心で走れ
                                 講師 瀬古 俊彦    
    
   

   
  平成10年4月19日
  東久留米市市民プラザホールで講演
 
                              




 エスビー食品陸上部監督。昭和31年7月15日生まれ。三重県桑名市出身。昭和51年早稲田大学教育学部入学。昭和55年卒業。昭和55年エスビー食品入社。四日市工業高校時代、インターハイで800m・1500mに優勝。陸上競技の中・長距離で高校ランキング一位。高校卒業後、自費でアメリカに渡り、南カルフォルニア大学に陸上留学。昭和51年早稲田に入り、競走部で中村清監督と出会う。「中距離では大成しない。マラソンをやれば必ず世界的な選手になれる」という中村監督のアドバイスによってマラソンに転向。マンツーマンの指導が続く。昭和53年、大学3年で福岡国際マラソン初優勝。昭和54年、55年と同レース三連覇。同55年エスビー食品入社。昭和56年ボストンマラソン優勝。58年2月東京マラソン優勝。58年福岡国際マラソンV4達成。59年ロス五輪は14位。61年4月ロンドンマラソン優勝。61年シカゴマラソン優勝。62年4月ボストンマラソンV2達成。63年ソウル五輪は9位。昭和63年国際千葉駅伝に出場したのを最後に現役を引退し、エスビー食品陸上部の監督に就任。安定した下半身から繰り出すピッチ走法とラストスパートでの驚異的な瞬発力によって世界のトップランナーの地位を築いた。自己最高記録 2時間8分27秒 (昭和61年シカゴマラソン)
 目 次
  1.はじめに
  2.マラソンとは一に練習二に練習、三四がなくて五に練習
  3.人生における運・鈍・根はマラソン競技でも
  4.マラソンという競技では
     ○食べること
     ○飲むこと
     ○出物腫れ物ところきらわず
     ○シューズは体の一部
     ○サングラスの意味
  5.箱根駅伝
  6.恩師中村清先生との出会い
     ○歩くこと走ることの効用
     ○練習で泣いて試合で笑う
      (今朝生まれたみどり児の如く新鮮な気持ちで練習する)
  7.マラソン選手としての僕の人生
  8.Q and A


                                  * * * *

1.はじめに 
 只今ご紹介にあずかりました瀬古でございます。
 昭和55年教育学部、というよりも陸上部を卒業しました。殆ど学校に行っておりませんでしたので、いろんな先生のおかげで卒業させていただきました。今SBのコーチをやっております。引退したのは1988年のソウルオリンピック後で、それから4年間、早稲田のコーチをやらせていただきまして、そのあとSBの監督ということで、引退してから約10年経ちました。
 引退する前は、いろいろな大会に勝ったりして良いことが一杯有ったのですが、コーチになってからはあまり良いことがありません。良いことは早稲田のコーチになって3年目に箱根駅伝で優勝したということ位で、あとは旭化成の宗さんに多少いじめられて負けてばかりおります。
 現役の時は、宗さんをやっつけて気持ち良かったのですけれど、最近は逆にやられて,宗さんの現役時代の気持ちよくわかります。宗さんに威張れることといえば、宗さんは男の子が3人ということで、僕は男が4人おりますので、それだけは、今、勝っております。あと夫婦仲がよいことで、郷ひろみや有森裕子に威張れます。


