回の山行を重ねています。山登りに付帯して9つの部があります。山旅、植物、カメラ、コ−ラス、海外研究、探鳥、スケッチ、平日、スキ−の9つです。山登りと共に、これらの部活動で登山を一層充実させています。50年前の分類ですから、ピンとこないテ−マもありますが、写真撮影や高山植物の探索、バ−ドウオッチングはごく一般的であり、山登りを一層楽しくします。俳句や短歌の詩作もありますし、今の私共には楽しい、歴史探訪、山麓の地酒や土地の料理を味わったり、温泉巡りが入っています。 私は温泉が大好きです。山登りで天気が崩れて、登山を断念して温泉行きに変更にならないかと、密かに期待することもしばしばです。登山の下山コ−スには必ず温泉のある場所を選んでいます。

 台湾の4000m近い玉山、昔の新高山に登山した時でしたが、通常は阿里山から登り、往復します。玉山登山は外国人登山者4人に対し台湾人ガイドを1人を雇う規則があります。5人から8人でガイド2人です。これは一種の失業対策ですが、同時にパスポ−ト番号や個人情報の書類も渡航前に提出しなければなりません。そのうえ、登るル−トも一緒に申請して変更は認められません。一般的な登山コ−スは阿里山から登り、3800m地点で排雲山荘があり、ここに一泊し頂上を往復します。小屋には寝具や炊事用具はあり、食料だけ持参します。私が調べたところ、玉山の反対側に八通関という峠があり、そこから一日下ると東甫温泉があり、これが魅力でこのコ−スに決定しました。しかし、台湾の温泉はバスタブに温泉を流し込むだけで、日本の様に大きな湯船で大勢の人と一緒に入る習慣がなく、温泉気分には浸れませんでした。

 ところで、登山はただ頂上をめざすだけでなく、山行に自分が好きな課題を持って、事前準備して山登りをすると、一層充実したものになります。山岳書、山の本が沢山あります。良い本を読むことで、山に対する心構えを教えられるし、山へのあこがれをますます高めてくれます。配布資料1頁に文学性の高い本を10冊選んでみました。単なる山の記録でなく、大変格調の高い読み物です。
 また、山の気象を知る知らないでは、生死の分れ目になることもあり、経験もさることながら、天気図から天候の予測ができるよう訓練が必要です。
 
 話は古く学生時代のことでしたが、11月下旬、2人の個人山行で北アルプスの八方尾根から唐松岳に登り唐松小屋に一泊、翌日は好天の中、後立山連峰を縦走して、五竜小屋(当時は白岳小屋と呼んでいました)にキスリングを置いて、五竜岳を往復したことがあります。稜線には雪は積っていましたが、夏路は斜面にくっきりと浮かんでよくわかりました。アイゼンがよく効きました。五竜岳に登頂できて小屋に戻り、夕飯の献立など考えていました。そこへサブザックも背負っていない登山者が1人2人と、ばらばらと小屋に入ってきました。小屋に荷物を置いて鹿島槍ヶ岳方面を往復してきた人達でした。

 私がまず驚いたのは、準冬山でパ−ティがばらばらに三々五々と体力のある人から先に帰ってきたことです。そのうちまた1人が慌しく帰ってきて、五竜と白岳のコルの間の黒部側に仲間が滑落したと云うのです。岐阜の有名な製造会社の人達でした。そこで仰天してしまったのは、早々と帰っていたリ−ダ−が明日の朝に救助に行けば良いと発言したのです。私はすっかり驚いてしまいました。数時間で日没になるし、悪いことに黒部渓谷をはさんだ剣岳の頂上に笠雲がかかっていました。これは数時間後には、ここ後立山方面も天気が崩れる前触れです。先輩から教えられた観天望気です。リ−ダ−には状況判断する気力も体力も残っていませんでした。私は腰に力が入らぬ程疲れていましたが、丁度、小屋に到着した馬力のありそうな2人の男性に相談し、結局この人たちと目撃した同伴者に私も加わって現場に向かい、夏路から数百米下にいた遭難者を2人組の男性が背負って、日暮れまでに無事に小屋に連れ帰りました。この間、リ−ダ−は動きませんでした。案の定、夜半から吹雪になりました。吹雪は一昼夜続き、外に出られたのは24時間後でした。天気が回復し、パ−ティは遠見尾根を下山していきました。私はこの山行で山の気象判断の大切さとリ−ダ−の責任感、状況判断と決断、実行について貴重な体験をしました。リ−ダ−はどんな時でも活動できるように体力を温存させること、また、日頃から精神力も鍛錬しておかねばならないことも学びました。さらに、山の気象で雷への対処も大切ですが、これは後ほど山の怪我のところでまとめてお話しします。

