|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
会長挨拶 東久留米稲門会会長 平山正徑 昨年、早稲田大学は教育・研究の質を飛躍的に向上させ世界へ貢献する大学であり続けると題して「WASEDA VISION 150 」を発表しました。概要は次ページに掲載いたしましたが、当会としても何らかの形で応援したと考えております。 さて、私達稲門会は今年19年目を迎えます。これまで会員数の減少を喰い止めつつ主催行事、部活動、広報、映画鑑賞会など活発な活動を展開して参りましたが、今後とも同様の活動を継続するためには活動の中心を担う50〜60歳代の役員及び会員の増加を図る必要があります。本誌だけの勧誘から一歩踏み出し校友に直接入会を呼びかけていくなどの方法も考えたいと思います。一方1月26日(土)新年会、4月21日(日)は定時総会を開催いたします。16の各部会は年明けから活動を開始します。会員及びご家族の積極的なご参加をお願いいたします。年頭に当たり皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
1月16日(水) お誕生会 17:30 「やる気茶屋」
お誕生会
青柳成彦、山口謙二、平山正徑、吉川明美、中島宏、長田博之、安宅武一、千葉智幸、杉本達夫、榎本幸子、松崎博、栄田征子、中道幸雄の皆さんです。 2月のお誕生会は20日(水)17:30から「やる気茶屋」で行います。2月生れの方は 大工原善夫、市川英雄、橘優治、安藤信雄、大久保泰司、馬場清彦、石寺美弥子、帆角信美、栄田卓弘、福原章雄の皆さんです。
ゴルフ部会 11月14日(水)熊谷GCで稲 と18回目の対抗ゴルフ会を実施。今回の団体戦は従来の各会ネット上位4名から6名合計で競うルールに変更し上位だけでなく中位のプレーヤーの成績も勝敗に反映されるようにした為、結果どう出るか注目されましたが当会はベスト5に4名占めるほど健闘し13ポイントの大差で4大会振りに勝利となりました。また個人戦も当会の上原さんがグロス90ネット74で2連勝。このゴルフ会の10日後稲門ゴルフ会そして三田会との対抗ゴルフ会の生みの親で名誉ゴルフ部会長的存在だった太田晴之助さんが亡くなられました。明るく、気さくで面倒見の良いお人柄で多くの人から慕われていた大きな存在でした。謹んでご冥福をお祈り致します。 (伊東 毅記) 囲碁部会 囲碁部会秋の合宿は11月23日(金)〜24日(土)に秩父郡小鹿野町の囲碁の宿越後屋旅館で行われました。今回は体調不良などで参加を見合わせる部員が何名かありましたが、西東京稲門会からの参加もあって合計8名の合宿となりました。秩父駅までの車窓からの紅葉は好天に恵まれてみごとなものでしたが、駅前から奥秩父まではこれこそ錦秋の里ともいうべきほどの鮮やかな景色でした。温泉でリラックスしたあとの囲碁大会は全員総当たりで熱戦を展開した結果、西東京の栗林さんが優勝し、宿から贈られた賞品などを獲得しました。 首都圏囲碁早慶戦が12月1日(土)に市ヶ谷の日本棋院で行われました。内容変更があってこれまで別枠であった囲碁部OBと一般OBを一括し、現役部員との二本建て対抗戦として行われOBの部上位30名までは無差別、以下はハンデ戦形式となりました。昨年同様惜敗という残念な結果となりました。 囲碁部会へ入会される方にご案内いたします。当部会は大世帯ではありませんが、幸いにして全くの初心者からアマチュア最上位クラスまでお相手できる幅広い愛好者が揃っております。近年は西東京など近隣の稲門会と交流を深めるほかに首都圏のOBと現役囲碁部員による春の早稲田囲碁祭、秋の稲穂会、年末の囲碁早慶戦などに毎年参加しております。例会は毎月第4日曜日午後一時に成美会館3Fで行い年1回の囲碁合宿は11月に行います。囲碁に興味をお持ちの方、腕に覚えのある方、ご趣味の巾を広げたい方など是非ご参加下さい。例会会場へ直接お越し頂いても結構です。1月のみは第4土曜日、他はすべて第4日曜日午後1時から開催しております。 (苅草正守記) ウォーキングを楽しむ会 11月25日(日)第42回ウォーキング「武蔵国分寺から殿ヶ谷戸庭園・滄浪泉園へ」を、爽やかな秋晴れの下で参加者10名(内女性5名)にて行なった。 経路は武蔵国分寺公園、国分寺薬師堂、国分寺本堂、お鷹の道を経て殿ヶ谷戸庭園、滄浪泉園等を巡るコースで武蔵野の自然の中を約6km歩いた。武蔵国分寺は奈良時代に創建されたもので、その跡地からは当時の規模の大きさが想像された。国分寺本堂の立派な楼門は明治20年に東久留米の米津寺から移築したものだと記されていたが、これが東久留米にあれば良かったのにと感じた。殿ヶ谷戸庭園には国分寺崖線(がいせん)の崖下からの湧水が見られ、当日は青空のもと紅葉が真っ盛りで日差しを透しての鮮やかさは見事だった。 暖かく風も無く絶好のウォーキング日和で、参加者の皆さん全員が気分良く歩くことができた。ゴール地点武蔵小金井駅近くの居酒屋で打ち上げを行い楽しく語り合った。 (森田隆記)