2.マラソンとは一に練習二に練習、三四がなくて五に練習
 
これから2年後にシドニーオリンピックがございます。うちのチームに渡辺康幸という箱根駅伝出身のいい奴がいるんですが、アトランタオリンピックの10,000mに選ばれたんですが、足の故障、いわゆるアキレス腱を痛めまして、この2年間うちに入ってから全く走っておりません。やっとこのところ良くなってまいりまして、先週の日曜日に5,000mを13分27秒で走りました。自己新記録が26秒でしたから、もう大学の力まで戻ってきました。来週神戸ユニバーシアードで陸上・兵庫リレーカーニバルというのがありまして、10,000mを走るんですが、多分そこで日本記録を狙えるんではないかというところまで戻ってまいりました。よく皆さんから「渡辺何をやったいるんだ」と聞かれますので、心配されていると思いますので、そういう状況にありますことをお知らせしておきます。(平成10年4月26日兵庫リレーカーニバルにおいて渡辺康幸は自己記録を2秒16縮める27分46秒39をマーク。日本歴代6位の快走を見せた。)
 彼は高校時代、インターハイで優勝した他、大学4年間本当によく活躍してくれました。僕の学生記録の5000mも10,000mも彼が破りました。結構順風満帆できたものですから、生意気なところがありまして先輩の言うことをあまり聞きませんでした。「渡辺!24時間競技のことを考えていないと世界には通用しないよ」と言ったら、「いや僕は監督と違います。僕はプライベートと練習を分けてますから、夜飲みに行って遅く帰っても練習すりゃいいでしょ」と言った具合で、これはヤバイな、そのうち天罰が下るなと思っていたら、そのうち足が痛くなってしまった。よかった。(笑い)順風にいっている時は、先輩が言ってもなかなか聞かないんです。
 最近やっと、怪我に懲りまして言うことを何でも聞くようになりました。やっと解ったのでしょう。最近は「神様に与えられた試練だから、僕はこれに耐えて、そして必ず強くなってみせます」と。又酔っ払ったときの話ですが、「監督!僕が監督を男にして見せますから」と、そういう気持ちに最近なってきました。そんな意味でこれから渡辺も一生懸命頑張りますんで、皆さんもぜひとも応援をしていただいて、一緒にオリンピックの活躍を祈っていただきたいと思います。
 皆さんマラソンといえば、どういうイメージが湧かれるでしょうか。なんとなく辛いとか、厳しいとか、暗いとか。確かに暗いですよね。42.195kmを走るなんて、まともな奴なら走れないです。大体頭が良い奴なんて走れませんね。(笑い)だって考えたら走れないです。第一ゴロが悪い。42.195km、「シニイクゴール(死に行くゴール)」(笑い)どうしようもない。
 そんなマラソンですけど、やはり練習しないと42キロも走れません。だけど練習すれば、今女の子でも走れますから、たいした事じゃないんです。
 マラソン選手は365日休まず練習します。大体、どういう生活をしているかというと、朝6時ごろ起きて、朝飯前に走ります。「走るのは朝飯前」ですから、朝飯前に一回10キロから15キロ走ります。そして学生は授業に行くか、行かない時は寝ている。社会人は仕事に行ったり殆どの選手がプロ化していますから、走ることに集中して午後3時ごろから走る。夕方は平均20キロから30キロ、ゆっくり走ったり、早く走ったりします。時には、インターバル・トレーニングといって1000mを10本やったり、15本やったり、5000mを何本やったりという練習もします。平均大体一日30キロ走るとして、月に900キロというのがマラソン選手の目安です。一応900キロ以上、1000キロ以内で走りなさいというのがマラソン選手の基本です。有森選手なんか小出先生に聞くと1200キロ走っている。女性の場合はペースが遅いから結構長くゆっくり走れますが、男の場合はペースが早いので距離を積むということがなかなか難しいんで、この辺がマラソン選手の厳しいところです。スタミナもなければいけないし、スピードもなければいいいかん。最近2時間6分台、時速20キロですから、かなり早い。子供たちが横で走っていて、マラソン選手が追いつく場面がありますよね。あれで見るとマラソン選手がいかに早いかがよくわかります。20キロまでは皆さん自転車で付いて来られても、42キロでは普通の人では追いつけないと思います。それ位マラソンというのは結構過酷ですけれど走ってしまえばたいしたことはない。やってない人は大変ですけど、我々30キロ行くんでしたら、隣の八百屋に大根買うくらいの気持ちで行きます。多い時は70キロ位走ります。一番長く走ったのは僕は90キロ、休まず走りました。90キロというと大体箱根駅伝で言うと、大手町から箱根湯本を越えて宮の下位まで行きます。
 宗兄弟に聞きますと、120キロ位まで走ったと言っておりました。上には上がいるもので、そんな練習もしています。タレントの元マラソン選手で増田明美というのがおりますが、
 「増田、お前!どんな練習してるんだ?」「私は練習終わってから寝る前に8時頃から腹筋と腕立てと背筋をやる」「腹筋は何回やるんだ」と聞いたら「5000回」と。馬鹿だね。(たいしたものだ。5000回というとどれくらいかかるかわかりますか。2時間半かかると大体10時半になる。仲間が寝てしますう。次に腕立てを500回布団かぶってやるそうです。そして今度は逆にして背筋をやる。ばかげた話ですけどもそういう気持ちがあるから、あの増田明美があったんではないかと思います。
 中山竹通なんか1000メートル50本とか、そういう練習をやった。「瀬古さんが30本やっているなら俺は50本だ」と、そういう競争心を持ってやっていたのが良かったかなと思います。
 マラソン選手の一番の条件は、練習が嫌いだったら絶対駄目です。練習が好きで好きでたまらないというようでないと駄目ですね。距離が長いからいやいややっていたら持ちません。強制されてやるような奴は駄目。自ら進んでそういう練習をやる。たまたま先生から言われたからやるというんでなくて、自分の意思で言われたことをやるというような人間にならないと駄目かなと思います。
 次は集中力。大体普通の人は一回勝てば、あと負けちゃうんです。油断して。だけど本当に強い選手はあと何回も持続できます。集中力が持続できる人間でないと駄目。一回勝って次に負けて、悔しいと又頑張る。そういう選手は駄目です。あんまり強くならない。次に走ること以外に節制できること。特に他人が見ていない時。昔の渡辺みたいのは駄目です。夜もてるからといってギャルと遊んでいて遅く帰って来る。これでは勝てない。