 さて、本日の話の中で一番参考にしていただきたい楽しい山登りの実践について、この10年間、私が40歳過ぎてから身につけた3つのポイントを、中高年登山の3つのポイントとしてお話致します。

その3つとは
  1.夜行を使わない。

 2.ゆっくり歩く。


 3.機能的な軽い用具を選んで必要最小限の装備にする。


です。私は若い時よりも余裕をもって楽しみを盛り込んだ計画をつくり、実践するようになって、苦しい登山が少なくなりました。一言で云えば、無理をしないことにつきると思います。まず、夜行の乗り物を使わないことを実践しています。寝不足が大敵です。十分な睡眠が良いコンディションを作ってくれます。学生時代には新宿発11時50何分かの急行アルプス号で松本へ向い、朝5時頃に到着し、すがすがしい朝の空気を吸いながら登山の第1日が始まったものです。しかし、今の年齢では夜行列車で出発し、翌朝寝不足と筋肉痛で歩き出せば、楽しかるべき山行を初日で挫折させてしまいます。

 登山は90%が歩くことにつきます。たゆまず歩き続ければ、はるか彼方の山にも到着できますし、一日歩き続けて振り返ると、よくぞあんな遠い所から此処まで来たものだと驚くことがしばしばです。一歩一歩の足の運びが登山の全てです。

 そこで歩き方ですが、終始コンスタントのスピ−ドを保つことが大切です。歩幅は短く、初めの1時間、2時間はゆっくり歩き、徐々にマイペ−スにもっていきます。歩き出して15〜30分したら発汗の有無から衣服の調節をします。太陽の日射や気温、風、登り勾配の程度などで汗のかきかたが違います。上着を調節して汗をかかない程度のペ−スで歩き、リズムに乗ってくれば上手な歩き方になっているのです。歩き始めてザックが体にぴったりしているか、ザックの背負いベルトの長さが背と腰に丁度よいか、靴ひもの締め具合はゆるくないかきつくないかなどをチェックしながら1回目の休憩で直します。極端に不自然であれば、すぐその場で調整します。特に靴ひもは登り始めには少しゆるめに締め、登りながらこまめに調整します。逆に下りの時は、靴ひもはぴしっと締めた方が足がずれなくていいのです。こうして最初の1、2時間が快調に歩ければ、一日の歩行が順調にいくでしょう。

 私は、高齢者の体は丁度10万キロも走った自動車のエンジンの様なものだと、思っています。最初のアイドリングをしっかりやってエンジンが温まってきれば、調子良く動くのと同じで、老体をウオ−ミングアップして体が温まってくれば、歩き続ける準備ができたわけです。これをいきなりスタ−トでレッドゾ−ンまで高回転させるとエンジンがオ−バ−ヒ−トしてしまう様に、老体をいきなり100%フル運動させればすぐに倒れてしまいます。

 登山の生理学として、山でバテる原因を医学的に調べてみました。配布資料をご覧ください。今回の医学・生理学の説明は配布資料に掲載した6冊の本から引用させてもらったことをお断りしておきます。さらに詳しく知りたい方はこれらの本をお読みください。

 筋肉疲労は筋肉に乳酸がたまるからです。その筋肉のエネルギ−源のブドウ糖はブドウ糖と酸素で水と二酸化炭素に変わります。ブドウ糖に酸素が不足すると乳酸が筋肉にたまり、筋肉疲労を起こします。筋肉にできた乳酸は血流で肝臓に運ばれて、ブドウ糖に戻ります。乳酸量が多いと処理できず、筋肉にたまって筋肉が硬くなります。


