わたしの日本人論   


 第一話
 
「イチロー選手と
     グローバリズム


    
講師 国米 家己三氏
      
  元産経新聞記者
       当会顧問
     31年政経

      

          
平成14年10月6日
         
東久留米市中央公民館


 ライフワ−クである日本人論を米大リ−グで大活躍しているイチロ−選手という逸材を題材に「日本人とは」を簡明に講演、一般市民を含めた50名余の参加者は熱心に聴き入った。

 

 ○ 
はじめに
 どうも皆さん、こんにちわ。大変僭越ですけれども、今回と次の12月との2回、シリ−ズで日本人についてのお話をさせていただくことになりました。私のことですから、話がハチャメチャに、また支離滅裂になる可能性が大きいのですが、ひとつご辛抱いただきまして2回のお付き合いのほどをお願いしたいと思います。

 私は、比較的若いころから日本人というものに興味がありました。お渡ししました資料の「私の略歴」に少々書きましたが、外地に生まれ外地で少年時代を過ごし、日本にものすごく憧れをもって育ちました。皆さんのなかにも朝鮮のほか、旧満州、中国、台湾などで生まれた方もいらっしゃるのではないかと思いますが、こちらで生まれて、途中から外地で暮らす場合と、向こうで生まれて、日本を全然知らずに育つ場合とでは、かなり違いがありますね。向こう生まれは、無条件で日本を、祖国を憧れます。中国の残留孤児がその典型でしょう。憧れて、憧れて、現実の日本に帰ってきますと、どうしても憧れと現実との間にギャップといいますか、乖離があります。あるのは当り前です。そのギャップと乖離について考えるようになる。子どものころから、なんとなくそういうことが習性になって、別に将来、日本人論をやろうなどと考えたわけではなかったのですが、なんとなく一生を、そんなふうに過ごしてまいりました。日本人の特性、キャラクタ−、最近は「持ち味」ということばを、プロ野球の選手なんかがさかんに口にしますが、日本人の持ち味などに関心をもってきたわけです。具体的に、日本人にはどんな特性、持ち味があるのか、それはいったいどこからきているのか。それらについては、次の12月の「“草食文化”という視点」でお話する予定にしております。それで今回は、特性を考える場合に、最近グロ−バリズムという問題があります。「世界は一体化する」などどいう声が大きくなり、だから、あるメディアなどは、「日本とか、日本人とか、そんなもの考える必要はないんだ。世界は一体化するんだから特別に日本人にこだわるのはよくない」と主張するところも出てきています。日本人の特性など、邪魔なものである、といわんばかりです。しかし、そういう考え方をとるのは本当に賢明なことでしょうか。世界が一体化するとは、現実には、世界がアメリカ化することでしょうが、そんなことになったら、世界はノッペラボ−になるだけです。生物界でも、ある種が同じ体質になったために、ひとつのウイリスによって絶滅したという例があります。人類の文明もモノト−ンになってしまったら、それは文明の衰退から消滅への道をたどることにならざるを得ないのではないでしょうか。文化の多様性は文明の進展には不可欠なものです。民族や地域がもっている特性、独自性があって、それらを出し合って、世界は進展するもの。「持ち味を持ち寄る」−−。それぞれの国なり、民族なり、地域なりが、長い歴史のなかで培ってきた特性、持ち味を出し合って、それぞれが抱えている問題を相互補完的に解決するための調整の技術を磨いて、より高い次元への発展をめざしていく。これが本当のグロ−バリズムではないかと、私は考えています。そこで、今日お話しするのは日本人の特性とグロ−バリズムの関係についてですが、イチロ−選手が昨年出かけていったメジャ−リ−グという世界は、やはりひとつのグロ−バリズムの世界であろうと思うわけです。今日の演題は「イチロ−選手とグロ−バリズム」で、イチロ−選手とグロ−バリズムが、いったいどこでどうつながるのか、不思議に思われた方もいらっしゃると思いますが、私のいわんとするところは、イチロ−は非常に自分にこだわって、つまりイチロ−自身の特性を生かして、昨シ−ズン大変すばらしい成績を残しました。向こうのペ−スにはまらないで、自分を貫きました。「あくまで自分にこだわる」という意味のことを彼はさかんにいいます。今シ−ズンは、ちょっと昨シ−ズンの疲れでしょうか、とくに後半不振でしたが、シ−ズンが終わった最後にも、「ぼくが一番こわいのは、ぼくが変わること」といっています。もともと彼は記者嫌いで、マスコミ嫌い。アメリカの記者も寄せ付けない。そのため、「ミステリアスな男だ」なんていわれているようです。彼は、なかなか分りにくい面をもっています。しかし、彼はグロ−バリズムの野球の世界に飛び込んで、そこで自分の特性、持ち味をもって勝負しました。今後も、その姿勢は変えないと思います。そういうイチロ−から、われわれが学ぶものがあるのじゃないか。今日の、この講演に「イチロ−選手とグロ−バリズム」というタイトルを設定したのは、そういうことからなのです。

 珍しいベ−カ−大使の発言 
 さて、昨年7月初めのことです。ベ−カ−駐日アメリカ大使が日本に赴任してきました。ブッシュ大統領がしばらく駐日大使を決めかねていまして、人選に手間取って、大統領就任から半年後に、やっとベ−カ−さんを送り込んできました。ベ−カ−さんは日本人とあまり背丈が違わないですね。目線がだいたい日本人とほぼ同じじゃないですか。前のマンスフィ−ルド大使みたいに、上から日本人を見下ろすような大使ではない。同じ目線で話ができる大使ですね。東京に赴任直後のことでした。たまたまテレビをつけたら大使の顔が大きくクロ−ズアップされていて、たしか着任の挨拶のためだったと思います。外務大臣を訪ねて、大臣室から出てきたところを記者団に取り囲まれていました。記者側から大使へ、どんな質問が出たのか、テレビをつけるタイミングが悪かったのでよく分らなかったのですが、大使はこんなことを話していたのが、大変印象的でした。「アメリカと日本は、国が違うからいいのだ。歴史も文化もまったく異なるから、強力な同盟関係を築くことができる」これを聞いて私は、アメリカの高官としては非常に珍しい発言じゃないか、と思いました。これまでというもの、アメリカはアメリカ的なものを押し付けてきたと思います。マッカ−サ−以来、ずっとそうでした。マッカ−サ−は占領軍の総司令官ですから、当然日本をアメリカのようにしたいと露骨な占領策を推進しましたし、その後の歴代の大統領も露骨にこそいわなかったものの、いざというときに、実質アメリカ的なものをごり押ししてきました。そのことは心ある日本人なら、だれでも知っていることです。そういうなかでベ−カ−大使は、「アメリカと日本は違っているから、いいんだ」といったわけです。非常に希有なコメントです。そもそもグロ−バリズムというのは、世界をアメリカ化することだといわれています。ヨ−ロッパなどは、このアメリカ化を図るグロ−バリズムには激しく反発しています。ドイツのシュミット元首相などは、「アメリカ経済は、肉食獣の資本主義」といって噛み付いています。また、発展途上国などでも反グロ−バリズム運動が盛り上がってきています。考えていますと、幕末の黒船も、あの時代のグロ−バリズムだったわけです。それからソビエトも、あれはあれで、ひとつのグロ−バリズムを推進していたのです。社会主義を世界に輸出しよう、というのが国家目的だったのですから。「ソビエト」という言葉は、固有名詞ではないのですね。「ソビエト」とは、評議会という普通名詞なのです。「ソビエト社会主義共和国連邦」というのは、正確に訳すと「社会主義評議会共和国連邦」ということになるのでないでしょうか。「国際連合」と同じように、固有名詞がないのは社会主義の世界建設を意図していたからでもあるのです。つまり彼らは彼らなりに、グロ−バリズムを推進しようとしていた。途中で挫折して、ソビエトがなくなって、アメリカの一極支配の時代を迎え、クリントンが登場して本格的なグロ−バリゼ−ションの展開を図ることになりました。そこに、ベ−カ−大使が先ほどのような発言をしたわけですが、これはベ−カ−氏の個人的な発言ではありません。ブッシュ大統領の考え方を代弁しているはずです。ブッシュ大統領の対日政策、対外戦略、それをベ−カ−大使が代弁して語ったということです。