散策山歩き会 11月30日(金)曇天ではあるが、9時40分11名(男性6名女性5名)で東久留米駅東口より出発、上の原団地を通り抜け野火止用水に沿って一路「平林寺」へ。途中、花畑を見たり、野菜を買ったりしながら1時間40分程で到着。「平林寺」境内へ入園すると遠足で来ている小学生や、大人の団体など平日の割にはかなり大勢の人でにぎわっていた。 紅葉の素晴らしさは又格別で、「カエデ」の種類も数多くあり、色とりどりで、とりわけ深紅の色がなんともいえず、周りからも「こんな近場に京都のような紅葉の素晴らしい処があったのか」と聞こえてきた。 真っ赤な樹の下で紅葉の葉がチラチラ舞うなかで昼食と相成った。川上さんが持参してきた登山用の「コッヘル」で沸かしてもらったアツアツの「レモンテイー」が肌寒い中で何ともおいしくて全員が喜んでいました。 帰りも全員で歩きということになり、ゆっくりおしゃべりしながら、帰って参りました。 反省会は「鮮の庄」にて男性5名で行った。 出席者:平山夫妻、川上、森田、苅草夫妻、大島、菱山、安藤夫人、中根、安次峰 (安次峰記)
カラオケ部会 12月29日(土)18時から22時まで4時間余、歌侍(馬場、高柳、帆角、井坂、森田大島、平山、安次峰、渡辺、高橋(哲)10名が2012年を締めくくる以下53曲を実に気分良く持ち歌全てを歌い納めた。順番に、ひばりの佐渡情話、箱根八里、愛しき日々、怪傑ハリマオ、サントワ・マミー、中の島ブルース、ラブイズオーバー、夢淡き東京、おまえに、女の宿、東京ラプソディ、くちなしの花、北の旅人、夢追い酒、知りたくないの、花言葉の詩、神田川、時代遅れ、北へ、流氷、おゆき、東京ブギウギ、陽はまた昇る、並木の雨、心の旅、ろくでなし、昴、冬のリヴィエラ、女の意地、大阪しぐれ、冬の稲妻、紅孔雀、女の港、旅姿三人男、想い出迷子、川の流れのように、霧子に逢いたい、ひとり酒場で、上海の花売り娘、酔いどれて、長崎は今日も雨だった、ブランデーグラス、麦と兵隊、別れの予感、旅の終わりに、愛燦々、無縁坂、他人船、上海の花売り娘(再)、百万本のバラ、なごり雪、街の灯り、早稲田大学校歌 (平山正徑記)
俳句部会 11月18日(日) 第149回句会 於: 市中央図書館 2F 集会室(小) 兼題: 「秋の蝶」、「秋思」、当季自由題 高得点(3点)句以上
12月16日(日) 第150回句会 於: 市中央図書館 2F 集会室(小) 兼題: 「冬紅葉」、「時雨」、当季自由題 高得点(4点)句以上
節目の150回句会の終了後、恒例の忘年会を賑々しく開催し平成24年度を締めくくった。 ○前号掲載の句に間違いがありましたのでお詫びし訂正いたします。 正: 秋灯下しわ皺の手で引く電子辞書 誤: 秋灯火しわ皺の手で引く電子辞書 (比護喜一郎記)
映画鑑賞会 「第三の男」2月28日(木) 午後2:00 於:成美教育文化会館 あまりにも有名な名作。戦後の混乱と貧困を描いた作品にはこの「第三の男」(1949年・英)「自転車泥棒」(48年・伊)「禁じられた遊び」(52年・仏)が最も有名で、いずれも有名映画祭のグランプリ、又はアカデミー外国映画賞を獲得している。とくに「第三の男」は映画100年の歴史上、私が知っている限りでは絶えずトップクラスで4位以下に落ちたことはない。なぜ今までにこの作品を上映しなかったかと云えば、あまりにも有名過ぎて「第三の男」と「ローマの休日」はTVで絶えず放映されたからです。 物語は敗戦直後の4カ国管理下のウィーン。米人気作家のホリー(G・ゴットン)は旧友ハリー(O・ウェルズ)の死の瞬間に立ち会った第三の男の存在に疑惑をもつ。闇の世界でハリーは生きていた。ホリーは粗悪なペニシリン密売の黒幕ハリーを下水道に追いつめる。 