 乳酸を早く代謝させるにはじっと休んでいるより、ある程度の運動を続ける方がよいのです。最大運動(VO2max)の約半分の力で運動を続けるとき、安静時の4〜5倍早く乳酸を代謝できるそうです。そう云えば、私は山でマイペ−スで歩くと、歩く時間が8時間、12時間、14時間と増えても疲れを感じないで行動した経験は数多くあります。だいたい6時間を過ぎれば疲労感は同じです。これはマイペ−スが最大運動の半分で運動しており、乳酸の代謝を知らぬううちに、うまくやっているのだと今回の勉強で感じています。また、運動量を知るのに心拍数を見るとわかるので、自分の心拍数を知っておくとよいです。休憩時に通常180から年齢を引いた脈をこえると要注意です。60歳であれば、180−60=120、つまり毎分120の心拍数が目安です。外国製(スエ−デン)の脈拍計でセンサ−の付いたベルトを胸に装着し、手首に腕時計型の表示器をつけていれば、常に心拍数がわかります。私事に亘ることですが、私個人は平成11年4月に心臓バイパス手術をしました。術後、1年間着用した経験があります。手術後の心拍数は平常85ぐらいでしたが、地下鉄のホ−ムに降りると腕の表示器が急に120に上って驚いたのですが、これはPHS携帯電話の受信電波がホ−ムに飛ばされていたためでした。テレビにも30センチに近付くと異常を示します。手術して1年目のGWに後輩に誘われて、十勝岳に山スキ−に行きました。シ−ルを付けて1〜2時間登るだけと云われ、その気になって行ったところ、3時間の登りでした。この時も器具を付けて登りましたが、表示が120に達すると休止して、皆には先に行ってもらい、100以下に下がってから、また登り始めました。お陰で精神的、心理的に安心して行動ができました。スポ−ツ店で15,000円ぐらいで売っています。ただし、2年程で作動しなくなりました。電池交換ができないため使い捨てが難点です。貧血症状の場合もバテの原因になります。また、気疲れ、例えばパ−ティの対人関係、集団行動、岩場やガレ場の通過などもバテる原因になります。空腹で全身に力が入らない急性低血糖状態を山言葉でシャリバテと云っていますが、この状態になった時は、ブドウ糖、果糖などの単糖類が、吸収がよく、回復には一番です。つぎにデンプン類の多糖類で、脂肪やタンパクの多い食品はエネルギ−になるまで時間がかかります。いずれにしても、そうなる前に補給が大切です。シャリバテを防止するため、行動中は小刻みに少量でも行動食としてチョコレ−ト、アメ、羊羹などの単糖類を食べるのが良いのです。農耕民族である我々日本人はシャリバテになりやすいようです。スタミナ不足の体質です。ですから、常に糖分の補給に心掛けるのが良いのです。これに較べて、西洋人は狩猟民族でスタミナがあるようです。以前、テレビで見たのですが、アルプスの三大北壁、グランド・ジョラス、マッタ−ホルン、アイガ−の3つの北壁を車やヘリコプタ−で移動して、冬期連続単独登攀をしたヨ−ロッパ人がいました。数日間の行動中に食事はと云うと、1日1回あるいは2日に1回壁を1つ登って下山し、移動中に車の中で、パン9個、蜂蜜500g、バタ−250g、チ−ズ800g、ス−プ500cc、サラダ、フル−ツ1kgを一気に食べて、次の山に向っていきました。まるでライオンです。普通のヨ−ロッパ・アルプス登山も食事なしで登っているようです。私もモンブランを日本人相棒と2人で登りましたが、現地の習慣に合わせようと、出発前に秩父縦走で昼食を抜いた登山訓練をしたことがあります。

 さて、登り始めはゆっくりと歩き、自分のペ−スをつかむと云う話からだいぶ脱線してしまいましたが、登山の呼吸は腹式呼吸が有効です。鼻から息を吸い、口をすぼめて息を吐くことです。50分歩いて5〜10分休憩を繰り返します。私はほとんど機械的にこのペ−スで歩きます。5時間コ−スでも4回休憩すれば目的地に着いてしまいます。50分休まずに歩く訓練をおすすめします。休憩は5〜10分ぐらいにします。その間、呼吸を整えます。疲労を回復させるため、食べ物、水分の補給、屈伸運動やストレッチ体操を行うのもよいことです。バタンと仰向けにひっくり返って休むのはあまり感心しません。エンジンの回転状態をベストにしておくのがよいのです。リックを背負ったまま立って休憩することも有効です。30年前はボッカと云う強力が背負子で資材、食料を山小屋まで運んでいましたが、先端が二股になった杖を背負子の下にあてがい、立ったまま休憩している姿がよく見られたものです。若い時は登りだけが苦しいものでした。高齢になると登りは勿論きついのですが、これは今お話ししたようにマイペ−スをつくれば、比較的楽に歩くことができます。ところが、高齢者になると膝のバネが弱くなり、ガンガン下ると脚がガクガクになってしまいます。下りはやはりゆっくりと着地して膝の関節を保護する下り方が大切です。下りに折りたたみのストックを使うと膝にかかる負担を軽減することができます。