3.
人生における運・鈍・根はマラソン競技でも
 あといつも中村先生から言われていたのですが、運・鈍・根。運は運性。勝った時にあるじゃないですか、時の運だとか。そういうものがやっぱりあると思います。鈍はにぶい奴。あまり頭が良くて、考えすぎて、精神がイライラしている奴は駄目です。頭をゴツンと殴られても、5分位たって痛えという、こういう奴が最高です。僕はちょっと中途半端で、2分半で言いますけど、多分有森なんかそうじゃないですかね。
 根は根気です。同じ事をずうっと続けられる人間。あと根性です。やる気とか。そういうものです。これら運・純・根を持っている選手がオリンピック又その他の大会でで活躍できるチャンスが大きい。
 大体練習で強く大会で弱いという奴が結構いるんです。それはやっぱり鈍ですか、一寸鈍いところが無いせいではないかと思います。渡辺なんか本当に練習に強いんですけど、もっと強い選手がうちにはいるんです。だけど試合には弱い。渡辺と同じに走っているんだから、試合に勝ってもいいんだけれども走れないという所を見ると、頭が一寸良くって考えすぎてしまう。渡辺が頭が悪いわけじゃないんですけど。(笑い)
 渡辺より考えすぎて結果が出ない。もう一寸考えずにやれと言ってるんですけど、なかなかこれは難しい様です。


4.マラソンという競技では
 マラソンの途中で何を考えているか。大体10人が10人から聞かれます。はっきり言って何も考えていません。あまり賢くないですから。マラソン選手は大体運動神経が一番悪い人がなります。良い人は野球とかサッカーとかバレーボールとかに行きます。一番駄目な人がみんなマラソン選手になります。走ることしか能がありません。だからあまり考えていません。とにかく試合中は勝つこと、勝つために作戦を一番考えるのは走る前ですね。


○食べること
 走り始めたら食べること、飲むことです。試合の前は節制して食べたいものを抑えますから、僕の場合はビールが大好きで、もう一日中ビールをことを考えて、終わったらビール20箱位飲んでやろうとか。甘いものも大好きなんです。ビール飲みながらケーキ食べますから、僕は太る体質なので甘いものは試合の一ヶ月前くらいから控えてきました。終わった後で家へ帰ってきて、ケーキ屋さんへ行ってケーキ10個位買ってきて、思いっきり食うということもやりました。
 あとどんなものを食べるとかというのは、マラソンでも、ポパイのほうれん草じゃあ、ありませんけども、そういうものはありません。特にこれを食うと強くなるというものはありません。一つだけ言えます。SBのカレー。これは強くなります。(笑い)今晩から食べてください。それ以外は駄目。ハウスは使ってはダメ。(笑い)カレーは食欲を刺激しますから、食欲ないなあという時にカレーはベストです。

○飲むこと
 あとスペシャルドリンク。これは何が入っているのかとよく聞かれます。大体普通の選手はスポーツドリンク。ポカリスエットとかそういうものを水で半分に薄めて飲みます。大体時速20キロでスペシャルドリンクを取りに行くわけですから、結構難しいんです。自分のやつは何処にあるのか、大体自分のは何番と解っているのですが、全員が寄ってきますから。そうすると谷口みたいにコケちゃいますから、そういうのはよくあるんですね。
 だからスペシャルドリンクが見えたらずっと寄って行くか、さがるかどっちかです。中途半端にいると大体取れません。我々は最初から取れないと思ってかかっています。35キロ位行くと、取れないと後が恋しくなっちゃって、戻りたくなるんですけど。気持ちを切り替えて、次のステーション迄行くようにしています。

○出もの腫れ物所きらわず
 あと一番なのに、試合の前で緊張するため、トイレが心配なのです。特に大の方が。汚い話ですけど、これで失敗してる人が沢山いるんです。僕は現役の時に走りながらパンツを横にやってぱっと出しているのを見たことがあります。日本の女子も昔いましたね、走りながら出していた人が。外国では女子の選手が急に道路の真ん中でしゃがみこんだ。パンツ脱いでやっているんです。外国の女性というのは出るものは出るんだから仕様がないという感じですね。こっちが目を逸らしてしまいます。それ位トイレというのはシビアな問題で。僕等などは出ないと手を突っ込んで出すようにしていました。そして握手してくれといわれるとその手で握手する。そればっかりはしようがない。(笑い)

○シューズは体の一部
 あとシューズですね。これはロスアンゼルスで予備に持参したもの。これはソウルオリンピックで走ったもの。これが1981年ボストンマラソンで優勝した時履いていたもの。参考までに持って来ましたので,回しますから見て下さい。
 選手はみんな大体別注で、自分の型を持って作ってもらっています。靴というのは選手にとっては実に大事で、体の一部分です。マメができて、靴のせいにして負けの言い訳にする選手もいます。アトランタで浅利選手がそうでしたね。靴が悪かったから負けたとかね。でも靴は関係ありません。もともとちゃんと自分で作ったシューズですから、靴のせいにするのは良くないと思います。

○サングラスの意味
 あとよくサングラスしてますね。あれは暑い時にサングラスすると涼しく感じるんです。ですから夏のマラソン、オリンピックなんかは殆どの選手がサングラスしています。あと女子の選手なんかは冬場でもやっている選手がいます。どうして冬やっているのかと思ったら、顔を見せたくないらしいですね。顔に自信がない人は、大体冬にサングラスしていますから(笑い)。よく見てあげてくださいね。引退した時にああやっぱりと思います。

