第58回ウォーキング 越生梅林 H29.2.27

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 第58回ウォーキング(H29.2.27)活動報告
ウォーキングの1週間程前の天気予報は27日だけが雨とのことだった(前後1週間以上晴なのに)。実施出来るか気を揉んできて、2~3日前に雨の予報がなくなり安堵したが、当日には主催者でありながら集合時間を誤り、何とか1電車遅れて皆さんに追いつくことが出来たという失態を演じてしまい、反省至極の中でウォーキングが始まりました。
参加総数16名(男12、女4)と、季節柄予想を上回る参加を戴きました。
さて、「越生」は「おごせ」と読む難読地名であり、その由来は諸説あるものの、この地が関東平野の西端で秩父山地に接しているために秩父地方との往来は尾根を越していかねばならず、その「尾根越し(おねごし)」が「尾越し(おごし)」となり、それがやがて「おごせ」と変化したと言われている。町土の約7割が山地となっている町であり、人口は12千人弱。東久留米からは、西武新宿線、東武東上線、東武越生線を乗り継いで漸く越生に着く。越生梅林は更に越生駅から徒歩約4kmにあり、折からの暖かな日差しの中、途中の道路の両脇にも多くの梅の花が我等を迎えてくれており、それらの前座を楽しみながら、ゆっくりとウォーキングを進めた。
梅園は、南北朝時代に武蔵国小杉村に大宰府より天満宮を分祀する(梅園神社)際に梅を植えたのが起源という。一帯では2万本程の梅が栽培されているとのことで、越生梅林はその中にある「梅まつり」が行われる約2haの広さの土地をいう。越生野梅などの保存古木を始め、約1000本の梅が花の盛りにあった。大半は白梅である中に三々五々咲く紅梅の赤さには眼を引かれると共に何故か心温まるものがあった。今の世で花と言えば染井吉野に代表される華やかな桜をイメージするが、平安の昔に花と言えば梅を意味したと言う。小倉百人一首でも有名な「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」(紀貫之)と詠われた花が花垣として連なり、辺り一面、目の当たりに咲いていたことの感慨は深かった。西行の時代には桜が詠われるようになっていたが、満開の桜を愛でることに比べると、一方において、「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」(嵐雪)のような楽しみ方も、個々に花を観ると分かるような気がした。昼食時に、ここへの途上にある醸造所で購った「越生梅林」という純米吟醸を皆で回し飲みしたが、桜の花見の際の感じとはなんとなく違っていたのは、早春という季節の相違の所為だけであろうか。
帰路に立ち寄った観光案内所で買った梅干しは予想に違わず酸っぱさ格別であった。東久留米に帰り、恒例の打ち上げで喉を潤した。 
東海俊孝記

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