生涯学習事業と「雑学塾」
                     國米 家己三 31年政経卒 当会顧問


 北陸の金沢に「石川県民大学校」というのがある。社会人向けのカルチャー講座をいくつも開いているのだが、それにしても「大学校」とは大仰(おおぎょう)なネーミングだ。國の直轄の防衛大学校とか税務大学校のように裃(かみしも)をつけて片意地張った感じ。なにか理由があるのだろうと思ったら、やはりあった。その大学校は平成2年の設立。それまで県内の市町村によるセミナーや高校、大学の公開講座にテレビ局を参画させて、一挙に県あげての生涯学習事業の体系化に成功したのだ。それまであまり前例のない県単位のセミナー・システム実現をめざす。その当初の“野心”を「大学校」という名称に込めた、ということらしい。
 

 北陸は全国でも生涯学習の先進地域といわれているが、こちら東京・多摩地区は人口380万、巨大規模のベッドタウンを形成し、居住者の学歴水準も高い。いきおい生涯学習ニーズも多彩で多層。だからこの地域に「府中市立生涯学習センター」のような超豪華施設が出現したりする。地上4階、地下1階、総床面積1万7千平方メートル。語学のLL教室、陶芸用工房、版画室、ビデオ編集室から、せり上がり舞台を備えてディスコ、エアロビクス、演劇、展示会など多目的に対応できるホールのほか、成人用と子供用の温水プール、保育室まであり、さらにシャンデリアが輝き枯山水の庭園が楽しめる一流ホテル並みの宿泊施設も併設。総工費204億円。全国屈指の富裕自治体が、バブル期に企画し平成5年に完成させたものだ。


 一方、ハコよりも内容、といわんばかりに頑張っているのが、この地域発祥の「雑学」系講座。「雑学塾」「雑学大学」「雑学サロン」「雑学を学ぶ会」・・・・。いずれも行政とは距離をおく純民間グループが主催している。ただ、りっぱな文化講座に、よりにもよって、わざわざ「雑学」を冠するゆえんのものは奈辺にあるのか。だれしもこのネーミングに抱く疑問だ。
 実は、「雑学」系講座の草分けは、昭和54年武蔵野市にスタートした「吉祥寺村立雑学大学」である。講師はわれと思わんものなら誰がやってもいい。寿司屋のおやじでも、町工場の職人でも結構。ほんものの話、建前ではなく本音をぶっつけるセミナー。その心意気が「村立」に、また「雑学」に投影された、と私はみている。すでにこのころ、既成の権威がいかに空洞化しているか、いわゆる“進歩的な文化人”たちがいかにインチキ部分をもっているか、それがよくみえていた人々がいたわけである。そうした人たちが「雑学大学」を立ち上げたのだ。それはちょうど野に下った大隈重信が、草深い早稲田の里にやってきて、まがいものではない真の人材を育てようと学校を開いたときの魂に一脈通ずるものがあるかも知れない。そう思って見回すと、「東久留米雑学塾」や「東村山雑学講座」は「稲門会立」である。また精力的に毎週開講し雑学大学の大学院をめざすという「東京雑学大学」の主催者も、特異の講師起用をする「こだいら雑学文化塾」の創設者も、ともに早稲田OBだ。
 「雑学」系には、まだ別の特色がある。講師への謝礼ゼロ、会場費ゼロ、受講料セロ。「吉祥寺村立」以来の“3タダ主義”をみな踏襲している。ひところ「雑学」系の講座がブーム化し他県へも“飛び火”して“3タダ”が広がった。多摩の地元の自治体までも「雑学講座」という名のセミナーを開講したが、こちらは市民から「雑学とはけしからん」と怒鳴られ、首をすくめて、すぐその看板を降ろしたそうだ。