5.箱根駅伝
 あと箱根駅伝ですね。今早稲田は入試難で選手がいなくて困っているんです。最初だけはいいんですが、あと尻切れトンボで、終わってみたら6番とか。なかなか皆さんの期待にこたえられないんです。自分の4年間コーチやった時のことをお話してみます。櫛部という選手がいます。知っていますね。彼が大学1年の時、僕が1年目のコーチのときですね。今も元気で走っていますけど。彼が300m手前でフラフラになって止まってしまった。
 僕はいつも選手に言うんです。「試合の3週間前よりは絶対ナマモノを食べてはいかんよ。」「下痢したり腹をこわしたるするから。特に刺身なんか食っちゃいかん」という話をしょっちゅうするんです。牛乳も試合の朝からは飲むなと言っています。ですが、12月30日に先輩が刺身を差し入れてくれた。30日に食った人はみんな良かったんですが、あいつはマッサージに行っていて食えなかった。外で食事をした。31日の朝におばちゃんが気を使って「櫛部君、昨日の残りだけど、先輩が差し入れてくれた刺身だから食べて」と言って食べさせたんですね、そしたら僕がお昼に練習に行ったら、トイレでゲーゲーやっている。「誰だ」と言ったら、櫛部が今朝からなんだか変だというんですね。それで「今日は練習止めなさい」と言って止めさせた。そしたら夜入院したと言うんですね。まいりましたねこりゃ。31日ですよ。箱根駅伝は2日ですからね。38度5分の熱を出して、点滴をしたら、1日には何とか熱が下がって練習できるほどになりました。「櫛部大丈夫か?」「いやもう熱が下がりましたので大丈夫です」と言うんです。「わかった、じゃ明日はお前しかいないんだから。お前と代わったら5分も10分も違うんだから、ゆっくり走ってくれ。ゆっくり走ったら最高。」と言って出したら、最初から飛ばしちゃって、彼自身のペースで行っちゃって、あと3kmでフラフラになっちゃて、最後はああいうふうになる。何回もいわなくちゃ駄目ですね。選手には。同じ事を100回言ったって聞いているかどうか解らない。だからそういう目に合えば一番わかる。
 あと2年目に又あったんです。今度は山下りの奴が、2人いたんですが、これが調子悪くなっちゃって、2人とも使えなくなった。そこで登りのスペアを下りに当日使った。普段練習してないから足にきちゃった。足の踵に両方ともマメが出来てしまって耐えられなくなった。最後フラフラでゴールしたということがありました。
 だから学生というのは本当に大変です。早稲田の場合はみんなコーチ連中はボランティアです。給料はありません。確か年間6万円の監督への謝礼金が出る。月6万円ではありません。年間6万円です。後すべて自前でやるんです。WACですからやる人はいません。山梨学院なんかは学校が商売でやっていますから必死です。正月の2日に勝てば入学志願者が一気に増える。受験料は35,000円ですから10,000人も増えたら、3億5000万円入ってくる。箱根駅伝の経費など楽勝です。入試も困るんです。僕も勧誘を何回もしました。でも入れてくれないですね。僕が欲しいという選手を3人落としました。謝りに行きました。おとしたら大変です。僕がどんな苦しみをしているか大学の先生方は知らないんですね。親から衆人環視の中でバカヤローと怒鳴られる。「何でうちの息子を落としたんだ。うちの息子の夢を奪うな」と言われる。別に僕が悪いわけでないのに学校が悪いのに何で僕がしかられるのか。
