二千年のくりごと
 
榎本 隆司 早稲田大学名誉教授 顧問
 「日本語」がむずかしくなってきた。目下流行中の「ミレニアム」は、早く「ハルマゲドン」を克服して幸福な第三の千年紀(2001年から)を先取りしたいとの願いと見て、それなら一年前でもいいかと思う。なにしろこちらはあまり先のない身なのだから―。
 ところが、先どころではない。を、現在を生きるのが、なかなか大変になっているのである。インターネットとやらを加えての情報過多に煽られるのは、時代遅れの悲しさだと往生もするが、次々に生まれ氾濫する流行語の渦の中では、息ができないのだ。「ロングパレオのガングロがボディワイヤー巻いてさっそうと・・・・。カーゴパンツもいいじゃん」などというのを聞いて、「何?!」と目を剥くだけなのである。絶句しているところへこんどは「美白ブーム」だと言い、お化けじゃないのかと確かめる暇も与えず、「おバカブーム」の時代なんです。と教えられる。失業率は史上最高、生徒ならぬ教師の登校拒否続出、言葉とてない殺人事件、そしてまさに国辱的な廃棄物輸出犯罪等々―、でも関係ないよ、オレ達はいまを楽しんでるんだ、と元気な若者は相手にしてくれぬ。
 ことばは文化だ。日本人が喋っているのだからそれに違いないのだが、これが「日本語」か、ここから何が生れるのだろうと首をかしげる。いぶかる頭を、日本は「亡びるね」と言った広田先生(漱石『三四郎』)の予言がかすめる。浮薄な「近代」化への警告だったが、この予言は当たった。敗戦がそうだ。そして広田先生は、日本で自慢できるものは富士山より外にないとも言っていた。「所が其富士山は天然自然に昔からあったもの」で「我々が拵へたものじゃない」から仕方がないと、自律的な文化の創造を求めた。そのためには「囚はれちゃ駄目だ。」と先生は三四郎に教えたのが、さて、囚われぬ自由を謳歌している現代の若者たちは、そこから何を創り出すのだろうか。
 いずれにしても、新しい世代に期待するほかない。「ロングパレオ」がわからないからと言って目を剥くことはないのだ。やがては伝統文化を負った日本語の美しさに目を向けてもくれよう。そう信じて頼みにしたい。果報は寝て待てと言う。いまさらに、別して果報を望むこともないが、睡眠時間をつめて働いてきた人間にとって、寝られるのは幸せだ。他人様に迷惑をかけるわけではなし、「臥游」を決め込むことにしようと思う。絶えて得られなかった自分の時間である。まさに悠々自適、書画の世界で人間回復のときを満喫しよう。遊びを知らない世代のせめてもの贅沢だ。幸い、老後の安定を保証する福祉の恩恵、当然の権利だが、余生を夢見て感謝しはじめた。ところがである、庶民の預かりしらぬ不景気続きで世情激変、年金が危ない、介護制度は見直しだ、だから甘い夢は捨てて自分で生きるてだてを考えろ、とのお叱りである。そして、お為ごかしに老人パワーだとか高齢者何とやらのおだて・そそのかしが、もっともらしく強調される。
 元気な若者は相手にしてくれず、年よりは年寄り同士で頑張れと言う。これではまるで働き蜂転じて厄介者である。いや、健康なら厄介者またよし、耐えることには自信がある。弱い孤独な老人はどうするのだ。みんな、いっぺん亡んだ日本をここまで建て直すに力した人たちなのだ。若者たちよ、「関係ない」と見捨てずに、ともに生きている者として暖かい席を譲ってやって欲しいーと哀願したくさえなるのだが、これがまた嫌われる。「たればんだ」のペーソスや「だんご三兄弟」のタンゴのリズムは年寄りにもわかる。爆発的な人気を呼んだ原因は、幼な児に始まり、まさに老いも若きもが共感し、同じいまを生きる楽しさを共有できたからだ。しかもここでは、とりたてて老人パワーも求められないし、高齢者への出動要請もない。それがいい。そんな時を、より多く世の大先輩方に享受してもらいたいと思うのである。
 むろん年配者たちも、無為にして、また、ただ受身でばかりいるはずはない。キャリア十分のかれらは、来し方を自省しつつ世の行く末を案じているのだ。「デコテル」(装飾携帯電話)持って「プチ家出」してしまう(家がつまらないからちょっとしたことで外泊する)話など聞くと、よくわからないなりに、これでいいのか、と御節介心を動かす。年寄りの冷や水だと言われても、では親の責任はどうなるんだと、子供たちの将来を思って暗然ともなるのである。
 平和なのだからと言う。結構だ。万事このままでうまく行くのなら言うことはない。『生活都市東京の展開 改訂重点計画―新世紀へのかけ橋―』(平成10年11月)において都は、社会経済情勢の激しい変化に鑑み、「成長社会」から「成熟社会」への転換を見通していたが、成熟は退廃を孕む。人々の心がどれだけ成長したのかと思うと不安は消しがたい。そこで縁なき衆生の勝手な神頼みではあるが、キリストの再臨を得て至福千年を期待するミレナニアリズムに、あらためて思いを馳せもするのである。
 (蛇足ながら「ロングパレオ」はからだに巻きつける腰巻風ファッション。「ボディワイヤー」は入れ墨に似せて手首などに巻くナイロン製アクセサリー。「カーゴパンツ」は大きな蓋つきポケットのあるパンツ。
「おバカゲーム」はナンセンスを楽しむゲーム―とか、いずれも『イミダス2000』<集英社>に借りての補注だが、これら若い世代の流行風俗は、ついに風俗の問題としてだけに終わるものなのだろうか)