○ブッシュ大統領のグロ−バリズム 
 ブッシュ大統領は、もともとこういう考え方をもっていたんですね。クリントン前大統領とブッシュ現大統領とでは、グロ−バリズムについての考え方がまったく違うんですね。世界をアメリカ化するのではなく、それぞれの国の特性を出し合おう、私がよくいう「持ち味を持ち寄る」というグロ−バリズム、各国が持ち味を持ち寄るのが真のグロ−バリズムではないか、グロ−バリズムについてのブッシュ的解釈の方が正しいのではないか。私はそう思っています。皆さん、ご存じの黒人女性の大統領補佐官、ブッシュ大統領の側近中の側近であるコンドリ−サ・ライス。唇の厚い、目のいかにも鋭い、まだ40代半ばのライス補佐官は、15歳のとき飛び級で大学に進学し、32歳のときに前のブッシュ大統領、ブッシュ・シニア大統領のブレ−ンに起用されてソ連問題を担当しました。ソ連担当のとき、ソビエトが崩壊しましたから、彼女は鼻息荒いんです。いまのブッシュ大統領が就任する2ヶ月前のことですが、NHKが彼女をつかまえてインタビュ−しています。そのなかで彼女は、「いまはアメリカ的なものを世界に拡大していく絶好のチャンスだ」と、ものすごい迫力で話していました。ところが、彼女はブッシュ政権の大統領補佐官になったとたん、何もいわなくなった。「アメリカ的なものを世界に広げる」といったことなど、まるで忘れたような顔をしています。これをみてもブッシュ大統領がクリントンとは違うグロ−バリズム観をもっていたことが分ります。世上、昨年、2001年の9月11日に起きた同時多発テロから、アメリカ政府はグロ−バリズムに対する考え方を変えたという見方がありますが、そうではありません。ブッシュ政権は2000年1月の誕生から、前政権とは違うグロ−バリズム観をずっともっていた、と思います。今年の2月、ブッシュ大統領は日本にやってきました。2月18日に、小泉首相と首脳会談を行います。二人だけの、差しの話をしました。したがって会談の内容は分らないことになっていますが、しかしマスコミは嗅ぎ付けるのが仕事ですから、その一端をつかみます。それはどういうことかというと、「お互い、違う国だから、意見の違うのは当然。違う意見を出し合おう。違う意見を出し合って話し合おう」そう、ブッシュがいったということが漏れ伝わってきたのです。ここにベ−カ−発言との一貫性が読み取れるわけです。

 ブッシュの国会演説に登場したイチロ−
 ベ−カ−大使が「違うからいいんだ」と発言したとき、これはちょっと余談で、根拠のない妄想になるかも知れないのですが、ひょっとしたら、これイチロ−効果ではないかなと私は思ったものです。その時点で、イチロ−はすでに全米の野球ファンがアッというような、めざましい成績を上げてしまいました。新人ながら快進撃を続けて、一躍全米の人気者になっていました。7月のオ−ルスタ−ゲ−ムの人気投票で、1,337万票余りを獲得してしまいました。2位はホ−ムラン王のボンズでしたが、120万票余りも差をつけてイチロ−がダントツの1位でした。ベ−カ−大使は選挙に関係ありませんが、ブッシュ大統領は選挙が絶えず頭にあります。大統領というのは、大衆商売といっていいくらいです。ですから、大衆人気の焦点にいるイチロ−に、ブッシュも大きな関心をもって注目していたはずです。パワ−野球、ホ−ムラン競争の世界、力と力がぶつかり合う世界に、あの小さな、非力なイチロ−、といったら叱られるかも知れませんが、線香のように細い体で入っていく。意外性が大きいですね。そこで俊足を駆使し、普通ならアウトになるような内野ゴロを打ってヒットにしてしまう。次から次へ盗塁をやる。驚くべき強肩ぶりをみせてスタンドばかりか、ベンチもうならせる的確無比の守備を披露する。こうしたイチロ−のプレ−で、マリナ−ズというチ−ムは活性化し、実に記録的な勝ち方を続けます。そういう状況をみて、ブッシュも影響を受けたのではないか。「たかが野球」などと考える日本とは違って、アメリカでは野球は国技のひとつですからね。その後、私が得た情報で、かってテキサス・レンジャ−ズという大リ−グの球団のオ−ナ−だったことがある、ということが分りました。ということは、野球に対する思い入れは、ブッシュの場合、並みのものではないということですよね。また、ブッシュは、「野球の話なら、何時間やっても飽きない」といっていたことも分りました。まさにブッシュは“野球オタク”だったということです。おそらく大統領就任以後も側近に頼んで、イチロ−のプレ−など録画させ、ちょっとした執務のあいまに、それを見たりしていたのじゃないか。そして、彼なりの野球哲学を持っていたのじゃないか。野球というのは、元来、持ち味のスポ−ツなんですね。ま、チ−ムプレ−のスポ−ツはどれだって、それぞれのプレ−ヤ−が持ち味を出し、それを持ち寄って競技するものですが、野球の場合、各プレ−ヤ−の持ち味が、プレ−している者、見る者双方に分りやすいのが特徴です。一塁手は一塁のスペシャリスト、三塁手は三塁のスペシャリストですね。ピッチャ−もまた、ひとりひとりが球種の違う投球をして、それぞれの持ち味を発揮する。そういう意味で考えますと、野球は持ち味を持ち寄ってプレ−する、お互いが持ち味で勝負し合う、典型的なスポ−ツだと思います。サッカ−も、詳しく見れば、イレブンの個々のプレ−ヤ−が、それぞれ持ち味を発揮して、ひとつのチ−ム力を出していると思いますが・・・・。そうした持ち味が分りやすいのは、やはり野球ではないかという気がします。ブッシュはひょっとして、そういうことを考えていたのではないか。私の妄想ですが、そういう想像をしたりしていました。そうしていたら今年2月18日、小泉首相と首脳会談をした翌日、ブッシュ大統領は永田町の国会で演説するんですね。それは30〜40分ほどの演説でしたが、そのなかに4人の日本人が登場します。ひとりは新渡戸稲造です。新渡戸さんは「武士道」を英文で書いた人ですよね。ブッシュは「日米の文化の懸け橋」として紹介します。次は福澤諭吉が出てきます。彼は維新の英雄で、「COMPETITION」を「競争」という日本語に訳した最初の日本人として紹介されます。それから小泉首相が登場します。そして最後にイチロ−です。こういう錚々たる人たちと並んで、イチロ−がブッシュの口で語られるわけですね。いかにブッシュが野球好きであるか、ここでもうかがうことができます。ブッシュはいいます。「どんな球でも打ち返すことができるイチロ−」小泉首相が、どんな球でもヒットにしてしまうイチロ−のように、構造改革をすすめて日本の国政を実りあるものにリ−ドしていくはずだ、というような文脈でした。日本の国技である大相撲では、横綱は大名待遇です、ステ−タスとしては。野球は、アメリカの国技のひとつですから、あれだけ輝かしいタイトルを4つも5つも独占して獲得したイチロ−に対する処し方は、大変なものだと思います。その一端が日本の国会の演説に出てきた、ということだろうと思います。

