わたしの日本人論   

 第二話(要約)       
“草食文化”という視点
 講師 国米 家己三氏
     
元産経新聞記者
      当会顧問
     31年政経

      

     
平成14年12月2日
     
東久留米市中央公民館

 


 
 講師は前回に続いて当会顧問で現在フリ−ジャ−ナリストとして活躍中の國米家己三氏。冷たい雨にもかかわらず出席した三十数名は草食文化という独自の視点から日本人論を解く講師の話に熱心に耳を傾けた。


 「日本人は草ばかり食べている」
 1549年布教のため来日した聖フランシスコ・ザビエルは、ヨ−ロッパの教会本部にこう書き送っている。ザビエルだけではない。16世紀にやってきた多くの宣教師たちは、同じような内容の書簡を彼らの教会に寄せている。「日本人の食物は他国民とまったく異なり・・・・」と書いた神父もいた。最初の「日本異質論」である。肉食のヨ−ロッパからきた彼らが、植物系の食材(草食)だけで満足している日本人に驚く一方、彼ら自身、肉に飢えて苦しんだ。最初の「文明の衝突」といえるだろう。幕末、黒船を率いて浦賀沖にやってきたペリ−提督も、幕府の饗応には至極不満だった。厚い肉の塊りにありつけなかったからである。文明開化とともに、ようやくわが国の肉食禁止は解禁となった。7世紀に勅令をもって禁止となってから、実に1200年ぶりの解禁である。しかし、草食の伝統はいまに生きている。現在、日本人はやたらに肉食をするようになったといわれながら、国民1人当たり牛肉の消費量は欧米諸国に比べると、はるかに少ない。この国の草食の歴史は、縄文時代まで遡ることができる。縄文時代から、この列島は草食列島だったのである。世界でも最も遅くまで、したがって世界では最も長い、実に1万年余りも続いた新石器時代の縄文期。その時代の草食文化が、のちの日本の文化の基層になったとみて差し支えないないだろう。縄文が終わり、弥生時代が始まって渡来人が牧畜技術をもってきても、この国には組織的な牧畜文化は根付かなかった。そのまま6世紀、仏教伝来の殺生を忌む文化へと繋がっていったのだ。このようにみると、縄文から現代まで1万3000年の日本歴史を棒のように貫くもの、それは草食文化だったということができる。草食文化のこの国の人々は、草木に鋭い感度をもっている。縄文人は木の実や山菜野草で生き、その後も米、麦その他の植物系食材中心で過ごしてきたから当然である。自然の移り変わり、気象の変化にも鋭敏だった。同時に自然を畏敬し、自然の恵みに感謝し、森羅万象に神宿るとした。だから、自然を管理するのをよしとするキリスト教文化を敬遠した。ここでは自然は自然のままにという“生(き)なり文化”が発達したのである。できるだけ大人が干渉しない教育、自然に溶け込む住居、木肌のでた建具、去勢しない家畜、刺し身・・・etc
 夏、湿度の高い風土は清潔志向の強い文化を育んだ。穢れを忌む、わが國独特の宗教、神道もこの文化が創り出した。清潔志向は、山紫水明の自然のなかで次第に特異な美意識となって人々の心の奥に宿った。さらに、草食文化の草創期から切っても切れない土器、土偶づくりが営々と繰り返され、職人気質の芽が育ち、それが進化していった。美意識と職人性の融合は、現在日本人の個性を一層際立たせるものになっている。その他、チ−ムワ−クのよさ、非攻撃性、リスク管理の甘さなど、日本人の特性は際限がないほど列挙することができる。多くは草食文化という視点、視座から解明が可能だと思う。
ユ−ラシアが肉食大陸であるのに対して、それと異質な草食文化を伝統としてこの国は生きてきた。現代の政治、経済、社会の諸問題に底流するものも、また草食文化である。その視点が、混迷する現代を解き明かす的確な処方箋を与えてくれる、と思われる。