言葉は力なり
                          野田 一博        30年法

  「継続は力なり」という言葉をよく耳にするが、私も全くその通りだと思う。と同時に、私は自らの体験から、「言葉は力なり」ということを信じている。 私は若い頃から、座右の銘や名言などに殊のほか関心をもってきた。そのため名言集、格言集、名語録、金言集、処世訓、座右の銘といった本に出会った時には極力購入してきた。数年前に必要に迫られて、そのジャンルの蔵書をリストアップしたところ約90冊あった。加齢とともに、この種の本の購入は少なくなったが、私の強い購書意欲を支えているのは津田左右吉氏の次の言葉である。即ち、「本というものは、僅か数行でも役立てば、それだけで充分値打ちのあるものだ」。同時にこの言葉のお陰で、私には“積ん読”ことが全く気にならない。

  私が名言に最初に出会ったのは、小学校6年の時である。担任のT先生が、旧制中学を受験するわれわれ児童に向かって話してくれた「人事を尽して天命を待つ」という言葉が私の脳裏に深く刻み込まれた。そして、この言葉が私の一生の座右の銘となった。 中学・高校は旧制中学から新制高校への移動期で、通算6年間を同じ県立高で学んだ。その間に最も強い影響を受けた恩師のS先生(国語・西洋史担当)から、高校卒業時にいただいた言葉(寄せ書き帳に書いていただいた文章)が、その後の私を支える大きな力となった。その前半は、先生から見た私の人間像についての記述であり、後半は西欧の文豪の名言のいくつかであった。まず前者は、「色の表情の青(沈静・深遠・神秘・理知)・・・ぴったりしていないところがある。君には青に赤が含まれているのかも知れない。表面には出ないが、烈々たる熱情がある・・・」。先生の鋭い観察眼と巧みな表現力に感心するとともに、この寸評が自分自身を見直すきっかけとなった。後者については、最も心に残る次の二つの名言を紹介させていただく。即ち、「各自の魂からしみじみと湧き出たものでなければ、凡てのことは徒労である(ゲーテ)」、「幸福とは、己の分を知って之を愛することである(ロラン)」。特にロランの言葉は、才能が意欲に追いつかずに、悩むことの多かった自分自身を納得させる言葉として、折りに触れて何度も口ずさんだ。

 社会人となって間もない頃に出会った本の中で、特に印象に残っているものとしては、「ビジネスマン名言集―仕事の不安・失望・挫折感に答える」(畠山芳雄著)と「私をささえた一言―勇気と決断力の座右の銘」(扇谷正造編)がある。前者はビジネスマン向けの名言集のはしりと言ってもよいものであるが、30歳前後の迷い多き時期には、この本を繰り返し読んで自らを励ました想い出がある。
 また私の愛読書の一つに、江戸末期の儒学者・佐藤一斎の「言志四録」(言志録・言志後録・言志晩録・言志耋録の四書の総称)がある。この本は佐藤一斎の語録であり、「人間学」の好指導書といってもよいものである。「言志四録」といえば、平成13年に小泉首相が当時の外務大臣の田中真紀子氏に、「重職心得箇条」(言志後録の付録)をプレゼントしたことにより一躍有名になった。私は30代の中頃、社員教育を担当する部署に配属されたことがあり、その仕事を通して「言志四録」に出会った。「言うは易く行うは難し」というが、この本の教えをもっと忠実に実行していたら、もう少し悔いの少ない人生を送ることができたかも知れないと思うと残念である。そんな中で、今実行しつつあることが一つだけある。それは佐藤一斎の「我れ恩を人に施しては、忘るべし。我れ恵みを人に受けては、忘るべからず」(言志耋録第169条)という教えである。具体的には母校への報恩の意味で、創立125周年記念事業募金に、東久留米稲門会の枠外で応募させていただいている点である。  
 私は昭和20年代後半に大学に在学したが、当時は終戦後間もなくであり、地方のサラリーマン家庭の子女が、東京に遊学するのは経済的に容易なことではなかった。そんな訳で、最初の1年間は静岡県三島市の自宅から往復約8時間をかけて通学した。そのような時に大隈奨学金という授業料免除の制度があることを知り、早速それに応募した。運よく第2学年から第4学年までの3年間の授業料の免除を受けることができた。返済義務がなかったので、そのまま数十年が過ぎてしまった。平成3年に母が亡くなった際に、遺品を整理したところ、仏壇の引出しの中から奨学生採用通知書が出て来た。多分、母が感謝の気持ちを込めて、大切に保管していたものとみられる。それを見て学生時代のことを懐かしく思い出し、大隈奨学金のお陰で少しでも親孝行ができたことに改めて感謝した。と同時に苦しい時に助けていただいた大学に対し、なにがしかのご恩返しをしようと思い立った。その中身については色々と思案した結果、最近の授業料の3年分を目途として寄付をしようと決めた。そして、当初は大隈記念奨学基金への寄付を考えていたが、そうこうしているうちに創立125周年記念事業募金が始まった ため、その募金に分割して応募することにした。  
 なお、以上のような事柄をこのような場で語るのは、 或いは憚るべきことかも知れない。しかし、相対的に みて、分不相応とも思える行為への説明の意味も込め て、敢て触れさせていただくこととした。就いては、 事情をご理解の上、何卒ご諒承をいただきたい。