○パワ−世界に挑戦した異能者
 イチロ−は、大リ−グに小さな体で出掛けていって、ドミニカやベネズエラ、メキシコなど中南米、カリブ海の諸国からきた選手にまじってプレ−をしています。しかもアメリカ自体が人種のるつぼですから、アフロ・アメリカン、つまり黒人のアメリカ人や、同じヨ−ロッパ系でもイタリ−系、ドイツ系、東欧系などいろんな系統の選手がいて、そこに入っている。ですから、これ自体が、ひとつのグロ−バリズムの世界といってもいいものです。そのなかでイチロ−は、力の野球でなく、手首のやわらかさや足の速さなど、独特のセンス、資質を武器に全米を沸かせることになったのです。一種の異次元の、異文化のプレ−ヤ−というわけです。まさに、その異能ぶりによって、あのようなみごとな成功を収めることができたのです。ところでイチロ−が、もし10年前に、あるいは20年前に大リ−グに出掛けていったとしたら、あれほどの人気を博することになったか、非常に疑問です。といいますのは、10年前は、日本の企業がロックフェラ−のビルを買収したり、ハリウッドの映画会社を支配下に収めたり、ずいぶんアメリカで生意気なことをしていましたからね。反日ム−ドがかなり強い時代でした。さらに20年前となると、人種差別がまだまだ深刻でした。戦後、メジャ−リ−グでは人種差別をなくそうと、黒人選手を結構起用しました。しかし、黒人選手は、相当苦労したようですよ。20年前、もしかりにイチロ−が大リ−グに出掛けていったとしたら、やはりかなりの抵抗というか、嫌がらせに逢ったでしょう。そういう意味では、イチロ−は、いいタイミングで出掛けていった、という気がします。たまたま、いまは日本経済は落ち込んでいる。アメリカは日本の経済を見下ろす立場に立っている。アメリカは弱い者には同情的、強い者にはひどく敵意を剥き出しにしますからね。イチロ−の大リ−グのデビュ−には、そうしたラッキ−な背景があったことも見逃せないと考えます。じゃ、いまイチロ−は人種差別にまったく逢うことなく、アメリカでプレ−しているかというと、必ずしもそうではないようですね。対戦相手のチ−ムのホ−ムグランド、つまりアウエイでライトの守備にいると、「ゴ−ホ−ム、ジャップ!」などとやられるようです。空き缶を投げ付けられたり、コインを投げられたりする。彼は、決して文句はいいませんが・・・。昨年のシ−ズン前のスプリングキャンプのとき、“チビ”と言われたり、「ここはリトルリ−グじゃないぞ」といわれたりしていますね。それからイチロ−の奥さんの弓子さんですが、春、アリゾナのグランドに出掛けて、スタンドからイチロ−の練習風景を見たそうです。そのとき弓子さんは小柄なイチロ−を見て、「あ~あ、小さいなあ」と思わずいい、涙が出たと親しい知人への手紙のなかで書きました。このときのイチロ−、弓子夫妻は、大リ−グに挑戦するということで、日本を離れて間もないころです。あの広大なアメリカ大陸にやってきたばかりで、いろんな不安をいっぱい抱えていたと思います。生活文化の違いもあったでしょう。カルチャ−ショックにも出会ったでしょう。日本のシ−ズンと比べてかなり多い試合数を、この広大な大陸を東に西に、また南に北に、休むことなく飛び回って消化しなければならない。そうした緊張した重い気分のなかで、イチロ−の練習風景を見たものですから、弓子さんには余計小さく見えたのでしょう。イチロ−のプレ−は、日本でなんども見ている。小さいなどと、いまさら思わなくてもいいはずなんです。アメリカは大きく、アリゾナの土は赤い。いかにも違和感のある風景です。はるか遠く日本を離れてきた感慨のなかでイチロ−を見るものだから、余計小さく見えた、ということだったと思います。大リ−グの元ピッチャ−で、現在ラジオの野球解説者になっているロブ・ディブルという人が、「イチロ−は絶対に首位打者のタイトルはとれない。もし、かりに彼がとるようなことがあったら、私は素つ裸になってタイムズスクェアを走ってやる」とラジオで公言しました。実際にはイチロ−は、彼の“思惑”を裏切って首位打者をとってしまった。あえなくロブは、去年の12月30日でしたか、約束を守って、泣きの涙で夜のタイムズスクェアを走ったものでした。このシ−ンはテレビで日本にも放映されました。日本人にとっては、溜飲を下げるエピソ−ドでしたが・・・。