ハリーの登場シーンの微笑、大観覧車、下水道の追跡、並木路(ハリーの恋人役アリダ・ヴァリ)が歩いてくる哀愁漂うラストシーン、ウィーンの濡れた舗道を這う光と影、斜の構図による不安感の盛り上げ。アントン・カラスのチターのテーマ曲と共に忘れ難い名場面に彩られたサスペンス・スリラー・・・ 監督は今回初登場の英国の名匠キャロル・リード。原作グレアム・グリーン。俳優はジョセフ・コットン、オーソン・ウェルズ、アリダ・ヴァリと芸達者。スタッフと共に一流づくしで完成させた逸品。上映時間 105分 (米光慶二郎記) 芸術鑑賞会 早稲田大学マンドリン楽部が100周年を記念して、5月11日(土)(午後1時30分開演)東京文化会館大ホールでコンサートを開催する。戦中戦後も含めいろいろな世相、時代を経て、100年という時間を立派に継続して来られたことに感慨を覚える。 今回は同楽部と藤原歌劇団の合唱部及び歌手数人の方々が、合同で演奏する。曲目は、ヴェルキー作曲、ウィンナーコンチェルト ビゼー作曲、カルメン(演奏会形式) 特に、ウィンナーコンチェルトは1971年作曲者ヴェルキー自身が同楽部に贈ってくれた曲で、今回特に演奏される。プロのマンドリン奏者、ギターの奏者や指揮者を輩出して来た同楽部の演奏は楽しみである。多数の方々の申し込みをお待ちしている。 (菱山房子記) 旅行同好会 第三回旅行同好会は5月22日(水)〜23日(木)バス旅1泊2日群馬方面を予定しています。参加希望の方スケジュール調整方お願いいたします。詳細は次号に掲載致します。 (井坂宏記) 〈会員リレーエッセイ〉〜噴水広場〜 平子 敏夫(36年教育) 東稲ニュース第66号で白石春雄先輩の「わたしの青春 アメリカ編」を拝見し、自分の「退職後のカナダでの生活(初期の苦労編)」を書いてみようかと思いたった。 われわれの世代は大抵だれでも、戦後のアメリカ映画を通じて、外国や"外人"の恰好のよさに憧れを抱いたものだ。戦後数十年が経って、世の中が落ち着くにつれ、その思いは、「一度外国で彼らと同じような生活をしてみたい」と発展的変化を遂げる。わたしもそうした一人である。勿論、現役中はできないから、退職後にやってみようと、カナダでの生活体験を思い立った。カナダで夏の半年、東京で冬の半年を過ごす計画である。しかし、実行してみると意外な苦労が待ち受けていた、そのことに、やってみてから気がついた。これは、そのときに経験した苦労話である。 何故カナダなのか?この経緯を説明すると長くなるので、概略だけ触れておきたい。まず、バンクーバーには何回も旅行し、かなり勝手が分かっていたこと。欧米諸国の中でバンクーバーは成田から近く、そして運賃も安い。これらの点がカナダに決めた主な要因だった。 1998年3月31日に退職して、間もなくの4月25日、バンクーバーに飛んだ。別便で送った少量の引越し荷物ともども、同じ日付の午後、バンクーバー空港に着いた。引越し荷物は、運送業者に一任し、翌日、我が家に届けてもらうことにした。その夜はバンクーバー市内のホテルに一泊し、翌朝、電車に乗って目的地であるサーリー(Surrey)という郊外都市に向った。住む家は"タウンハウス"(西洋長屋)である。3軒か4軒かが繋がって建ったハイカラな建物が、幾棟も並んで一つのコミュニテイを形成するような形のコンプレックスである。その中の一戸を買っておいた。退職金をはたき、生命保険を解約し、ゴルフの会員権を処分して、決死の覚悟で乗り込んだものである。まず届いた引越し荷物の開梱をして、炊飯器や食器を取り出し、レンタカーを借りた。バンクーバーの市内も、その衛星都市(これらを含めて、Greater Vancouverと呼ぶ。Surreyもその中の一つである)も道路は基本的に碁盤状に整備されており、よくできた道路地図と両々相俟って、土地勘の乏しい者でも、走り回ることが出来る。ベッドが未購入だったので、その日も家には泊まらず近くのホテルに投宿。翌日、ホンダのデイーラーへ出かけ、安い中古車を物色した。日本と違い中古車の値段が結構高い。89年型アコードを買った。完全な予算オーバーである。しかし、自分の車を持つと、落ち着いて行動できるようになる。交通システムは、ご承知のとおり、隣国のアメリカに合わせ、右側交通である。右側交通に完全に馴れるのに1週間を要した。(しかし、人間の感覚というものは大したもので、二年目からは、即応できた。)その日、専門店でシングルベッドを2台購入。