 我々が欲しい選手を大学がとってくれないと野球部だろうが競争部だろうが、早稲田は勝てないでしょう。結構変な合気道などというのが強くなったりする。困っちゃいます。合気道勝っても新聞に載りません。やっぱり新聞に載るチームが頑張れば、皆さん応援のしがいがあるでしょう。だからこれから大学の働きかけて、優秀な選手は必ず入れる。あんまり馬鹿は困るけど、名前が書ければいいじゃないかという感じです。(笑い)
 僕が陸上始める機会というのは、野球からです。中学校の時に野球やっていた.高校に入ったら甲子園に行こうというくらい野球が好きで、県大会の準々決勝位までいったことがあります。野球部ではピッチャーなど結構走るから、高体マラソンなんかやっても勝っちゃう。そうすると陸上の先生から「瀬古お前、市の大会があるから出てくれないか」という話があって、「先生、授業サボっていいんですか?」「いいよ」普通の日だったものですから、よおし授業サボれるてなもんで、騙されて行ったら優勝しちゃたんですね。そしたら今度は県大会があってそこでも優勝しちゃった。こいつは素質があるなと思った。野球は県大会に行っても勝ってなかったのに、マラソンでは勝てるから、自分は個人競技が合っているのかなと思いまして、高校から陸上競技を正式に始めました。
 そしてトントン拍子にインターハイで2年、3年とも800m、1500mで優勝したりなどして、瀬古の存在をアピールしました。すると大学から一杯来るじゃないですか。もう左団扇でね。早稲田来るわ、中央来るわ、明治来るわ、筑波大くるわ、倉紡来るわ。どこでも採ってくれるのかなあと思って、僕は早稲田に行くことにしました。早稲田が格好いいじゃないですか、Wという文字にエンジのユニフォーム、あの箱根駅伝の姿を見たら早稲田に入りたいですよ。早稲田受けますといったら、瀬古君ちょっと待ってくれ、受かるかどうか解らないよ。じゃ困るな、こっちは工業高校だったもんだから受験勉強なんかあまり得意はない。じゃまずいから入れてくれる中央大学にしようと思い中央大学に決めました。荷物もすっかり送る用意をしていた。1月まで中央大学の学生だったんです。
 そしたら1月の末願書ギリギリの時、ある偉い方から電話があった。「瀬古君、絶対受かるから(笑い)受かるよう準備してるから大丈夫だ。お金は要らないから大丈夫だ」こんな偉い方が言うんだから間違いないだろうから受けようと、受けたら落ちました。騙されたと思いましたね。僕はもう受かるものだと思っていましたから、早稲田の校歌も覚えてその気になっていました。そしたら落とされて、もうがっくり。そこで早稲田のOB達がかわいそうだと思ったんでしょう。「瀬古、留学しないか?」という話があって、留学したって試験受かるかどうかわからないのに。でもとにかく留学しなさい。又受かるようにするから、と言われて、留学しました。留学といっても遊びに行ったんですよ。何の目的もなくて行かされちゃったんです。無理矢理にOB達に。南カルフォルニア大学に籍を置いていました。
 18才ですから英語なんか訳わからないし、受験勉強もしなければいけないし、英語もやらなくてははらはいし、練習もするという。そんなに全部できません。僕はホームシックになってしまった.それで帰れないし、ストレスを解消するには食べることが一番いい。ハンバーガーばかり食べていました。アメリカの寮は何でも食い放題でした。僕は体重58kgが68kgになりました。今でも68kgです。この体重で2月の入学試験を受けて、どういうわけか勉強もしましたけれど、見事合格させていただきました。そして今の瀬古があります。そしてつぶれかかった僕を救ってくれた人がおります。それが今は亡き中村清大先生でございます。