○イチロ−は日本人の典型
 じっとイチロ−を見ていて、私には思うことがあります。これは、まだだれも指摘していないことです。私だけの、勝手な見方ということになるかも知れません。それはどういうことかというと、イチロ−はきわめて日本的だということです。いい意味でもわるい意味でも日本的、日本人的です。彼自身は、おそらくそんなことまったく意識していないと思いますし、日本的だ、などといわれたら、不快感を見せるかもしれません。どんなところが日本的か、例えば、内野ゴロを打って俊足を飛ばして一塁セ−フになりますね。そのとき一塁の塁上に立って見せる表情。かすかな、はにかみがそこにはあるんです。また、彼は言葉がつねに少ない。ものをしゃべらない。マスコミ嫌いですし、職人気質とでもいうんでしょうか、日本の職人は口数が少ない。そして気難しい。大工さんにしろ、建具屋さんにしろ、腕の立つ一流の人は、みな気難しい。取っ付きにくい。イチロ−も取材記者にとっては、非常に取っ付きにくいようですね。 また、こつこつ仕事をする性格、大言壮語することなく、勤勉な一面を持っています。まっとうで、真摯で、かつ謙虚で、喜怒哀楽を見せず、清潔感を持っています。日本人は、平均して清潔感のある民族ですね。肉や油をたくさん摂取しないから、中国人などど比較してみるとはっきりします。イチロ−に女性ファンが多いというのも、そのせいでしょう。また大リ−グの選手は、よくグランドでツバを吐きますね。ガムを噛む。しかし、イチロ−はそういうことは、いっさいしません。日本人のメジャ−リ−ガ−のなかには、向こうの選手と一緒になってガムを噛んだり、ツバを吐いたりする人もいますが・・・。イチロ−は、頑として自分のペ−スというか、自分のかたちというか、それを守り、貫いています。イチロ−は、また完璧主義者です。言葉でも、英語を話そうとしない。「上手に話せるようになって、話します。」なんてことをシアトルの地元の小学校を訪問したときいっています。「英語がうまく話せるようになって、みなさんとまたお会いしたいですね。」と子どもたちに話しかけています。日本人の英語ベタというのは、完璧に近いレベルにならないと話ができない、そういうことと関係しているのではないでしょうか。イチロ−にも、そうした一面が出ていると思います。また職人というのは、道具を非常に大事にするものですよね。イチロ−はバットやグラブを非常にていねいに扱います。四球で一塁に歩くとき、バットをそっと、やさしくグランドに置きます。決して投げたり、ほうり出したりはしない。向こうのプレ−ヤ−は、三振などすると、悔しさのあまりバッドを地上に叩きつける人が多い。イチロ−と同じ球団のマリナ−ズの強打者、ブレッド・ブ−ン選手など、三振して怒り狂い、ヘルメットを地上に投げつけたのはいいんですが、それが跳ね返ってきて彼の唇に当たった。唇が切れて、しばらく大きなバンドエイドのようなものを上唇に貼り付けて打席に立っていました。総じて、向こうの選手は道具を粗末にする傾向があります。イチロ−は、試合後、自分で必ずグラブの手入れをします。それもきわめて入念にやります。シアトルの小学校を訪ねたときも、「みなさんは、バットやグラブをご両親に買ってもらうでしょうが、これは大事にしましょう。そして、自分で手入れをするようにしてください。」と子どもに訴えています。激しく感情をあらわにする向こうの選手に対して、イチロ−は滅多なことでは感情を出さない。いつも淡々としてプレ−しています。一試合、ノ−ヒットでも、いつも変わらない顔をしています。内心では、そうでもないと思うんですが・・・。逆に、ヒットを何本も打っても特別うれしそうな顔もしない。これも日本的です。武士は、やたら喜怒哀楽を表に出さなかった。反面、イチロ−は面白みがない、といわれる。表情に変化がないから、面白くないと・・・。そこにいくと大リ−グのサンフランシスコ・ジャイアンツにいった新庄選手は、子どものように喜怒哀楽をストレ−トに出します。彼は、アメリカ的にできていますね。イチロ−のようなタイプは、いまのところアメリカでは珍しいし、成績もいいから、人気もあります。今年のオ−ルスタ−ゲ−ムの人気投票でも1位でした。ただし、1位でしたが、200万票ちょっとでした。昨シ−ズンに比べると大幅減でした。200万票には日本からの投票も含まれています。今年は日本に110万票ほどの割り当てがあったのですが、そのうちの63%は新庄の得票でした。イチロ−、新庄のほかに日本人のプレ−ヤ−もいたし、日本からアメリカの選手に投票する人もいたでしょう。だから、イチロ−の得票は日本への割り当て分に関する限り、新庄の半分以下だったのではないでしょうか。イチロ−の得票は、日本に関する限り、かなり少なかった。やはり、イチロ−は面白みがない、ということでしょう。その点でも彼は日本的なんですね。日本人というのは、元来、日本人的なものを嫌うところがあります。こんなエピソ−ドがあるじゃありませんか。夏目漱石がロンドンにいるとき、散歩中、向こうから一人の変な日本人がやってくることに気付きました。あんなヤツとすれ違うのは嫌だな、と思いながら目をそらし気味にして歩いていました。その日本人は、だんだん近付いてきます。いよいよ来たな、と思ってよくよく見たら、なに、ビルのガラスに映った自分自身の姿だった、という話。日本人は、こんなふうに日本的なものを嫌う傾向があるんです。若い世代では珍しく日本的なものを持っているイチロ−だから、人気があるようで、実はないのではないかと、考えることもあります。日本ではオリックスに所属していたイチロ−は、テレビ放映が少なかったためもあるんですが、立派な成績を挙げている割りには、人気がもうひとつでした。 実は、イチロ−自身が日本嫌いなのかも知れない、と思うことがよくあります。彼のマスコミ嫌いは、日本にいるときから、かなりのものでした。うるさい、うるさい、と寄せ付けなかった。日本のスタンドの応援団、のべつ幕なしに大声を張り上げる応援、あれにも悲鳴をあげていたんじゃないですか。だからメジャ−リ−グにゆくと、向こうのスタンドを盛んにほめています。「プレ−のひとつひとつを、よく観てくれる。一球一球に心を込めて観てくれる。だから、アメリカではプレ−のやり甲斐があるし、プレ−の質も上ると思います」といっているくらいですから。

○その美意識と職人性
 それでもイチロ−は日本的なのです。彼が日本的だという点を、もう少し考えてみますと、彼は争うということをしない。大リ−グの世界は、文字通り競争の世界ですね。イチロ−の入っている世界は、血みどろの争いが連日繰り広げられている修羅場です。しかし、彼は「競う」「争う」という言葉をほとんど口にしません。逆に、「首位打者になるとか、打率がトップとか2位だとか、そういう数字にはこだわっていません」「あくまで自分の内面の問題として、ベストを尽くすだけです」というようなことを彼はよく言います。だから、人によっては、「イチロ−は、かっこつけているんじゃないか」という見方をします。しかし、彼は日本人特有の美意識から、こういう言葉を口にするのだと思います。攻撃性を持った言葉は、控える。修行僧のように、野球を修行のテ−マとして、単なる野球ではなく、「野球道」として取り組む。そういう日本的な生き方、日本的な感性を持っている。私には、そのように見えるのです。私が考えますのに、日本人において美意識と職人性はミックスしているんです。イチロ−を見ても、ヒットをうまく飛ばすときに美しく打つ、なんでもいいから打てばいい、というのではなくて、美しく打つ。イチロ−の気持ちのどこかに、それが課題としてあるのではないか、そんなふうに私には見えるのです。その点でも彼は、非常に日本的です。ただし、本人はそんなことを、自覚しているかどうか。日本人の美意識とは、もともとそういうものではないでしょうか。心の奥、意識の奥の、またその奥の深いところに持っているのが日本人の美意識なんです。イチロ−が今シ−ズン、昨年に続いて2年連続で安打200本を達成したとき、新人の2年連続200本安打は珍しいというので、報道記者がどうしても会いたいと集まりました。その日米の記者を前にした会見で、イチロ−が残したコメントがあります。「僕は、ク−ルを装っていますが、(安打の)200本達成はものすごくうれしかった」ここに「ク−ルを装っている」、「装っている」という言葉が出ましたが、彼の美意識の一端、片鱗が期せずして表に出たと見ることができます。