 次に山での行動中に起こる怪我や病気について、また、その防止方法や治療について少しお話しします。配布資料に載せました。一番多いのは岩角やブッシュの木などで腕や足をぶつけてつくるスリキズです。また、打撲、捻挫、まれに骨折なども起こります。夏場は特に化膿しやすいので、初期消毒が大切です。ブヨ、蚊、アブなどの虫さされも多いのです。特に夏、曇った日の夕方に多いブヨまたはブユ刺されには注意することです。毒の強いブヨにかまれると、すごい腫れを起こし、痛痒くなります。翌日の行動にも影響します。私も何度かブヨにやられましたが、一度飯豊山で下山前日に右の瞼を刺され、翌朝、右目がふくれあがって全然見えなくなりました。尾根を下るにも片目では足場の凹凸がわからず、棒切れを拾って杖がわりにしましたが、皆と同じ歩調で歩けず、ひとりで一歩一歩確かめながら下りました。ブヨの被害のもっと深刻な例を2つ目撃しました。2例とも男性の急所を刺されました。いずれも夕方に大キジを打ちに行った時にやられました。1つはこれも飯豊山で、夏合宿で7ル−トから本峰へ集中登山をした時です。山頂で幕営中、パ−ティのリ−ダ−の1人がサオの真ん中をブヨに刺されたと云うのです。この時は人数が多かったので、早大診療所の平山看護婦に参加してもらっていました。早速に診てもらえと皆がすすめましたが、本人は嫌だと云って、結局、治療してもらいませんでした。
 もう1つは2人で夏、個人山行で針ノ木峠へ登り、南沢に下り、当時はまだ黒部ダムはありませんでした。平(だいら)の吊橋を黒部川の左岸へ渡り、テントを張りました。やはり、夕方、大キジ打ちでお尻を出しているところを噛まれ、翌朝相棒が大変なことになったと云ってきました。サオの先端を噛まれてしまい、これは見せてもらったのですが、2倍ぐらいに膨れあがり、まるで熟れたネクタリンの様でした。触ったところブヨブヨでした。私は気の毒やらおかしいやらで、歩くのにそんなに痛いのなら、オレが10mぐらい先を歩いて人が来たら合図するからズボンから出して歩いたらどうだろうと提案しました。しかし、本人がイヤだと云うので、そのまま五色ケ原まで5時間かけて登りました。到着するとパンツは血だらけでした。

 虫さされのコワイ話はこれくらいにして、夏の2000m級の山では日射病、や熱射病にかかることがあります。日射病は夏のかんかん照りのなかを行動中突然倒れ、意識を失い、うわごとを言ったり、時にはけいれん状態になったりするもので、顔は赤く皮膚は乾燥して熱くなります。体温は40度をこえます。風通しのいい日陰に運び、冷水をぶっかけて適当なものであおぎ、筋肉をマッサ−ジします。渓流や池などがあれば、全身をつけます。生命にかかわりますので、一刻も早く病院へ運ぶ努力をします。熱射病は倒れても意識があり、めまい、頭痛、吐き気を訴えるのは「熱疲労」であり、日射病のような生命の危険は少ないと云えます。皮膚に汗を認めますので、日射病と区別できます。日陰で体を濡らして風をおくりながら、薄い塩水をたくさん飲ませます。予防のためには、ふちのある帽子をかぶり、通気性のいいシャツを着、頻繁に水分をとるよう心掛けます。(この項は中島道郎著「山での病気とけが」山洋社から引用させていただきました。)