6.恩師中村清先生との出会い
 この先生に会わなかったら、僕の今の姿はありませんし、ここでこんな偉そうにしゃべっていません。あの先生がいたからですし、それも僕の運だと思うし、人の出会いというのはすごいと思います。千葉県の館山で合宿があり僕は中村先生を始めて知ったのです。僕が入学したのが昭和51年です。その前の10年間は早稲田の競争部は箱根駅伝にでられないし、出たって15番でビリ争い。早慶陸上対抗は負けるわ、それはひどい状態だったらしい。この早稲田を強くするのは中村清しかいない。
 でもあいつは競争部を私物化するし、入れたらよくない。でも強くするのはあいつしかいないというんで、丁度先生がコーチになるのと同時に僕が入ってきた。そして出会ったのです。中村清、これが又変っているんです。人の前で平気で自分の顔を殴るのです。パンパカ、パンパカ殴るのです。「早稲田の弱いのはOBのせいだ、俺が代わりにお前達に謝るんだ。ごめん。」自分の顔を30発位殴るんです。そして壁に自分の顔を叩きつける。5発位。壁が崩れるんじゃないかと思われるくらい、頭が割れるんではと思われるくらい、謝っていました。
 ある時また目が悪いから、いつも双眼鏡を持っている。選手の顔を見たり。代々木公園で双眼鏡で見たりしていると変な顔されますけど。選手が言うことを聞かないと、その双眼鏡で自分の顔を殴る。選手は絶対殴らない。血がぶうつと吹き出る。高血圧でしたから血が飛び散るんです。それで独りでしゃべっている。
 女性関係は絶対認めなかった。そのくせ自分は学生の時同棲していたんですけど。ある選手が女性と付き合ったんです。そしたら何回いっても聞かないので、ライフル持ってきて、「お前殺してやる」本当にやったんです。弾が入っているかどうかわかりませんでしたが、中村清は陸軍の中野学校出身ですから、「俺は人を何人も殺しているんだ」などと言われたらびびりますよ。それ位変わっていた。
 ある時夏に40キロ走をやったんです。昔は、昭和50年位の時は、水を飲むという習慣がなかった。その時も水を飲まなかった。飲ましてくれませんでした。だから夏の暑い時に水を飲まなかったらどうなります。皆水を恋しくなるから小川の水を飲んだんです。40キロ走り終わってから集合といって、1時間位話を聞かされる。20人いたら半分は倒れますね。それでも平気でしゃべっている。どういう神経の人かと思いますね。軍隊式というんでしょうか。そんな変わった中村清。始めて僕が館山で会いましてその時に丁度陸連のコーチをやっていましたので、宗兄弟を連れてニュージーランドへ合宿に行った話をされていました。宗兄弟が未だ若い22〜23才頃のことですね。宗兄弟がどんな練習をしているかということを聞かされました。40キロ走を一日2本やるというんですね。朝早くと夕方。一日に5000mのインターバルを8本やるという。僕は19の時それを聞いて、世の中にはすごい奴がいるもんだと思いました。僕は練習好きでなかったから、こらはすごい。僕も一生懸命練習しなけりゃいかんという気持ちになりました。それからもう中村清の言うことを聞いてやろうと思った。「君が中村清の弟子になったら、中村清が世界一の選手にさせるから、絶対マラソンの選手になりなさい。」殴ったところを見ていますから、怖くてNOと言えなかった。だから「はい」と返事をしてしまいました。聞くところによると誰にでも言っているんです。「飯島お前100mでは駄目だからマラソンをやれ」と言っている。(飯島秀雄(早大)
1964年西ベルリン陸上競技会で100mに10秒1を出す。29年ぶりに日本新記録更新)誰でもマラソンやれと言っているんですね。そういうふうに騙されてマラソン選手になろうと。次の日に親が呼ばれて「お父さん今日から私があずかりますから、息子さんどうしますか」と言うから、父親は私の承諾もなしに「煮ても焼いても先生に任せますから、息子を勝手にやって下さい」それから女と付き合っちゃいかんとか、365日中村清の家で一緒に飯を食えとか。僕の青春は一体どうなるのか、青春は終わったと思いました。
 僕は大学に入ってから結婚するまで自慢じゃないけど、女性の手を握ったことがなかった。握ったことがあるのはバーのおばあちゃんだけ。本当に淋しいよ。でもやっぱりそれ位しないと人間ってなかなか強くなれないんじゃないでしょうか。今の子はいろんなことに知識あるけど、「何か一つ」ということがない。そういうことを中村清は僕に教えようとしたんだと思います。ですから一日24時間のうち練習やっているのは朝1時間と夕方多くて3時間しかありません。学校へ行くんだったら歩いていけ、千駄ヶ谷から早稲田の正門まで、5キロ位あります。僕は安全靴を買ってよく歩いて行きました。安全靴はいて、ガクラン着て、石を持って歩いて行く。これじゃもてるわけがない。あれは異常な世界です。新興宗教みたいなものです。僕の性格は本当はそうではなかった。だけど神様の最後のプレゼントだと中村清に言われておりましたので、中村清の期待に応えなければいかんと修業僧のように頑張っていました。じゃどうしてそこまでやらなければならないのか。やっぱりマラソンというのは黒い人もいるし、茶色い人もいる。白い人もいるが皆がやる。特に黒い人は強い。そういう人に勝とうと思ったらまともな生活やっていたのでは勝てないと思います。奴やは小学校から朝5kmから10km歩いて学校へ行くんです。走ることは生活の一部なのです。だから自転車に乗ったり、車に乗ったりしていて奴らに勝ってこない。その上ハングリー精神がある。
 SBに昔ダグラスワキウリという人がいました。ソウルオリンピックで2番になった人です。彼は視力が5.0というんです。日本人には考えられません。人種が違う。持って生まれたものが違うんです。そいつらとやろうと思ったら、まともにやっていたんでは勝てない。
 それから昔イカンガーというのがいたでしょう。いつも僕の前を走って、最後勝たしていただきましたけど。そのイカンガーは体臭がすごい。いつも先頭を走っているから体臭が来て目が痛くなる。本当に。奴の後走っていると空気が薄くなる。だから僕はいつも風上を陣取って走った。あのイカンガーなんていうのは、小さい時から豹を食ったり駝鳥を食ったり、多分早いものばっかり食っていたんでしょう。(笑い)日本人は稗や粟食ってきたでしょう。勝てない。
 そういうことを思うとやっぱり持って生まれたものがありますから、どこで勝つかというと日本人は奴らが出来ないことをやるしかないと思います。中村清が言っていました。毎日の練習もあの刀鍛冶が日本刀を作るように、生命をかけて一回一回をがしっと精神を集中してやれと言っていました。正にその通りだと思います。気が散ってて、あれもしたいこれもしたい、遊びたい、女の子と手もつなぎたい。これでは勝てないということを中村清に教えてもらいました、

