ウォーキング&山歩き(第63回)11月20日 天覧山、多峯主山、吾妻峡

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晩秋に、今年一番の冷え込みとなった為か、いつもに比べて寂しい9名(内女性1名)の参加となった。西武池袋線終点の飯能駅から出発、市の中心地、銀座通りを歩き天覧山に向かう。月曜日の朝ということを割り引いても、扉を閉ざした建物が多い地方都市の繁華街を歩いて行く内に、白い象で知られる古刹・観音寺を過ぎ、天覧山の麓の古刹・能仁寺に至る。能仁寺は予定では通り過ぎるだけでしたが、折からの紅葉が素晴らしく、急遽境内での紅葉狩りと洒落込みました。「このたびは幣(ぬさ)も取りあへず手向(たむけ)け山 紅葉の錦神のまにまに」(菅家、古今集)。道真が京都から奈良へ越えた峠の紅葉の美しさに心打たれた故事を百人一首から思いを馳せ、我々も一時、紅い風景に浸っておりました。
天覧山は、埼玉県飯能市の北西部にある丘陵である。もとは、愛宕山と呼ばれたが、明治16年山麓で行なわれた近衛兵春季小演習を明治天皇がこの山頂から統監したことにより、天覧山と呼ばれるようになり、行幸記念碑が建てられている。標高は195メートルで容易く登ることが出来る上、頂上からの眺望が良く、飯能市街が一望でき、奥武蔵や奥多摩の山々に加え、富士山も見えると言われている。(この日は残念ながら見えなかった)南面や頂上では、近年NHKの「ブラタモリ」でお馴染みの、秩父中・古生層(約4億~1億数千万年前)の地層・チャートの露出が見られ、遠い昔はこの地が海底であったという大地の大変動を身近に感じた。徳川五代将軍綱吉の生母・桂昌院が寄進という羅漢(悟りをひらいた高僧)像に見守られているような雰囲気の中、頂上に至った。
多峰主山(とうのすやま)は天覧山の西側に位置し、標高271m、天覧山とセットで歩くハイキングコースとして人気が高い。標高の割には眺望がよく、天覧山に続く丘陵や飯能市街、周囲の龍崖山(246m)や日和田山(305m)の眺望が楽しめるが、更に西武ドーム球場、さいたま新都心や東京スカイツリーなど都心部、遠くは筑波山、関東平野を一望できるという宣伝文句は、霞んだ風景に想像するだけであった。天覧山から一旦下って再び登る坂は「見返り坂」と呼ばれ、その昔源義経の母・常盤御前が、あまりの景色の良さに振り返りながら登った故事から名が付いているが、現在では成長した植林の中に埋没し、往事を偲ぶことは出来なかった。見返り坂の付近では、牧野富太郎博士により新種の笹が発見され、「ハンノウザサ(飯能笹)」と名付けられた埼玉県指定天然記念物の笹が、保護されながら道の両側で丈の低い藪をなしていた。
山頂には1万2千個もの経文を書いた石が埋められていると言われる経塚があり、かなりの広さにベンチも用意されており、三々五々に昼食とした。寒暖計は多少の日差しの中の真昼に8°Cを指していたが、歩くのを止めた為に風の冷たさが身に沁み、手軽な2つの山歩きは、早々に下山を余儀なくされた。
山頂近くの御嶽八幡神社を経てその参道を下り、吾妻峡へ進んだ。入間川にかかる岩根橋を境に上流が吾妻峡、下流が飯能河原。吾妻峡は奇岩が続き、渓谷美を見せており、石を点々と置いた橋「ドレミファ橋」は、手すりなどなく、注意して一歩一歩対岸へ渡った。ここで二手に別れた。
選択肢1:川に沿った遊歩道は一部しか整備されておらず、石や岩の足場の悪いところを歩くが、景色は最高。渓谷美に包まれて、赤岩、兎岩、汽車渕などを鑑賞しながら、普段味わえぬ一時を楽しんだ。
選択肢2:河原から上がって県道に出て直ぐ、聖徳太子を祀る「八耳堂」(はちじどう)と、鎌倉時代に建てられた「軍荼利神社」(ぐんだりじんじゃ)を訪れた。両者共、説明の表示も行き届かず、訪れる人も少ない、ほったらかしの、廃屋の感を禁じ得なかった。
両者共に、「中平河原」で合流し、飯能駅まで歩き、駅近くの中国人経営の中華料理店での打ち上げで、今回を締め括った。
ところで、明治の末に、我が早稲田大学の学生であった若山牧水は「幾山河越えさり行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」と詠んでいますが、「山のあなたの空遠く幸ひ住むと人のいう—–」(ブッセ・上田敏)といった若き日の憂いは遠い昔のこととして、この日のような気楽な山歩き(一般に初心者向けとされるコース)を楽しむことを、今後も続けていきたいと思っていますので、多くの会員とご家族のご参加をお待ち致します。                
部会長:東海俊孝記
能仁寺山門にて

能仁寺山門浦の紅葉

天覧山頂上

多峯主山山頂

ドレミファ橋2