 また、雪山では日焼けと雪盲があります。山は紫外線が強く、日焼けは火傷の一種で、予防は顔や首筋などに日焼け止めクリ−ム、今はコバト−ン・オイルフリ−ロ−ション50があり、汗で流れますので、時々塗り直します。日焼けした局部は氷、冷水で冷やします。水ぶくれになるとなかなか治りません。今の私は友人のゴルファ−から教わったフルコ−トF軟膏を使用しています。雪盲は山で起こすと危険です。紫外線の強い3000m以上の雪山や氷河では、曇っていてもサングラスやゴ−グルで目を保護しなければなりません。保護眼鏡なしで行動して5〜6時間すると目が刺すように痛み、涙が流れてきます。重傷になると目が全く見えなくなり、1日2日では治りません。私の目撃例では南米コロンビアアンデスのコクイ山群パンデ・アス−カル山に登った時、現役学生のパ−トナ−と2人で5000mの頂上に向ったのですが、青空や太陽も顔を出していない曇天でした。学生がサングラスをしていないので注意をすると、北アルプスの冬山でもサングラスはしませんと言って、サングラスなしで登っていました。この日は朝から夕方まで霧の中で、頂上近くではホワイトアウトになり、周囲は全て乳白色で方向もわからないほどでした。無事に登頂し、その夜翌日の計画を話し合っている時、昼間のパ−トナ−が、目が全然見えないと云うのです。雪盲です。私はサングラスをつけるよう強く命令しなかったことを反省しましたが、翌日からの行動メンバ−の組み合わせが狂ってしまい、戦力も低下して、登攀隊長から彼は大目玉を喰いました。その時は確か雪で冷やしたと記憶していますが、最近は温めた方がいいとされています。凍傷は手、足、顔など露出部が濡れたまま氷点下の低温にさらされると罹りやすくなります。血流の流れをスム−スにするため、袖口や足首などを強く締め付けないことが大切です。靴ひもやアンゼンバンドも強く締め過ぎると、血の循環が悪くなり、凍傷になりやすいのです。また、登山靴や靴下、手袋が濡れたまま長時間、低温の中にいると凍傷にかかります。凍傷の警笛は、はじめじんじんと痛み、やがて感覚がなくなるのが一般的な症状ですが、じんじんした痛みを感じないで凍傷に進行した体質の仲間がいました。治療法は42度C前後の温水で局所を30分ぐらい温めることです。温泉があれば湯船にはいるか局所をひたすのがよいのです。昔は乾布摩擦せよと教わりましたが、今は一気に湯にひたします。かなり前のことですが、11月の勤労感謝の日に安達太良山に登り、くろがね小屋に宿泊しました。山越えで東京・神田の女子高校生が十数人来る予定が夜になっても到着せず、小屋の人たちが捜索に行き、谷を間違えて迷っていたパ−ティを連れてきました。2人が疲労困憊しており、うち1人は食堂の椅子に座らせるとすぐに眠ってしまうのです。もう1人は体が冷え切って、足が凍傷にかかり始めていました。靴下もタイツも凍りついて脱げないのでハサミで切って、幸いにも小屋には温泉がありましたので、すぐに2人を入れさせました。その頃すでに最新情報で凍傷は42度C前後の湯につけるのが良いと教えられていましたので、迷わず温泉に入れさせました。翌朝、例の2人は元気になりましたので、ホッとしました。怪我や病気ではありませんが、山で尾根を縦走中に雷に遭うのも危険で怖いものです。夏に積乱雲の発生で起きる熱雷、寒冷前線の通過時に起きる界雷がありますが、対応策はなく、行動中であれば、より低い安全そうな場所に待避することです。山の指導書でも山でかみなりに打たれるというのは、多分に運命的、不可避的なものであると述べております。

 中高年登山の3番目のポイントは、軽く機能の優れた装備で荷物を最小限にしぼって登山をすることです。登山の装備の中で三種の神器と呼ばれているものに、靴、リュックサック、雨具があります。
 