日本でもベッドの生活をしていたが、こちらのは、組み立て式鋼鉄製のキャスター付フレームの上にまずスプリングボックス、その上にマットレスをセットする。したがって、ベッドの位置は、日本のものより、大分高くなる。丁度われわれの腰のあたりにベッド面が来て、腰掛けたり、横になったりする際、極めて楽にできる。この年の滞在が終わって日本に帰り、東久留米の自宅のベッドで寝起きすると、この高さのありがた味が改めてよく分かった。次はデパートに出かけ、店員のおばさんにあれこれ聞きながら、寝具を買い揃える。その次は家具屋だ。こちらの住居はウオークイン・クローゼットが整備されているので、箪笥は下着収納用に小さいのを一つだけ購入。照明用スタンド、リビングのソファ、食卓用テーブル、椅子などを購入。これで、ようやく今夜からわが家で寝られる。身体はくたくた。精神的にもくたくた。寝つきは比較的よいが、睡眠時間は極めて短い。まだ時差ぼけの真っ最中だ。 食事は、日本から持ってきた少量の米を炊飯器で炊いて、梅干かなにかで、朝昼晩のご飯を食べていたのだと思う。街にはファーストフード店や、ファミレスもあるが、疲れていると、面倒くさくて、とてもそんなところへ行って食べる気はしない。英語も邪魔臭い。心が内向きになる。とにかく疲れた。家内は渡航直前に近所の葬式の手伝いを3日間にわたり手伝ってきたので、その疲れも残っていたのだろう。話をしても、応答が変だ。紛れもなく「ボケ」の症状だ。こちらもイライラしている。思考能力ゼロである。なんとかしなくてはならない。隣家の若いカナダ人夫婦はnice guysで頼りになるが、これも英語を駆使しなくてはならない。疲れた頭ではしんどい。日本へ帰ろうかと考えた。だが、また再び大移動かと思うと、その思いは自然消滅する。日本人はいないかなあ。つくづく同胞がなつかしくなる。そんなとき、以前、親切な現地の日本人から「困ったときは、ここに連絡しなさい。」と云って渡された電話番号のメモを思い出した。教会だった。「今晩"家庭集会"をするから、いらっしゃい。」と云われて飛びついた。そこでは、日本人(もちろん全員初対面)と自由に日本語の会話を楽しんだ。家内も少し元気を取り戻したようだ。そうした小さな同胞社会に交わることで、次第に現地の様子にも理解が深まっていった。 こうして書いてくると、限られた紙数ではとても書ききれない。しかし、われわれ夫婦が初めて異国に移住を試み、その初期の段階で七転八倒する様子を多少は描くことができたかなあ、と思う。もちろん、充分ではない。その点ちょっぴり心残りではある。 結局、この第一年目は12月30日に成田に着いたのであるが、帰宅して、玄関のドアを開けるとぷーンと鼻を突くのはカビの匂いであった。年末の大掃除と正月の用意をするのは、31日の大晦日だけとなっていた。しかし、翌年の再渡加が楽しみであった。 東稲広報室
○訃報 11月 南沢 太田晴之助氏 (32年政経) 謹んでご冥福をお祈りいたします。なお、当会から規定に従って生花を供えました。 多くの会員の方にご弔問いただきありがとうございました。 ○三多摩支部大会 11月18日(日)多摩、稲城稲門会が主管稲門会として開催した三多摩支部大会は京王プラザホテル多摩で開催され当会から藍原、森田、平山、橘、安次峰の5名が参加した。 鎌田総長を囲んで記念撮影 <編集後記> ●新年は希望の翼が舞い降りる。「活動の中心を担う50・60歳代の役員及び会員の増加を図る必要がある」、年頭の平山会長の言葉どおり今年の稲門会は比較的若い会員の変革、作業に期待したい。新年会を合図に、各部会が希望の光をあびて第一歩を踏み出す●正月は箱根駅伝から始まるといってもいいだろう。ワセダは健闘したものの5位におわったが、母校の名誉のたすきをかけて力の限り激走する学生たちの姿は感動をよびこむ。清々しく爽やかで正月を飾ってくれる●相変わらずの人気だ。当会の映画鑑賞会。名画はいつでも造られた時代背景を色濃く残している。映画は最初に観たときの感動を長く引きずる。そしてそれは、いつの間にか心の奥深く棲みついて息をこらしていて記憶の迷路を歩き回る。鑑賞会への熱気も青春時代に観た時の感性との比較を確認したい思いがあるのだろうか。名作は時空をこえても色褪せることはない●年が明けると昨年をたちまち遠い過去にして流れ去る。光陰矢のごとし。一日一日を大切に、この一年に向き合っていきたい。 (大島勝典) |