○練習で泣いて試合で笑う(今朝生まれたみどり児のごとく新鮮な気持ちで練習する)
 あと練習で泣いて試合で笑いなさい。練習で笑って試合で泣いている選手が殆どなのです。若い時流さなかった汗は老いて涙となって流れるから、若い時に一生懸命汗を出せ。と言うことを教えてもらいました。あと連続は力なり、しかし惰性の連続は退歩だ。誰でも同じことは出来るのですが、毎日フレッシュな気持ちで練習ができるかというとなかなかできません。今日生まれた如く毎日新鮮な気持ちで練習するということが大事であると教えられました。
 先生は色紙に「天才は有限,努力は無限」という言葉をよく書いていました。近所の連中に素質は負けても努力をすればお前は絶対勝てるんだから、諦めてはいけないとも言っていました。
 僕は本当に足が短い、足の長い選手に勝とうと思ったら大変なんです。倍も動かさねばならないんですから。倍努力しなければならない。

○歩くこと走ることの効用
 走っている方はいらっしゃいますか?或いはこれから走ろうと思っておれられる方は?走るということはすごく体に良いんです。先ずスリムになる。体が細くなる。足腰が丈夫になる。駅の階段なんか上がっていっても全然息が切れません。ゴルフやっている方は、必ずゴルフの成績が上がります。僕もゴルフをやっていますが、90〜100位でしか回れませんが、3ラウンドやっても90〜100で回れます。それ位スタミナがついて集中力が増します。テニスやっている方は、足腰が強くなりますdから、どんなボールでも拾えるようになると思います。ですが急に走り始めてもなかなか旨く行きませんので、先ず走る前は、歩くことからはじめて下さい。僕の近くの人でも歩くことを始めて、3kg〜4kg痩せたという人がいます。歩くことも早く歩くということから始めて、慣れてきたらジョギングをしていただく。なるべく長く続ける事が大事ですから、無理のないスケジュール、週に一回とか二回とかのスケジュールで走っていただければなと思います。

7.マラソン選手としても僕の人生
 自分はオリンピックで勝てませんでした。モスクワオリンピックは皆さんご存知のようにボイコットで駄目で、ロスアンゼルスオリンピックも体調不十分で駄目で、ソウルオリンピックも年齢の関係で力が落ちていて駄目で、全くオリンピックには縁がありませんでした。逆に有森さんのようにオリンピックで2度もメダルをとった、ということもあります。日本人というのはオリンピックが大好きで、大騒ぎするんですが、普通の大会はあまり騒ぎません。有森さんなんかオリンピック以外勝ってないでしょ。二番三番でしたね。普通の大会で二番三番だったら全く問題にされません。二番三番で評価されることはオリンピック以外ありません。自分もオリンピックでもっと頑張ればよかったなと思います。他の大会で勝たないで、オリンピックにメダルをとっておけば今頃億万長者になって、有森みたいにスポンサーで4000万円も稼いで、リクルートからお金もらって年収1億円もあったらいいですね。あんな立派な旦那さんもらって。ロスアンゼルスオリンピックの時本当に皆さんの期待に応えようと思ってやっていました。何処へ行っても瀬古勝てるぞと言われまして、頑張れ頑張れといわれて、神宮外苑で練習していても皆が声援を送ってくれました。神宮外苑て結構人が多いじゃないですか。社員が順番で15人位来てくれて交通整理をしてくれる。四谷署まで来てくれて交通整理をしてもらって、その中で、真似して走っている。止めてくれと言いたかった。本当は。だけどみんな好意でやってくれているし、いえなかった。マラソンというのはテレビに2時間も映りますから結構顔を覚えられます。電車に乗っていても「ああ瀬古がいる」と聞こえてくるんです。たまに「三遊亭楽太郎じゃない」似てますかね?誰も高倉健だとは一人も言ってくれない。ある時山下君に聞いたんです。お前もそういうことがあったか、いや僕も体がでかいし、目立つから何処へも行けないんだ。僕も実は変装したことがあるんだ。帽子かぶってサングラスをかけて外へ出たら、「山下君」と呼ばれた。(笑い)余計目立ったんでしょうね。(山下康裕(東海大教)全日本柔道選手権で九連覇を遂げ、連勝記録を203に、1985年現役引退)オリンピックの2週間前にプレッシャーから血尿が出て、止まらなくなった。ドクターストップがかかって走っちゃいけないと言うんで1週間走ってなかった。具志堅(幸司)などがウルトラCだとかDだとか決めて「やったあ」といっているのに、こっちは最悪の状態で、家に電話して「親父、俺走れないよ、助けてくれ」と情けないけど泣いてしまいました。親は飛んできました。「利彦どうだ、しっかりせえ。調子が悪くてもいいじゃないか。悪いなりに走ってくれば、親は何も言わない。一生懸命走ってくれば国民は解ってくれるから。一生懸命走りなさい。」と言うことで励ましてくれました。親って結構泣けてきますね。僕のお袋なんか「利彦や、お母さんはお前がだんだん離れていくような気がする。強くなってくると、競技場でも声掛けられないし、強くなるのは嬉しいけれど淋しい。」と言われました。辛かったです。1年10ヶ月怪我したこともありました。走れない時悶々として、足が治らないと家に電話して親父もお袋も皆心配している。近くの神社に僕の足が治るまで石を積み重ねて、こんな山になったという話も聞きました。親というのは本当にありがたいです。僕は親にもいろんな苦労も掛けましたけど、いい思いもさせたかなという気持ちでいます。
 ロスオリンピックも駄目、ソウルオリンピックも駄目。自分はオリンピックに縁はありませんでした。しかしこれから自分が教える選手渡辺以下生きのよい選手がいっぱいおります。そういう選手のためぜひ教えて次のシドニーオリンピックに少なくともメダルを取らしたいなと思っています。皆さんもあまり頑張れ頑張れ言わないで、ガンバレ位で応援していただいて、今女性のマラソン選手が結構いるんで男もこれからしっかり頑張ってやっていきたい。渡辺曰く「今年の福岡マラソンへ出たい。僕は2時間7分半で走る。」と言っていますので有言実行の渡辺君ですから、ぜひやってくれるんじゃないかと思っています。これから僕も指導者として、中村清のように変人になれませんけど一生懸命頑張って少しは近づけるような指導者になって、メダルを取らすような選手ができればナと思うわけであります。

