「高齢者」意識への道程
 菱山 健一郎 32年理工卒 会員
  老後の暮らしに思いを馳せたのは幾つになってからだろう。
 そもそも自分の気持ちの中に「高齢者」という意識が芽生え始めたのはいつ頃だったろう。
 もちろん小中学生になった頃ではない。爺ちゃん婆ちゃんは機嫌が良ければお小遣をくれたし、お手伝いをすればお駄賃をもらえた存在だった。高校・大学生になって、年寄りから順にあの世に旅立つ。幸せな一生とはそうしたもので、時には戦争などで順が狂うことがあると深い悲しみに襲われると認識していたが、自分の意思で、衆人環視の中で席を譲ったり、手を貸したり出来たのはこの頃だったろうか。しかし、自分も歳をとったら助けて欲しいとは思っても見なかった。
 学校を卒業して就職したのが20代。就職先として保険会社もONE OFとして考えたが、あくまでも就職し生活の糧を得ることが主眼で、おのれの老後に役立つ保険にまで考えは及ばない。
 30代になって、職場にも55歳の定年退職者が現れ、老後の生活、老後の楽しみの話題を耳にするようになった。定年間近かの先輩を囲んで話の花が咲いても、それどころではない。目先の仕事に追われてそんな悠長の時を過ごしている暇はないという気分だった。
 時あたかも所得倍増時代から高度経済成長の時代へと向かい、社会保障制度の充実期を経て、働き蜂の団塊の世代も老後生活を頭に描きながら仕事をするようになった。
 40代になって、本当に老後も楽しめる生活とはどういうものかが話題となり、余暇の代表の「3ゴ」を中心に、各種の運動クラブが誕生し、やがて社会学級として育っていった。
 50代ともなると、国際化の時代となり、海外旅行者が増え、未知の世界の見聞・体験に驚き喜びを伝える人たちが増えた。つれて高齢者も海外に出かけ、先進諸国の高齢者のホビー、バカンスの過ごし方生き方を見聞きするにつれて、社会に溶け込んだ喜び・生きがいを教えられた。
 今60台を過ぎて、如何にすれば社会に溶け込んだ喜び・生き甲斐の境地に達するのかを考えさせられている。
 改めて、身の回りを見てみたら、幼少から始めた「切手集め」が「切手収集」を経て「郵趣」として発展して続いている趣味のみとなっている。子供っぽい趣味は止めて、大人の老後を楽しめる趣味に切り替えようかと思ったこともあったが、唯一継続して続いている切手趣味を捨てることは、何をやっても途中で何かを理由につけて投げ出してしまいそうな人間となってしまいそうな気がしたし、他のことを始めても趣味としても知識・技能・人間関係をエンジョイするところまで到達することは覚束ない。切手収集を郵趣として極めてみることの方が楽しみも多いようだと気が付いて継続してきているものだ。
 今日、時代の変化は郵趣の世界にも及んでいて、インターネットは全世界から郵趣情報を取り出せ、家庭のPCは郵趣のツールとして格好な楽しみを提供してくれている。
 折しも身近の東久留米郵便局では、郵趣とは関係なく、パソコン教室をスタートさせ、インターネットを利用したメール交換を教えてくれている。我々の間でもパソコンネットで交流する同好の士が増えることを願っている。