まずですが、これほど進歩した道具はありません。まず重量が軽くなった、防水性が優れた、保温性が良くなった、ソ−ルが滑り難くなった、インナ−が最初からフィットする、などです、問題は数多くの商品から、自分の山登りと足に合った靴を選ぶことです。できたら3種類、少なくとも2種類の靴を持つべきです。ハイキングやトレッキング用の軽登山靴を1つ、くるぶしが隠れるまで深いか浅いかで重量が変わりますが、最近のものは浅いものでも、くるぶしを保護できます。深い靴は捻挫防止と土・砂や泥水の浸入を防ぎます。重量は800〜1000グラムぐらいです。もう1つは、雪があっても大丈夫な防水、保温に優れた、やや本格的な登山靴です。できれば、アイゼンがつけられるように底と前後のコバが固いソ−ルのもので、靴の表面は革製です。重さは1100〜1400グラムぐらい。昔の革の登山靴は2100グラムありました。リュックサックはこれも進歩しました。背中や背負ベルトにクッションが入り、また、背中や腰にフィットするようにカットされています。材質も軽く丈夫です。ただ、ザックは防水性が良くないので、必ずザックのレインカバ−は用意することです。私はザックの中に丁度良い大きさのしっかりしたビニ−ル袋を入れ、その中に品物を入れています。ザックも2種類、20リッタ−ぐらいの日帰り用のものと2〜3泊の小屋 泊りで必要品の入る40リッタ−ぐらいのものが欲しいです。昔はキスリングが主流でしたので、色々な形や大きさの装備品を詰めるのに熟練が求められました。今のザックはよくできていて、簡単にパッキングができます。一番下に軽いもの、真ん中、そして背中側に重いものを入れ、背負った時のバランスを良くします。一番上には行動中に取り出す予定のあるものを、その日の天候やコ−スから考えて、出発前に入れ替えておきます。最後は雨具です。これをおろそかにすると、生死に関係します。昔はゴム引きのポンチョや、私は朝鮮動乱の時にアメヨコに出回った米兵が使用した、布にビニ−ル状の材質をコ−ティングしたフ−ド付きのヤッケを購入し、長い間使いました。かさばって重いのですが、防水、防風性に優れていました。同時に購入した水鳥のダウン羽毛のたっぷり入った寝袋も大変重宝しました。冬山で裸で入っていても寒くありませんでした。さて、今の雨具は大変な進歩です。秋山でしぐれて、氷雨が降り、寒風が吹いた時に、衣類が下着まで濡れた場合、急速に体温を奪われ、体力が消耗します。全身が濡れたらまずアウトです。今の雨具は上衣とズボンに上下セパレ−トされた、材質も蒸れの少ない透湿性防水の繊維で作られています。商品名はゴアテックスですが、現在のところベストだと思います。ただ、発汗の度合いでは絶対に蒸れないというのではなく、蒸れにくい程度です。防水性も良いのですが、ただ長く使っていると縫い目から雨がしみこんでくるので、時々防水用のペ−ストでコ−ティングする必要があります。また、進歩したものに化繊の上衣、ズボン、下着類があります。濡れても暖かく、乾きも早い吸汗速乾性の素材は行動を快適にしてくれます。ウ−ルは暖かく保温性がありますが、汗や雨で濡れた場合、乾きが化繊より数倍遅く、乾燥設備のない山の環境では化繊がまさります。木綿の下着は絶対だめです。また、ウ−ルの防寒衣に代わり、化繊フリ−スは乾きが速いです。その他、リチウム電池使用のヘッドライトは軽く、水筒も500mlのペットボトルを代用すれば、軽く密封性が良く、ザックに上手に入れれば便利です。炊事用スト−ブも灯油のラジウス、ホワイトガソリン使用のホエブスに代わり、LPガスのカ−トリッジボンベが許可され、登山に使われるようになりました。マッチ、ライタ−で簡単に点火できるので、革命的です。しかし、発売当時はガスの中味がブタンリッチだったので、氷点下の冬山では気化しませんでした。その後、寒冷地用として混合されたガスボンベ(おそらくブタンにプロパンを混ぜたもの)が発売され、低温の場所でも使用できるようになりました。ただ、ガソリンよりも火力が弱いです。コンロのバ−ナ−もメ−カ−が数社あり、EPガスが一般的で日本でも普及しています。EPガスは10年前には北海道でカ−トリッジが発売されておらず、岩谷社製のバ−ナ−を買わざるを得ませんでした。ボンベに互換性がないのです。アメリカのシアトル市ではEP社のボンベは販売されていました。ガスボンベは航空機に持ち込むことができないので、国内でも国外でも目的地に利用したいボンベがあるか調べる必要があります。