                <質疑応答>

 質問1
  高校時代は部活で朝練はありましたか。
 答え
  僕らの時代は朝練というのはなかった。だから一回もしたことありません。その頃はトップ
が14分30秒(5,000m)でした。14分台が15人位しかいなかった。だから朝練習をやるというのはなかった。僕が始めたのは大学からです。太って帰ってきたからです。

 質問2
  ロスオリンピックの時にハンディをしょっていくわけですよね。その時の瀬古さんの気持ち
をちょっと聞かせてください。
 答え
  もう半分ケツまくっていましたから、もう駄目だったですから、全く一週間走っていません
から、良い結果出るわけないすよね。僕は30キロでは駄目だと最初から思っていましたので35キロまでは行きましたから、まあ良かったかなと。

 質問3
  瀬古さん現役の時代はマラソンで最初から最後まで表情を殆ど変えなかったのが印象に残っ
ていますが、苦しい顔はしたことないんですか。
 答え
  いろいろタイプがあるんですね、宗さんみたいに最初から苦しい顔してても行っちゃう人も
いるし。僕みたいなのがこうなったらもう駄目ですね。たまたまそういう性格でしているんで。僕なんか苦しくなったらその時はアウトですね。どっちが良い悪いではないんで最後まで行って勝てばよいんで、苦しかろうが、顔が変わろうが勝てばよい話ですから。いろんなタイプがあるんでたまたま僕がそうであっただけの話です。

 質問4
  瀬古さんは今オリンピックに縁がなかったとおっしゃいましたけど、私は瀬古さんのファンだったものですから、マラソンでいえば今でも瀬古さんと思っていおります。今日は瀬古さんがいらっしゃるというものですから、とにかく主人にくっついてまいりまして、お目にかかってお話を伺いますと、実に爽やかで信念を持って素晴らしい生き方をしていらっしゃる。その瀬古さんの立派さに私感動いたしました。(拍手)オリンピックについては、私思いますには、ロシアの国際問題で、あの時はちょうど瀬古さんが一番油の乗っていらっしゃる、金メダルにも当然期待できた時期ではなかったかと思います。先ほどお話もございましたが、人間には運とか縁とかございまして、こうやればこうなるというように物事は出来るものではないと思いまして。今でもマラソンというと瀬古さんと思っておりますし、皆さんそう信じてらっしゃると思います。どうぞお元気で後進の指導にお当り下さいますようにお願い申します。
 答え
  あまり誉められますとづに乗りますので余り誉めないで下さい。調子に乗りますから。

 質問5
  瀬古さんと中村清監督との関係は、昔のいわゆる師弟の間柄ということである程度通じることがあるんですけど、今の若い人の間では、根性だとかそういう言葉には遠い存在で難しいところがあるんですけど、若い人達に自分の気持ちを伝えるには何か心がけてることがありますか。
 答え
  今の若い衆はいろんなものをやっておりますので、気が散ってなかなか集中できません。気が散るなといっても本人が自覚しない限り無理でしょう。その選手に対して自分が如何に時間を作ってあげるかだと思います。口うるさいことを言ったってなかなか解ってくれません。だからお前のことをおれは一番思っているんだよということを思わすのは、その選手に僕の持ってくる時間を少しでも、5分でも10分でもあげるということを心掛けています。今日もこれから選手を家に呼んで飯食ったり、コミュニケーションをすることになっています。僕はゴルフ大好きなんですけど、ゴルフへ行くんなら選手と一緒に過ごした方が少しは良いんじゃないかと思っているくらいです。ゴルフといえばいつも練習中にクラブを振る動作をしてしまう。選手はそれを見ているんです。「監督何やっているんですか。」そんなゴルフの真似をするんだったら僕らを見てくれといわれます。だからゴルフも行きたいんですけど、なかなか行きづらくって、それより一番の夢に生きることだと思います。自分が見本を示さないとなかなか付いてきません。監督がゴルフばっかりやっていて、お前達遊ぶなと言ったって無理な話です。監督が女性と遊んでいれば選手だって女の子と遊びます。だから中村清が偉かったのは、若い時は銀座で遊びまくっていたけれど、僕らが教えてもらう時はもう365日家に居るんですから、参りました。たまには行ってくれという感じでした。いつもいるから困っちゃうんです。そういう所が、うるさいことを言われても中村清は選手のことを親身に思ってくれてるんだなあということを僕等は解るんです。そこが一番大事かな。