 チチロ−の教育
 イチロのお父さんは、通称「チチロ−」というんだそうですね。本名は鈴木宣之ですが、イチロ−のおやじさんだ、ということから、いつの間にかチチロ−と呼ばれるようになった。チチロ−さんは、どうも職人さんのようですね。電気部品製造業を自営しています。「おやじの背中を見て育つ」という言葉がありますが、むろんイチロ−もチチロ−をモデルにして育った時期もあったでしょう。チチロ−さんも、かって野球少年だったといいますから。チチロ−さんのほうも、ものすごくイチロ−思いの父親です。イチロ−が3歳のとき、プラスチック製のバットを買い与え、小学校1年生のときに、「お前、本気で野球やるか」とイチロ−に問い、「うん、やる」と答えが返ってくると、木製の、本格的なバットとグラブを与えました。次いで小学校2年生の終わりに、地元の、愛知県豊山町ですが、そこのスポ−ツ少年団に入団させます。そのころからイチロ−は近所のバッティングセンタ−に毎日通うようになります。小学校3年のときから中学卒業までの7年間、暮れと正月を除いて一日も休まず、バッティングセンタ−に通い続けた。しかも、チチロ−が毎日必ずついてゆく。なにもアドバイスするわけでもないのですが、そばについている。隣りでチチロ−もバッティングをやっている。ただ黙って、息子に付き合っている。かなり前のことですが、チチロ−さんが「月刊文芸春秋」に寄稿していました。それによると、このころのイチロ−は一日、いくらぐらいバッティングセンタ−でお金を使うか。だいたい2500円から3000円、使ったと書いています。1ゲ−ム25球で、200円。球数にすると一日に300球から400球近くを打ち込んでいた勘定です。それからイチロ−は名電高校に入学します。ここの野球部に入り、高校時代、2回甲子園に出ます、ピッチャ−として。勉強のほうは高校時代、全然やらなかった、ということです。中学までは、成績は非常に良かった。でも高校は全寮制で、親元を離れて、明けても暮れても野球ばかり。チチロ−は、しかし毎日、高校にやってくる。高校のグランドで練習するイチロ−を遠くからいつも見詰めている。普通だったら、ちょっと真似のできないことです。親バカ、といっちゃあ叱られるかもしれませんが、毎日、高校のグランドに来て、なにもいうわけでもないのに、息子が練習する姿を見ているのです。チチロ−は、あるときこういっています。「子どもの才能を見つけてやるのが、親の責任です」中学生のころ、チチロ−さんはイチロ−より先に寝たことがないということです。イチロ−が学校の宿題を持って帰ってきたとき、もし分らないところがあったら、いつでもイチロ−の質問に答えることができるように、自分も一生懸命中学の教科書を勉強していたといいます。その一方で、イチロ−はあんなに細い体をしています。いま体重72キロ。身長は178センチ、ときに180センチという人もいますが・・・。これに対して体重は72キロ。で、子どものころは偏食して、好き嫌いの激しい子でした。そういうイチロ−に、親であるチチロ−はなにもいわない。偏食を矯正するようなことはなにもしない。これはいいことじゃないですよね、考えてみると。これがまた、日本的なんですね。日本的教育というのは植物的な教育だ、という人がいます。東大教育学部の恒吉僚子さんです。ユ−ラシアの西のヨ−ロッパの民族は、小さいときに加工する、躾ける。そういう教育が正しいとしています。ヨ−ロッパの教育は、犬の躾け方に似ている、という人がいます。近ごろ、日本でも子どもを躾けるのに、犬の躾け方の本を買ってきて転用したら、うまくいったなどという若いお母さんたちがいるという話もあります。日本的な教育は、この時代に合わなくなってきたという考え方です。しかし、イチロ−はチチロ−さんによる純日本的な教育、つまり「できるだけ子どもに干渉しない、子ども任せで、のびのび育てる」教育を受けて育ったということになります。

○「自分であることが一番」
 イチロ−は昨年、シ−ズンが終わって日本に帰ってきました。早速、NHKが彼をインタビュ−しました。そのときイチロ−は「自分であることが一番」ということを強調していました。自分を失ってはいかん、マスコミを近づけないのも、実はそのためなんだ、マスコミを相手にしていると、やはり自分を見失う可能性が大きい、といっていました。彼は打撃の妙手ですから、取り囲む記者たちのなかには、「ホ−ムランをどんどん打ってくれ」なんてこともいうでしょう。そういうことが度重なると、ついつい自分のペ−スを乱すことに繋がりかねない。イチロ−は、それを警戒しているのだろうと思います。「自分であることが一番」おのれの特性にこだわる。総花的に、手を広げるのではなく、これと思う特性、特質、持ち味を絞って、それに全力を傾ける。大袈裟にいえば、そこに命を賭ける。これがイチロ−の生き方であり、成功しているキ−だと思います。

○日本人の突出した能力
 さて、イチロ−の話はそのくらいにして、「日本人の特性」のほうへ話題を移らせていただきます。「個性的な、あまりにも個性的な日本人」と、お手許の資料に書きました。一般的に、「日本人は個性がない」というのが定説になっていますね。日本人は顔が見えない、外国へ行っても存在感が薄い、などともいわれます。日本の外交なんかも、巨額のODAをばらまきながら、存在感がない。ODA効果がない。しかし、存在感がないとか、薄いとかいわれる、そのこと自体が、もう個性的である、ということができます。そして、こつこつ一つの仕事をやっている。皆さん、見てやってください。日本の製造業のすごさ。こつこつ、こつこつ、やっている。町工場。町工場は日本の、まさしく母体、基盤の最たるものだと、私はつねづね思っています。これだけの裾野の広い町工場を持っている国があるでしょうか。いま、不況のために倒産して、その裾野が小さくなっているのがなにより心配ですが、中国にこれだけの町工場があるでしょうか。韓国がいくら頑張っても、なかなか日本に追いつけないのは町工場の裾野が小さいからです。台湾は、比較的あるんです。逆に、大企業が少ない。華僑、中国系はどこに行ってもそういう傾向がありますね。組織があまり大きくならない。日本では、大企業もありますが、小企業もある。もちろん町工場は玉石混淆です。しかし、質のいい、町工場はすごい。先ほどもいいましたように、美意識と職人性が一緒になっています。町工場は、一見汚いように見えますが、職人は芸術家、工芸家ですから、工場はアトリエなんですね。結構、すみずみまで美意識が働いているのです。従業員が100人くらいの規模の工場になると、ものすごくきれいですよ。フロアは、なめてもいいくらいきれいです。専門の清掃員が、二六時中、掃除をしています。私は、ちょいちょい工場を見せてもらっているんですが、100人前後の工場になると、不況になっても清掃予算は削りません。私は、よくこんな質問をするんです。「不況で苦しいから、清掃スタッフをどうしても削減するころになるでしょう」すると、たいてい次のような答えが返ってきます。「いや、減らすと品質を落とすことになりますから、それはできませんよ」 美意識であり、職人性でもあるのです。日本のものづくりの真摯さであり、強靭さですね。 また、納期をきちんと守る。借入金の返済期限を守る。最近、だいぶ崩れて、個人の多重債務問題など大きく社会問題化していますが、企業、工場がそれをやったら最後ですからね。中国人なんか、日本の納期厳守を見ていて、「そんなに無理してまで、守らなきゃならんなんて、おかしいんじゃないの」と言います。しかし、まっとうな日本人は無理してでも納期を守るんです。清潔感、潔癖感なんですね。借金払わないと、夜眠れません。ところが、逆に借金払うと、夜眠れない民族もいるようですよ、この世界には。美意識と職人性が、必ず相伴っている。例えば、日大にYS−11という旅客機を開発した木村秀政という先生がいました。若い世代の設計者を募集するについて、どこをその採用のポイントにするのですかと聞いたら、「絵心なあるか、ないか。そこをみるんだ」という答えでした。新幹線の設計でも「まず美しくなければならない」といいます。美しさが、最初に出てくるのです。車づくりも、たぶんそうでしょう。ドイツあたりは機能性を徹底的に追求して、その結果として到達したモデル、それが一番美しいんだ、という。美しさが、あとに出てきます。日本は、まず美しくなければならない。美しさが最初に出てきます。同じものづくりの優秀な国なんですが、美意識にからむ構えは、基本的に大きく異なっているわけです。「化学は美しく、エキサイティングだ」といったのはノ−ベル化学賞を受賞した野依良治さんでした。同じノ−ベル賞の授賞式で、「美しい日本の私」と題する講演をしたのは川端康成でした。 ドナルド・キ−ンという人は、「日本人は数千年来、美に没頭してきた民族だ」といいましたが、まさにいい得て妙です。さらに触れねばならないのは、日本人の、美意識というのは、一筋縄ではいかないということです。先ほどもイチロ−のところでいいましたように、「われわれは美意識の民族だ」なんて露骨にはいわない。いわないから、一般の外国人はそのことを知らない。日本人自身の多くも知らないまま過しています。「日本人は非常に美意識にたけた民族である」なんてことを、意外と知らないのです。アマチュアの絵かき、いわゆる日曜画家の数は、日本では厖大なもので、日本画の大家で、先年亡くなりました伊藤清永という人などは、「日本のアマチュアの総数は、日本を除いた世界の総数を上回る」といっていました。アニメ−ションは今後、日本の大きな産業になることは確実です。映画産業のなかでも大きな比重を占めて、日本の輸出材としても高い地位に立つでしょう。ですから、この日本人の美意識をうまく利用することを考えてみる必要があります。「利用する」というと、いかにも功利主義的ですが、子どもが少なくなった、それについての対策、少子化対策でも、日本人がもっている美意識に訴える政策があってもいいはずです。例えば、テレビで子どもが3人くらい連れている女性が一番美しい、というのを毎日10年くらい放映したら、絶対に問題は解決すると思います。そのくらいの知恵を出さないと、・・・。 表現の自由云々があるからと、折角貴重なテレビという媒体があるのに、政府も、テレビ屋さんも活用しようとしない。もう少し少子化問題など、真剣に考えないと、やがて国の死活問題にかかわってきます。日本人は「どう生きるのが正しいか」ではなく、「どう生きるのが美しいか」に重心をおいていることが海外生活をしているうちに分った。ある女性が新聞の投書欄にこう投書してきました。今日、きていらっしゃるかどうか、川俣栄一さんが東久留米稲門会の会報「杜の西北」第8号に寄稿してくださった。奥さんを亡くした悲しみを綴ったものでしたが、そのなかで「美しい老いをめざして、これから生きてゆきます」と書いておられた。やはり「美しい」という言葉が出てくるんですね。日本人は、極限というと誇張が過ぎるかも知れませんが、内面の究極の局面に立ったとき、「美しい」という言葉が期せずして出てくるのです。こんな話もあります。「戦争中の特攻隊員たちは、いったいどういう心境で飛び立ったのだろう」という疑問があって、それに対する答えがなかなかみつからずに、長い間ずっと考えてきた。でも、あるとき「美意識で突っ込んでいったんだ」ということに気が付いたら、「あっ、これなら日本人は死ねるな」と、長い間の謎の闇が一気に晴れたというんです。これは、さる中堅の評論家が新聞のコラムに書いていたものです。極限における日本人の心理状況は、こういうものでしょう。