 余談ですが、現在、十日町市の市長をしている滝沢信一君(山の会OB)が2年前アルゼンチンへアコンカグア登山に出掛け、テントの中で現地の粗悪なガスコンロが爆発し、火傷をしたことがありました。炊事スト−ブは登山に欠かすことのできない器具であり、事前に詳細な調査が必要です。これらの軽くて機能の優れた装備を必要最小限にしぼってザックに入れます。100%使わない時もある雨具やザックレインカバ−は置いて行けません。逆にフリ−スの防寒衣は雨具の上衣で兼用させ、ダブらせない工夫も大切です。背負うザックの軽さが余裕のある楽しい登山を生みだしてくれます。登山から帰ったら、忘れない内にコ−スタイムと登山報告文を記録しておきます。登山記録の実例を参考として配布資料に載せておきました。また、30年前から私は登山を写真で記録しておくと同時に、新緑、紅葉、白雪など四季の変化もカメラにおさめています。また、反省会を開き、その経験をもとに次回の計画について話し合うのも楽しいものです。これまで山登りの知識や心得を述べてきましたが、50歳を超えた中高年の年代の人たちが登山をするに当たって、何を知り、何をやれば安全な登山ができるか考えてみたいと思います。まず若い頃と較べて体力はどの程度に変化しているか理解してから山に対応していきたいものです。中高年登山者を分類してみますと、初心者型、復活型、継続型に分けることができます。初心者型とは中高年になって、定年を迎え、何か体を動かす運動をしたいと思い、自然にも親しめる登山を新しく始めようとしている人たちです。山の知識も乏しく山にも慣れていないことが多いのです。だが、自分は他人より体力もあり、若いと思っており、したがって体力の衰えを認めないのです。復活型は若い時、20代、30代には頻繁に山登りをしていました。中には年20回も山登りをした年もあった、山に打ち込んでいた人達です。ただし、40代、50代の前半まで仕事に責任もあり、多忙で山にはいけなかったのです。10年間のブランクがありますが、今、定年が来て、再び昔にかえり山登りを復活させようと思っています。若い頃の体力がそのまま今もあると思い込んでいますが、実は反射神経が低下したり、筋肉の持久力はガクンと落ちたり、いざというときに踏ん張りがきかなかったり、今まではありえなかったことでバランスを崩したり、何でもないところで転落したりする体に変わっています。継続型は若い時から山登りをしており、ずっと止めずに続けており、以前よりも山にいくためのトレ−ニングに励み、節制をしている人達です。

 さて、中高年であれば、これまで自分の体の定期検査や人間ドックに入って、自分の健康状態をある程度知っていると思います。これから、時には、激しい運動もする山登りをするに当たり、体が耐えられるかを調べるメディカルチェックをまずすることが必要です。復活型の人は若い時の思い出やイメ−ジを捨てて、今中高年になったが、体力はどうなっているかを確認して、現状を知ることが大切です。また、継続型の人たちにしても、自分の今の健康状態を知って、自分に合った山行を計画することです。
 中高年は徐々に体力が低下していきますが、3つの特徴があります。行動体力、防衛体力の低下と個人差が大きくなることです。まず行動体力では、バランス感覚が20歳を100%として、60歳で30%になり、転倒、転落、滑落の事故を招きます。脚筋力では60歳で50〜60%になり、歩く速さ、時間、距離、荷物の重さなど負荷を20歳の半分と見ます。跳躍力は50%になります。全身持久力は60%です。敏捷性は70%です。防衛体力も低下してきます。激しい運動に弱くなります。気温、気圧などの環境変化への対応が弱くなります。物理的な衝撃に弱くなります。病原菌の侵入などに対する抵抗力が低下します。心臓の能力が低下します。血圧が上がりやすくなり、激しい運動に耐えられなくなります。暑さ寒さに対する体温調整能力が低くなります。疲労しやすく回復が遅くなります。内臓が弱くなります。骨も脆くなります。関節が弱くなります。転倒による骨折が起きやすくなります。体力の個人差が大きくなっています。持病や体質など健康に差ができて、さらに鍛錬やトレ−ニングで体力に差ができてきます。中高年の登山中に身体に起こりやすいトラブルには、筋肉痛、膝の痛み、脚が下りでガクガクになる、登りが苦しいなどです。

