早稲田の広報戦略をめぐって
國米 家己三 31年政経卒 顧問


 最近、早稲田大学関連の記事が、各種のメディアに盛んに登場するようになった。
数年前に比べると、比較にならないほど高い頻度で情報が流れている。それも、以前は「早稲田ブランドの凋落」「志願者が激減」などといった、負の、マイナス・イメージの情報ばかりだったが、近頃は様変わり。明るく、展望の持てる記事がふえている。今年7月前半だけでも、「早大と岐阜県、知能ロボットで共生に挑む」「早大大学院にナノテク専攻」「早大が本庄にリサーチ・パーク」「早大交響楽団、赤坂で公演」「コーセー・早大、ナノ粒子配合で化粧品原料開発」・・・etc.といったぐあいだ。
 いったい、いつごろから早稲田についてメディアの流れが変わったのか。負の情報が、正に、プラスに転じるようになった分水嶺は、どこにあるのか。それはやはり、奥島総長の壮大な"グローカル・ユニバーシティ”という改革ビジョンが軌道に乗り出したころからだが、同時に大学本部が強い意思を持って広報戦略を実際に展開するようになったことも見逃すべきではないと、私は思っている。
 もともとジャーナリズムの世界には、無数といってもいい早稲田OBが活躍している。母校、早稲田は取材しやすいし、記事も書きやすい。ときには「早稲田のことだ、少々ペンが走り過ぎても許されるだろう」といった甘えが働くこともあったのではないか。大学のサイドにしても、「卒業生がそうそう出身校を誹謗することもなかろう」などと、たかをくくっていた姿勢がなっかたともいえない。負の記事が大きな流れを作ると、横並びで各メディアが、早稲田をあしざまに書いて平気な時代ができてしまったようである。大学の広報戦略で注目されるのは、総長自身が、一種、"広告塔”の役割を担い、メディアで精力的に発言したことだ。しかも今年はラグビーの清宮克幸監督、6大学野球の和田毅投手が人気をさらった。広報で人の顔がでることの効果は、想像以上に大きい。ジャーナリズムの世界では、"ヒューマン・インタレスト”といって、より人間くさい報道の手法をとるものだが、お陰で今年、早稲田は大学の好感度は日本一になるはずだ。
 ひるがえって、わが東久留米稲門会。親睦団体であるから、対外広報というものを考える必要はないともいえるが、ただ会規に「本会は(中略)早稲田大学および東久留米市の発展に寄与することを目的とする」の文言がある。内向きだけですますわけにもいかない。それゆえに、すでに地元市民にも開放した「東久留米雑学塾」が動き出している。広報は必要だろう。具体的には、どうするか。いわゆる"ヒューマン・インタレスト”式に、できれば会長や役員が積極的に市民の文化団体と接触することがひとつ。そのほかに、もう1本、市民の広い層が参加できるイベントを恒常化することを検討してみてはどうだろう。たとえば、仮称だが「東久留米詩謡祭」。白秋や雨情、八十といった稲門出身の詩人、作詞家の作品を中心に、コーラスを歌い、聞き、かつ朗読するイベントを年1回開催する。これによって稲門会による地元貢献を実現し、当稲門会の存在を広報するのである。あくまで試案に過ぎないが・・・。