○個性的であることを嫌う日本人
 しかしながら、こういう日本の民族性は、外国人には分りにくいですね。日本人ですら、よく分っていないくらいですから。「日本異質論」というのがありました。1980年代半ばに、アメリカの知識人の間に起こった「日本異質論」。中国、韓国までは分かるけど、日本となると分かりにくいこと夥しい。お配りした資料のなかの世界地図、これは集英社さんが出したサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」という本があります。それに付随してハンチントンが日本人向けに書いた「文明の衝突と21世紀の日本」のなかに収められた地図です。日本列島だけが真っ白なんですが、中国、韓国にはボツボツが付いて儒教文明圏、タイ、ラオス、ミャンマ−などは仏教文明圏となっています。インドは一国で一つの文明圏になっています。世界には九つの文明圏があって、日本とインドだけが一国で一つの文明圏を形成している。インドは人口10億人を超えているような大規模国家ですから、一国で一つの文明圏であってもおかしくないわけです。が、日本は人口1億2千万人、それで一つの文明圏ですから、世界で最も小さな文明圏です。これだけでも、日本が個性的な国であるということがいえるわけです。ところがですね、日本人は個性的であるということを非常に嫌がるんです。個性的であることを嫌って、他との同一性を求める。韓国とは「一衣帯水の仲だ」、中国とは「同文同種の間柄」だ、などといいます。それから「アジアはひとつ」「世界はひとつ」といったことばが好きなんです。「グロ−バリズム」ということばも大好きみたいですね、ことばとしては。いずれも類似性ばかりを強調していることばです。「俺たちは、きみらとは違うよ」などど異質性を指摘するようなことは、まずしません。面白いのはシドニ−・オリンピックです。あのオリンピックの開会式に日本の選手団がレインボ−カラ−のユニフォ−ムで入場してきました。合羽(かっぱ)のような、マントのようなデザインでした。ああいう変わった、個性的なことをするのを、日本人はすごく嫌うんですですね。翌日の新聞はこぞって、日本選手団を徹底的に叩いていました。「吐き気がした」「鳥肌が立った」肯定的な評価はゼロ。このユニフォ−ムを擁護するコメントは、少なくとも新聞のどこを探しても、一行たりともみつかりませんでした。今年の韓国・釜山で開かれたアジア大会の開会式をごらんになりましたか。日本の選手団のユニフォ−ムときたら、まるで喪服でした。あれは、まさにシドニ−・オリンピックの反動ですね。あれだけシドニ−で叩かれれば、デザイナ−も萎縮します。意欲的なデザインで挑戦しようという気には到底なれない。前例を踏襲して、無難なものをデザインしてすまそう、となってしまいますよね。役人の世界と似てしまいます。とにかく、変わったことをすることはタブ−なのです。この国では。「あいつ、変わったヤツだな」といわれたら、それだけでマイナス評価ですね。子どもの世界でもそうです。変わっている子は、いじめの対象になる。大人の社会でも、同じようなことがいえます。ま、“変人首相”というのが、この国に、いま出現しています。あまりにも政界の状況が絶望的でしたが、国民が、それこそ清水寺の舞台から飛び降りるような気持ちになって政治の転換を求めたためでしょう。あくまでもこれは、ひとつの例外でしょうね。