 以上、体力がどんどん落ちている中高年でありますが、お金の方は増えているようで、ヒマラヤ、アルプス、カナダ、ニュ−ジランドなど海外の山へトレッキングツア−に行かれる方が増加しています。そこで、新聞に載っていたお医者さんの海外高地へトレッキングツア−をする人へのアドバイスは、見栄は捨てる、あなたは昔と今では別のクライマ−、現在のトレ−ニングによってあなたの今の力は決まる、持病があれば主治医に対策を確認しリ−ダ−に報告する、リ−ダ−に素直に従う、他人の忠告に耳を傾ける、不調になったら正直に申告する、意地を張らない、などなどです。

 高山病について簡単にお話しします。詳しくは配布資料か引用文献をご覧ください。高山病の解明はごく最近で、定義も平成3年3月、カナダの国際会議で決められ、@高所脳浮腫 A高所肺水腫 B急性高山病 の3つに大きく分類されました。その他に、高所網膜出血症があります。 @とAのごく初期の病気が急性高山病です。その症状は頭痛、吐き気、生あくび、胸がムカムカして嘔吐、疲労、脱力感、めまい、ふらつき、夜眠れないなどです。高所網膜出血症は真昼なのに暗くなり目が霞んで、あたりが見えなくなることがあります。眼底出血を起こし、水晶体がスリガラス状態になって、視野がぼけたり狭くなって、ある一定の方向が見えずらくなったり、視野の中に黒い点が現れます。

 私がモンブランの頂上で写真を撮っているとき、レンズを無限大にして遠くの山を見てもぼやけて見えるので、変だなあと思っていました。4800mから3800mのグ−テ小屋に降りてきて、休憩し、再びアイゼンをつけようとしたところ、ぼんやりして足元が良く見えないのです。岩場を下り始めると、目の前が、霞がかかったようにぼやけて、ハッキリ足元が見えません。やや安全な場所まで下山しましたが、相棒に状態を説明して、私だけそのままアイゼンをつけて下りました。シャモニに下って夕食の時にはもう全快していました。高所網膜出血症の高山病にやられたものと思います。相棒は何も起りませんでした。

 トレッキング中の高山病予防策
 睡眠、休養を十分に取り、体調を整える。行動中はまめに水分を取り、尿を頻繁に出す。過度の飲酒を慎む。禁煙を実行する。ニコチンが凍傷を生む。衣服をまめに着脱し、保温、発汗をコントロ−ルする。マイペ−スで歩き、高所ではゆっくり登る。高山病に罹った時は、低地に下山するのは最良です。程度が軽ければ鎮痛剤を飲んだり、酸素を吸ったりするのがよいのです。また、利尿剤の「ダイアモックス」などで呼吸を活性化させて、症状を改善させることができます。
 登山に関係する暑さの生理学、発汗の生理学、寒さの生理学、低体温症すなわち凍死などについては配布資料を参照してください。

 近年、登山はグロ−バル化しております。火に油を注いだのは、アメリカ人ワ−ナ−ブラザ−スの社長とテキサスの石油会社社長の2人で、フランク・ウエルズさんとディック・バスさんです。
 「七つの最高峰」という本(1995年日本語訳出版)を出して、七大陸(南極を含む)の最高峰を登るブ−ムをつくりだしました。

 1.エベレスト 8848m

 2.アコンカグア 6960m

 3.マッキンレ− 6194m

 4.キリマンジャロ 5895m

 5.エルブル−ス 5642m

 6.ビンソン・マッシ−フ 5140m

 7.コンウスコ 2230m

 また、今年はエベレスト初登頂から50年だそうです。(1953〜2003年)

 ヒラリ−さんの話では当時は装備が悪く、技術もなく知識もなかったのことです。今は、体力とお金があれば、良いガイドがいるので、登れるそうです。ちなみに、1年に100人の登山者が頂上にいき、この50年で1700人が頂上まで登っているそうです。

 それではこの辺で、話を終わりに致します。ご機嫌よう!

 皆さんもSEVEN SUMMITSに登ってください。了