○「人間」を忘れた日本論
 これも先ほどの話とかさなりますが、日本人がもっている重大な欠陥の一つとして、自分たちの特性についてほとんど関心を示さない、という点を挙げなければなりません。 ここに「日本のフロンティアは日本の中にある」と題する一冊の本をもってまいりました。私は、いつも講演のときに、この本を皆さんにおみせするのですが、2年前に2000年の1月、まだお元気だった小渕首相(当時)へ答申書が出されました。それを本にしたものが、この本です。その答申書は小渕さんの諮問に応えてできた「21世紀日本の構想・懇談会」が99年の6月から、有識者の方々が集まって討議をかさねたものをまとめたものです。この懇談会の座長は河合隼雄さん、いま文化庁長官になっております。その他のメンバ−には早稲田大学から国際日本文化研究センタ−に移った川勝平太さん、ジャ−ナリズムでは朝日の船橋洋一、日経の小島明、産経の千野境子、それから宇宙飛行士の向井千秋さん、そういった人たち40何人かが、分科会を含めて40回の討議をかさねました。2年前の1月18日に答申書が小渕首相に出され、翌日の1月19日には、各紙がいっせいに答申書の内容を報道しました。「小学校は週3日制にしよう」「英語を第2の公用語に採用しよう」 などといった点を取り上げていたメディアが多かったと記憶しています。メディアが書く内容には、紙面の制限もありますから、答申書の全部はどうしても書き切れません。全体を読んでみたいと思っていた私は、官邸に電話して、いつ答申書が本になるか確かめて、3月10日の発刊と同時に買い求めて、読んでみました。日本を代表する知性が首相に出した21世紀を見通した日本のプランニングのなかで、日本人の特性をどうみているのか、どう扱っているのか、日本民族のキャラクタ−、特質をメンバ−みんなで考えたにちがいない。それを知りたかったからです。ところが、日本人の特性についてはふた言、み言あるだけでした。そのひとつは「すぐれた資質、能力」。なぜ、すぐれているのか、どういうふうにすぐれた資質、能力があるのか、それは、いっさい書いていません。秀才でも、いろんな秀才がいます。東大に入る秀才たち、理工系もいれば、人文系もいます。早稲田も同じじゃないですか。「すぐれた資質」、ただそういう表現で片付けてどうするのか、と私は思いました。それから、もうひとつ、「日本人は巨大な潜在力をもっている」。潜在力というが、どうして「巨大」なのか、根拠は示していない。たぶん明治維新だとか、第2次世界大戦のあとのめざましい復興などの実績を頭において書いたであろうことは察しがつきます。しかし、こんな表現ですましてしまうのは、あんまりにもアバウト過ぎますね。私自身、非常にアバウトな人間だと思っていますが、それ以上にアバウトです。大勢の天下の有識者、知性人が集まって、平気でこんな答申書を首相に出したのかと思うと、私は、正直、腹が立ちました。日本の民族性、それが国家100年の問題を考える前提になるわけでしょう。自分たちの特性、足元を考えないでおいて、なにが「21世紀の構想」でしょうか・ 今日(10月6日)、NHKの9時からの討論会で、塩川財務相、シオジ−さんが喋っていました。個人消費の喚起のために、なにかの予算の40%を振り向けるんだ、と。経済政策でもなんでも、もう少し人間を考えたらどうなんだ、と思います。日本人というものの、クセだとか、傾向、キャラクタ−。それらを抜きにするから、個人消費だって、いっこうに伸びません。さっきの少子化対策じゃないですが、人間中心の政策に取り組まない限り、成果は出ないのじゃないですか。 

教育にも「人間」が欠落
教育など、とくにそうです。人間が対象です。教育は、まさに。人間の能力は知識の量で測るものだけではなく、人間の能力の傾向、例えばイチロ−のようにバッティングの才能があるんだと、チチロ−さんが見抜いたように、それぞれの人間の特性をベ−スにしてみていくべきものなんですね。それがネグレクトされているのが日本の教育です。10何年か前のことですが、日比谷で日米学生集会というのがありました。たしか中曽根内閣のころだったと思いますが、日米貿易摩擦が嵩じて、アメリカから日本は内需拡大してアメリカ側の対日貿易赤字を減らせ、と強く迫られたときでした。アメリカの高校生を、たしか一度に1000人くらい日本に、費用を日本持ちで呼んだんです。そのうちの500人ほどが日比谷公会堂ホ−ルの客席のほうに座りました。一方、日本からは大学生が、文部省が窓口でしたから、私立大学ではなくて国立大学の学生ばかり、東大、一橋、東工大などから40〜50人が演壇のほうに並びました。日本の大学生活をアメリカの高校生が聞く、という趣向の集会だったと思います。私が直接取材したのではなくて、取材した記者に話を聞いたのですが、そのときの話が大変印象に残っているのです。というのは、アメリカの高校生側からひとり男子が立ち上がって、「皆さんは将来、どんな職業に就こうと考えているのですか」と大学生に聞きました。ごく素朴な質問です。それに対して2割くらいの大学生は、国家公務員になるつもりだ、大学院にいって光ファイバ−を研究したい、などと答えたのですが、残りは「まだ決めていません」といった。すると先ほどの高校生が再び立ち上がって、「アメリカでは高校生でも将来の職業を決めている。決めないと大学へはいけない」といったのです。職業を決めないと大学へ入れないとは大袈裟でしょうが、実際、アメリカでは子どものころから自立心が旺盛だし、高校生も、また社会も将来設計があやふやな状態を好まない。そういう風土がありますね。アメリカの高校生からそういわれて、日本の大学生はもう答えがなくて、ただニャニャ笑って、その場は終わってしまいました。  社会の風土、システムが日米で違いますし、日本の大学生も近ごろは少しばかり変わってきました。一人一芸などといっています。企業に入社してから、どんな専門性を身につけるか、企業任せで決めるような生き方は、少し変わってきていると思いますが、しかし全体としては、まだまだというところです。とりわけ学校教育の段階では、さほど変わってはいないのじゃないですか。それぞれの人間の、それぞれの能力をどう捉えるか、「お前、どういう才能を持って将来食っていくのか」という教育ではないんですよね。そのようなプロセスが中学や高校になくてはいけないと思います。ないのは、本当の意味で人間のための教育になっていない、人間主体の教育が欠けている、といわなければしょうがないのじゃないのかと思うのです。 神戸の灘高の1995年の進学デ−タをみると、東大理Vに21人が合格しています。東大理Vの定員は90人ですから、灘高のウエイトは非常に高いわけです。それで、問題は、そこに入学したものは医師としての適性があるのかないのか、そんなこととは無関係に受験して、入学する傾向があることです。「おれは秀才なんだ。だから理Vを突破できるんだ」という、秀才であることのアリバイづくりに受験し、合格する。秀才のレッテルがほしいのです。秀才としての格好よさを求めているわけ。先ほどから申し上げている美意識とも関連しています。また現在の高校生が受験の職人化している側面も物語っているということもできます。東大の医学部の場合、医師の国家試験の合格率は、全国110ある医大のうち40何位です。適性も考えず、ただ合格が難しい、ハ−ドルが高い、だからこそそこに進学すれば秀才のレッテルをキ−プすることができる、といって受験し、入学してきた者たちのなかには、医師の適性もなく、臨床の講義で手術の血をみてひっくり返って、「おれは、もうダメだ。医者は無理だ」と国家試験への意欲を失ってしまうことになる。国家試験合格率が、低位を占めるのも当然でしょう。その95年に灘高から東大理Vに入学した者のなかから、2人のオウム真理教への入信者が出たのも、自分の特性を無視した進学の結果とみて差し支えないでしょう。 このような風潮、ブランドを追っかけ、レッテル主義に傾斜する風潮は、この社会全体にあるわけで、このことが世界に突出した日本の欠陥の一つにもなっていると、私は考えています。

局面同化と没戦略性
最後になりますが、グロ−バリズムの進展によって今後ますます国の垣根は限りなく低くなるということで、日本とか日本人とか、そういうことを考える必要はない、そんなことを考えるのは、まさにアナクロニズムだ、といった主張があります。しかし、果たしてそうでしょうか。自分たちの足場、自分たちの特性、持ち味、今後日本は何で食べていくのか、どんな特性を生かして世界に貢献していくのか。その視点を欠くと、あとは、そのときどきの風まかせに漂流するしかない。やれ韓国が追い上げてきた、やれ中国が“世界の工場”になった、といっては戦々恐々とする。これらに、いったいどう対処したらいいか分からない。今後どう日本は舵取りしたらいいのか、どう生きたらいいのか、分からなくなっている。現在、こういう状況になっていると思います。ジャ−ナリストを含めて、みんながそうなっています。追い上げられた、追い上げられたと、そればかりいっているのです。 私は新聞のスクラップを、わりに熱心にやっています。項目別に、北朝鮮の拉致問題だとか、イラク問題だとか、あるいは教育や凶悪な犯罪など、相当数の項目を立ててスクラップを分類しています。いま、新聞の紙面に出てくる問題で、何が一番多いかというと、これはやはり中国関係の記事です。スクラップしていると、あっという間にいっぱいになる。何紙かとっていると、中国問題の袋がたちまちいっぱいになってしまいます。中国も、いい面、おかしな面があるんですが、どうもいまのところ日本は戦略もなく、ただただ目先、労働費が低く、当面、手っ取り早く国際競争力のある、安価な製品ができるということで、われもわれもと中国に進出しています。長期的な展望を持たないまま、日本の企業は不安心理に駆られて生産移転している。漂流状況の延長でしかないようにみえます。 グロ−バリズムだというと、わっと「日本型システムはもう古い、ダメだ」などと、みながいっせいに叫ぶ。と、思っていたら、最近はまた、それをいわなくなったばかりか、「やっぱり、考えてみると日本型システムにもいいところがある」てなことをいって、少々揺れ戻しが起きています。絶えず、ふらふらしている。それを煽っているのが、またメディアでもあるのです。これでは、優秀な才能の持ち主がいても、浮上してこれない。漂流は、大きなロスを生みます。  どうして日本では、このようになってしまうのかというと、ひとつは「局面同化」というか、その場その場の状況に120%エネルギ−をつぎ込んで、新しい局面に完璧に適応しようとする。その気持ちが強過ぎるからでしょう。夢中になるあまり、足場も戦略も見失ってしまう。そういう特性、キャラクタ−が抜き難くある。 こうした日本のあり方は、決していまに始まったものではありません。昔からやってきたことです。早い話、明治維新そのものが局面同化であった、ということができます。黒船がきたという新しい局面に、120%対応しようとしたのが文明開化であり、「追いつけ、追い越せ」がまた、国を近代化する局面同化路線だったと思います。 「追いつけ、追い越せ」というのは、戦略ではないわけです。戦術に過ぎません。追いついたあと、何をするか、というのがないんですから。欧米に追いついて、さて次になにをするのか、それがありません。めざすものがない。ここに、現在の日本の混迷の主たる原因があるのではないでしょうか。めざす目標が、すでに追いついてかなりの年月が経過していますが、さっぱり出てこない。出てくる気配すらありません。  局面同化の端的な例は、いくらでも挙げることができます。  終戦直後の昭和20年10月に、早くも「日米会話必携」という本がでました。あの紙の払底したときですから、ひどく汚い、黒っぽい紙の本です。が、8月15日の戦争終結から2ヶ月たったか、たたないのかの時期に出版され、1ヶ月で100万部売れたといいます。出す方の局面同化力、そして買う方の局面同化力、いずれもすごい。つい、この間まで「鬼畜米英」といい、「撃ちてし止まん」といっていたのですが、状況は変わった、局面が変わった、局面が一変した、それに備えなければならない。実にすばやい変身、新局面への適応です。

  会田雄次さん、数年前に亡くなられた元京都大学教授の会田さんが、ミャンマ−、当時はビルマでしたが、そこの捕虜収容所から昭和22年に復員してきました。で、帰国してすぐのことですが、映画館に入った。もちろん占領下です。ニュ−ス映画も駐留軍が検閲して、彼らに有利な内容になっています。そのなかで日本の特攻機が米艦艇の対空射撃によって次から次に撃墜されるシ−ンが出てくると、映画館ではさかんに拍手が起こった。館内に入っているのはみな日本人です。アメリカ人ではないのです。捕虜収容所から帰国したばかりの会田先生にとって、これは大変なショックだったらしいですよ。この話をなんべんもなんべんも書いたり、話したりしていました。局面同化の度が過ぎたケ−スでしょうが、こういうのは、海外からみたら日本人という民族は、あまり信用できる連中ではないな、と思うでしょうね。つい最近、朝日新聞の投書欄にも書いていた人がいました。極東軍事裁判でA級戦犯に対する判決が出たとき、ラジオを聞いていた人たちの間から万雷の拍手が起こった、と。会田先生の体験と同じ種類のものですね。

  21世紀はヨコ軸の時代 

長所と短所は、どの民族にも必ずあるものです。“長短同居”、長所は短所と必ず同居しているもので、100%長所ばっかりということはありません。天は二物を与えません。ひとつ長所があると、必ずひとつ短所があるわけです。プラス、マイナス、ゼロ。そういっちゃいますと身も蓋もありませんが・・・。

アメリカだって、2000年秋の大統領選挙をみたら分かります。実は37日間も、フロリダでエクボ票だとか疑問票だとかドジを踏んで、ブッシュとゴアがお互いに裁判沙汰まで突っ走ったりしました。あのハイテク大国で、こんなブザマな選挙をやりました。そんなわけで、どの国もオ−ルマイティというわけにはいきません。

 ただ21世紀は、これまでのように優劣というタテ軸で判断するのではなく、一国のトップも一般市民も同じレベルの存在、総理大臣もSPなしで、いきなり無理でしょうが、少なくとも精神的、心理的には同格で、それぞれが司、司(つかさ)で社会的な務めを果たすヨコ軸の時代が到来するはずです。こういう時代では、個人も、イチロ−がいみじくも自分にこだわって、こだわって、ベストプレヤ−になったように、それぞれの個性で生きることが大事であり、国もまた、それぞれの個性、特性、持ち味を持って世界に存在価値を問うことになるわけで、これこそが真のグロ−バリズムだと思うのです。

 長い間、拙い話をお静聴くださいまして、本当にありがとうぞざいました。

              ○質疑応答

問 いま、おっしゃったなかで印象的だったのは、日本は基本的な思考を持たないという点です。私は娘がフランスにいるものですから、フランス、イタリ−によく出かけてますが、日本がなぜ信用されないのか。信用される面もあるんです、個人的には信用されていると思うんですが、しかし国として信用されていない。フランスが核実験したとき、当時の武村大蔵大臣がムルロア環礁のそばまでいって反対運動をしたのが、向こうでマンガになっていました。武村さんが、フンドシ一丁で「反対!」、そこにアメリカの核の傘が描かれている。つまり日本はアメリカの核の傘があって、それで守られているのに、国民はそれを知らされていないで、大蔵大臣が反対運動をやっている。ナンセンスだ、というんです。アメリカの基地によって守られている日本、それを向こうはよく知っているんです。北朝鮮が拉致のことを国民に知らせないのと同じだと思います。このへんのところを知日派のイタリ−人もフランス人もよく知っていて、日本人は信用おけない、自国を他人の国に守ってもらっていること自体、信用おけない。だからイタリ−の街を歩いていると、みんな英語で話しかけてきます。「なぜ、英語で話すのですか、私は日本人ですよ」というと、「日本はアメリカの植民地でしょ、だから・・・」といわれるのです。そういうところをなんとかしないと、いまおっしゃった問題と関係していると思いますが・・・・・。

答 私は、そのお話しをうかがいながら、こんなことを考えました。知らせていない、というより、一般の民衆が知りたがらないのじゃないでしょうか。視野狭窄というか、ごく身近なことにはものすごく緻密に、心配りをする。身辺のことは大事にする。それにテレビ屋さん、マスコミさんも一生懸命応えようとする。画面がドラマをつくっても視野が小さくて、空がない。欧米の映像は、空間が広い。そうでないと視聴者が受け付けない、といったところがあると思います。やはり国民性の違いじゃないかと思いますが・・・・。視野狭窄の代わりに、自分の周辺は実はしっかり守る。その点ではすばらしいんでしょうが、視野の狭さはきわめて根深いところからきているように思います。また、それとともに嫌なことはみたがらない、というところもあるのじゃないですか。
                                                       (了)